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なんなのよこいつっ。(視点:田中)
「橋本君の方はどうなんだ? 高校の頃から佳奈ちゃんと付き合っているんだろ。それこそそろそろ結婚の話も出そうなもんだが」
葵さんが今度は橋本に水を向ける。そうだよな。もう七年になるのか。大学卒業と同時に同棲を始めていたし、いつ結婚してもおかしくない。
「別れました」
橋本の答えに葵さんと恭子さん、それに俺は顔を見合わせた。今、こいつは。
「ごめん、橋本。聞き間違いじゃなければ、別れたって言った?」
「うん」
端的に頷く。マジか、と葵さんが背もたれに体を預けた。あらぁ、と恭子さんは髪をかき上げる。
「お前、そんな話、一回もしなかったじゃねぇか。いつ別れたんだよ」
「半年前」
半年だと。その間、こいつはずっとだんまりを決め込んでいたのだ。中学の頃から十年以上つるんで、大学在学中の四年間は同居していた俺と綿貫に、教えなかったのだ。
「言えよ。俺達、親友じゃないのか」
どうしようもない怒りが滲む。どうしてそんな大事な時に、頼ってくれなかったのか。
「いや別に、田中達を巻き込む必要も無いかと思ったから」
「何だよ。お前だけの話じゃないんだよ。俺、結婚式に高橋さんも呼ぶって言っちゃったじゃん。お前、どんな気持ちで聞いていたんだよっ」
「来たら多少は気まずいし、佳奈も断るかなーって。でもそれは田中と咲ちゃんにも悪いなーって」
「お前、お前……」
淡々と答える橋本に頭を抱える。
「橋本君は秘密主義者なのかい?」
黙り込んだ俺に代わり、葵さんが問い掛けた。
「いえ」
「そうか。なら田中君、相当ショックだと思うぜ。君らが別れたのもさる事ながら、それを打ち明けてくれなかったのがな」
そう言われた橋本は首を傾げた。
「旅行のメンツにはその内話すつもりでした。でも、佳奈は言いふらされるのも嫌かなって思いまして」
「私らはまあ後回しでも構わんがね。田中君と綿貫君には話すのが友情ってもんじゃないのか」
「葵さん、ありがとうございます。そうだぞ橋本。俺はとても傷付いた。彼女ができたり別れたりしたら教えろよ。俺達、そういう仲じゃないのかよっ」
しかし橋本は反対側へ首を傾げる。
「うーん、まあどうしても耐えられないほど悲しかったり、逆にそれこそ結婚とかの話になったら田中と綿貫には最初に言うけどさ。今回はちょっとタイミングを逃しちゃったと言うか」
「何がタイミングだ。俺と綿貫に、佳奈と別れた、ってメッセージを送るだけだろうが。そうしたら飲みに行って慰めたりとか、橋本のこういうところが悪いとか、話せたじゃんっ」
「俺が悪いって決め付けないでよ」
「悪いだろ。今、俺をこれだけ傷付けている。きっと高橋さんも傷付けたに違いないっ」
捲し立てる俺に、落ち着けよ、と両の手のひらを向けた。
「本当に、違うって」
「じゃあ何で別れたんだよ。吐け。今、此処で」
橋本は、葵さんと恭子さんをチラリと見た。
「席は外さねぇぞ」
「私達も佳奈ちゃんの友達だからね。どんなひどい仕打ちをしたのか聞かせて貰おうじゃない」
「何で皆、俺が悪い前提で話すの?」
「自分の行動を振り返ってみろバカ」
葵さんの容赦ない評価に、そうだそうだ、と乗っかる。
「バカって、そんな……」
「で、結局どうしてお別れしたんだ?」
眼光鋭く葵さんが睨み付ける。橋本は溜息を吐いた。そうしたいのは俺の方だっての。
