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離れているけど全員集合。(視点:葵)
とは言え、一度気まずくなった空気はなかなか戻しづらいものだ。恭子は頬杖をついて綿貫君と反対側に顔を向けた。咲ちゃんは深々と溜息を吐く。綿貫君は腕を組み、目を瞑った。これじゃあしおり作りに差し障るな。やれやれ、それならご本人様に責任を取って貰うとするかね。スマホを取り出し電話を掛ける。はい、とすぐに応じてくれた。皆に聞こえるようにスピーカー受話にする。あまり騒がしくならないよう、音量には注意をした。
「よう田中君。お疲れさん」
「葵さん。お疲れ様です」
恭子の視線がこっちへ戻る。咲ちゃんは私の横顔を見詰めた。綿貫君も目を開く。やれやれ。
「そっちはどうだ、順調か」
「ええ。橋本と高橋さんと選定中です」
「ありがとさん。休日返上で悪いね」
「遊んでいるだけですから、お気遣いなく」
「いやいや、時間を消費させていることには変わりない。感謝するよ」
「そんな、感謝だなんて」
「佳奈ちゃんと橋本君にもよろしく伝えておいてくれ」
「じゃあスピーカーにするから直接言って下さいよ。ええと、はい」
ゴソゴソする音が響いた後、聞こえますか、と橋本君の声が響いた。
「聞こえるよ。お疲れさん。悪いね、休みの日に」
「いえいえ、マジで遊んでいるだけですもの」
「葵さーん、お疲れ様でーすっ」
今度は佳奈ちゃんの元気な声が届いた。相も変わらず明るいねぇ。
「お疲れ」
「旅行、誘って下さりありがとうございましたっ。めっちゃ楽しみですっ」
少し胸の中がざわめく。楽しみ、か。お世辞じゃないとわかっている。なにせ私達の仲だもの。……ありがたいね。
「うん、楽しい旅行になるよう頑張るし、こうして君達にも協力して貰っている。丁度、こっちに四人、そっちに三人で全員揃っているな。改めて言わせて貰おう。皆、旅行への参加を決めてくれてありがとう。そして、準備のために時間を割いてくれてありがとう」
しっかりと頭を下げる。恭子は唇を噛んだ。咲ちゃんは指を絡め合わせている。綿貫君は頬を掻いた。
「葵さんは真面目ですね。一緒に楽しい旅行にしましょう」
田中君の言葉が胸に刺さった。このやろ、やっぱり私のツボをよく押さえていやがる。一緒に楽しむ、は今回の旅行における私の明確な目標だ。なにせ沖縄旅行では、同行していたもののあっちゃこっちゃ気を張り過ぎて私自身は全力で楽しめていなかったからな。一緒に楽しもう、と恭子とは約束したけど後輩達には特に話していない。そのくせこいつは、田中君だけは核心を的確に撃ち抜いてきやがった。まったく、偶々に決まっているだろうが気持ちが揺さぶられちまうじゃねぇか。困ったお兄さんだぜ。
「あぁ、よろしく頼む」
「はいっ」
「ういーっす」
「よろしくお願いしまーすっ」
電話の向こうの三人が、思い思いに返事を寄越した。さぁて、いい話はこの辺で切り上げるとするか。思いがけず真面目な話になったが、電話を掛けた目的は別にある。ところで、と私は本題へと舵を切った。
「田中君。君の浅知恵のせいで、恭子と咲ちゃん対綿貫君という対立構造が生まれたのだが」
「え?」
間の抜けた反応をしやがって。
「平たく言うなら喧嘩中だ」
「いや別に、喧嘩はしてないですよ」
「そうよ、葵は大袈裟ね」
「揉めはしましたが喧嘩では……」
綿貫、恭子、咲が一斉に手を振る。うーん、ちょっとイラっと来るね。
「ほぉ? あれだけ空気を悪くしておいて、喧嘩のつもりじゃありません、と? 私がどれだけ居た堪れなかったかわかっているのか?」
別にそんな風には感じていなかったが、反省を促すためにずばっと言い切る。
