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説教と説得力。(視点:恭子)
「いいですか? お三方。よく聞いてください。年若い女性がむやみやたらと男性に触れても良いと思いますか? 考えるまでもありません。駄目に決まっているでしょう。貴女達の目にどう映っているのか知りませんが、俺も男です。男女が理由も無くぺったぺったぺったぺった接触してはいけません」
滔々とお説教をする綿貫君に向かい、はい、と葵が手を上げた。私は目の前のハイボールをちらりと見る。早く飲みたい。だけど、乾杯の前にお説教をさせなさい、お預けは罰です、と綿貫君が宣言したのだ。ひどい罰もあったものね。生殺しってのはこのことじゃないの。
「何ですか葵さん」
「理由があったら接触してもいいのか?」
「場合によります。例えばカップルは接触してもいいでしょう。たとえ大抵が口頭の約束であるとしても、そういう関係であると双方の合意を得ているわけですから」
告白をこんなに堅苦しく表現する人は初めて見たわね。
「しかし友人同士、或いは先輩後輩同士、という関係性において、基本的にそのような合意はありません。そして身体的接触によるアドレナリンの過剰分泌によって発生した興奮を、理性で抑えきれなくなった場合は俺から貴女達に対して過度な身体的接触を求める可能性が生まれます」
要はムラムラっときてお触りしちゃったって状況ね。
「この場合、合意無く接触や行為に及んだとして、その後興奮状態が収まった際、心身共に後悔するに違いありません。わかりますか? 貴女達は自分自身の身を危険に晒したのですよ」
「綿貫君はそんなことしないって信じているからくすぐったんだよ?」
咲ちゃんの言葉に、コラ、と綿貫君は腕を組んだ。
「そもそも咲ちゃんは田中と婚約をしているのに、俺をくすぐるなんて何を考えているのさ」
「ちょっとした触れ合いかな」
「そういうところから夫婦仲にヒビが入るのですっ!」
綿貫君が敬語で叱りつけた。怒られた咲ちゃんは唇を尖らせる。気持ちはわかるわよ。だって田中君は咲ちゃんがいるにも、関わらず葵に告白したのだもの。二番目に好きですって。それに比べればくすぐりくらい、可愛いものだと誰しもが思う。むしろ、別れないどころか婚約を決めた咲ちゃんはとっても偉い。よっぽど田中君が大好きなのね。あのバカ、それなのに葵になんちゅうことを言ってくれたのか。
密かに深呼吸をする。やめよう、私が怒ったって仕方ない。当人達が飲み込んだのだからそれでいいのよ。
しかしここで肝心なのは、綿貫君は田中告白事件を知らないよね。綿貫君が知ったら田中君をぶん殴りにいきそうだから誰も教えるな、と葵が箝口令を敷いたのだ。結果、今、咲ちゃんは納得がいかない注意を受けた、と。そりゃあ唇の一つも尖らせるわ。まあまあ、と今度は私が彼を宥める。
「悪かったってば。でも公道で事をおっぱじめるわけでもなし、何も起きないとわかっているからちょっかいをかけたのよ?」
「事をおっぱじめるなんて、お下品な! 葵さんならともかく恭子さんまでそんな下ネタを口にするなんて!」
「私ならいいのか?」
「お下品て」
私達のツッコミも意に介さず、もっと自分を大事になさい、と綿貫君は一転声のトーンを穏やかにした。心配そうな目線が気になる。
「いいですか、恭子さん。貴女はとても素敵な方です。見た目も中身も凄く綺麗で、とても魅力に溢れています」
「……」
死因に照れってあるのかしら。心臓、爆発しそうなんだけど。だからこそっ、と綿貫君は急に勢いづいた。
「もっとご自分を大事にしなければいけませんっ! 相手が気心の知れた俺とはいえ、ほいほい気軽にくすぐったりしてはいけないのですっ! もし、他の人へ同じように接触してご覧なさい。まず間違いなく相手は貴女を好きになりますよっ! やられた俺が言うのだから説得力しかありませんっ!」
……ん? 今、何て言った?