「同棲を初めて丸一年経った時、佳奈に言われたんです。このままの関係でずるずるいきそうで怖いって。だから、今すぐ決めろとは言わないけど、いつ頃結婚するか、ぼんやりでもいいからそろそろ話したい。どうかなって訊かれたので、別にそんなに急がなくてもいいんじゃないかって答えました。まだ社会人になって一年しか経っていない。金だってそんなに溜まっていないし、仕事も二年目に入れば勝手がわかるからもう少し本腰を入れて頑張りたい。まだ二十四になる年なんだしもう少しこのままでいいんじゃないのって。そうしたら、やっぱり今決めてって詰め寄られました。いつ結婚するか。来年か二年後か。三年後か。五年後、十年後、いつ頃にするのか、決めて。でも何も考えていなかったのに急に迫られて、焦って何年後、って言ったらさ。絶対、後々困ると思ったの。だから、落ち着いてゆっくり二人で決めようって宥めた。そうしたら、一旦離れようかって突然意見を翻された。一緒にいるから気持ちに駄目な余裕が生まれている。交際は続けるけどお互い一人で暮らしてみよう。そんな風に提案をされた。佳奈が離れたいなら別にいいよって同意したんだよ。次の瞬間、ビンタをされて、もう知らない、別れる、って宣言された。その週末には荷物を纏めて出て行っちゃった。しょうがないからアパートを解約して、今の家に引っ越した」
空いた口が塞がらない。こいつ、此処までどうしようもなかったのか。葵さんを見ると頭の後ろで手を組んでいた。ふうん、と唇を三日月型にしている。何を面白がっている。対する恭子さんは腕を組み、目を瞑り眉を顰めていた。対照的な反応だ。しかし二人とも発言はしない。だから俺が口を開いた。
「あのさあ橋本。高橋さんが可哀想だよ。もっとお前が二人の将来について考えないと駄目だろう」
「だけどいきなり言われたってわかんないよ。適当に答えるのはもっと悪いし」
「それにしたってもっとマシな言い方があるって。将来どうする? って訊かれて、考えていないからわかりません、慌てて答えたら後で困るから何も言いません。そんな風にお前は高橋さんを突き放したんだ」
俺の言葉にも橋本は表情を変えない。
「突き放してはいない。田中のまとめ方に悪意がある」
「ねぇよ。お前にそんなつもりは無くても受け取る側はそう感じるね。しかもお互い一旦離れようって提案されて、高橋さんがそうしたいなら別にいいよってさ。何で彼女に全部責任を押し付けるの?」
「だって佳奈が言い始めたんだぜ」
「それに対するお前の意見が欲しかったの、高橋さんは。離れちゃうのは寂しいとか、確かに一度一人暮らしをしたらお互いのありがたみがわかるかもねとか、思うことはあっただろ?」
「まあ、毎日会えないのは寂しいなって思ったよ。でも佳奈がそうしたいならしょうがないじゃん」
「その内心を言えってんだよっ。高橋さんから見たお前は、何も考えず、何も決めず、同棲解消って一大事すら佳奈がそうしたいならいいよって思考を放棄した男だ。ビンタ一発で済んだだけマシだと思えっ」
酔いも手伝ってかなりキツく言い含める。そんなに怒られたって、と橋本は首を振った。
「もう半年も前の話だぞ」
「だったら何だよ」
「大体、俺、今別のいい感じの人がいるし」
「なっ……」
とうとう絶句する。こいつ、七年付き合って結婚するかも知れないところまでいった彼女と別れて半年後にもう次の女性に乗り換えようとしているのか。
「おーおー、プレイボーイだねぇ。そういや橋本君って元々モテるんだっけ」
葵さんが面白そうにはやし立てた。そして枝豆を一つ口に運ぶ。
「何を感心しているのよ。佳奈ちゃんが可哀想でしょ」
恭子さんのもっともな指摘に、そうですよ、と同意する。
「でも別れを選んだのは佳奈ちゃんだ。それとも彼女は橋本君に追い掛けて欲しかったのか?」
「絶対、そうでしょ」
「そんな高度な駆け引きが通用すると思うのかよ。そこのボンクラ男に」
葵さんが枝豆の殻で橋本を指した。ボンクラって、と指された当人は苦笑いを浮かべる。
「要は佳奈ちゃんも見通しが甘かったのさ。そして別れて後悔しているのなら、自分から連絡を入れればいい。気まずくて出来ないのなら、その程度の気持ちだったってことさ」
