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「そんな日もあらぁな。」(視点:恭子)
駅前の居酒屋を目指し、のんびりと足を進める。咲ちゃんと綿貫君は熱心に話し込んでいた。と言うか、熱量が高いのは咲ちゃんだけで、若干押され気味に綿貫君が受け答えをしているように見える。私の隣ではポケットに手を突っ込んだ葵がふらふらと歩いていた。風に吹かれる枝木みたい、とぼんやり思う。
「仲良いねぇ」
後輩二人を眺め、間延びした声を零した。そうねぇ、と私も気の抜けた返事をする。どうもあの二人を眺めていると、空気が緩むのよねぇ。和むわぁ。
「それにしても、意外と楽しかったな。しおり作り」
その台詞に、ちらりと視線を送る。葵は薄い笑みを浮かべていた。少し意外だ。
「咲ちゃんが言い出した時は全然乗り気じゃなかったくせに」
「だってマジで欠片も興味が湧かなかったんだもんよ。小中学校と作らされた覚えはあるが、一度たりとも楽しいと思ったことは無い」
「でも今日は楽しかった、と」
うん、と小さく頷く。
「結局さ、物事と自分の相性も大事だけど、誰とやるかが肝心なのかもな。そりゃあ君らとサッカーだのバスケだのをやっても私はこけて怪我して足を引っ張るだけだから、楽しめはしないだろう。だけど物や事によっては捉え方が変わるのかも知れん。今日のしおり作りの様に」
葵の言葉に、いやいや、と首を振る。
「ん、異論か? それとも反論?」
「逆。むしろあんたの苦手な運動もさ、私達とやったら笑えるかもよ。出来るか! って自分でツッコミを入れそう」
そう返すと、ひでぇ楽しみ方だ、と肩を竦めた。
「それにな、私の運動音痴ぶりはきっとお前の想定以上だぞ。大学では体育が無かったから知るまいて」
「まあね。でもマリンスポーツはいけるのに」
「言っただろ、溺れて死なないようにって水泳だけは習わされていた」
そういやそうだったわね。
「あー、急に思い出した」
「どうせろくでもない記憶だろ」
深く頷く。葵は溜め息を吐いた。
「聞きたくないが言ってみろ」
「じゃあ遠慮無く。葵ってさ、海が好きでしょ」
「あぁ」
「ジェットスキーにバナナボートを引っ張られる遊びは大好きだし、水族館も愛してやまないし、好物は刺身だし」
「……刺身はちょっと違うだろ」
そうかしら? 海の物には違いない。まあいいわ、そこは重要じゃないもの。
「とにかく、海、好きよね」
「あぁ」
「だけど沖縄旅行の初日、海辺へ遊びに行った時。一人だけ入らなかったでしょ、海」
「……」
「皆、足だけでも波間に浸かっていたのに、あんただけ入らなかった」
「……」
「荷物を見張るとかいう大義名分の元、わざわざ田中君に海が苦手だ、なんて伝えた上であんたは皆と距離を置いていた」
「……」
「何故なら田中君と咲ちゃんに加え、当時は勝手に私と綿貫君をカップルにしようと企んでいたから」
「……そうだな」
「今度の旅行は、大丈夫よね?」
「ん?」
「葵、皆と一緒に楽しむのよね?」
じっと見詰める。ややあって、うん、と小さく頷いた。
「好きなことを、苦手だなんて言わないわよね?」
「……うん」
「自分がいてもいなくても変わらない、なんて口が裂けても言い出さないわよね?」
「……あぁ」
「約束、してよね。葵も一緒に楽しむって。あんただけが割を食ったりしないって。皆に混じってバカやって、何やってんだって笑ったり笑われたりして。後ろじゃなくてちゃんと隣にいてくれるわよね?」
淡々と言葉を紡ぐ。葵は一瞬目を逸らした。だけどすぐに視線を戻し、私を見詰めた。
「約束する。私も一緒に楽しむよ。むしろそれを目標にしているんだ。恭子ならわかるだろ、散々一緒にって言ったんだから」
「わかっている。あんたも変わったし、もう自分を蔑ろにしたりはしないって。でもたまに、過るのよ。昔の葵が」
傍らの親友は、ふっと微笑みを浮かべた。心配すんな、と目を細める。
「お前が思っている以上に私の決意は固いのだぜ。だからお前がそんなに切羽詰まるな。むしろ今日、様子がおかしいのはお前の方だぞ、恭子。過去の私を思い返して不安になったり、綿貫君に突っかかったり、一体どうした。お前の情緒は割と忙しいが、不安定ではなかったはずだ」
指摘されて言葉に詰まる。確かに今日は感情の揺れ動きが激しい。体調のせいかしら。ううん、そんなことは無い。不安定になるような出来事も無かった。
「そう、ね」
それだけしか出て来ない。何でだろう。どうして私、揺れているのかしら。原因がわからず薄墨のような不安が胸の内に漂う。私の内心を知ってか知らずか、ともかく葵は頭の後ろで手を組んだ。
「ま、そんな日もあらぁな。自分でもよくわからないけど自分が制御出来ない日がさ。悪い、指摘をするのは野暮だった。気にせず楽しく飲むとしよう」
す、と肩の力が抜ける。吐息が漏れた。まったく、あんたはどこまでも優しいのね。それに、知ってか知らずか、ですって? 私をわかっているに決まっているっ!