「まったくもう、相変わらず恭子さんはご自分を自覚されておられませんね。ナンパされるのもこういう過度に親し気な態度を取っていたからではないかと以前、御指摘しましたがまだ身に染みていないとお見受けしました。改めて今日、進言します。ご自分の魅力を自覚して、軽率な行動を取らないよう気を付ますようにっ!」
「あ、はい」
えーと、取り敢えず返事をしたけど、うん。ちょっと待って。君の発言も大分軽率だと思うのよ。
「ちなみに綿貫君。今の言い方だと君も恭子を好きになっちゃった、だから説得力がある、と。そう聞こえてしまうのだが」
葵が私の引っ掛かりをそのまま伝えてくれた。ありがとぉぉぉぉ、と心の中で絶叫する。疑似デートの時と違って痒いところに手が届くわね。だって流石に訊けないもの。今の発言は私を好きとしか思えない意味なのだけど、実際どうなのー? なんてさ。違った時、悲惨だし。好きですって言われたら。……言われたら。
え。今って。今の葵の質問って。はい、その通りの意味です。恭子さんを好きになっちゃいました。そんな答えが返って来る可能性をはらんでいるの? は? え? 何で、いつの間にそんな状況へ陥ったの? 痒い所どころかそれこそ心臓を素手で握られた感覚なんだけど。綿貫君が葵に対して返答を寄越すまでのおよそ一秒の間に、それだけの考えを繰り広げた。そして辿り着いた思考は。
待ってぇぇぇぇ!! まだ心の準備がぁぁぁぁ!! 私本人を置いて勝手に物凄い勢いで話を進めないでよ!? 葵はファインプレーなのか絶望への突き落としなのかわかんないわねぇぇぇぇ!!
わ、綿貫君っ、答えを言わないでっ! いや、言ってくれてもいいけどどうせだったら、そうです、好きになりました、がいいかなぁぁぁぁ!!
「あぁっ、確かに! ち、違いますよっ! 変な風に捉えないで下さいっ! 俺が恭子さんを好きになったから説得力があるわけではなく、俺みたいに理性的な紳士でなければ恭子さんのような素敵で魅力的な方に接触された時点で惚れてしまう奴がほとんどです、という意味ですっ!」
酒飲ませろや。とっととな。
「そうなのか? 私はてっきり君も好きになっちゃったのかと」
「いやいや、そんな重大な話をこんな軽い流れで口にしたりはしませんよ」
「むしろそう捉えられかねない発言をバシバシ繰り出す君の方が大いに問題ありだと思うぜ。綿貫君よ」
いいから飲ませろ。
「ちょっと言葉が足りなかったですね。失礼しました」
「おまけに恭子をべた褒めじゃねぇか。素敵で魅力的なお姉さん、ねぇ。私にはそんなことを言ってくれたことも無いのに」
「そりゃあ伝える機会がありませんでしたから」
「機会があったら言ってくれんの?」
「勿論。ただ、恭子さんとは疑似デートを通じてお互いを知れましたが、葵さんについてはよく知らないですよねぇ」
「知らなくて結構。なにせ恭子と咲ちゃんですら私のことは知らなかったんだ。君に教えるつもりは無いよ」
「秘密主義なんですか?」
「恥ずかしがり屋と評しておくれ」
「あぁ、成程。納得です」
「ははは、そうすぐ腑に落ちられると君にどう見られているか気になるな。さて、綿貫君。話が大分脱線した。改めて、悪かったな。君を急にくすぐったりして。そうだな、君の主張する通り、軽率だった。付き合ってもいない男女が身体的接触なんてよろしくないわな」
「そうです。御理解いただけたようで幸いです」
「次からは気を付けるよ。私に惚れるような奴が現れたら困るから」
多分、田中君がいても同じセリフを吐いたでしょうね。
(恭子さん)
おっと、急にテレパシーが繋がった。はいはい、と脳内で応じる。
(何? 咲ちゃん)
(身体的接触について、綿貫君は大袈裟に拒否するなぁといつも思っておりました)
(そうね。まあ彼の主張は真面目で正しくはあるけど、ちょっと過剰とも捉えられるわね)
(はい。ですが、今の葵さんの言葉で一つ思い出したのです)
(何を?)
