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大多数の側の意見だと思っていたのに状況によっては少数派になる。(視点:葵)
「人間要塞?」
咲ちゃんが首を傾げる。私は目を細め頬杖をついた。
「綿貫君はねぇ、自分に好意を向けられたとしても悉くそれを撃ち落としてしまうんだと。俺を好きになる人なんているわけない、それっぽい発言に聞こえたけど勘違いしちゃ駄目だ。そうやって撃墜しちゃうそうな。橋本君が教えてくれたよ」
「だから要塞ですか」
そういうこった、と酒を口に運ぶ。
「恭子さんも大変ですね」
「まあ距離は縮まっているみたいだが、随分時間が掛かりそうだな」
「楽しかったと葵さんへ報告したくて昨夜はいらしたのでしたっけ。……そして、すみません。葵さんはやっぱり寂しかったのですね」
唐突に目を伏せた。さっき恭子さんがバラしちまったからな。恥ずかしいのぉ、とおどけてみせる。だけど咲ちゃんの表情は固い。
「夜ご飯、一緒にお連れするべきでした。ごめんなさい、気が利かなくて」
「私が行かないって断ったじゃんか。結婚の約束をした直後にお邪魔虫は嫌だってさ」
「でも……」
「そのくせ勝手に寂しくなったのだから、一人で何をやってんだって話さ。君が謝る必要は無い」
小さな頭に手を乗せる。細っこい髪はいつもより少し滑りが良くない。あぁ、そうか。田中君の家に泊まったんだよな。だから普段とコンディショナーが違うんだ。羨ましいね、仲良しでさ。
咲ちゃんはまだ唇を動かしていたけど、私の表情を見て察してくれたのか、口を噤んだ。
「しおり、一緒に作ろうな。ごめん、さっきはそれこそ君の気持ちを撃ち落としちまって。恭子と三人で楽しく作業をしよう」
その言葉にようやく笑顔を浮かべた。うんうん、笑っている方がずっと素敵だぜ。
「……はい、是非よろしくお願い致します。旅行、楽しみです。皆が集まってくれるのですから思いっ切り楽しまなきゃですね」
そうじゃのぉ、とまだ茶化す。そして頭から手をどけた。
「シーパーク、採用して下さり嬉しいです。シャチさんのショー、早く見たいですね」
「……採用したというか、何というか」
嬉しいやら恥ずかしいやら、さてどう伝えたものか。いや、別に隠す必要も無いのだが。
「話題、変わった?」
そこへ恭子が帰って来た。
「綿貫君の胸板はどんな感じでござんした?」
「もういいっつーの」
無表情で首を振っている。おっと、本気で不機嫌になりかけている時の反応だな。これ以上茶化すのはやめておくか。
「すまんすまん。今か? 旅行の話をしているよ」
ふうん、と席に座るなり酒に口を付けている。二日酔いで仕事をするなよ。
「シーパークへ行くことになって嬉しいとお伝えしたところです」
「咲ちゃんも水族館、好きですものね」
「はい。その中でもシャチさんを見られるのは日本に二か所しか無いのです。絶対にショーは見逃せません」
「確かにシャチって見た覚えがないわね。そんなに少ないんだ。良かったわね、葵」
「んん?」
急に話を振られて返答に詰まる。出汁巻き卵に伸ばした手を引っ込めた。振りが不意打ち過ぎるだろ。
「皆が行こうって言ってくれてさ」
あぁ、そっちか。ちぇっ、私をいじりにやり返す気だな。皆? と咲ちゃんが訊き返す。そうなの、と恭子は髪を耳に引っ掛けた。色っぽいでありんすなぁ。
「ね、葵。アンケートの結果、咲ちゃんにも見せてあげてよ」
すっかり機嫌が治っている。感情を引き摺らないのは恭子の良いところだが、これから私に矛が向くとわかっているので心境は複雑だ。まあいい、渋るのもガキっぽい。スマホを開きメッセージアプリを起動する。咲ちゃんの前に置くと、いいのでしょうか、と私達の顔を交互に見た。
「個人の回答を私が知ってしまって」
「他の人達には内緒よ。三人だけの秘密」
恭子がウインクをする。ありがとうございます、と咲ちゃんは会釈をした。私は黙ったまま。やれやれ。
「それでね、ほら。周辺観光施設の回答に、全員がシーパークって記入しているのよ」
「なんと、全員とは。流石シャチさん、凄い人気です」
思わず吹き出す。恭子は口を開けて固まっていた。よし、このまま咲ちゃんに乗っかろう。
「だよなー。日本で二か所しかない、シャチさんを見られる場所なんだ。そりゃあ全員希望するさ」
「勿論です。嬉しいなぁ、皆と気持ちが一つになって。ショーを見たらきっと盛り上がりますよ。夜までその話でもちきりになるかも」
