宴会の準備。(視点:葵)

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宴会の準備。(視点:葵)

 帰宅してあまり間をおかず、呼び鈴の音が響いた。モニターを覗き込む。そこにはドアップの目玉が映っていた。 「うおっ」  割とビビる。しかし相手はすぐに体を引いた。おかげで目玉の主が恭子だとわかる。なかなか酔っ払っているな。後ろには指を絡ませる綿貫君がいた。恭子にハラハラしているのか、私の家に緊張しているのか。或いは両方か。無言で開錠ボタンを押す。恭子が右手を振り上げた。レッツゴー、とでも叫んでいるのかね。近所迷惑にならないよう、頼むぜ。  玄関の扉を開けて待つ。程なくして二人が現れた。葵ぃ~、と親友がよたよた寄って来る。そのまま私に抱き着いた。今日もいい匂いですこと。いや、だけど。 「酒臭っ」 「大分飲まれたので」  ぬふふ、と頬擦りをされる。化粧が崩れるのは嫌なんじゃなかったのか。 「今日ねぇ、凄く楽しかったの」 「そうかい。そりゃ良かった」 「だからぁ、葵に報告しなきゃ~って」  苦笑いを浮かべる。上がれよ、と告げると恭子は私から離れ玄関へ遠慮なく侵入した。 「じゃあ、俺はこれで」  此方も予想通りと言うべきか、綿貫君が一礼をして去ろうとする。 「まあまあ、着いて早々帰らんでもいいだろう。一杯くらい飲んで行けよ」 「でも恭子さん、ベロベロですしあまり見ない方がいいかと思うのですが」 「君と一日過ごして楽しかったってんだ。ちょっとは君からの話も聞かせておくれ。なに、遅くなったらタクシー代は出すよ」 「それは大丈夫です。ただ、やはり夜分に女性の家へお邪魔するのは気が引けます」 「いいから上がれってんだよ」  その時、早う上がれぇ~、とリビングから恭子が呼び掛けた。思わず吹き出す。 「どこのお殿様だってんだよ」  綿貫君も肩を震わせた。おや、ツボに嵌ったかな。 「ほら、バカ殿がお呼びだぜ。行こう」  軽く背中を叩く。バカ殿て、と口元を押さえた。 「じゃあまあ仕方ありません。少しだけ、お邪魔します」 「いらっしゃいませご主人様」 「こっちはメイド!?」 「お生憎様、メイドは恭子の専売特許さ。私は鑑賞専門だ」 「葵さんってメイド好きでしたっけ」 「それは咲ちゃん。私はオシャレをしている恭子を眺めるのが好きなだけ」  どうでもいい話をしながら扉を閉める。しかし久々にやりたいねぇ、撮影会。もう丸二年もご無沙汰だ。咲ちゃんが買った新しい衣装とやらをとっかえひっかえ恭子に着せてみたい。なんなら咲ちゃんと佳奈ちゃんもメイドになったらいいじゃないか。三人の真ん中でお酌でもして貰いたいものだ、なんてそれこそ何処のバカ殿だ? 「葵さん、やけにニヤニヤしていませんか」 「良からぬ妄想に浸っているのだ」 「俺を連れ込んで何をするつもりですか!?」 「君も酔っ払っているのか?」  アホなやり取りもとても楽しい。リビングに入ると恭子が上着を手に持ちぼんやりと立ち尽くしていた。無言で受け取りポールハンガーへ掛ける。それこそ私は家政婦か。 「ほら、二人ともまずは手を洗ってこい」 「ええと、洗面所はどちらでしょう」  そうか、綿貫君は初めてうちへ来たのだった。 「恭子、案内してやれよ。私は酒を準備するから」  私の言葉を受け、こっちぃ~、とふらふら歩き出した。ゆっくりと彼が後に続く。さて、適当にツマミでも作るかね。客が来たならやる気も出る。その時、ふと顔が熱くなった。どんだけ一人が嫌になったんだ、私。困った寂しがり屋さんだな。これじゃあマジで皆が結婚していなくなった後、孤独に耐え切れなくなっちまうぞ。そして二年前と比べて丸くなりすぎだろ。いい傾向には違いないけどさ。  冷蔵庫からカブを取り出し葉っぱごと包丁で適当に刻む。丸くなった、かぁ。寂しさを感じるのは誰かと一緒にいたいって心境の現れだ。人に寄り添いたくなったのかね。未だに自分の価値は無いって思っているけど、誰かと一緒に過ごすことで相手の時間を取ってしまう罪悪感はほとんど覚えなくなった。 「あぁっ、恭子さん! 髪がびしょびしょですよ! 顔を洗うならゴムで縛って!」  綿貫君の悲鳴が聞こえる。何をやっているのやら。  ふと笑みが零れる。そうか、私が丸くなっただけじゃない。ちゃんと相手に向き合うって決めたから、皆との距離も縮まったんだ。だから離れると寂しくなる。罪作りな友人達だね。得難い存在だ。  フライパンへ油をひき、馴染ませる。 