いたずらとちょっとした物忘れの結果。(視点:恭子)

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いたずらとちょっとした物忘れの結果。(視点:恭子)

 熱いシャワーを浴びると少しずつ頭がハッキリして来た。酔って大分ふわふわしていたけど、思い返せばそんなに量は飲んでいない。メガレモンサワーを五杯飲んだくらいでは葵の家に突撃しようなんて普段なら思わないもの。そっか、と気付く。今日が本当に楽しくて、気分が盛り上がったからだ。酔っていると言うより、ハイになっているのかも。だからシャワーを浴びたら、すぐに落ち着きを取り戻したのかな。なんにせよ、改めて葵との夜を楽しめそうね。あぁ、今日は素敵な一日だなぁ。綿貫君と海へ行き、クラゲについて楽しいお喋りをした。水族館ではとても優しくしてくれた。それに偶々葵と会って貴重な助言を貰えた。何より、必要な瞬間に葵と会えたこと自体がとても嬉しかった。そして観覧車から見た夜景と、チューをするカップル達。あんな風にいつかなれたらいいな、と自分の気持ちを再確認した。まあ、綿貫君とチューする私なんて想像もつかないけど。やけに現実離れしているように感じられるのよね。  そして。ゴンドラから降りた時、抱き止められちゃった。シャワーのせいではなく顔が熱くなる。思いがけず蹴っ躓いて、彼に突っ込んでしまった。ベタだけど、しっかり受け止められて凄くドキドキしちゃった。意外と逞しいのかな。その後も、足を捻っていないか心配してくれた。ああいう優しいところが。……好きだな。佳奈ちゃんとの関係についてもスパっと切り替えていた。七年も片想いをしていたのだからもっと引き摺るかと踏んでいたけどきっぱり諦めていた。彼の素直さもあるけど、もしかしたら佳奈ちゃんの邪魔にならないようじっと気持ちを押し殺しているのかも。そのくらいの気遣いをする人なんだってよくわかった。それに案外細かいところも見ているのよね。ネイルとかグロスとか、ちゃんと気付いてくれていた。場を繋ぐための発言ではあったけど、綺麗ですねって言って貰えてとても嬉しかった。軟派な下心じゃなくて、純粋に褒めてくれていると思うと喜びもひとしおだ。照れ隠しもあってチョップしちゃった。あれは悪かったかなぁ。反省反省、と思ったけどやっぱり取り消す。だって私の好意に全然気付いてくれないんだもん。綿貫君に可愛いと思って貰いたかったからネイルをしてきた、って頑張って伝えたのに対して、俺は恭子さんを可愛いと思っておりますが、なんてなんちゅう返しよ。普通ならこの時点で両想いだわ。だけど、そこから先に進まないのが綿貫君なのよねぇ。或いは私から気持ちを伝えたとして、いやいや有り得ないですって、と叩き落されちゃうのだろうからどうしようもない。彼から来てくれるよう頑張るしかないのよね。時間が掛かっても、体力が尽きようとも、気力だけは切らさないようにしなきゃ。  シャワーを止める。洗面所に出てバスタオルで体を拭いた。その時、廊下から遠ざかる足音が聞こえた。葵がトイレにでも行ったのかしら。まあいいいわ。再び今日一日を思い返す。時間が掛かったと言えば、二年の時を経て水族館で見たカニとマグロを頼んだわね。小さく吹き出す。安直過ぎるって昔、田中君に言われたんだっけ。確かに、見物した魚を食べるなんてそのまんま過ぎるな。だけど私も綿貫君もそういう人種だ。冷ややかになるより楽しめちゃう側の人。価値観、合うのかな。合おうが合うまいが好きな気持ちに変わりはない。でも合わないよりは合う方がいいと思う。  下着を身に着け短パンを履く。葵に今日の話をいっぱいするんだ。楽しかったよっていっぱい報告したい。やっぱり綿貫君を好きだって口にしたい。そのために此処まで来たのだ。高揚感も落ち着いたし、しっとりお喋り出来るかな。そしてシャツを着ようと広げたところ。 「あれっ?」  私の部屋着じゃない。むしろ葵ってば、何でこんな物を持っているのよ。一体、どういう間違え方をしてお泊りセットに混入したわけ? 仕方ない、着るわけにもいかないから持って行くか。  洗面所を出てリビングへ入る。 「ちょっと葵ぃ~。シャツ、違う~」  スッキリはしたけどまだアルコールは残っているみたい。