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お見送りの復路。(視点:恭子)
あーあ、帰っちゃった。いなくなると、やっぱり。
「お見送りは、済んだの、かい」
後ろから親友が話し掛けて来た。もう、と振り返る。途端に笑いが込み上げた。
「何だよ」
「いや、あんた頑張って走って来たのね」
葵の華奢な肩や薄い胸が大きく波打っていた。
「余裕ぶっているくせに、滅茶苦茶息が荒れているじゃないの」
「仕方、ないだろ。全然、追い付かないから、家から、此処まで、走って、来たんだ、ぜ」
ふう、と大きく息を吐いている。カッコつけ、と舌を出してからかうと、うっせ、と眉を顰めた。
「でもさ、寂しくなった途端に葵が追い付いてくれて安心した」
ふむ、と少し呼吸の落ち着いた葵が帰り道を指差す。今度は親友同士、並んで帰路を歩き出す。実はさ、と葵の薄い唇が開いた。
「私も今日、とても寂しかったんだ」
「葵も? あれ、そういえば今日は咲ちゃんと遊んでいたじゃない。何かあったの?」
「流石、鋭いねぇ」
そうして浮かべた表情は。口元こそ笑っていたけど、遠くを見る目はどうにも悲しそうに見えた。
「咲ちゃんと、喧嘩でもしたの?」
恐る恐る問い掛けると、まさか、と手を振った。
「まあ咲ちゃんから刺される可能性はゼロではないが、今回は違う。むしろアホとの仲を取り持ったのさ」
「田中君との? あぁ、そうか。そりゃあの二人も揉めるか。って、あんたが仲裁したの? 今回、一番の被害者で最も救いの無かった葵が?」
ありのままの意見を述べると、ちったぁ気を遣え、と睨まれた。
「だってそうじゃないの」
「例え事実であったとしても、抜き身で突き付けられると心が痛い」
「……まだ傷付いているんでしょ。それなのに二人が仲直り出来るよう頑張ったってこと?」
「そうさ。なにせ私は二人の先輩だからね。後輩のためなら多少の痛みは引き受ける」
バカ、と言いながら腕を組む。相変わらずの細い腕。あんたはこれで何人を支えてきたの。どれほどの痛みを抱え込んできたの。
「そういう生き方、やめたんでしょ。あんた一人で背負い込むのは終わりにしたって言ったじゃない」
喋りながらどんどん鼻声になってしまった。やめたよ、と葵の穏やかな声が私の涙腺をより一層崩壊へと誘う。だけど葵が笑っているのに私が泣くのもおかしい気がして懸命に堪えた。そうして言葉を絞り出す。
「嘘。葵、今日も痛かったんでしょ。二人のことは放っておいてもいいのよ、だって咲ちゃんと田中君の問題だもの。わざわざ巻き込まれて、たくさん付いている傷をもう一度抉るなんてあんただけ割に合わない。少なくとも私は嫌。葵には、もう痛い思いをしないで欲しい」
絡めた腕に力を籠める。そうさな、と葵も少し力を入れた。
「傷は嫌いだ。痛いのも嫌だ。辛い思いはしたくない。昔より私はヤワになった。それでいいと自分でも思う。だけどさ、やっぱり後輩は大事だ。特に咲ちゃんは可愛くてしょうがない。ついでに田中君も、一瞬とは言え惚れた相手だしね。砕けたガラスの切っ先がたくさん牙を向いていようと、手を差し伸べずにはいられない」
「……先輩後輩なんて関係ない。私は葵の考え方に反対」
はっきり伝えて鼻を啜る。たった二つしか違わないのに、後輩のためって理由でずたぼろになる葵なんて見たくない。一方、葵は対照的にあくまで穏やかに話を続けた。
「お前はそういう考え方でいい。そいつを聞いたうえで、私は私で好きにやる」
「……頑固者」
ちょっとは私の心配も受け取ってよ。葵といい綿貫君といい、どうしてこっちの気持ちを素直に受け入れてくれないのかしら。それこそとても寂しいのよ。だって私は君達が大事で大好きだから。そうだよ、と葵が小さく笑う。傷だらけのくせに笑っているんじゃないわよ。
「ただ、昼間も言ったみたいにさ、私は恭子とお互いを助け合える存在でありたい。対等にそう在れるのは、親友たる恭子だけだ。だからさっきも凄く嬉しかった」
「さっき?」
うん、と明るく頷く。ふと、葵の後ろに消え入りそうなくらい細い月が浮かんでいるのが目に入った。触れたら折れてしまいそうなほど、細い月。だけど確かに輝きを放っている。
「水族館で君達に会った後、咲ちゃんを私の家に連れ込んだ」
「言い方」
「そこへ田中君にも来て貰い、何とか仲直りへと漕ぎ着けた。それどころか二人で席を外した際に、改めてしっかり結婚の約束を交わして来たんだよ。おかげでこの子達は安泰だなって確信を得られて、ほっとした」
葵の家で仲直りどころか結婚の約束ですって? 急激に怒りのボルテージが上がるのを感じる。
「あの二人には人の心が無いの? っていうか何を考えているの? 田中君にフられた葵の家でプロポーズでもしたわけ?」
私の声色で察したのか、違うぞ、と慌てて空いている方の手を振った。
「どっか別のところに二人で行って、そこで約束してきたんだ」
「どっちにしろ葵といる時にやっていいことじゃない。今度会ったらまた叱らなきゃ」
