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葵を思う恭子は思考が迷宮には迷い込まない。(視点:恭子)
水を飲み、ソファへ腰掛ける。途端に疲労を自覚した。時刻は零時を回っている。結構遊んだし、お酒も飲んだし、そりゃあ疲れもするか。クッションを頭の下に敷き、両手を組んで目元を押さえる。微かに世界が回る感覚を覚えた。回っているのはアルコールなんだけどさ。
それにしても葵は田中君と何を話して、ひねくれ者は真っ直ぐな言葉に弱い、なんて教えられたのかしら。そもそもあの子、彼と接触して平気なの? いや、傷は痛むと言っていた。平気じゃないんだ。だけど後輩のためなら我慢をして、平気な顔を取り繕う。ううん、それどころか揉めている咲ちゃんと田中君を仲裁した。まったく、どれだけお人好というか、二人に甘すぎるというか、とにかく私から見ればあんたが何をやっているんだという状態だ。葵にも幸せを掴んで欲しい。フッた私が願うのも人の心が無さすぎる気がしないでもないけど。まあ咲ちゃんにはデレデレだからなぁ。田中君が葵に告白してフッた時には咲ちゃんに申し訳が立たないからって縁を切ろうとしたみたいだけど、結局すぐに仲直りをしていたし。それに咲ちゃんも葵を大好きだしねぇ。おまけに葵は田中君へも一瞬惚れた、か。本当に一瞬なのかは疑問が残る。ただ本人がそう主張するのだから信じるしかない。疑ったって仕方ない。私が口を出す話でもないし。そんなあの子にとっての可愛い後輩二人が喧嘩をしていたら、自分がどれだけ痛い思いをしようと葵は手を差し伸べるか。私はやめて欲しいけど、本人も認めていた通り頑固だからしょうがない。これでも昔よりはまともになったのだ、あんまり責めたくもない。うん、いい方向に変わったのだものね。
弱さを見せるようになった。傷は嫌い。痛いのも嫌。そう、こぼすのはとてもいい傾向だ。その言葉を聞いた私が葵の痛みに寄り添えるから。何も言わず、一人で堪えられてはこっちもどうしたらいいのかわからないもの。
本音を口にするようになった。特に顕著だったのが今日の旅行の話だ。皆がバラバラになってしまう日が来るかも知れない。或いは、仲は良くても一堂に会する機会は失われていく可能性もある。だから、今の内に集まりたい。葵はそう語ってくれた。素直な思いを聞かせてくれてとても嬉しかった。昔のあの子なら、一人でどうしたらいいかを考えて、皆の目につかないところで一生懸命走り回って、そのくせ自分は何もしていないって顔をして、相手が楽しむ姿を見届けて。
いつの間にか、葵はその場にいなくて。
そんな風に振る舞っていた。でも今日は、私と綿貫君に旅行へ行かないかと提案をしてくれた。自信が無いから手伝って欲しいとまで頼み込んできた。一人で抱え込まないで、私達に本心を曝け出してくれた。そして寄り掛かってくれた。三人で旅行の話を進めた。綿貫君が回答フォームを葵に教えてあげていた。まあ、あんまり仲良さそうに振る舞われると嫉妬しちゃうけど、それはそれとして一緒に頑張ろうと宣言をした。葵の変化がはっきりとわかって本当に嬉しかったし、安心もした。
そう。私は葵の在り方が、ずっと心配だったんだ。
いつも一人で痛みを抱え込んでいた。皆のために奔走し、手を伸ばし、ボロボロになりながら、それでも歩き続けていた。自分の存在価値もわからないまま他人の助けになろうと無意識に手を伸ばし、その割に随分必死だったと教えてくれた。そんなあの子を私はずっと見詰めて来た。いくら止めても痛々しい生き方をやめてはくれなかった。それならせめて、隣で支え、見守り、時には本気で止めなきゃいけないと決めていた。ただ一方、私自身もずっと罪悪感を抱えていた。六年前、葵は私に恋をした。私はあの子の想いに応えなかった。恋人ではなく親友であることを選んだ。それからずっと一緒に過ごして来たけど、私との接触そのものが葵を傷付けているのではないかと常に不安が燻っていた。