意図せずして話し方が間延びする。  私を見た葵がお酒を吹き出した。別に私の下着姿くらい見慣れているでしょうが。それともブラに短パンの組み合わせが好きなの? なんてアホなことを考えながら首を巡らせる。 「ちょちょちょちょちょ!!」  背を向け慌てて部屋の隅へ走る綿貫君が目に入った。 「あれっ!? 何でいるの!?」  反射的に疑問が口を突いて出る。答える人は誰もいない。葵は一目散に寝室へ駆け込んだ。綿貫君は頭を抱えてしゃがみ込んでいる。取り敢えず間違った服で前を隠した私は、後ろ歩きでリビングから出た。心臓が爆発しそうだ。どうしよう。見られちゃったかな。ううん、見られたに決まっている。だって堂々とリビングへ入っちゃったもの。痴女だと思われたら困るなぁ。こんな格好をしているのにはちゃんと理由があるのよっ。でも喋れば喋る程言い訳臭くなっちゃうかも。もしくは綿貫君のことだから、葵と私がただならぬ関係なのかと勘違いをしかねない。そうはならなかったのよ。何故なら過去に私がフッたから。デリケートな話題なので、お願いだから変な思考に舵を切らないで欲しいなぁ。  そんな風にぐるぐる考えていると葵が黙ってドアの隙間から私のシャツを差し出した。 「ありがと。これ、間違っていたわよ」  入れ違いに手に持っていた服を渡す。受け取るとすぐにドアが閉められた。私も慌てて服を着る。 「もう大丈夫!」  両手を広げ、ほぼ叫びながらリビングへ戻った。葵はテーブルに吹き出したお酒をふきんで拭っていた。綿貫君は部屋の隅でうずくまるばかり。急いで彼の元へ向かう。 「ごめんね綿貫君。ほら、私、服を着たわよ。だから顔を上げて」  恥ずかしがっているのはわかる。ただ、そこまで俯かれると若干傷付く。そんなに悪い体はしていないはずよ。って、そういう問題じゃないか。 「駄目です」  くぐもった声が聞こえる。顔は膝に埋めたままだ。 「いや、着たから。駄目じゃないから」  だけど、駄目です、と彼は繰り返した。どうして、となるべく優しく声を掛ける。 「だって、恭子さんに申し訳ない。下着姿なんて絶対に晒したくないでしょうに、俺、見てしまいました。任意で記憶が消せるなら即刻抹消するところです」  背後で葵が再び吹き出す。そこまでせんでも、と呟くのが聞こえた。確かに見られたのはどうしようもなく恥ずかしい。だけどさ。 「綿貫君、気にしないでってのもおかしな話だけど、責任を感じ過ぎないでよ。むしろ君は何も悪いことをしていない。君が此処にいるのを完全に忘れていた私のせいと言っても過言ではないわ」 「連れて来ておいて忘れたんかい」  椅子に座って缶のお酒を飲みながら、葵が茶々を入れる。 「ちょっと飲み過ぎじゃないのかい、お嬢様。その割には酔いが冷めるのも早かったみたいだが」 「意図せず男子の前で下着姿を晒したら酔いなんて冷めるに決まっているじゃない。そもそも今日はそんなに飲んでいなかったもの。雰囲気に流されていただけよ」 「まあ確かに、もっと酔っ払っていたら、下着姿の一つや二つがなんぼのもんじゃい、くらいお前は言いそうだもんな」 「あんた、私を痴女にしたいわけ? ともかくさ、綿貫君。やたらと落ち込むのはやめて。気にされ過ぎるのも、それはそれで気まずいし。ね、お互い重く受け止め過ぎずにいきましょう」  一生懸命声を掛ける。だけどまだ顔を上げない。若干苛立ちを覚える。 「ええい、辛気臭いわね」 「だって恭子さんに申し訳がありません。折角疑似デートに付き合ってくれて俺によくしてくれているのに、よりにもよって下着姿を目撃してしまうなんて。ほらね、葵さん。だから言ったでしょう。独身女性の御自宅に男が押し掛けるなんて良くないのです。恭子さんに深い傷を負わせてしまいました」  矛先が葵に向いた。 「綿貫君がいるのを忘れたこいつが悪い」  間髪入れずこっちへ向いた。ただ、納得いかないところもある。 「そもそも葵が服を間違えたのが原因よ? 何でお泊りセットにあんたの体操服が入っているわけ?」  その瞬間、葵が固まったのを見逃さなかった。おい、と親友の頬を両手で外から挟み込む。 「まさかあんた、わざと体操服を入れた?」 