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十一月二十二日、水曜日。①(視点:咲)
午後六時五十分、秋野葉駅の改札を出たところ。暗い窓辺で彼を待つ。時折、大学生と思われる若い人達が集団で通り過ぎて行く。私や徹君、葵さん、恭子さんの後輩にあたるのだろう。なにせ此処は私達が通っていた、時枝大学の最寄り駅。近くに別の学校は無いから十中八九後輩だな。私はサークルに所属していなかったので年下の知り合いはいない。葵さんと恭子さんは、人体動作解析サークルという謎の団体に籍を置いていたと聞いている。だけどお二人は卒業して既に四年が経つから、後輩も皆いなくなってしまっている。いや、もしかしたら一人や二人くらい残っている可能性はある。大学院への進学とか、留年とか。なるべく前者だといいですね。
考えてみれば大学在学時には、私にも知り合いがちょっとだけいた。同じゼミの人達とは連絡先を交換したから。だけど今は誰とも通じていない。元々私は社交的な振る舞いなどこれっぽっちもしていなかった、と言うかむしろ友達を作らないようにしていたから当然ではある。今、六人ものお友達と仲良く出来ているのは奇跡に近い。葵さん。恭子さん。佳奈ちゃん。橋本君。綿貫君。私の大切なお友達。その人達に出会えた発端は。楽しい日々を過ごせている、その切っ掛けをくれたのは。
「お待たせ。いやぁ、ごめんごめん。遅くなっちゃった」
目の前に立つ彼。徹君が、声を掛けてくれたから。
「ううん、いいよ。私が早く着いちゃっただけだもの」
彼が時計を見上げる。本当だ、と目を丸くした。
「時間前じゃん」
「そうだよ」
あからさまに胸を撫で下ろした。何をそんなに安心しているのやら。焦り過ぎ、と小さく吹き出してしまう。
「だって、これからプロポーズをしようっていうのに遅刻をしたら絶対に駄目じゃん」
「そこまで熱心に気にしなくていいよ。だってプロポーズ自体はもう済んでいるもん」
意図せずして土曜日に交わしちゃったからね。君のやらかしのせいで、さ。まったく。
「そりゃそうだけど、指輪を渡すとあれば気合も入る」
徹君は両手をグーに握り締めた。その瞬間、不安が過ぎる。
「……空回りして、また変なことをしでかさないでね」
どれだけ周りが振り回されたか。どれほど葵さんや私が傷付けられたか。彼の人となりを知っているから何とか丸く収まったものの、もしかしたら葵さんと恭子さんとは仲良くして貰えなくなったかも知れないのだ。改めて想像して、ぞっとする。はい、と彼はきっちり頭を下げた。
「今日は大丈夫」
「今日に限らず今後も大丈夫でいて下さい」
「ごもっとも」
そして、行こうか、と手を差し伸べられた。やれやれですよ、危機感や自覚は無いのでしょうか。だけど、そんな呑気者の彼を私はとっても好きなのです。うん、と笑顔を浮かべて握る。繋いだ手。ずっと離さないでいようね。これから二人で生きて死ぬまで、ずっとさ。
大学までの暗い道を一緒に歩く。懐かしいな、と徹君は呟いた。
「卒業してからほとんど来ていないもんなぁ」
「去年は学園祭に来たじゃない」
「恭子さんと三人でね。サークルの後輩達に会いに行くって言っていたから付いて行ったんだったね」
そう、珍しく三人だけだった。
あの日、用事があるから、と葵さんは恭子さんに一万円を預けて学園祭には来なかった。残念です、と口にすると恭子さんは珍しく葵さんみたいな悪魔の笑みを浮かべた。
「本当は用事なんて無いと思うわ」
え、と首を傾げる。一方、傍らの徹君は、あぁ、と頷いた。
「後輩に金は渡したいけど直接会うのはやけに世話を焼いているようで恥ずかしい。恩を売るつもりもないし、それで恭子さんに金を預けた」
「大正解。流石、捻くれ者同士。理解が深いのね」
「俺だったら同じことをしますから」
……思い返せば、やっぱり彼と葵さんはお互いをわかり合い過ぎている。似た者同士の捻くれ者、というだけで片付けるには思考が通じ過ぎてはいませんかね。
「どうしたの、咲。急に静かになって」
声を掛けられ、はっとする。別に、と首を振った。
「去年のやり取りを思い出していたの」
「何かあったっけ。恭子さんが後輩達に取り囲まれていてびっくりしたのは記憶にあるけど」
それは私達が見たことのない恭子さんだった。サークルがたこ焼きを販売している屋台のテントの周りで、在学生は勿論だけど、遊びに来ていた卒業生達と盛り上がっていた。恭子さんの先輩や後輩、同級生がいっぱいいた。人体動作解析サークルというわけのわからない団体には、意外とメンバーが存在していた。そして皆、仲が良さそうだった。敬語を使う恭子さん。後輩から抱き着かれる恭子さん。葵さん以外のお友達とお喋りをし、手を叩いて笑う恭子さん。どれも知らない恭子さんだった。私と徹君は、少し離れたところで奢って貰ったたこ焼きをもしゃもしゃ食べながらぼんやりとその様子を眺めていた。恭子さんは本当に明るく輝いているな、と思うと同時に、酔っ払った恭子さんの有様を皆さんもご存じなのかな、と頭を過ぎった。その後、もっと凄い醜態を何度も目撃する羽目になるとは流石にあの時の私も想像だにしなかったけれど。