「すみません葵さんっ、恭子さんが大変な事態に!」  突如、綿貫君が台所へ飛び込んで来た。刻み油揚げを投入する寸前で手を止める。 「こっちは火を取り扱い中なのだが」 「一回消して、来て下さいよ!」 「油が冷めちゃう」 「油どころじゃないんですって!」 「折角ツマミを作っているのに……」 「ツマミより親友じゃないんですか!?」  いちいち真面目に返答するので面白い。まあからかうのはこのくらいにしておくか。必死で手招きする彼について洗面所へ向かう。そこには髪の毛をびっちゃびちゃにした恭子が一生懸命顔を洗っていた。いや、髪だけじゃない。服も鏡も流しも、なんなら天井まで濡れている。 「雨の中、散歩から帰って来た犬が身震いでもしたのか?」 「化粧を落とすんだって徐に洗顔を始めたのです。だけど髪は水に浸かるし、顔に張り付く! ってキレながら思いっ切り頭を振ったから飛沫が飛び散るし、葵さんの家ですよって制止しても聞かないし。一体どうしたらいいのですか」  流石に若干苛立ちを覚える。人ん家を何だと思っていやがる。 「こいつは風呂に入らせる。着替えを取って来るから恭子の洗顔が終わったらバスタオルを押し付けてくれるかい。取り敢えず首から上に巻いてくれれば構わない」 「俺がですか!? いや、恭子さん、ご自分で巻いてくれますよね?」 「巻くと思うか? この酔っ払いがさ。ファイトだぜ紳士」 「そんなぁ」  苦情は受け付けず寝室へ向かう。一緒に過ごす時間は楽しいっちゃ楽しいが、家を荒らされればそれなりに腹も立つのだ。恭子のお泊りセットを掴んだと同時に。 「お願いだから動かないで!」  再び悲鳴が響いた。いっそ放置した方が面白い方向へ進むだろうかと一瞬過ぎる。此処が私の家で無ければ絶対傍観を決め込んだところなのだがな、これ以上洗面所を水浸しにされるのも御免だ。だが一つだけ、いたずらを仕込むことに決めた。箪笥からある服を取り出しお泊りセットに詰め込む。恭子がこれを着て出て来たら、綿貫君はどんな反応をするかね。ちょいとマニアックな上に、恭子のスタイルで着るとなかなかどうしてえらい見た目になるだろう。わくわくしつつ、小走りに洗面所へ戻る。其処には一生懸命恭子の頭にタオルを被せる綿貫君と、むふふと笑いながら足取り軽くうろつく酔っ払いがいた。 「お疲れ。君はよく頑張った。選手交代だな」  私の言葉にあからさまな安堵の溜息を吐く。 「リビングで一杯やっていてくれ。好きな酒を飲んでいいぜ」 「それは別に。でも後はお任せします」 「はいよ」  丁寧に洗面所の扉を閉めて綿貫君は出て行った。残されたのは酩酊した親友と私。おい恭子、とバスタオル越しに両頬を押さえる。目が合うと、にぱぁ~っと微笑んだ。うむ、いい笑顔だな。 「葵ぃ~。今日、楽しかったぁ~」  余程満喫したらしい。よしよし、と軽く髪を拭う。 「そんじゃあ風呂に入ってサッパリして来い。一人で入れるよな?」 「今日はぁ、一人でしか入れない」 「あぁそうかい。まあ構わないさ。持ち合わせはあるんだろ?」  黙って頷く。うーん、六年前の気持ちがちょっと首をもたげそう。君は可愛いねぇ恭子。 「よし、行ってこい。転んで鏡に突っ込むなよ」 「座るからぁ、平気。……んん? 私、お風呂、入るの?」 「そうだよ。ちょいと酔い過ぎだからな、目ぇ覚まして来い。潮風で髪もベタベタだろ」  だから無意識に濡らした部分もあると思う。むむ、と腕組みをした。一体、どんな思考が働いているのやら。だけど、わかった、と徐に服を脱ぎ出した。 「何かあったら呼べよ」 「りょー、かいっ」  多少は心配だがまあ大丈夫だろ。念の為、洗面所の扉は細く開けておく。去り際、葵ぃ、と不意に呼び掛けられた。 「なんだ」  肩越しに振り返る。キャミソール姿の恭子がそこには立っていた。 「……ううん、何でもない」  一瞬いつもの声色に戻った気がした。だけど、お風呂ぉ~、とすぐ元の調子に戻る。まったく、どうしたのやら。怪しい電波でも受信したか? なんてね。それはお互い様かもな。今日は私も妙に寂しがりだもの。  リビングへ戻ると綿貫君が小さくなって椅子に腰掛けていた。彼の場合は常に怪電波を受信していそうな挙動だな、などと評しては可哀想か。本人は至って真面目なのだから。 「あれ、飲んでいないのか。テーブルに置いてある物なら好きに手を付けていいのに」 「流石に葵さんを差し置いて始めたりはしませんよ。それにしても恭子さん、大丈夫ですか」 「さぁ」  缶のハイボールを一本手に取り開ける。