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私達、夫婦は一つ終わり迎えていた もう、涙は枯れた 妻を美化して思い出の中に生きる時間は終わった どんなに、都合の良い未来を想像しても そんな未来は永遠に訪れないことを受け入れることができた 妻を愛し永遠に見守り側で支える それが、夫婦の愛 という人がいるかもしれないが それは、愛でなく呪いであり呪縛でしかない 現実に生きることを諦めた人との言葉だ 本当に愛するというのは 大切な人の幸せを願うものだ 自分のために涙し回復を願い自分に縋る私を妻は認めないし 妻にとっては、最大の屈辱でしかない 「同情されたくない」 それが、妻の意志だと思う 「私の事を忘れないで」それだけでいい だから 私や子供達には、自分に縛られないで自分の道を生きてと 願うはず 夫婦だからわかる、、、、、、、、 妻の時は、7年前に止まったままで 二度と動くことはない 残された砂時計も二年〜三年だろう もしも 願いが叶うなら、、、、、、、、、 最後に一目だけでも 妻に成長した子供達を見せてあげたい、、、、、、 それが、、、、、、、、、最後の願い
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