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十一月二十二日、水曜日。②(視点:咲)
ゆっくりと、噛み締めるように歩みを進める。大学と駅を結ぶ道。此処を何度通ったか。
田中君と出会うまで、いつも一人で歩いていた。誰かが差し伸てくれた手も、やんわりと断り一人を貫いた。
私は超能力者。人を容易く殺せる怪物。だから一人でいなければいけない。
「お前は一生独りぼっちだ」
実の親に掛けられた言葉。とても嫌だったけれど、確かに人を殺せる力を持つ私は人と関わるべきではない、と何処かで納得と諦めを抱いていた。俯いた私はのろのろと足を運んだ。
「お疲れ。田嶋さん、今帰り?」
ふっと顔を上げると田中君が微笑んでいた。同じゼミ生の男の子。そのくらいの認識しかなかった。彼はしょっちゅう声を掛けて来た。私はずっとそうしてきたように、やんわりと避けようとした。だけど彼は一人で勝手に話を続けた。困惑しながら、話し掛けないでくれ、とも言えず、ただ耳を傾け時折頷いた。その内、二人でお昼を食べたり、図書館で課題を片付けたりした。最初は、一度も私から誘わなかった。だけど、そう。お昼ご飯に誘ったんだ。一緒に始めて居酒屋へ行った時、私が泥酔して彼に随分迷惑をかけた。翌々日、お詫びにハンカチを渡そうと思ってお昼を食べませんかとメールを送った。当時はメッセージアプリじゃなくてメールだったな。送るまでに随分逡巡したっけ。当然のように田中君はオッケーをしてくれた。
「ありがとう。大事に使うね」
そう、言ってくれたっけ。だけど使っているところを見なくて、残念に思っていた。ある日、友達になった後の橋本君がこっそりと写真を見せてくれた。田中が部屋に飾っているハンカチって咲ちゃんがあげたもの? その質問に、顔が真っ赤になるのを感じながら黙って何度も頷いた。使わないのは飾っているから、なんてどれだけこっちを照れさせるのか。そんな風にドキドキした。
そうだ。橋本君と綿貫君を紹介されたのは学園祭だったな。わーっと話し掛けられて、目を白黒させて大混乱して帰ってしまった。今でも私の態度はひどかったと思う。
後日、田中君と橋本君、綿貫君が同居していたお家へ呼ばれて改めて自己紹介をした。その場には佳奈ちゃんもいて、よろしく、と手を差し出された。
「俺達男三人の中に、女子の田嶋さんが一人っていうのはよろしくないからね」
田中君は微笑みながらそう言ってくれた。気遣いの優しさが沁みて、やっぱり私はこの人を好きなんだ、と想いを深めた。
あぁ、恭子さんを見付けたのも学園祭だったな。訪れたメイド喫茶で働いていた恭子さんに目を奪われた。百点満点中、一億点のメイドさんだと全身に電流が走った。超能力が暴発して、震度二の直下型地震を起こしてしまった。それはともかく、勇気を振り絞って恭子さんとチェキでツーショットを撮らせて貰った。そして連絡先を伺った。あの時も私の隣には田中君がいてくれた。もし一人だったらとてもじゃないけど言い出せなかった。大丈夫、と優しく背中を押してくれた。印刷した写真、今でも恭子さんを撮影したアルバムの一枚目に貼って大事にしている。
「しっかし君ら二人、揃って棒立ちでカメラに収まるんだもんよ。ハートマークを作れとは言わんが、せめてピースくらい見せろっての」
実は厨房から私達の様子を伺っていた葵さんに、後日からかわれた。緊張してしまいまして、と俯くと、可愛いねぇ、と頭を撫でられた。あれは恭子さんの撮影会をした日の夕方だったかな。
いつも一人で下を向いて歩いていた。見えるのは自分の足元だけ。明るい世界は向こうにあって、ずっと憧れを抱いていて、だけど顔を上げられなかった。
「お疲れ。田嶋さん、一緒に帰ろうよ」
声を掛けられその主を見る。こっちに手を伸ばした田中君は、いつも穏やかな笑顔を浮かべていた。
「私は超能力者なの。君の手を取る資格は無いよ」
「そんなわけない。だって田嶋さん、いい人だもの」
恐る恐る手を伸ばす。彼が優しく重ねてくれる。
「今日のお昼、何にする?」
「お蕎麦を食べたいけど、白いシャツを着てきちゃった……」
「じゃあ、いっそカレー蕎麦にしたら? 滅茶苦茶気を付けるから服に飛ばさないでしょ」
「そんなことを言って、染みになったらどうするのさ」
「頑張って洗うのだ!」
「田中君が洗ってよ!」
「嫌だよ、責任重大だから」
「むしろ無責任だなぁ」
そんな他愛もない会話をいくつも交わした。
「俺にとっても田嶋さんは特別な友達だよ。誰かのために、夜中にチャリンコを十キロ漕いだ経験はないもん」
「そっか。嬉しいよ」
メンタルがぐちゃぐちゃになってテレパシーが暴走していた私に、わざわざ会いに来てくれた上で特別だって言ってくれた。私にとっても、田中君は特別な友達で、その上特別な恋の相手になった。