長かったな、六年はさ。その間に色々なことがあった。葵と二人でお城のナイトツアーに参加したら本物のお化けに襲われた。試練とやらだったけど、なかなか怖かったなぁ。
学園祭で咲ちゃんと田中君に出会い、メイド服を着て何度も撮影会を開いた。咲ちゃんの瞬間移動で世界中を飛び回ったっけ。ここしばらくご無沙汰ね、撮影会。二十代も後半に入ったから、コスプレにやや抵抗感も生まれて来たかも。
忘れられないのは沖縄旅行だ。綿貫君に出会ったのもその時か。途端に顔が熱くなる。私の恋が始まったのも、恐らくこの旅行の時なのよね。あ、そういえば。ろくに話もしていない内に、往路の飛行機で躓いた私が彼の背中にヘッドバッドをかましたのだっけ。当時は申し訳なさしか無かったけど、今はなんちゅう出会いだと全力で頭を抱えたくなる。幸い、私の綿貫君に対する恋心を知っている人は誰もそのことについていじって来ない。きっと忘れたのね。覚えているのは本人だけ、なんてよくある話だもの。
そして旅行の直後に咲ちゃんと田中君が付き合い始めた。その過程で超能力の暴走により葵が死にかけた。あの日は人生で一番泣いた。悲しかった。不安だった。葵を失うかも知れないと思うとどうしようもなく胸が締め付けられた。もし本当に葵がいなくなってしまったら、私はもっと荒んだ人間になっていた。だって唯一無二の親友だもの。大事で大好きな山科葵。そう、だから傷を負うのをやめてくれて嬉しかったし安心した。
あの日以来、葵は少しずつ変わった。そうして今のあの子になった。だけど後輩のためだと昔のあの子に戻っちゃうのね。やっぱりまだまだ心配だ。ただ、葵からすれば同じくらい私が心配なのだろうな。ついついお酒を飲み過ぎちゃう。恋心に対して自分でも信じられないくらい自信が無い。まあ、やってやるわいって開き直ったから必死でもがけているけど、正直葵と咲ちゃんに頑張るって宣言をしていなかったらとっくに心が折れていたと思う。だって綿貫君、本当に難攻不落の要塞なんだもの。恋を叶えるための筋道は立てたけど、獣道どころか断崖絶壁よ。これを登れってか、って大抵の人はキレるレベルの岩山ね。私は好きで登るから諦めないけど、手足が疲れるのはどうしようもない。
不意にドライヤーの音が響いた。葵がお風呂を出たらしい。もうじきリビングへ戻って来る。そうだ、私は葵に今日の報告がしたくて此処へやって来たのだった。その話もしたい。更に、葵から提案された旅行についても語りたい。さっきの、ひねくれ者は真っ直ぐな言葉に弱いって件も聞き出さなきゃ。今夜は絶対長くなる。水は飲んだ。休憩もした。疲れと酔いは多少マシにはなったかな。
ドライヤーの音が止んだ。軽い足音が近付いてくる。リビングの扉が開くのを確認して、私は体を起こした。
「何だ、寝ていたのか」
ゆっくりと首を振る。
「寝てない。考え事をしていたの」
「疑似デートの反省かい?」
「違うわよ。葵のこととか、今までの思い出とか」
なんじゃそりゃ、と飲みかけのお酒に口を付けている。
「私について考えるなんて、一体どうしたっていうのさ」
「その話は長くなるわよ」
足を上げ、振り下ろす反動で立ち上がる。よし、大分回復したわね。
「やけに元気だな」
目を細める葵に、私も飲みかけの缶を持って差し出した。互いに軽く当てる。さあ、夜はここからが本番よ。
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