「さあ、なんのこっちゃら存じ上げません」 「嘘おっしゃい」  力を籠める。薄いほっぺが真ん中に寄る。痩身美人がタコ入道に早変わり、なんて。 「いでででで」 「正直に吐け」  わかったわかった、と私の腕を軽く叩いた。手を離し腕を組む。 「いやぁ、ちょっとしたいたずら心だったんだよ。体操服を渡したら恭子はどうするのかなって思い付いてさ。ほら、お前は物凄くスタイルがいいだろ。もし着て出て来たら綿貫君の目の保養になるじゃんか」 「あんたが楽しみたいだけでしょうが」  魂胆は見え見えだ。遠慮なく手刀を見舞う。バレたか、と頭を掻いた。 「だけどまさか綿貫君がいるのを忘れてブラと短パンで出て来るとは予想外だった。お前が酔っ払っていたのを失念していたよ。酒が入っている相手にこういういたずらを仕掛けちゃいけないな。勉強になった。ありがとう」 「遅いわ! 既に被害が出ているってぇの!」  その時、突然綿貫君が立ち上がった。 「俺、帰ります。恭子さん、本当にすみませんでした。今日は貴女を傷付けてばかりです。申し訳ない、失礼します」  深々と頭を下げて、リビングから出て行こうとする。 「ちょ、ちょっと待ってよ。今、君に帰られたらなかなかドえらい空気になるじゃない」  慌てて彼の前に立ち塞がる。腕でも掴んだらもっとテンパっちゃうに違いないから。 「でも、恭子さん、被害と仰いました。ならば加害者は俺です。貴女は折角俺によくしてくれているのに、俺、俺……! 最低じゃないですか!」  突然叫んだ。こっちは流石に面食らう。 「おいおい綿貫君よ、君も酔っ払ってんのか?」 「葵のせいでしょ!」  私のツッコミに葵は肩を竦めた。綿貫君は握った拳を震わせる。ちょっと怖い。 「だって、恭子さん、疑似デートに付き合ってくれて、貴重な休みを俺のために費やしてくれて。それなのに、痴漢の脅威に晒されて、おまけに最後には付き合ってもいない男に肌まで晒して。もう駄目だ! 罪悪感に耐え切れない! どいて下さい恭子さん。これ以上、貴女を傷付けたくない!」  変なスイッチが入った。まあまあ、と両の掌を向ける。 「傷付いてないし、むしろ現状では明らかに君の方が精神へダメージを負っているように見えるわよ。大丈夫だから、一旦落ち着いて。ね、君も被害者なの。私も被害者。加害者はあそこにいる、体操服を仕込んだバカ一人」 「お前も綿貫君がいるのを忘れていただろうが」 「あんたが服を入れ替えなければ裸で出て来なかったわよ!」 「裸とか、言わないで下さい!」 「じゃあ上裸!」 「体操服を着て出てくれば良かったのにぃ。なんなら今から着る? 綿貫君も見たいだろ? 綺麗で面倒見のいい素敵なお姉さんが体操服に身を包んだ姿」  瞬間、彼が息を飲んだ。目が血走っている。血管、切れるわよ。 「ほら、興味津々ってツラじゃないか」 「どう見てもフリーズしているだけ。これ以上変に刺激をするのはやめなさい」  へいへい、と葵がお酒を煽る。誰のせいでこんな事態を招いたと思っているのよ。 「綿貫君、本当に大丈夫? 一回、座った方がいいんじゃない?」 「そのバッキバキの目で外に出たら不審者だって通報されるぜ」 「可哀想だけど否定できないわね」  私達二人の説得が響いたのか、わかりました、と深呼吸を一つした。 「確かに今、物凄く血圧が上がっています。はっきり言って頭が痛いです」 「恭子の裸に興奮し過ぎたか」 「葵!」  叱責に肩を竦めた。綿貫君の顔は赤いまま。まあまあ、と彼の座っていた椅子を引き、勧める。案外素直に腰を下ろした。ありがとうございます、と掠れた声が聞こえる。私は一旦台所へ行き冷蔵庫からレモンチューハイを取り出した。 「取り敢えず乾杯をしましょうか。はい、今日も一日お疲れ様。綿貫君、疑似デート、楽しかったよ。ありがとう。乾杯っ」  二人が無言で缶を掲げる。微妙に空気が重い。乾杯、くらい言いなさいよ。まったくもう。綿貫君はともかく葵まで黙っているのは解せないわ。或いは沈黙に戸惑う私をからかっているのかしら。ふんだ、その程度のいじりに屈したりしないんだからっ。今夜は楽しく過ごすのよっ。
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