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状況だけ見れば無防備ですよ、恭子姉さん。(視点:恭子)
さて、と葵がハイボールの注がれたジョッキを掴んだ。
「今日は珍しく、積極的に私が乾杯の発声をするとしよう。なにせ咲ちゃんの婚約祝いなのだから」
「人のスケベなイラストをばら撒いておいて、よくしれっと話題を変えられるわね」
「お前だって早く飲みたいだろ」
「それとこれとは別問題!」
そう言いつつ、私もジョッキを持ち上げる。まあまあ、とビールのグラスを持った綿貫君が私を宥めた。だけどさっ。
「作成しておいて宥めないでくれる!?」
「しょうがないじゃないですか、俺の育てたAIはスケベに特化しちゃったんですもの!」
「どういう教育をしているのよ!?」
「普通のワードしか入れてません! 勝手にスケベになったんです!」
「よく言うぜ男の子」
「あ、それは偏見ですよっ! 男が皆スケベだと決めつけるのはよろしくないっ!」
「はいはい、悪うござんした。さて、そろそろ腕が限界だ。お二方、乾杯してもいいか?」
見ると葵の手は僅かに震えていた。ごめん、と一応謝っておく。待たせたのは事実だから。まあ原因はあんたと綿貫君にあるけどね! 何よ、あの食い込みっぷりは。では、と葵が咳払いをした。
「改めて、しおりお疲れ様。そして、咲ちゃん。婚約おめでとう」
全員の視線が咲ちゃんに向く。レモンサワーを持った咲ちゃんは、ありがとうございます、と丁寧にお辞儀をした。
「田中君には苦労するに違いない」
その言葉に三人揃って深く頷く。
「だがまあ君達はお互いを大好きだし、大事に想っているからきっと夫婦円満に過ごすだろう。私は、そして我々は、咲ちゃんと田中君、二人の幸せを祈っているよ」
私はもう一度頷いた。綿貫君は袖で目元を拭う。泣いているんかい。そういや君は涙もろいのだったわね。共感しやすいのかしら。或いは優しすぎるのかも。
「じゃあ咲ちゃんから、一言頂戴しようか」
「その前に、葵さん。腕、大丈夫ですか?」
「限界だから、出来れば短く纏めておくれ」
目を凝らさなくても震えているのがよくわかる。
「締まらないわねぇ」
「うっせ」
ええと、と咲ちゃんは身動ぎをした。綿貫君の鼻を啜る音が響く。
「まず、お礼を言わせて下さい。葵さん、恭子さん、綿貫君。そして今日、此処にはいないけれど、橋本君の四人が協力してくれたおかげで、私と田中君はお互いの気持ちを知ることが出来ました。告白の舞台を整えてくれたこと、決して忘れません」
感慨深くなると同時に、あの日は露出度の高いメイド服を着させられて撮影会を開いたと思い出した。あの、バックリ胸元の空いたメイド服は、咲ちゃんと田中君の新居にも持ち込まれるのよね、とくだらない考えが頭に浮かぶ。でも咲ちゃんはメイドを撮影するのは好きだけど自分では着ない。いや、田中君がお願いしたら着るのかしら。うーん、新婚早々マニアック。って、私の妄想か。……綿貫君はメイド服ってどう思うのかしら。
そして、と咲ちゃんが言葉を続けた。はっと我に返る。むむ、今日の私は本当に不調ね。意識が散漫だわ。
「葵さんと恭子さんがそれぞれ私と田中君の恋愛相談に乗ってくれたから、私達は前に進めました。先輩方、本当に感謝しています」
「特に恭子の影響は大きかったな」
「葵も二年間、咲ちゃんを支えたんでしょ」
「お二人のどっちも大恩人ですね!」
綿貫君の評価に、いやぁ、と揃って頭を掻く。咲ちゃんが小さく吹き出した。
「おい、リアクションが被っている」
「お互い様でしょうが」
「まあまあお二方、まだ咲ちゃんの話は終わっていませんよ」
やんわりと宥められ、慌てて口を噤んだ。
「そして付き合い始めてから丸二年、本当に色々ありましたが皆さんのおかげで婚約に至れたと思っております」
色々、ね。※そもそも二人の想いが通じた瞬間から、とばっちりで葵が死に掛けるというとんでもないスタートを切ったのだ。そりゃあ色々起きてもおかしくない。(作者注:「卒業旅行」エピソード 「そんな顔をするなよ。」参照)
「私達は二人ともポンコツなので、これからも皆さんを頼りにし、助けて貰ううかと存じます。勿論、その分お返しも出来るようにしていきたいですが、とにかく今後も仲良くして頂けると幸いです。えっと、以上でご挨拶に代えさせて頂きます。ありがとうございました」
咲ちゃんは小さな頭をそっと下げた。良かったねぇ、と綿貫君がティッシュを取り出し左手だけで器用に鼻をかむ。つられたのか、私の胸にも込み上げるものを感じた。おめでとう、と伝える声が掠れてしまう。
「挨拶ありがとう。これからもよろしくな、咲ちゃん。田中君ともども、ね」
はいっ、と咲ちゃんは眩しい笑顔で葵に応えた。あ、よく見たら葵ってば、ジョッキを反対の手に持ち替えている。しれっとしているわ。それにしても細腕ねぇ。ま、何にせよおめでたいわっ!
