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お見送りの往路。(視点:恭子)
「……本当に十分でできたな」
葵がスマホの画面をスクロールする。感心しているというよりどちらかと言うと呆然としているように見える。
「ね、大した作業じゃないでしょう。あとは皆に普段のメッセージ機能で旅行について説明をして、フォームを公開状態にしたら回答が来るのを待つだけです」
「凄いわよっ綿貫君。仕事が早いのね」
私の言葉に頭を掻く。
「別に、そんな。慣れていれば誰でも出来ますって」
その時、時計を見てはっと目を見開いた。時刻は十一時四十分。
「やっべ、あと十五分で終電だ。葵さん、此処から駅までどのくらいかかります?」
「十分程度だが、なんだ、泊まっていかないのか。こんな時間に帰るなんてむしろ疲れるんじゃないのかい」
「泊まるわけないですよ。女性の家、ましてや二人も相手がいるところに俺一人なんて絶対に帰ります」
葵が苦笑いを浮かべた。絶対って、と肩を竦める。
「まあ君はそういう人間だ。わかったよ。しかし今夜は本当に助かった。遊びに来てくれて楽しかったしな。駅まで送ろう」
「私も行くっ」
慌てて名乗りを上げる。勿論、と葵は私の背中を軽く叩いた。
「一緒に来てくれ。夜道を一人で歩くのは怖いのでね」
「別に、お見送りなんていいですよ。地図アプリで調べれば駅への道なんてすぐにわかりますし」
そう言いながら綿貫君は上着を羽織った。いや、と葵がポールハンガーから私と自分の上着を取り上げる。
「こいつは礼儀の問題だ。私の家へ行くと駄々をこねた恭子に付き合い、君は此処へ来た。皆で旅行をしたいと勝手に望んだ私に付き合い計画の立案やフォーム機能の教授など協力をしてくれた。そんな八面六臂の大活躍をした綿貫君を送らないのは礼に反する。少なくとも、私の中ではね」
支度をしながら葵が理由を述べた。そうね、あんたも大概真面目だものね。でもさ、私への気遣いでもあるんじゃないの? 少しでも彼といる時間が長くなるように取り計らってくれた気がするわよ。
「さあ、忘れ物は無いかい。それじゃあ行こうか。寂しいがお見送りをするとしよう」
「寂しくはないでしょう。でもそういうことでしたら駅までお願い致します」
「地図アプリよりは温もりのある案内をしてあげるよ。な、恭子」
葵が唐突に私へ水を向けた。そりゃあ温もりくらいいくらでもあげたい。変な意味じゃなく、気持ちの面で。だけどさ。
「……何で私に振るのよ」
返しづらいじゃない。彼は私の好意を知らないのだから。
「お前の方が私より愛想がいいからな」
「葵さんも結構喋ってくれるじゃないですか」
「君がよく喋るから応えているだけさ」
「またまた、お喋りだって認めて下さいよ」
「別にどっちでもいい。ほら、行くよ。終電を逃したら泊まる羽目になるぜ」
葵の言葉に綿貫君が時計を見る。あと十分だ、と声を上げた。三人揃って外へ出る。先に行け、と鍵を取り出した葵が手を振った。
「すいません、歩いてます。恭子さん、道を教えて下さい」
「わかった。葵、走って追い付けるわね」
「あいよ」
彼と並んで廊下を進む。一階へ降り、道を右へ進む。ちょっと急ごうか、と早足になった。泊まって貰うのは一向に構わないというか、むしろ個人的には喜ばしい限りなのだけど、彼はきっと固辞する。そうしたらタクシーで帰らなきゃならなくなるものね。それは勿体無いし、葵の家まで付き合わせた身としては申し訳が立たない。タクシー代を払うから許して、で済む話でもない気がする。
「間に合いますかね」
「走れば余裕だけど、その場合は君一人を行かせることになるわ」
「何でですか、ってそうか。酒、飲みましたもんね」
「悪いわね」
今日は理性が強めに働いているけど割と飲んではいる。あまり激しく動くと多分吐く。
「大丈夫、途中まで行ったら駅が見えるからそうしたら私を置いて走って行きなさい。お見送りとしては失格だけど、背に腹は代えられないわ」
「遠慮なくそうさせていただきます。そこまでは恭子さん、一緒に行きましょう」
