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窒息。(視点:恭子)
「ちなみにあんた、どうやって案内をするつもり?」
「いつものメッセージアプリを使うつもりだけど。そこから私個人宛に回答を送って貰おうかと」
その時、テーブルに伏せていた綿貫君が起き上がった。はい、と今度は彼が手を上げる。
「それなら俺、回答フォームを作っておきますよ。葵さん、送られてきた返信を手打ちで纏めるつもりでしたか?」
彼の質問に、うん、と小さく頷く。
「でも面倒でしょ、いちいち打ち込むの」
「いや別に」
綿貫君が言葉に詰まった。元も子もない反応をしないでよ、葵。
「まあまあ、彼が手間を減らしてくれるって言うんだから甘えたらいいわよ」
「大した手間じゃないし、むしろ綿貫君の負担になるだろ」
咳払いをした綿貫君は、いえいえ、と笑顔を浮かべた。
「十分で終わるから大丈夫ですよ。葵さんのスマホを貸して下されば、一緒に確認しながらフォームを作成します」
「なんか大層な作業だったら本当に必要ないからな」
「大変じゃないですってば。メッセージアプリの中にある機能を使うだけですもの」
葵が再び首を捻る。
「そんな機能、知らんぞ」
「でしたら、今日知って下さい」
「……わかるかな」
「一緒にやっていきましょうっ!」
不安げな様子が妙に愛おしく思える。ちなみに私ですらその機能は知っていた。会社の飲み会の幹事に当たった時に使ったから。そうか、葵は幹事なんてやるタイプじゃないものね。裏を返せば今回の旅行を提案し、取り纏めも頑張るって言い出したのは相当強い思い入れがあるのね。本当に変わったなぁ、葵。
立ち上がって手を伸ばし、缶を掴んだ。ぐいぐいとお酒を煽る。そして目の前に座る葵を抱き締めた。丁度胸の位置に頭が来たけどまあいいわ。だってこうしたい気分なんだもの。戸惑ったように体が一瞬強張ったけど、力を抜いた。
「頑張り過ぎないくらいに頑張るのよ、葵。ちゃんと手伝うからさ」
そう呼び掛けると頭が僅かに動いた。頷いたのかな。
だけど段々身じろぎを始めた。まだ抱かせて欲しいから、腕に力を籠める。あれ、でも本当にやたらともがくわね。いいじゃない、あんたが可愛く見えてしょうがないんだもの。今はこうさせてよ。
だけどとうとう腰の辺りを何度も叩き始めたので、仕方なく解放する。
「何よ、私じゃ不満なの?」
唇を尖らせる。綿貫君との仲を見せ付けた挙句、私のハグを嫌がるなんてひどいじゃない。だけど、葵は。
「息が出来ん! 窒息するわ!」
顔を真っ赤にして叫んだ。大きく息をついている。
「……胸に埋まると本当に呼吸が出来ないの?」
「私で実験したのか!?」
「そういうわけじゃなくて、偶々だけど」
それこそ自分の胸を押さえて深呼吸を繰り返している。ややあって少し落ち着きを取り戻すと、大きな目で私を睨んだ。
「お前のハグはありがたいしこの上なく幸福な時間ではあったがな。胸に埋もれて窒息死、なんてのはごめんだ。マジで息が出来ん。今度、誰か巨乳を捕まえてやって貰え」
「嫌」
「あのなぁ」
その時、葵が唐突に振り返った。
「なあ綿貫君。ちょっと君も恭子の胸に顔を埋めてこい。そしてどれだけ苦しいか、実感してあいつに伝えてやれ」
途端に彼の顔がさっきの葵よりも赤くなる。
「何言ってんですか!?」
「馬鹿じゃないの!?」
一斉に否定をする。葵は立ち上がり、私の傍をすり抜けた。そうして私と綿貫君を正面に据え、いいじゃんか、とポケットに手を突っ込む。
「これも実践指導の一つだ」
「実践指導は無し!」
「どんな場面を想定した指導よ!?」
「私という監督がいれば間違いは起きるまい。さあ、やれ」
「やりません!」
「やるわけないでしょうが!」
不意に葵がスマホのカメラを此方へ向けた。何を、とだけ口にしたところでシャッターを切られる。
「ちょっと、急に撮らないでよ」
「俺らを写真に収めたってしょうがないでしょう」
彼と二人で不満を述べる。そんなことはない、と葵は口元を緩めた。
「君達、やっぱり気が合うな。そっくりそのまま、同じ表情をしているぜ。真っ赤なほっぺも一緒だな」
見せられた画面には、確かに同じように眉を潜め、口元を三角にし、頬を染めた私と綿貫君が映っていた。
「気が合うってのは本当だね」
その指摘に私の頬は更に熱くなる。本当だ、と綿貫君は目を丸くした。
「こんなにシンクロすることってあるのですね」
率直な感想だとわかっている。だけど、嬉しいやら恥ずかしいやらで鼓動がどんどん早くなる。
「面白いから二人にも送ってやるよ。さ、それが終わったら旅行の案内についてご教授願いますぜ旦那。フォームとやら、悪いが教えておくれやす」
「勿論です。あ、写真が来た。ありがとうございます」
ありがとうございます? 私の写真が貰えて嬉しかったりするの? ううん、そんなわけない。同じ表情をしているのが面白いだけ。わかっているのに頭を過る。まったくもう! 葵に嫉妬したり、綿貫君の言動に舞い上がったり、今夜は情緒も思考も大忙しよ!
お酒の缶を掴もうとする。だけど、ふっと手を止めた。代わりに水を飲む。
「そうそう、適度に水を飲め。偉いぞ恭子」
「子供か私は」
答えながら、我慢した理由を頭の中で反芻する。だって旅行が上手くいくよう手伝うって宣言したのだものね。それなら今日は皆へ案内を出す段階に漕ぎ着けるまでは酔っ払っちゃ駄目だ。やや手遅れ気味ではあるかも知れないけど、情緒不安定に任せてお酒に逃げるのは今夜はやめよう。
「回答フォーム、作るのでしょう。一緒に見せてよ」
「勿論です。葵さん、スマホを出していただけますか」
「あいよ」
テーブルの上に置かれた葵のスマホ。三人でそれを見詰める。
「ちなみにフォームのデザインやフォントなんかもいじれるのですよ」
「え、そうなの? 知らなかった」
「私はそもそもその機能を知らんのだが」
「三人でおしゃれなフォームを使って皆に素敵な案内を流しましょう!」
「いいわね! やり方、教えて!」
「まずは回答フォーム機能自体の説明をだな」
「頑張りましょー!」
「おー!」
「……おー」
やっぱり今の葵は可愛いわね!
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