とにかく、恭子さんの一軍女子っぷりを改めて確認し、それなのに私と仲良くしてくれるなんて嬉しいなぁと胸が暖かくなった。ただ、今日は完全に私達がお邪魔になってしまう。そう思ったから、外しますね、とメッセージを送ろうとした。だけど恭子さんは元気に私達二人の元へ戻って来た。今度飲みに行こうね、とお友達と思しき方の声が聞こえた。手を振った恭子さんが、お待たせ、と私達に笑い掛けてくれた。
「いいんですか、飲みに行こうって誘われたんでしょ」
徹君も同じように思ったらしい。テントの周りに集う人達をちらりと見遣った。一方恭子さんは足を止めず、私達の背中を軽く押した。まるでその場から離れたいとでも言うように。
「うちのサークルって結構惚れた腫れたが多かったのよ。私は幸い巻き込まれなかったし、不穏な気配を感じたら即刻撃ち落としていたのだけど」
今思うと撃ち落としていた人が今度は綿貫君に撃ち落とされ続けているのか。因果、なのでしょうか。
「とにかく複雑な人間関係でね。いい人達には違いないけどお酒が入るとより一層面倒臭くなるのよ。昔、付き合っていた相手がどうとか今はあの人とあの人が付き合っているのとか、今度誰を誘って飲みに行こうとか。恋愛以外の話は出来んのかってくらいドロドロの飲み会よ」
「……不健全サークル?」
その言葉に、そこまでいかんわ、と恭子さんは腕を振りかぶった。だけど、いや、とその手で腕組みをした。後には防御態勢を取った徹君が残された。
「案外否定出来ないかも。男女の合体を目的にしているわけではないけど、恋愛が多かったってことは結局あちこちで合体していたのだものね」
「合体て」
あの、と私は恭子さんを見上げる。
「ん?」
「葵さんも巻き込まれていたのでしょうか。その、複雑な恋愛事情に」
おずおずと問い掛けると、恭子さんは大きな口を開けて笑った。豪快、という単語が頭を過ぎる。しばらく爆笑していたけれど、無いわよ、と目元を指で拭った。
「あの子はあんな調子でしょう。それってね、恋愛脳が苦手とするタイプなのよ。顔は可愛いし性格も本当はもっと可愛いけどね、あの口調で中身がおっさんだから全然巻き込まれなかった。そういう点で言っても見る目の無い奴ばっかりだわね。あはは」
笑っているけど恭子さんだって葵さんをフッたじゃないですか。そう言いたかったけれど、徹君がいるので口を噤んだ。ただ、不満を思いっ切り視線に込めた。じっと見詰める私に気付いた恭子さんは、すぐに意図を汲んでくれた。まあ、と咳払いをして私の肩に手を置いた。
「そんなわけで葵は無事よ。気になったのね、咲ちゃん」
「葵さんはしっかりしていらっしゃるから私の心配など必要無いとは思ったのですが」
「咲は葵さんが大好きだからなぁ」
徹君の評に、その通り、と胸を張る。よしよし、と恭子さんに頭を撫でられた。
「恭子さんって俺らとばっかりつるんでいるのが不思議なくらい人気者だよね。……って咲、眉間にしわが寄っているけど」
顔を顰めたくもなる。思い出して初めて気付いた。あの時の会話が全部、一年後のフラグになっている! 恋愛に巻き込まれることの無かった葵さんが徹君に告白されてフラれた。しっかりしているから大丈夫と思っていたけど私に申し訳が無いから縁を切ると言い出した。咲は葵さんが大好きだからって、君が葵さんに告白してどうするのです! フリと回収が華麗すぎる! 誰も得をしないひどい事件ですけどね!
「緊張しているの?」
誰のせいだと思っている! ……と、叱り飛ばしたいのはやまやまですが、もうこの件は終わった話。いつまでも引き摺ってはいけない。深呼吸をする。
「……思い出に浸っていただけ」
「どんだけ辛い記憶なのさ」
お前が言うな大バカ者! 繋いだ手にサイコキネシスでブーストをかけて思い切り握り締めてやろうか! そう思った時。あ、と徹君が傍らの街路樹を見上げた。
「この辺の木、咲が揺らしたことがあったね」
私も目を遣る。
「……そうだっけ」
全然覚えが無い。だけど、うん、と徹君は自信満々に頷いた。
「確か初めて二人で、それこそ学園祭に行った時だったと思う。俺、訊いたもん。田嶋さん、何で木を揺らしたのって。映画へ一緒に行きたかったって言っていたよ。よくわからん返答だと思ったのだけど」
ふっと彼が表情を緩める。
「ありがとう、俺と一緒に遊びたいって思ってくれて」
顔が熱くなるのを感じる。そうだ、思い出した。……そして、その台詞は反則です。
「……徹君が、初めてできた友達で、当然学園祭へ一緒に行くのも初めてだったから、その、一日一緒に遊びたいなって望んだわけで。ごめんね、我儘だったよね。君にも予定があるのに私の都合を押し付けちゃって」
「今更謝るなんて、咲は真面目だなぁ」
繋いだ手に力を籠められる。懐かしいね、と彼は呟いた。私も小さく頷いた。
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