細身に向かい、えい、と後ろから抱き着く。わはは、と葵は笑い声をあげた。
「当たってるぜぇ、恭子」
「スケベ」
すぐに軽く突き飛ばす。不安定だねぇ、と鼻で笑われた。小さく舌を出して応じる。その時、今度は疑問が胸に湧いた。
「あ、ねえ。結局どうするの?」
「何が」
「水着」
途端にそっぽを向いた。あら、それこそ意外な反応ね。
「え、何そのリアクション」
「……別に」
葵が私をわかっているように、私も葵を知っている。隠し事が出来ると思わないことねっ。
「嘘。不自然極まりない。いつものあんただったら、恥ずかしいから嫌だって言ったろ、って突っぱねるか、咲ちゃんにああまでせがまれたらそりゃ考えるさ、って肩を竦めつつ受け入れるか、そんなところよ」
「……まあ、当たらずとも遠からずってとこだな」
認めている時点で墓穴を掘っているわねっ。
「だけど何で今、顔を逸らしたのよ。気まずいの? そんなに水着、嫌? それとも他にやましい気持ちでもあるわけ?」
矢継ぎ早に問い掛ける。何でもない、と押し殺したような声が返って来た。やっぱりそうだ、と確信する。葵は責められると弱い。いつもはのらりくらりと躱しつつ他人をぶっすり刺しに来るけど、いざ自分が芯を食っていじられると途端に歯切れが悪くなる。言葉の選択を間違える。露骨に態度や顔に出る。
可愛いわねぇ。そして。
「わかった。さっき、田中君と二人きりで電話した時、水着の話題になったんじゃない?」
「……ちゃう」
その返答に、びしっと人差し指を突き付けた。
「エセ関西弁で誤魔化すなっ」
「……決めポーズか?」
若干呆れの感情が言葉に含まれている気がするけど、格好良いと自分では思う。名探偵みたいでさ。一方葵は小さく首を振った。
「本当に何もねぇよ。風呂へ入るかどうするか、まだ迷っているから答えに困っただけ」
「疑わしいなぁ」
席を外して田中君と電話で話をした後、戻ってきてすぐ咲ちゃんに抱き着いていたし。
「親友を疑うんじゃねぇよ。しかし逆にお前は自信に満ちているよなぁ。水着でも仁王立ちをするだろ」
露骨に話題を変えたわね。まあいいか、それだけ触れて欲しくない話題なのかも。いいでしょう、乗ってあげるわっ。
「当たり前じゃない。私は不断の努力で体型を維持しているの。恥じるところは、まあ全く無いとは言わないけど、堂々と振舞うわよ」
「男子の視線とか、照れちゃわないのか」
二十六歳にもなって、どんだけ初心なのよ。
「見たけりゃ見ろ、としか思わない」
「……すげぇな、お前。頼むからこっちに視線を遣らんでくれ、としか私は思わん」
その言葉に、改めて後ろから葵に抱き着いてみた。うおい、とたたらを踏んでいる。
「今度はなんじゃ」
遠慮なく体をまさぐる。
「葵、ほっそ」
「血迷ったかっ」
「いいじゃないのよ」
あんたは比じゃない程のセクハラを私に働くんだから。
「くすぐってぇんだよ」
「気にしない気にしない」
「しないアホが何処に居るっ!」
「あんたがアホになればいい」
「うるせぇぞアホっ!」
私達の攻防が聞こえたらしい。前を歩く二人が振り返る。わお、と咲ちゃんは口元に手を当てた。何やってんすか、と綿貫君は首を捻る。
「確認」
「何の」
「葵のスタイル」
「何で」
「何となく」
綿貫君と身の無いやり取りを交わしていると、ええい、と葵が身を捩った。だけどびっくりする程非力だ。人間が肉体的な弱肉強食社会だったらとっくに淘汰されているに違いない。もしそんな世界だったら、私は葵を守るために襲い来る敵達と戦い続けていたかもね。きっとその私達も親友同士に違いないもの。