「なる、なる。だって皆、見たくて行くわけだもんよ。なあ恭子、お前もシャチさんが見たいから希望したんだろ?」
「わ、私は」
「ん?」
さあ、なんて答える。このキラキラした目の咲ちゃんにさ。
「楽しみですね、恭子さん」
「……えっと」
「はい?」
「……私は、葵が喜ぶと思ってシーパークを希望したの」
ふむ、素直に答えたか。私も見たい、って嘘を吐くかと思ったがやはり恭子は真っ直ぐだな。別に悪いことではない。むしろ私を喜ばせようという善良な気持ちから希望に書いてくれたのだが。
純粋にシャチさんを見たいと思っている咲ちゃんにはどう聞こえるのかね。そっと顔を覗き込む。今度は咲ちゃんが口を開けて固まっていた。しかしすぐに、そうですか、と再起動する。
「恭子さん、優しいですね。うん、そうか。そういう理由もあるのか」
「……なんかごめん。シャチも楽しみだけど、あんまり感心は無かった。葵に満喫して貰いたいって一心で回答した」
「それはそれで照れるね。ありがとう。ちなみに私はシャチさんを見たいから選んだ」
「私もです」
咲ちゃんが一つ頷く。二人で恭子を見詰めてみると、ちょっと、と目を見開いた。
「ひょっとして、私、悪者扱いされている!?」
その言葉に、いえ、と慌てて咲ちゃんは手を振った。
「言ったじゃないですか、優しいですねって。葵さんを思って選んだという素敵な理由を、悪者扱いなんて、そんな」
「でもシャチには感心が無いみたいだぜ」
「あるわよ! 楽しみにしている!」
「じゃあショーの時間は何時だ」
「知らないわよ!」
「十時半、十三時、十五時です」
「流石咲ちゃん。大正解」
私達のやり取りに恭子は絶句した。揃ってブイサインを浮かべる。しばしの沈黙の後。
「……負けました」
私と咲ちゃんはガッチリと握手を交わした。
「あーあ、まさかこんな展開になるとはなぁ」
頬杖をついた恭子が恨めし気に私達を眺める。咲ちゃんと二人、並んで酒を飲み干した。私はハイボール、咲ちゃんはレモンサワーをタッチパネルで注文する。
「では恭子さんはどのようにお話を進めたかったのですか?」
咲ちゃんの問いに、それは、と微妙に口籠った。
「私をいじってやり返すつもりだったんだろ」
腕組みをして指摘する。ご名答、と両手を上げた。
「いじる?」
ふふん、と鼻で笑う。そうよぉ、と恭子も酒を煽った。別に飲まなきゃやっていられないような話でもなかろうて。それともよっぽどやり返したかったのかね。
「ご説明をお願い致しますよ、お姉様」
「へいへい。ほら、私は葵のためにシーパークって答えたでしょう。きっと皆も同じ気持ちだと思っていたの。葵が水族館を好きって周知の事実だから」
世界でトップクラスにどうでもいい情報だな。
「だから、いいわねぇ愛されていて、回答結果に反映されているじゃない。そうからかうつもりだったのだけど」
「咲ちゃんが純粋にシャチさんを楽しみにしていて、お前が劣勢に陥った、と」
「そうよ。あーあ、何だか自分の心がやけに汚れている気がして来た」
いえいえ、と咲ちゃんは穏やかに首を振る。
「葵さんのためを思っての回答は、何度も言いますけれど、とても優しくて素敵です。恭子さんが葵さんに楽しんで欲しいと心から望んでいるからこその行動じゃないですか。機会があればそういう選択を取れるよう見習わせていただきます。それに、いじりはしませんが確かに同じように葵さんを楽しませようとシーパークを選んだ人もいるかも知れません」
まあな、可能性はゼロじゃない。むしろ全員揃ってシャチさんに会いたがっている集団という方が不気味だ。
「なんにせよ楽しもうぜ。ショーは十三時か十五時の回だ。しおりにでっかく書いておこう。絶対に見逃さないってさ」
「万が一逃すような事態が訪れたら、翌日再び訪れましょう」
「確かに。一泊しているのだから可能だな」
「むしろ旅行関係なく見に行ってきたら……?」
恭子が呆れたように呟く。
「楽しみはとっておきたい」
「皆と一緒に感動を共有するのです」
「ちなみに私と咲ちゃんは日本に二ヶ所のシャチさんがいる水族館、そのどちらも訪れたことがある」
「いや行っているんかい! よくその熱量を保てるわね!」
「好きなものは何度見ても良いのです」
「そりゃあそうだけど」
その時、恭子が手を叩いた。シンバルでも持ったらどうかね。
「ねえ咲ちゃん。今度は一つお願いなのだけど、葵を説得してくれない?」
「説得?」
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