「では諸君、咲ちゃんの婚約を祝して、乾杯っ」
「乾杯っ!」
「かんぱーいっ」
「ありがとうございます。乾杯」
四つのジョッキをぶつける。口を付けた我々は。
「薄い」
「氷が溶けちゃったっ」
「ビールの泡がゼロなんですが」
「ほぼ水ですね」
一斉に不満を口にした。だからさ、と私は綿貫君を指差す。
「乾杯して飲み始めてからお説教でも良かったじゃないのっ!」
「そこは譲れませんっ! 男女の接触について、酔う前にちゃんと説いておく必要がありましたものっ!」
「でも折角咲ちゃんの婚約祝いの乾杯だったのに、肝心のお酒がイマイチになっちゃったじゃないのよさ。どうかと思うわ」
「まあそれはそうですけど。でも気軽にお触りしないで下さい。恭子さんはちゃんと理解しましたか? ご自分の魅力と危険度に」
言葉に詰まる。とうとう、一切躊躇も照れもせずに私を魅力的と評するようになったわね。言われるこっちは毎回照れているんですけど!
「……わかった。軽率な行動はしない」
「はい、気を付けて下さい。心配になっちゃいますから」
私を心配してくれる。凄く嬉しいはずなのに、どうしてだろう。何だか綿貫君から向けられているのは、俺が守る! という感じよりも、この子大丈夫かしら……というお母さんチックな感情な気がする。ママ・綿貫? 新しい概念ね。うん、どんだけ今日の私は調子を崩しているのかしら。
「あー、でも恭子は確かに無防備だよなぁ」
葵が目を細めた。そうかしら、と首を捻る。
「むしろ大学時代は恋愛関係に至らないよう、かなり慎重に恋バナを撃ち落として来たけど」
「でも沖縄旅行では男部屋で寝てたじゃねぇか。二日酔いで動けないっつって」
……そういえばそうね。
「あぁ、ありましたね。俺と咲ちゃんと葵さんは離島へ行った日か」
「あれもさぁ、田中君が恭子に手を出すわけが無いって全員が信用しているから放置して出掛けたけど、状況だけ見ればなかなか危なっかしいよな。若い男女がホテルの部屋で二人きりだぜ。官能小説だったらその後間違いなく事に至る場面だ」
「官能小説だったらそりゃそうでしょ。目的がそういう行為の作品なんだから」
案外冷静に綿貫君がツッコミを入れた。そこは照れないんだ。しかしながら。
「人が実際に陥ったシチュエーションを官能小説に例えないでくれる? 私はそんな尻軽な女じゃないわよ」
しっかりと抗議を入れる。だけど、いやいや、と葵は手を振った。
「実際、田中君の全裸を恭子は目撃したんだろ。そこからベッドインに至った可能性もゼロじゃない」
とんでもないことを言い出した。
「バカじゃないの!? ゼロよ、ゼロ! 田中君とどうにかなる可能性なんて微塵も無いわ!」
「そりゃあ恭子と田中君だからな。だけどさ、もしお前らじゃなかったとしたら。もっと盛りのついた若者達だったのなら。そういう行為に及んでいたのかも知れない。いいか、お前がいたのは彼とエロいことが出来る状況だったんだ。置き去りにした私らに責める資格は無いかも知れんが、もうちょい気を付けた方がいいとは思う」
「……この二人なら絶対に大丈夫って確信して置き去りにしたんでしょ」
「うん」
「じゃあ二年越しに説教しないで欲しいわねっ。ひどいわよっ、今更!」
「まあ、そうだな。でも、綿貫君の言い分もわかるなーって思って」
「ほら、恭子さん。やっぱり貴女は危なっかしいのです。気を付けて下さいね」
ええい、二人揃ってしつこいな!
「だーかーらー、誰とでもそういう関係になんてならないってば! 何度も言わせないでよ、サークル内での恋模様からは全力で逃げていたの、葵は知っているでしょう? ちゃんと危なっかしい奴らからは距離を取るわよっ」
ふむ、と綿貫君は腕を組んだ。
「結構爛れたサークルだったのですか?」
爛れた、て。
「まあ恋愛関係について盛り上がりを見せる団体ではあったわね」
「恭子さんも彼氏とかいたのですか」
「いないわよ。あれ、話したじゃないの。最後に彼氏がいたのは高校時代だって」
「……そうでした。失礼しました。では大学ではそういう関係の話には巻き込まれなかった、と」
「好きになった人もいなかったし。怪しい動きが見えた相手は、全力でフラグをへし折って撃ち落としたから告白されることも無かった」
答えながらちらりと葵を見る。黙って肩を竦めた。あんたは私に告白したものね。忘れたわけじゃないから安心して。まあついこないだまで引き摺っていたのだからそんなのわかり切っているか。
「そして未だにナンパはされるけどフリーなのですね。ちなみに結構いたのですか? 怪しい動きをする相手とやらは」
「まあ六、七人はいたかな。先輩、後輩でちょっとこっちを狙っていそうな輩はさ」
「多いな。まあ結局恭子はモテるんだよ。顔が良くて体もあって性格がサバサバしつつも明るく面倒見がいい。惚れない奴の方が珍しい」
その珍しい、惚れない人が目の前にいるんだけどね。その人に私が惚れるという、なんともややこしい状況に陥るなんて、どういう因果なのかしら。
「モテたのですね」
「でも誰とも付き合わなかった」
ふと気が付くと咲ちゃんは葵をじっと見詰めていた。大丈夫、葵も私も吹っ切ったから、心配しなくても傷付いていないわよ。
「そうですか。わかりました、変な質問をしてすみませんでした」
「いや、別にいいけど」
急に綿貫君は口を噤んだ。何、一体今度はどんな変な思考を繰り広げているの。そして考え事は十中八九私についてだ。妙な緊張を覚える。
「……質問は終わり?」
葵が綿貫君に問い掛ける。無言で頷いた。怖いんですけど。
「じゃあ咲ちゃんに婚約話を伺ってもいいかね」
またしても無言で頷く。一言くらい発しなさいよ! どーも、と葵は背もたれに体を預けた。
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