そして口へ流し込んだ。うん、安定の美味さだ。 「さぁ、って。転んで怪我をしたり熱々のお湯で火傷をしたりしませんか」 「する可能性はゼロじゃない。だがあいつの飲酒歴も相当だ。私は大丈夫だと信じているよ」  もう一本手に取って綿貫君に差し出す。だが彼は目もくれず立ち上がり、廊下へ向かった。どったの、と呼び掛ける。 「恭子さんに何かあったらすぐ気付けるよう、洗面所の前にいます」  彼の返答に目を見開く。本当に真面目だな、綿貫君よ。そして優しいと同時に随分とまあ心配性だね。だけど、と確信をする。彼になら恭子を任せても大丈夫だ。メンタルが強いのか弱いのかよくわからず、どこか抜けたところのある酒癖の悪い親友を、彼なら一生懸命支えてくれる。どこの馬の骨ともわからん輩よりよっぽど信用がおけるしな。現に今もどっかりと洗面所の目の前に腰を下ろして待機している。普通、そこまでやらないぜ。  彼の姿をこっそりと、スマホの写真に収める。気付いた様子は無い。傍らにそっと缶の酒を置いた。 「二、三十分はかかると思う。暇だろうし、飲んで待ってな」 「……ありがとうございます。いただきます」 「異変を感じたら呼んでくれ。台所にいるからさ」 「承知しました」  酒を煽りながら再び調理を開始する。油は冷えてガビガビになっていた。舌打ちをしてキッチンペーパーで軽く拭い、改めてひき直す。木べらで馴染ませ、さっき投入を直前でやめた刻み油揚げをフライパンへ落とした。醤油をかけ、軽く焦げ目がつくまで炒める。次に切ったカブの根と葉を入れる。しんなりするまで火を通し、白だしを適当にぶち込んだ。最後にそこへちりめんじゃこを投入っと。軽く混ぜ合わせればカブの炒め物が出来上がり、ってね。缶の酒を半分ちょっと飲む間に完成した。軽く冷ましてからタッパーへ入れる。三つの取り皿と一緒にリビングへ持って行き、テーブルに並べた。二人とも美味しいって言ってくれるといいなぁ、と考えいよいよメイドの気分になる。頭を一つ振り、下らない考えを追い出した。そういや一回だけ咲ちゃんにクラシックタイプのメイド服を着せられたな。ぶっきらぼうな態度がメイドの概念をぶち壊していて素晴らしい、と褒めているのか貶しているのかわからない評価を下された。鼻血を滴らせながら親指を立てていたからあの子に取っては最大級の賛辞だったとは思う。だが言われたこっちは微妙な気分になった。まあ、別に? 本気を出せば、というか素の私を出せば全然お淑やかに過ごせますが? ただ、普段は誰にも見せたくないだけ。咲ちゃんと恭子だけが知る私。そんなことも知らずに告白するなんて、田中君の見る目はあるのか無いのかわからんな。  冷蔵庫を開けると板付きかまぼこが目に入った。適当な大きさに切り皿に盛る。二品目、完成。お手軽にも程がある。あとは煎餅くらいしかうちには無いな。咲ちゃんのために冷凍の揚げ餅はストックしてあるけど、あれはどうしてもツマミが足りなくなった時に出すとしよう。ん、ちょい待てよ。冷凍庫を漁る。ジップロックに入れた氷漬けのサーモンが出て来た。半年くらい前に買ってすっかり忘れていた。いいや、こいつも調理しちゃえ。電子レンジで解凍する。こちらも適当な大きさにスライスして、タッパーへ。冷蔵庫からイクラを取り出し遠慮なくかける。そして摘まむ程度の塩を振りかけ、小皿で醤油と、匂いがわからない程度の少量の酢を混ぜる。サーモンといくらの全体に掛けて、菜箸で混ぜ合わせ再び冷蔵庫へ。三十分も寝かせれば十分だ。よしよし、宴の準備は整った。丁度、ハイボールの一本目も空になる。時計を見ると恭子が風呂に入ってから二十分が経過していた。廊下の綿貫君の元へ向かう。酒を飲みながらスマホをいじっていた。 「異常は無いかね」 「ご機嫌で歌っているので大丈夫かと」  耳を澄ませるまでもなくよく聞こえた。親友よ、今日一日はどれだけ楽しかったんだ。 「では、引き続き監視を頼む。終わったら飲もうぜ」 「承知しました。ちなみに水音だけでも相当な罪悪感がありますね」 「録音して家で楽しめば?」 「そんな変態みたいな真似、断じてしません。橋本じゃあるまいし」 「……あいつ、そこまで駄目なの?」 「やっていてもおかしくない危うさと恐ろしさはたまに感じますね」  肩を竦めてリビングへ退散する。怖い怖い。触らぬ神に祟りなし、だ。ましてや疫病神なんてごめんだね。
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