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飲みながら話している時、ふと気付くと周りが真面目な話をしていて取り残されることがある。(視点:恭子)
次のロング缶を開ける。葵は黙って台所に行き、水を注いだコップを持って来た。私の前に置かれる。飲めよ、と低い声で釘を刺されて流石に口を付けた。水も結構美味しいじゃない。
「しかし葵さんって料理上手なんですねぇ」
むむむ、綿貫君ってば葵を褒めるなんて。私をもっと褒めなさいよ。
「二品だけで判断するなよ。これくらい、誰にでも出来るさ。君だって料理くらいするだろ」
「レシピを見ながらなら何とか」
「普段は自炊をするのか?」
「平日は出来ないですね。仕事の後では、どうにもやる気が起きなくて」
私はちゃんと毎日しているもーん。料理だってそれなりに出来るもーん。訊いてよぉ、恭子さんはどうなんですかって。自炊、しているんですかって。葵も話を振ってくれたっていいじゃないのよさぁ。
「田中と橋本と三人で住んでいた時の方が作っていたかもなぁ。まあ大学時代も忙しかったからバイト先のまかないで済ませることも多かったけど」
「喫茶店だっけ」
「サンドイッチとクリームパスタが美味かったんです」
私の好きなパスタはなーんだ。先週の話、覚えているかな。忘れていたらアイアンクローをかましてやるっ。
「咲ちゃんと何回か冷やかしに行ったけど、確かにサンドイッチは美味かった。もうちょい量が少ないとなお良かったが」
「いやどんだけ小食なんですか」
コラコラ、葵だって好きで小食なわけじゃないのよ。回転寿司で五皿しか食べられない人の気持ちが君にわかる!?
「だから咲ちゃんに食って貰った」
「そういや咲ちゃんって料理するんですかね」
ずっこけそうになる。咲ちゃんより前に料理をするのか訊くべき人が此処にいると思わない!?
「人並みにするよ」
葵が咲ちゃんの自炊事情を即答出来ることには最早驚かない。
「田中君と橋本君は?」
「田中は気が向くとやりますけど、結構お惣菜で済ませがちでした。橋本はほとんどやりません。コンビニ飯かデリバリーか」
「やけに納得出来るな」
イメージ通り過ぎて笑えちゃうわ。あはは。
「佳奈ちゃんも結構料理上手な感じはするなぁ。何となくだからよく知らんけど」
「高橋さんは調理実習で先生に褒められていましたよ。手際がいい、野菜の切り方も綺麗って」
「班が同じだったのかい?」
「いえ別々でしたけど」
「……怖いよ」
……私と結婚してくれたら、毎日カブ炒めを作ってあげるのに。だけど酔った状態でそんな台詞を吐いていいわけない。
「ところで恭子」
やっと私に話を振ってくれた。
「あにぃ?」
「ずっと黙りこくっているけど気分でも悪いのか」
首を振る。ちょっと視界が回った。
「だって話し掛けてくれないんだもん」
「子供か。いじけてないで入って来いよ。それにうちへ来た時点で大分酔っ払っていたじゃんか。一旦多少は冷めてもすぐまた泥酔しかねんから気になるんだ」
「心配性ねぇ」
「お前の実績に基づいたアドバイスだよ」
「大丈夫大丈夫」
笑顔でブイサインを送る。葵が何故かスマホを構えた。更に表情を緩めてみせる。シャッター音が鳴り響いた。ん、とすぐに綿貫君が自分のスマホを開く。
「ちょっと葵さん。いいんですか? 勝手に写真を送って」
「さあ。でも恭子の表情、素敵だとは思わないか? 一緒に遊んでいる時にこんな顔をされたら嬉しくならない?」
どれどれ、と葵の手元を覗き込む。
「あはは。私、緊張感ゼロね」
「可愛いぜ親友。なあ綿貫君。可愛いよな」
突如葵がとんでもないパスを出した。緩み切っていた内心へ一気に緊張が走る。何て返されるの。可愛いです、なんて言われたら鼻血を拭くわよ。でも否定されたらそれはそれで傷付く。適当に照れて口籠ってくれたらいつも通りの綿貫君だって何だか安心出来そうね。よし、口籠りなさい!
「はい、綺麗なお顔です」
「へえぇっ!?」
喉の奥から間抜けな声が漏れてしまった。そんなに照れないで下さいよ、と綿貫君が真っ直ぐこっちを見詰める。だけどそれは無茶ってものよ。好きな人から綺麗なお顔、なんて言って貰って照れない奴がどこにいる!