「それは……」
「えっと……」
「……」
「喧嘩するほど仲が良いとは言うがね、私は気まずい思いはしたくない。穏やかに旅行の話をしたい。やるなら私のいないところでやってくれ。なあ、頼むよ。お三方」
三人が揃って俯く。あのぉ、と電話口から戦犯の声が響いた。
「一体、どういう状況なんです? そっちはしおり作りの打ち合わせでしょ。表紙を作るために生成AIを試していたのはわかっています。やたらと不気味なイラストが送られて来ましたから」
「おぉ、そうだ。生成AIで咲ちゃんがスケベな絵をたくさん作ると思うんだ。もし、君が私や恭子、佳奈ちゃんのピンクなイラストを見てしまったとしても口を噤んでくれたまえ」
「……四人で何をやっているのですか?」
「しおり作り」
「……そうですか。それで? 俺の浅知恵で喧嘩? 綿貫が喧嘩をするなんて考えられませんが」
優しい子だからねぇ、綿貫君は。そうだね、と佳奈ちゃんの相槌が聞こえる。
「こないだ俺と田中と綿貫が揉めた時も、真っ先に俺ん家に来て仲直りをしてくれたし」
橋本君も同意をした。ちらりと綿貫君本人を見遣ると、無表情を装うとしているのがよくわかった。だって唇が少しだけ笑顔を描き、震えているもの。ありがとうなーって笑い出したいけど、ちょっとした喧嘩の直後だから我慢をしているのだろう。なんてわかりやすい奴だ。おもしれー。
「綿貫君はなぁ、田中君。君を庇ったのだぜ」
「庇う?」
やれやれ。
「さて、ここで旅行についてのアンケート結果に関する話を一つしよう。あるお方が道の駅を訪れたいと希望した。しかし初日に訪問が確定したシーパークとは違い、道の駅は候補地の一つに留まった。希望者は考えた。道の駅にはどうしても行きたい。何とか押し通せる理由は無いか。そこで思い付いたのが、道の駅で昼飯を食う、という提案だ。休日のシーパークはきっと混む、昼飯を食うのにも一苦労するに違いない。だったら途中にある道の駅で昼を済ませてから行ったらどうか。そう言い出せば希望が通るぞ。あぁ、でも自分から葵に提案をするのはあからさま過ぎる。よし、恋人にさりげなくその話をしておけば、どこかのタイミングで葵に伝えてくれるだろう。そんな浅ましい考えを持ったのは」
「……俺です」
「うーわ、せっこ」
「田中はもう二度と、絶対に俺を責めるな。お前の方がよっぽどひどい」
佳奈ちゃんと橋本君の感想が受話器から聞こえる。ざまぁ。ちなみにその二人は君が私にした仕打ちの詳細を知っているからな。君への当たりは強いのだよ田中君。※なにせ私が直接、事細かに顛末を語ったのだ。いやぁ、話しながら気持ちが整理されるかと思ったけど手が震える程辛かったなぁ。はっはっは、笑えねぇよボケ。(※エピソード109「生傷に荒塩。」エピソード110「どうも、二番目の女です。」参照)
「そういうセコイことをした君だが、私と恭子はアンケート結果を見ているからね。ただ君が行きたいだけじゃんってすぐに気付いた」
「そりゃそうだ」
「直接提案すれば良かったのに」
私の発言が橋本君と佳奈ちゃんに後押しをされて破壊力が増す。愉快愉快。
「だから恭子はイラついた。大義名分があれば我儘を通そうって横暴な考えだって。あと、行きたいのなら正直にそう言って欲しい、それも言い出せない程浅い関係じゃないはずだ。そんな風に残念がりつつ怒っていたよ」
「……そう、ですね。すみませんでした」
ふん、と恭子が鼻を鳴らす。こっちの三人は静かだねぇ。
「咲ちゃんも怒っていたぞ。こちらも、素直に白状すればいいのに、とぷんぷんしていた。帰ったらしばき倒さなければ、とか言っていたなぁ。まあ遠回しに利用されたようなものだからな、怒るのも当然だ」
「……ごめん、咲」