うん、と頷く。早足には変わりないけど、彼の歩調が少しだけ落ち着いた。
「恭子さん、今日も楽しかったです」
綿貫君は唐突に切り出した。
「どうしたの、急に。私も楽しかったけど」
「予想もしない出来事の連続でした。砂浜いっぱいのクラゲの死体に始まり、水族館でのカニやマグロを通した俺達の意気投合ぶりの発見、バカ観光客の迷惑行為、葵さんと咲ちゃんとの遭遇、そして観覧車、と。どれも勉強になりました」
「葵と咲ちゃんとの遭遇から何を学んだのよ」
思わず吹き出す。こんなことってあるんだなって、と彼は深く頷いた。
「まあ確かに驚いたわね」
葵は、私とあの子はそんな関係にあるのかも知れない、と言っていた。偶然すらも巻き込んで、必要な時に互いを助け合える親友だ、と。そうであって欲しいし、ずっとそう在りたい。ただ、綿貫君に話すのは気恥ずかしくて口にはしない。
「夜も葵さんの家へお邪魔させていただいて、貴重な時間を過ごさせていただきました」
「そう?」
今度は僅かに嫉妬が頭をもたげる。この程度で反応するなんて過敏ね、私。だけど二人のやり取りが仲良さそうに見えちゃったんだもの。
「葵さんの家に行くんだって恭子さんが言い張って、頑なに譲らなかった時はどうなるかと不安になりましたが、案外すぐに酔いが冷めましたね。今はちゃんと会話も成り立つし」
顔が熱くなる。どうしよう。少しだけ、素直に伝えてみようかな。うん、どうせ彼は好意として捉えないものね。
「……ちょっとはしゃいじゃっただけ。君との一日が、とても楽しかったから」
「まあ俺以外の人とならもっと楽しめましたよ」
やっぱりね。禁止したのにな、俺なんかって発言は。言葉は違うけど、意味は一緒じゃない。君は自分が思うより、もっと素敵な人だよ。どうして卑下してしまうのかしら。そのせいで私の気持ちを受け取って貰えないのはさ。
「寂しいな」
「え?」
顔を覗き込まれた。歩きながら見詰め合う。ん? 今、私、もしかして。
「寂しいって、どうしてですか」
しまった! またうっかり口に出していた! 寂しい、は流石にあからさま過ぎるんじゃない!? 気持ちを叩き落とされるのも、今夜はこれでお別れなのも、全部寂しいのだけどさ! いくらなんでも直球過ぎる! そして仮にこの勢いのまま告白したとして、十中八九綿貫君は、もっといい人がいますよって絶対に断る。或いは、疑似デートで少し勘違いをされたのだと思いますって主張するかも。ともかく現段階での勝ち筋は見えない。断言出来る。だって先週も今日もほぼ告白じゃんって台詞を伝えたし伝えられたけど、一向にそんな空気や雰囲気にはならなかったもの! いざ本当に告白したって撃ち落とされるに決まっている! ただ、誤魔化し方もわからない! そしてこうやって必死で思考を回している間、沈黙しているのも不自然だ! どうする私! どうしたらいい!?
「か、か、か」
「か?」
上手く喋れない! 咳払い! 咳払いを!
「んんっ! う、ゲッホゲホ」
ぐあっ、喉が痛いわ! やり過ぎちゃった! 大丈夫ですか、と明らかに戸惑った声を掛けられる。大丈夫、としゃがれた声で答えたけど説得力に欠けるにも程がある。その時、あ、と彼が呟いた。
「駅、あれですか」
街路樹の隙間から光る建物が顔を覗かせた。そっか、もうこんなところまで来ていたんだ。
「あ、うん。時間、どう?」
「あと四分で発車時刻だ! トイレにも行きたいし、すみません、此処で失礼させていただきます」
走ったら二分くらいで着くかしらね。トイレを我慢出来なくて途中下車したら結局家まで帰れない。それは余計に悲惨な気がする。
「わかった。お疲れ様! 気を付けて帰ってね!」
「ありがとうございます! じゃ、さよなら」
手を振った彼は一目散に駆け出した。足、速いんだな。ビーチフラッグをやりたがるだけあるか。その背中を見送る。まばらな人の間を縫い、あっという間に駅舎へ消えた。
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