無いと分かっていても感情は燃える。(視点:恭子)

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無いと分かっていても感情は燃える。(視点:恭子)

「あぁ、葵。おつまみを作ってくれたのね、ありがとう。いただくわ」  どうぞ、と端的な返答をされる。 「カブの炒め物じゃない。私、あんたが作るこれ、好きなのよ。遠慮なく貰うわね」  いそいそと取り皿へ盛る。葵は黙ってお酒を飲んでいた。 「あ、綿貫君も食べる? お皿、貸して」 「いえ、俺は別に」 「遠慮しないの、本当に美味しいんだから。食べなきゃ勿体無いわよ」  構わず彼の取り皿を奪う。菜箸で適当に盛り、はい、と返した。いただきます、と弱々しく受け取る。そして一口食べた彼は。 「え、美味いっ」  途端に歓声を上げた。咀嚼する口元を手で覆っている。目はまん丸に見開かれているけど血走ってはいなかった。逆にさっきはどれだけ血圧が上がっていたのかしら。 「葵さん、これ滅茶苦茶美味いですよっ。なんじゃこりゃ、レシピを教えて下さいっ」 「ね、美味しいわよね。好きなのよこれ」 「ちりめんじゃこと油揚げと、なんすかこの葉っぱは。わからんけど美味いっ」 「……そんなに良かったか?」  上擦った声が聞こえた。思わず葵を見る。大きな目はキラキラと輝き、薄い笑みを浮かべた唇は微妙に震えていた。この表情を私は知っている。全力の笑顔を押さえ付けている時の顔だ。二十歳の初夏、沖縄に葵と私の二人で行った時。ジェットスキーに引っ張られるバナナボートに二人で乗った。葵が物凄くはしゃいでいたので、楽しかったからもう一回やろうか、と言ったところ。 「い、いいの? 本当に? 一回、乗ったんだよ?」  しつこく何度も確認された。そして、いいよ、と答えた瞬間、今と同じ顔をしていた。喜びたいけど気恥ずかしい。でも押さえ切れずに漏れちゃっている、そんな表情。そういえばあの頃は、いつも素の葵の喋り方だったな。私に告白する前の思い出か。もう六年も経つのねぇ。 「マジで美味いですっ」  綿貫君の声で我に返る。そうか、と葵はお酒を口にした。照れ屋なところ、変わっていないんだ。なかなか怒涛の六年だったけど、葵の変わっていない部分が見られて妙に安心する。 「レシピ、教えて下さいよっ」 「そんな大層な物は無いぞ」 「でも作り方はあるでしょ。是非、ご教授下さいっ。秘伝の味を守りますっ」 「秘伝って……」  指先で頬を掻いている。照れてる照れてる。可愛いなぁ、葵。かたや綿貫君はスマホを取り出した。メモるんで、と身を乗り出している。君は君でどれだけ気に入ったのよ。  葵が小さな声で説明を始めた。工程を熱心に打ち込む綿貫君はやたらと分量を気にしている。理学部で薬品の勉強をしていたのだっけ。そりゃあ確認したくもなるか。料理は科学、って断言しそう。対する葵はと言えば。 「全部適当だぞ」 「食材も? 味付けも?」 「あぁ」 「貴女は天才ですかっ!」  綿貫君の叫びに、とうとう俯いてしまった。私は黙って寝室からクッションを一つ持って来る。葵の隣に座りさりげなく渡すと、受け取り胸に抱き締めた。 「いやでもこれじゃあ再現出来ないですよ」 「適当にやれば作れるって……」 「だって今のメモを読み上げますよ? 分量。カブ、大体一本か二本。葉っぱと根っこを両方とも使う。刻み油揚げ、適当。ちりめんじゃこ、適当。白だし、醤油、適当」 「全部適当じゃないの」 「だって本当に適当だし……」 「次に、手順。フライパンへ油を敷く。温まったら刻み油揚げをぶち込む。醤油をかけて焦げ目が付くまで炒める。そこへ刻んだカブの根と葉をぶち込み今度はしんなりするまで炒める。白だしをぶち込んだら最後にちりめんじゃこをぶち込み混ぜ合わせたら完成」  作れるかっ、と綿貫君はお酒を煽った。 「どうでもいいけど葵の言った通りにメモを取ったのね。でも原文ママだとぶち込みすぎに聞こえるわ」 「だってぶち込んで炒めているだけだから」  突然綿貫君が席を立った。鞄から財布を取り出し、いくらですか、と葵に詰め寄る。 「は?」 「食材の費用は払います。だからもう一度、俺の前で作って下さい。切らした物があれば買って来ます。是非、実演をお願いしますっ!」  葵が目を白黒させる。うーん、随分と珍しい状況ね。普段は混ぜっ返したりからかったりする側なのに、突撃されて動揺するなんて。しばらく眺めようと決め込む。 「食材はまだあるし、金も別にいいけど……」 「いえ、これは俺の我儘ですから五百円くらい受け取って下さいっ」 「要らないって……ただそんなにいっぱい作っても食えるのか? 残されても困るんだが」  むむ、と綿貫君が口籠る。ここは助け船が必要ね。 「それこそタッパーに詰めればいいじゃない。綿貫君に持って帰って貰えば問題無いでしょ。彼は家でも食べられるし、作る様子も見学出来る。葵は余ったおつまみを持て余さなくて済む。もしタッパーがもう無いのなら、今テーブルに出ている分を使いましょ」  ナイスです、と綿貫君は親指を立てた。