「後で話があります」
「……はい」
ここの二人は結婚前から完全に力関係が決まったな。
「そんな恭子と咲ちゃんに対して、綿貫君は君を庇ったんだ。他の人を自分の希望に付き合わせるのは気が引ける、故に正当な理由を設けた、と。そして、だったら正直に吐けと言う恭子に、そういう性格でない人もいる、と頑張って抵抗をしていたよ。結果、二対一になり劣勢となって最悪の空気に落ち着いた。恭子と咲ちゃんが田中君にイラつく気持ちもわかる。綿貫君が田中君を庇うのも偉い。そして田中君よ。どうしてくれんだこの状況。君がいないのに君が原因で勃発した喧嘩だぞ。何とか収集をつけてくれ」
「……ちなみに一点だけ確認ですが。葵さんはどう思っています? 俺の再びのやらかし」
「どうも思わん。田中がまたバカやってんな、としか」
本心をそのまま吐き出す。マジでどうでもいいもんね。
「……そうですか」
「誰の肩も持つ気は無い。だって三人にとっては引っ掛かる話であっても、私にとっては大した出来事じゃないからな。昼を食うのに道の駅へ寄り、その後シーパークでのんびり遊ぶ。それでいいと思っている。だけどこっちの三人には大事な、譲れない部分だったんだよ。だから、空気が最悪だなって思いながら黙って見ていた。しかしこのままでは、しおり作りの打ち合わせが進まない。生成AIで遊んだだけで解散になりかねん。故に元凶たる君へ電話を掛けた。何とかしろ。君のせいで揉めたんだ」
「ええと……」
そのまま田中君が沈黙した。何とかしなよ、と佳奈ちゃんの声が響く。やーい戦犯、と言った直後、いってぇ、と橋本君は悲鳴を上げた。ややあって、あの、と田中君が受話器に戻って来る。
「恭子さん、咲。悪いのは俺であって綿貫ではありません。そして綿貫だったら多分、俺みたいにセコイ真似はしません、道の駅へ行きたいから昼飯をそこで食べませんかって正直に提案します。俺の親友だから庇ってくれただけです。綿貫を責めるのはやめてやって下さい。そんで綿貫、庇ってくれてありがとうな。俺のせいで恭子さんと咲と喧嘩になってごめん。セコイ考え方の奴を庇うのか、って怒られたのだとしたら、本当にすまん。お前に落ち度は無い」
恭子と咲ちゃんを見る。二人揃ってもじもじしていたが、わかったわよ、と恭子が口を開いた。
「田中君、希望があるなら回り道をせずはっきりと言って。変な遠回りをするのはやめて。私、そういうの、好きじゃないの」
「わかりました。今回は失礼しました」
「そんで、綿貫君。ごめんね、君を責める様な発言をして。言い過ぎた。悪かった」
「いえ、俺も最後にふてくされてしまいました。失礼しました」
ふむ、言葉は交わせたがまだ空気は固いな。
「恭子、綿貫君、握手をしろ。それで仲直り、ね」
わかった、とすぐに恭子は手を差し出した。案の定逡巡する綿貫君に、一つ頷く。
「……わかりました」
そうしてようやく手を取った。
「これからもよろしくね」
「こちらこそ、よろしくお願いしますっ」
よしよし。あの、と今度は咲ちゃんが立ち上がる。
「私もごめんね綿貫君。徹君がやらかしたのに、庇った君まで責めちゃって」
恭子の手を離した綿貫君が、いいよ、と今度は自ら手を差し伸べる。
「ありがとう。私も、これからもよろしく、です」
「うん、仲良く過ごそうね」
穏やかに微笑み合った。和む光景だねぇ。
「大丈夫そうですか?」
受話器から田中君が問い掛ける。あぁ、と私はスピーカー受話をやめてスマホを耳に当てた。立ち上がり、三人に軽く手を振ってテーブルを離れる。恭子が目を丸くするので、外を指差し片手で拝んだ。
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