限界。(視点:葵)

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限界。(視点:葵)

「あー、駄目だっ。やっぱ言えないっ!」  綿貫君の回答に三人揃ってズッコケる。 「んだよ、咲ちゃんに諭され間を取った挙句、その答えとはつれねぇな」  私の指摘に、だってぇ、と泣きそうな声を上げた。 「申し訳ないとか考えずに、三択の中から選んでみろよ。第一歩だっつってんじゃん」 「いや無理です。恥ずかしすぎる。顔から火が出る。きっと出る」 「出ねぇよ」  まあまあ、と恭子が私の肩に手を置いた。 「あんまり無理強いするのも可哀想じゃないの。そういうのに慣れるためにも私と綿貫君は疑似デートをしている、わけ、だし……」  しかし姉御の言葉も止まった。ゆっくりと手が離れて行く。あのさ、と恭子は静かに綿貫君へ向き直った。 「ひょっとして、もっと適任がいる? 疑似デート」  え、と声が漏れる。綿貫君は目を丸くした。 「私より、好みのタイプがいるのなら、その子とした方がいいと思う」  また何を言い出すのやら。こいつ、マジで今日は情緒不安定だな。おいおい、とフォローを開始する。ま、私が振った話題だし、責任は取らなきゃな。 「私はごめんだぜ。付き合ってもいない男とデートなんざまっぴらだ」 「……そんな言い方、しないでよ。私は綿貫君としているのだから」 「お前らは好きにすればいいさ。私はパスってだけ。ついでに言うなら咲ちゃんだって田中君がいるのに疑似デートなんてしちゃ駄目だろ」 「……それじゃあ消去法で私しかいないのか」  ええい、まったく。しょうがねぇな。綿貫ぃっ、と私は照れ屋バカを睨み付けた。 「はっきり言ってやれ! 恭子さんじゃないと疑似デートはしたくないです、ってな!」 「いいわよぉ、そんなの……無理矢理言わせたって可哀想じゃない……」 「見ろこのしょぼくれた姉御を! てめぇがはっきり伝えなきゃこいつは落ち込み続けてブラジルまで到達するぞ!」  咲ちゃんがぐっと唇を噛んだ。ウケたようで、ようござんした。まあ正確には地球の反対側はブラジルではないらしいが、細かいことはどうでもいいよな。 「どうせ消去法だもん……」 「違うよな! 恭子だからだよな! 恭子が相手で、君を誘ってくれたから、疑似デートを続けているんだよな!」  肝心の綿貫君は、目を白黒させ、ええと、とかあの、とかしどろもどろになっている。情けないやっちゃ。 「じゃあお前、私としたいのか!? 疑似デート! それとも咲ちゃんがいいのか!?」 「もういいわよ葵……」 「答えろ綿貫ぃっ!」  わざと立ち上がり、人差し指を突き付ける。まあまあ、と咲ちゃんが私を宥めるポーズを取った。君は私の意図を汲んでいるね。その時、お客様、と店員さんが寄って来た。 「申し訳ございませんが、他のお客様もいらっしゃるのでもう少しお静かに願えますか」 「……失礼しました」  どっかりと座ろうとして、さっき背中を攣ったのだったと思い出した。やや慎重に腰を下ろす。傍らから、消去法よぉ、と恭子が呟くのが聞こえた。お前も綿貫君も自信が無さ過ぎやしないかね。つくづく似ているよな、うっかり者なところも含めてさ。 「……いえ」  綿貫君の呟きが耳に届いた。 「あぁ?」  私は不機嫌を演じ続ける。さて、期待した答えを頼むよ。そいつを引き出すために一芝居打ったのだから。やれやれ。 「消去法では、ないです」 「……」  沈黙を以て先を促す。恭子と綿貫君の目に、さぞや私は不機嫌に映っているだろうな。と思いきや、不意に綿貫君は立ち上がり、俺はっ! とバカでかい声を上げた。 「お相手がっ! このっ!」  あー、このマヌケめ。店員さんが再びすっ飛んで来てしまった。こういうのは一回しかセーフじゃないんだ。つまり。 「お客様。あまり騒がれるようでしたら、申し訳ございませんがご退店願えますでしょうか」  綿貫君が硬直する。デカい声を出さなきゃセーフだったのによぉ。ちなみに私は君を追い詰めるためにわざとやったのだからな。一緒にするなよ。 「すいませんね店員さん。私ら、ちょいと飲み過ぎちまったんで帰りますわ。お会計をお願いします」  わかりました、と眉を顰めて席を離れた。綿貫君が黙って座る。気まずい沈黙がテーブルに下りた。 「で? 何を言おうとしたんだよ」  再度促す。しかし、葵、と恭子が私の肩に手を置いた。 「本当に、もういいから。ごめん、綿貫君。君のためって私のエゴを押し付けすぎちゃった。