「そんな言い方はひどいわよ。葵らしくもない」
「嫌いだからな。察して頂戴。追い掛けて頂戴。そうやって一人めそめそして、相手が来てくれないって怒り出して、そのくせ自分から歩み寄ろうとはしない。そういう人間が、私は嫌いだ。てめぇの足を動かさないのに何でこっちが手を差し伸べなきゃならないんだ? 勿論、そういう奴に優しくしようって人がいたら私は別に止めないよ。私はそうしないってだけ。だから恭子や田中君が佳奈ちゃんをフォローしても、怒ったり止めたりはしない。自分の思った通りに行動すればいい。選択するのも、その結果に責任を持つのも、自分だからな」
全員、口を噤む。だけどな、と再び枝豆の殻を橋本に向けた。
「橋本君。君が思考を放棄しすぎたのも間違いない。一緒にいるなら考えてやれ。好きな相手とどうなりたいかを、さ」
橋本は少し黙っていたけど、はい、と小さく頷いた。何となくいい感じに話がまとまった雰囲気になる。しかし。
「お前、次のいい感じの人がもういるんだよな」
「うん」
「やっぱり納得出来ねぇよ。早いって、別れて半年で次の相手を見付けるなんて」
危うく流されるところだった。俺の指摘に、そうよ、と恭子さんが乗っかってきた。
「結婚を迫るところまでいったのに、別れたらはい次、なんて薄情じゃないの」
「そうだ。しかも一緒に旅行へ行った俺達にも別れたって話をしないで、そのくせちゃっかり次へいくなんてお前、薄情じゃ済まない。サイコパスだっ」
「失礼な」
「その穏やかな返事も不気味なんだよっ」
「取り敢えず謝れっ。佳奈ちゃんと別れたんだって心配した、私と、田中君と、ええと」
「私は別に心配してない」
「しなさいよっ。あんたも薄情ねっ」
恭子さんが葵さんにツッコミを入れる。
「当人同士が選んだ上で、田中君達に報告もしなかったんだ。響いてないんだろ、橋本君の中で佳奈ちゃんと別れたってことの重さが。だったら心配なんてしない。する必要も無い」
「よくわかんないけどわかったわっ」
それでいいのか。だけど流石に今の葵さんの言葉は俺の中で引っかかった。橋本、と恭子さんを制して声を掛ける。
「お前の中で、本当に響いていないのか。佳奈ちゃんと別れて、何も思っていないのか」
「思ってはいるよ。寂しいな。嫌だな。そう感じてはいる。だけど俺達は別れたんだ。どうしようもないし、悲しんだって佳奈が帰ってくるわけじゃない。お前らに愚痴を言ったって、よりを戻せるわけじゃない。それなら次に進まなきゃ。そういう道を選ばせてくれたのも佳奈なんだって、俺は捉えるようにした」
橋本の返事に恭子さんと顔を見合わせる。ふっ、と葵さんが吐息を漏らした。あの、と俺は先輩二人に向かって切り出す。
「橋本、今もまた高橋さんのせいにしましたよね」
俺の指摘に、そうよね、と恭子さんが橋本を指差す。
「今、道を選ばせてくれたのは佳奈ちゃんだって言ったわよね。違うでしょ。あんたも別れるって受け入れたんでしょ。それをいかにも佳奈ちゃんだけのせいみたいな言い方をして。あんた、本当に別れたくないなら引き止めなさいよっ」
「でも佳奈が別れるって決めたのなら邪魔しちゃいけないですよ」
「だから何でわからないのよっ。佳奈ちゃんは追い掛けて欲しかったのっ」
「そんなことは言わないで出て行っちゃったんですもの」
「週末に出て行くまで猶予があったのに、何をぼけっと見送っているのよっ。その間にいつまでに結婚しよう、とか具体的な計画を練って提示するべきでしょうがっ」
「もう別れるって言われた後ですよ? 結婚なんてとてもじゃないけど言い出せない」
「ああもう、なんなのよこいつっ」
今度は恭子さんが頭を抱えた。気持ちはよくわかる。そして橋本の考えていることは全然わからん。
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