好感度、アップかしら。なんてそう簡単にはいかないか。 「あ、でも借りたタッパーはいつ葵さんに返せばいいでしょうか」 「一つくらいいつでもいいわ」 「そういうわけにはいきませんっ。たかがタッパー一つでも、無ければきっと不便します」 「そんなカツカツのタッパー生活、送ってねぇよ……」  その時、またしてもいいことを思い付いた。はい、と再び割り込む。 「なんなら次の疑似デートの時に、私、預かるわよ。葵に返せばいいんでしょ」  しかし今度は綿貫君が勢いよく手を振った。 「これは俺の都合なのですから恭子さんのお手を煩わせるわけにはいきません」 「真面目か。じゃあ葵に会いに来るの? タッパーを返すために、二人きりで?」  言葉が口を突いて出た。しまった、と自分でも戸惑う。明らかに皮肉じゃないの。まさか私、葵に対して嫉妬をしているの? 綿貫君とのやり取りが、無意識の内に気になっていたとか? 「二人きりじゃなくても飲み会の時とかに返してくれりゃいいけどさ。まあ恭子経由で返して貰うんでも構わないが」  どうやら葵は私の発言の棘に気付いていないらしい。こっちはこっちで動揺しているのだものね。ほっと胸を撫で下ろす。葵にチクチクした言葉なんて向けたくないもの。まあ既に言った後なんだけど。 「じゃあタッパーも問題無しね。よし、じゃあ調理の工程を見せて貰いなさい。酔っ払ってからじゃあ忘れちゃうかも知れないし、包丁を使うのも危ないからね」 「そうですね。葵さん、お手数をお掛けしますがご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致しますっ!」  元気に頭を下げている。そんなに知りたいか、と葵は渋々席を立ちあがった。だけど内心では褒められて喜んでいるに違いない。  二人は並んで台所へ向かった。私も後に続く。 「恭子。悪いけどキッチンペーパーでフライパンと包丁、まな板を拭いてくれないか」 「了解」 水切りに置かれたそれらを一つずつ取り上げ、しっかりと水分を拭う。葵は冷蔵庫から食材と調味料を取り出し並べていた。綿貫君はスマホを構えている。後ろから画面を覗き込むと、葵がバッチリ映っていた。 「それでは、動画の撮影を始めさせていただきます」 「ちょっと待てや」  ご丁寧にことわりを入れた綿貫君だけど、おかげで葵の挙動が止まった。慌てて後ずさっている。だけどそこまで広くない台所だから全くフレームアウト出来ていない。 「おい綿貫君、頼むから私を動画に収めたりしないでくれ」 「でもレシピが無い上に一度見ただけでは覚えられないと思うので。是非、動画で残して勉強したいのです」 「肖像権の侵害だぜ。千歩譲って手元の写真くらいならいいけどよぉ、動画なんて絶対嫌だ」 「じゃあなるべく顔が映らないよう気を付けますから。あと、口頭での説明もお願いします」 「うおいっ。声も入れろってのかいっ。ますます嫌だ。録音されたてめぇの声を聞くのってめっちゃ恥ずかしいじゃんか」 「お願いしますよ。俺しか見ませんから」 「ならセーフ、とはならねぇって」  押し問答を続ける二人を黙って見守る。口は出さない。何故ならまた皮肉が飛び出しそうだから。  葵も綿貫君も相手に対して特別な感情を持っていない。ただの先輩後輩だ。だからとても自然体で言葉を交わしている。そのやり取りが、あろうことか、私は。  とても妬ましい!  いいなー自然なやり取り! 話題を探そうとか、発言一つ一つに一喜一憂したりとか、そういう妙な探り合いが無い単純な会話! 凄く自然じゃないのよさ。逆に距離が近く思える。はっきり自覚した。葵、ずるい! 私も綿貫君とそんな距離感で喋りたい! 嫉妬心を隠したってしょうがないわ。二人きりになったら絶対に訴えてやる!  「じゃあこっちも百歩譲りましょう。説明はしなくてもいいですよ」 「何で君が譲歩したみたいになっているんだ」 「お願いですっ。動画を録らせて下さいっ。そうすれば一子相伝のカブ炒めはいつかきっと再現出来るはずなのです」 「どこの流派の奥義だよ。あーもーしょうがねぇな。顔は映すな。声も出さない。マジで調理の工程だけ録れ」 「よっしゃぁっ! ありがとうございます!」 「ったく、こないだ初めて自撮り機能を使ったかと思えば今度は動画か。私も丸くなったもんだ」 「葵さんの優しさを噛み締めながら動画を録らせていただきます」 「噛み締めなくていいから画角に気を付けろ」 「承知しましたっ!」  二人の背後を黙って通り抜け、冷蔵庫からロング缶のお酒を取り出した。飲み過ぎんなよ、と葵に一声掛けられる。うん、とだけ返してプルタブを開けた。躊躇なくお酒を喉に流し込む。  誰のせいで飲まずにいられなくなっていると思ってるんじゃい! 酔い潰れたらあんたと綿貫君に責任を取って貰うんだからね! 二人の間に何も無いのはわかっていても、気持ちは落ち着かないんだー!!
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