(とお、失礼、田中君が)
(徹君でいいわよ)
(いえ、恥ずかしいので。田中君が一か月前、ちょっと大変だった時に私と葵さんで彼を慰めに行きました)
(あー、田中君が葵にキュンと来た切っ掛けの出来事だっけ)
(はい。その時にですね)
(うん)
(私は勧めてしまったのです。葵さんに、田中君を慰めて下さい、と)
(何で?)
(葵さんが彼を一番心配していたから。詳細は省きますが、田中君は一人で痛みを背負おうとしたのです。葵さんは昔の自分と彼を重ねて、とっても心配してくれました。何故ならどれだけ痛いかよく知っているから)
(……そうね)
(結果的に田中君は傷付かなくて済んだのですが、緊張が解けて泣いてしまいました)
(そっか)
(ですから私は言ったのです。今回、田中君を一番心配していた葵さんが慰めて下さい。なんなら今日だけはハグをしてもいいですよ、と)
(ハグ……)
(むしろハグをするのです、とまで勧めました)
(……それはやり過ぎじゃない?)
(ちなみに葵さんは私の白いワンピースを着ておられました)
(どういう状況? わからないことが多すぎるんだけど)
(要は落ち込んだ彼にサプライズを仕掛けよう、という話になりまして。瞬間移動で田中君の家に私達が侵入し、玄関を開けたところに白い服を着た葵さんが佇んだらさぞびっくりするだろう、と計画しました)
(サプライズかも知れないけどお門違いにも程がある)
(サプライズに慣れていない者同士だったので……)
(慣れていないならやめておきなさい。それで、お化けに見せ掛けたくて咲ちゃんのワンピースを葵が着ていたのね)
(はい。そしてその格好のまま、葵さんは田中君をぎゅっとして慰めました)
(その結果が)
(好きになってしまった、と)
(何やってんの? 葵も、咲ちゃんも、そしてハグでオチた田中君も! 中学生か! いや中学生だってもう少し理性的だわ!)
(まあ、はい。ただですね)
(うん?)
(こうなってくると、綿貫君の主張は正しいのではないかと思えてくるのです)
(あぁ、成程。確かに! ハグ一つで惚れたバカがいるなら)
(触られまくったら意識してオチる可能性もある、と)
(凄く嫌な惚れ方ね! 私はやだ!)
(私も嫌です。だからむしろ、綿貫君には決して接触しない方が良いのではないかと。体目当てではなく心で恭子さんを好きになって欲しい。私はそう望みます。だから、気付きをお伝えしたくて)
(テレパシーってわけね。そっか、ありがとう。今日のくすぐりは逆効果だったかしら)
(逆効果ではないでしょう。まああれはあれで楽しかったです)
(でも軽率な真似はしないよう気を付けるわね。咲ちゃんの言う様に、私は彼を心で、す、す、好きに! なって!! 欲しいからぁっ!!)
(……テレパシーで声を大きくされたのは初めての経験です。恭子さん、凄いですね。照れ屋さんです)
(そうなのよぉっ!! そこに彼の台詞でしょう!? 素敵だの魅力的だの好きになっちゃうだの! 照れ死するわっ!)
(恭子さんが死んじゃったらとても悲しいので頑張って踏ん張って下さい)
(ありがとう。健闘を祈っていて)
(勿論です。では切りますね)
そうしてテレパシーは終わった。咲ちゃんと目が合う。小さく一つ頷いてくれた。
「お二方。お喋りは終わったかい」
はっと気付くと葵は頬杖をついて私達を眺めていた。
「ところで暇だったから、綿貫君に頼んでこんな物を創ってみたのだが」
そうして画面に表示されたのは。
「まさか」
(イラスト提供:裏路地のねこ 様 https://estar.jp/users/1423694955)
(イラスト生成アプリ:AIイラスト 様)
「ドスケベ恭子姉さんでござい」
「バカじゃないの!?」
「こそこそやっている奴らに言われたくない」
「それとこれとは関係ないでしょ!」
「さ、そろそろ飲むとしようか。ちなみに七人全員で共有したからな」
「……ありがとうございます」
「咲ちゃんは喜ばないの!」
「……で、では乾杯に、う、移りましょうか」
「綿貫君は露骨に興奮しない!」
「興奮なんてしてません!!」
「じゃあ動揺!」
「とにかく飲もうぜ」
「誰のせいよ!」
こんなに食い込んだりしないし!!
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