気炎を吐くも、待て待て、と止められた。何よ。
「落ち着けって。私が痛みを飲み込んで、良かったなって伝えたのに、お前がブチギレるのはわけがわからないだろ」
「親友を傷付けられたらブチギレて当然よ」
「とにかくやめてくれ。頼むから」
な、と両手で私の腕に縋りついてきた。むむ、ここまで止められているのに突き進むのも流石に違うか、と思い直す。
「まったく、しょうがないわね。あんたに免じて矛は収める」
「ありがとよ」
まだ相当モヤモヤしているけどさ。つくづく葵は二人に甘い。叱ってあげる人間も必要だと思うわよ。それはともかく、と葵が話を戻した。
「仲直りした二人を送り出して、一人でコンビニへ向かったんだよ。丁度、あそこの店だな」
道の先に浮かぶ明かりを指差した。
「一人で夜道を歩いて、夕飯のコンビニ飯と酒を買って、また一人で帰り道に就いて。それがさ、まあ寂しかったのよ」
「……」
掛ける言葉が見付からない。自分を好きだと言った人。その相手が別の人との結婚を決めて、行って来いって背中を押して送り出した後に独りきりの静寂が訪れたら。
想像しただけで耐え切れないほどの孤独を覚える。葵の明るい声色は、それと向き合わないための自衛策なのかも。再び絡めた腕に力を籠める。ありがと、と呟くのが聞こえた。
「そんな気持ちを抱えていた時、綿貫君から電話がかかって来た。恭子が私の家に行くって主張して言うことを聞かない、どうしたらいいですかって」
その辺りの記憶は曖昧だ。今日一日が楽しかったからやけに高揚して、やたらと早く酔いが回ったのよね。ただ、葵に報告したいという強い気持ちは、はっきりと覚えている。
「いつもならタクシーに乗せて無理矢理家へ帰らせろって答えていたかもな。だけどさ、昼の遭遇に引き続き嬉しかったんだ。私が寂しい時、辛い時にそんな事情は露知らず、家へ押し掛けてやるって言い張る恭子にはやっぱり運命的なものを感じちゃった。勿論、恋愛じゃなくて唯一無二の親友としてね」
葵が今度は道を示した。
「おかげでさっきは一人寂しくぶらついていた此処も、今は恭子と二人で楽しく歩けている。幸せだよ、隣に君がいてくれてさ。だから、ありがとう恭子。君にどれだけ救われているか、改めて自覚した」
率直な言葉に胸が暖かくなる。ひねくれ者は相変わらずだし、傷を負うのをまるっきりやめたわけでもない。だけどさ。
「葵、やっぱり今の方がいい。素直な気持ちを吐き出してくれると、安心する」
微笑みかけると、そうかい、と肩を竦めた。
「照れているの?」
「なにせひねくれ者なんでね。真っ直ぐな言葉には弱いんだ」
「そうなの?」
「らしいぜ。さっき田中君に教えて貰った」
途端に私の機嫌が悪くなる。葵を傷付けた上に、その葵と二人きりになる口実のために私をダシにしたこと、忘れたわけじゃないからね。
「どういう会話の流れから、そんな話になるのよ」
すると僅かに俯いた。また照れている、可愛いわね。大したこっちゃない、という呟きが耳に届く。
「だったら聞かせて」
「……ここは引くところじゃないのか」
「聞ーかーせーてー」
組んだ腕を軽く揺さぶる。なんか嫌だ、と断られた。
「中途半端に話しておいて、それはひどいっ」
「だから大した話じゃないんだってば」
「だったら聞かせて」
「エンドレスじゃねぇか……」
そうこうする内に葵の家へ帰って来た。オートロックを通過して廊下を進む間は流石に催促を自重する。うるさくしたら迷惑だものね。そうして自宅の扉をくぐり、靴を脱いだところで。
「早く話して」
「まだ気にしてんのかよっ」
細い腕がするりと抜けた。風呂入って来る、と上着をこっちに投げて寄越す。慌てて受け止めると、かけといてくれ、と手を振った。
「ずるいっ」
「何もずるくない。さて、シャワーシャワーっと」
洗面所の扉が閉められた。まあお風呂から上がったら改めて問い詰めてやるわ。むしろこれだけ先延ばしにしたことでハードルが上がったと理解しているのかしら。あんたは自分の首を絞めているだけなのよっ。そして私は諦めないっ。
……自分でも何でこんなにモチベーションが高いのかわからない。やっぱり酔っているのかな。葵との夜はまだまだ楽しみたい。テーブルの上に置きっぱなしになっていた水を煽ろうとして踏み止まる。手、洗いたい。
遠慮なく洗面所の扉を開けると、うわっ、と悲鳴が上がった。服を脱いだ葵が反射的に体を隠している。
「邪魔するわ」
「な、何だよ。折角格好つけて別れたのにこれじゃダサいじゃんか」
気にするのはそこなの? まあいい、手洗いうがいっと。衛生管理は大事だからね。私を見詰める葵が鏡に映っていた。半開きになった目は完全に光を失っている。
「私が風呂に入るまで待てなかったのか?」
「水もお酒も早く飲みたいんだもん」
溜息を残しお風呂場へ消えた。いいじゃないの、女同士なんだから。前だったら気にしたけど、今は何の引っ掛かりも覚えない。だって掛け値なしの親友同士ですからね!
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