「珍しいじゃないか、綿貫君こそ照れずにはっきり言い切るなんて」
葵が目を丸くした。隣で私はがくがくと頷く。
「だって今日、恭子さんにはお伝えしましたもの。綺麗だと思っていますって。外見も内面も」
顔がどんどん熱を持つ。アルコールのせいだけじゃない。むしろまた酔いが冷めそう。ロング缶を握り締めると、手が震えていることに気付いた。
「それに恭子さんって照れ屋さんですよね。今もわかりやすく、顔が赤くなっているし。率直な言葉には照れちゃうって仰ってました」
それは半分本当で、半分は言い訳だ。だって君から褒められているから照れているのだもの! ナンパ野郎どもにいくら綺麗だの可愛いだの言われても照れた試なんて一回も無い。そして今、私、何も言えない。何を言っても墓穴を掘るとわかっている。
だから葵、何とかして。
横目で親友を見ると向こうも同じようにこっちを伺っていた。目の端同士でバッチリ視線がぶつかる。小さく首を振ってみせると、葵は二秒ほど目を瞑った。そして、あー、と口を開く。頼んだわよ、この何とも言えない空気を打ち破って! 私は照れちゃって無理だから!
「綿貫君が女性に対してストレートに綺麗だって伝えるなんて意外だよ。奥手に見えて案外手が早いのかい?」
その質問に、まさか、と彼は手を振った。
「誰にでも言うわけではないです。むしろほとんどの相手にはそんな踏み込んだ話は一言もしません。ただ、心配したから」
「心配?」
葵が首を捻る。そうだ、いきなり言われて照れちゃったけど心配から出た言葉だったわね。
「今日、葵さんは水族館で巻き込まれませんでしたか? 物凄い人波に」
「あぁ、あったな。外国人の団体客だろ」
「はい。おかげで俺と恭子さんははぐれてしまいました。その時、頭を過ったのです。恭子さんはお綺麗だから、どさくさに紛れて痴漢に遭ってしまうかも知れない、と」
「だから言ったじゃないか、肩を抱けって。実践指導は大事だし、そもそもそういう時に君が恭子を守らなくてどうする」
葵の指摘に、仰る通りです、と綿貫君は顎を引いた。
「恥ずかしいという感情を言い訳にして、俺は恭子さんを見捨てたのです。付き合っていない男女の物理的接触はよろしくないと思いますが、こんなによくしてくれている恭子さんを痴漢のリスクに曝していいわけがない」
そこまで話した綿貫君が私の方に向き直った。い、今は照れ臭いんだけどっ。
「恭子さん。貴女は俺に気にするな、背負いこみ過ぎるな、と言ってくれました。だけどやっぱりあの時見捨てて本当にすみませんでした。まあ手を取ったり肩を抱いたりという行為が本当に正しいのかも自信は無いので結局俺はどうしたら良かったのかわかっていないのですが。実際、正解は何だったんです?」
彼が私と葵の顔を交互に見遣る。関係性によるんじゃねぇの、と意外と真面目に葵が応じた。
「私だったら大して仲が良くもない相手に接触されたら殺意が湧く。じゃあどの程度の仲なら庇う時に触れられてもしょうがねぇなと思えるかと言えば。田中君はギリギリセーフ。綿貫君は下心じゃないとわかっているから余裕でセーフ。橋本君はちゃっかりしただけじゃねぇのかと疑いは発生するけどまあセーフ。結局君らくらい仲良くならなきゃ触らないで欲しいわ。あくまで個人的な意見だがな。例えどれだけ仲が良くても絶対に触れたくないって思っている人なんていくらでもいるからな。一つの間違いない正解ってのは無いと思うぜ」
「成程。関係性から見極めろ、と」
「いや、見極めるってのは聞こえが良いけど裏を返せば独断と偏見による判断だろ。君の独りよがりで相手の感情を決めてしまうのは軋轢を生む可能性がある。だったらいっそ訊いちまうのも一つの手段かもな。こりゃはぐれそうだと思ったら、手でも繋ぎますかって。裏表の無い君の性格を相手が知っているのなら、単純にはぐれないための提案なんだってわかってくれるはず。そしてわかってくれないような相手とは付き合わない方がいい。君をちゃんと見ていない、ろくでなしに違いないから」
ははぁ、と綿貫君は腕を組んだ。
「考えることが多いですね。誰かと付き合うって大変だぁ」
「まあそこまで考えないで本能の赴くままにベッドインして結婚する奴らもごまんといるだろうよ。どっちが偉い、どっちが幸せ、なんて価値観も人それぞれだから比較がそもそも無意味だがね」
「俺はそもそも交際経験が無いから、知らない、わからない、というゼロからのスタートなのです。だから先週と今週は本当に勉強になっているのです。改めて恭子さん。疑似デート、ありがとうございます」
突然話を振られて体が強張る。いえいえ、と他人行儀に応じてしまった。そして別に全然いいのだけど。話題が進んだからしょうがないのだけど。
綿貫君が私を綺麗って言ってくれた話から、随分遠ざかっちゃったな。
もうちょっとそっちを掘り下げて貰いたかったな。勿論、照れちゃうし恥ずかしいし、それでいて全然浮ついた雰囲気にならないから焦れったくもあるのだけど。予想以上に真面目な話になっちゃって、肩透かしを食った気分になる。
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