「離せよ恭子っ」
「うーん、肉付きは当然薄いけどスタイルはいいと思うわよ?」
「体型の問題じゃねぇんだよ。恥ずかしいものはしょうがないっての」
「もっと自信を持てばいいのに」
「わかったから、離せって」
「やだ。ほれ」
耳元に息を吹きかける。きゃっ、とやたら可愛い悲鳴を上げた。
「ちょっと、やめてっ」
体の震えがじかに伝わって来る。え、まさかあんた。
「……耳、弱いの?」
「知らないっ。やられたことないものっ」
しばし逡巡した後。
「ふぅ~っ」
もう一度吹きかけてみる
「きゃあぁっ……!!」
おっとっと、しゃがみ込んじゃった。しかも、また素に戻っているし。回転寿司の時といい今といい、割とあっさり戻るわね。まあしゃがんじゃうのはやり過ぎた気もする。渋々ながらも解放してあげると、途端に綿貫君へ駆け寄って後ろから彼の両肩に手を置いた。傍らでは咲ちゃんが目を丸くして葵を凝視している。どういう感情なのかしら。
「綿貫君、恭子が怖い。セクハラ魔人だ。盾になってくれ」
「あんたにだけはセクハラ魔人なんて評されたくないわねぇ」
私の指摘に咲ちゃんが激しく頷いた。貴女も被害に遭っていたのね。やりたい放題じゃないのよ、葵。だけどあんたの新しい弱点も判明したもんね! 今度やられたらやりかえしてやるっ!
「俺が盾っスか? え、普通に嫌なんですけど。恭子さんと戦いたくなんてない」
優しいわねぇ綿貫君。そういうところ、好き。
「大丈夫。襲ってきたら食い止めてくれればいいから」
「っていうかそもそも葵さん、俺に触らないで下さいよっ。緊張しちゃうっ」
むっ、急に面白く無いわねっ。緊張するってのは、葵も恋愛対象として見ているって意味だもの。そりゃあフリーの人だったら誰でも対象者にカウントされるのかも知れない。だけどやっぱり私だけを見て欲しい。……それは我儘で傲慢な気持ち。見苦しい嫉妬。わかっている。だけどちっとも止められない。恋愛って制御の効かない感情ばっかり覚えるな。世の中にはカップルが溢れているけど、皆、こんな思いを抱えて、乗り越えて、或いは受け入れて、一緒にいるのかな。凄いわね、尊敬しちゃう。
その時、葵が片目を瞑るのが見えた。唇が、行け、と動く。え、まさか。あんたを襲うふりを装って綿貫君へ組み付けって言うの? 逡巡すると、早く、と再度唇が動いた。私と彼だけの疑似デートでは出来ないこと。起こり得るわけのないシチュエーション。加えて今日の私は情緒が大分不安定。
「どけぇぇぇぇ綿貫ぃぃぃぃっ!!」
笑顔で叫び、飛び掛かる。
「ちょ、恭子さんっ!? やめて下さい! って葵さん! 何で俺を押さえ付けるんですか!?」
「大人しくしろ、盾」
「そんで力、強いな!」
「火事場の何とやら、だ」
「おりゃーっ!!」
全力で綿貫君の脇腹をくすぐる。何でじゃあぁぁぁぁ! と悲鳴が響き渡った。
「盾どころか俺が標的じゃん!」
「面白そうだからな」
「食らえぇぇぇぇ!!」
「理不尽ー!!」
悶える彼をひたすらくすぐる。ふと気が付くと、しれっと咲ちゃんも彼の脇に手を突っ込んでいた。傍目に見れば女三人に絡みつかれる男一人だ。
「モテモテね、綿貫君っ!」
「どーこーがーあぁぁぁぁ!!」
君がモテると嫉妬しちゃうわ! もっとくすぐってやるー!!
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