「咲って呼んでもいい?」
沖縄旅行の二日目の夜、初めて名前で呼んでくれた。たまらなく嬉しくて、でもはしゃぐと好きだってバレてしまうから一生懸命我慢して、いいよ、と返事をした。ずっと呼び続けてくれている。とても幸せだな。
「俺、咲が、好き」
真剣な顔で、初めて想いを伝えてくれた。彼も私を好きだなんて、そんな都合のいい話があるわけないと思っていた。それどころか、友達ができただけでも奇跡なのに好きな人から好かれていたなんて、どれほど私は恵まれているのでしょう。
「私も、田中君が、好き」
二年も仕舞い込んだ気持ち。葵さんとだけ共有していた恋心。あぁ、沖縄旅行では綿貫君にも教えたっけ。ともかく、肝心の本人に伝えられなかった想いを二年越しにようやく渡すことが出来た。
恋人になって二年間。喧嘩もした。ひどい時には葵さんに仲裁をしてもらった。相談のために葵さんのお家を伺った際、たまたま居合わせた恭子さんに、また田中君がバカをやったの? と呆れられたっけ。飲み会の時、こいついっつも咲ちゃんにデレデレなんだよ! と綿貫君が彼の肩を掴んで揺さ振っていた。そうそう、と橋本君は深く頷き、ラブラブだね、と佳奈ちゃんは唇を三日月形にした。
皆が周りにいてくれる。明るい笑顔が私を照らしてくれる。気が付けば私はしっかり顔を上げ、憧れた世界を楽しんでいた。
そんな私の隣には、ずっと手を繋いでくれた彼が立っている。
徹君が足を止めた。此処は、そうか。成程ね。彼の意図を察し、自然と表情が和らぐ。此処をプロポーズの場に選ぶなんて。
「私達には最高のスタート地点だね」
「でしょ? 此処で指輪を渡したいって言った理由、咲には伝わるよね」
「そりゃあそうだ。逆に私以外の誰を連れて来てもちんぷんかんぷんに違いない」
「俺達二人の、特別な場所だよ」
なんの変哲もない交差点。だけど私と徹君には始まりの場所でもある。トラックに轢かれかけた徹君を助けるため、咄嗟にサイコキネシスで彼を高空に打ち上げた。急いで地面に戻したけれど、上手く誤魔化せなくて私が超能力者だとあっさりバレてしまった。軽蔑されると思った。或いは恐怖を抱かれると覚悟した。
繋いだ手を徹君が離す。私の耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「田嶋さんって、超能力者?」
対する私は周囲の生体エネルギーを確認する。そして誰にも見えないよう腕で隠して、小指のピンキーリングを外しサイコキネシスで宙に浮かせた。葵さんがくれたイルカさんのピンキーリング。ありがたいね。幸せだね。
「認めるよ。私は超能力者」
囁き返す。お互い、視線を交わし、同時に吹き出した。
「徹君、よく覚えているね」
「あんな衝撃的なやり取り、忘れようが無い。そして、今日はもっと忘れられない日になる」
私はピンキーリングを左手の小指に嵌め直した。彼が鞄から小箱を取り出す。
「中身、入っている?」
茶化すと、多分大丈夫、と頼りない返答を寄越した。頼みますよ、旦那様。もっとしっかりしてくれないと私はとっても困るのです。
「咲」
真っ直ぐに見詰められた。背筋を伸ばす。
「はい」
箱の蓋が開いた。そこには街灯を反射して、眩しく煌めく指輪があった。
「俺と、田中徹と、結婚して下さい」
その言葉を聞いた途端、涙が両の目から溢れた。あれ、おかしいな。そんな気配、今の今まで無かったのに。だけどちっとも止まらない。ごめん、と慌ててハンカチで押さえる。その内嗚咽が止まらなくなってしまった。ええと、と声が聞こえる。その間も私の泣きようはひどくなるばかり。あれれ、困ったな。自分でも止められない。
「あの、落とすとまずいから一旦仕舞うね」
そうして箱の閉まる音が聞こえた。そっと田中君が抱き締めてくれる。
「大丈夫?」
何度も頷く。嬉しくて、と必死で声を絞り出す。
「君と、結婚出来るのが。君に、好きだと言って貰えるのが。君に愛されているのが。どうしようもなく、嬉しくて。皆に会えたのも、君のおかげだから。私が、今の私になれたのは、徹君のおかげだから。私も、君が、大好き……!」
ちっとも纏まらないけれど、一生懸命言葉を紡ぐ。私も彼の背中に手を回した。ありがとう、と呟くのが聞こえる。
やがて、少し落ち着きを取り戻した私は彼の胸から顔を上げた。見上げれば、いつもの穏やかな微笑みがすぐそこにある。徹君、と鼻声ながら私は呼び掛けた。
「はい」
「私と、田嶋咲と、結婚して下さい」
精一杯の笑顔でそう伝える。
「はい、結婚しましょう」
交差点のすぐ傍で私達はもう一度、今度は強く抱き締め合った。
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