小さなお節介、大きなお世話、ってやつよね。疑似デート、本当に私じゃない方が良ければすぐ申し出て。全然、気にしないからさ」 「おい、恭子」  そこへさっきの店員さんが伝票を持ってきた。間の悪い野郎だ。舌打ちしたいのを我慢して受け取る。 「帰ろ。ね」  そう言って恭子は上着を羽織った。咲ちゃんが、わかりました、従う。 「……すまん」  恭子は笑顔で首を振った。うーむ、しかし私の発言に端を発しているしなぁ。とはいえこんな展開を見せるとは予想外だった。楽しい会がこんな終わりを迎えるとは。人生ってのはわからないもんだ。これで恭子の恋が終わったらどうしよう。うむ、そのためにはまず全力でこいつのメンタルをケアしなければ。別にフラれたわけでもあるまいし、こっからなんぼでもリカバリーして見せるぞぃ。決意を固め、私も上着に袖を通した。  店の外に出る。時刻は二十時十分。まだまだ早い。 「恭子、もう一軒行こうぜ。君らはどうする?」 「俺は帰ります」  項垂れた綿貫君は力無く答えた。あいよ、と相槌を打つ。 「私はお二人にご一緒してもよろしいですか?」 「勿論いいよん。なんならうちに泊まっていく? サービスはするぜぇ」  努めて平静を装う。空気が悪いからこそ、いつも通りに、ね。君のことだよ綿貫君。しなびたナスみたいなツラをしやがって。 「大丈夫です」 「遠慮すんなよ人妻」 「人妻に手を出したら余計に駄目ですよ」  うーん、ド正論だね咲ちゃん。 「じゃ、俺は此処で失礼します。おやすみなさい」 「おー、またなー。しおり作り、引き続きよろしくー」  弱々しく手を振って綿貫君は去って行った。やれやれ。 「さーて、土曜の夜は長いのだぜ。ガールズトークとしけこもうじゃねぇか」  それにしても、と咲ちゃんが恭子の顔を覗き込む。 「恭子さん。一体今日はどうなさったのですか? ずっと調子を崩されているようですが」  しかし、返事は無く。 「おっ」 「あらっ」  急にしゃがみこんだ親友は、ただただ嗚咽を漏らすのであった。まあそうだよな。真面目だもんね、恭子姉さんは。人間関係に対してさ。疑似デートなんて自分が一緒にいたいだけなのに彼のためなんて主張し続けた。でも迷惑だったのではないか。下心を抜きにしても、余計な真似をしたんじゃないのか。そんなことを考え落ち込む一方でどうして恭子だから疑似デートをしているって言ってくれなかったのかって残念がってもいるに違いない。そんでもって今日は解散にしちゃった、とか、葵を怒らせちゃった、なんてまた色々ぐるぐる考え込んでいるのだろう。 「しょうがねぇなぁ。この辺で飲むか? それとも恭子の家の方へ行く?」  しゃくり上げながらも返って来た言葉は。 「……うぢの、ぢがぐ」 「あいよ。ったく、ちゃんと我儘も言えるんじゃねぇか。綿貫君や私相手に身構えすぎ」 「だっでぇ……!!」  はいはい、と手を差し伸べる。鼻を啜りながら掴まった。だがこいつとは力も体重も大分差がある。引っ張られてすっ転びそうになってしまった。格好がつかねぇなぁ。 「おっと、大丈夫ですか葵さん」  咲ちゃんが横から支えてくれた。サンキュ、と礼を述べる。そうして恭子を地面から引っ張り上げた。ぐしゅぐしゅと鼻を啜っている。ポケットティッシュを渡すと勢いよくかんだ。そういや私が死に掛けた時、公園で恭子が綿貫君に慰めてもらっていたな。あの時は彼のシャツに涙やら鼻水やらをひっつけていた。そんで二人揃って鼻をかんでいたっけ。あの頃から息が合っていたんだな。やれやれ。 「しかしそんな調子で電車に乗れるのか? タクシーを使うには割勘してもちょっと高いぞ」  ひっくひっく漏らす親友は。 「駅まで、には、泣き止む」 「そうかい。まあゆっくり向かおうや。すぐに行ったら多分綿貫君に遭遇するし」 「早い再会ですね」 「間が抜けてらぁ」  そうしてのんびり歩き出す。さりげなく恭子の腰に腕を回した。役得役得。 「それにしても、お前の情緒も大分追い詰められていたんだな。自覚、あったのか?」 「……無い」  割と自分の感情に鈍感だよな。 「頑張るって決めたから、一生懸命踏ん張っていたんだろ」 「……うん」 「そんで、色々振り回されて、喜んだり落ち込まされたり希望を持ったり絶望へ叩き落とされたり、今日もジェットコースターみたいな感情の浮き沈みぶりだったわけだ」 「……うん」 「半日見ていてよくわかった。そりゃあお前も情緒不安定になるわ。最後のあれこれは、まあ私の発言が発端になってトラブっちまったが、いつもの恭子ならもうちょい自信のある言葉を口にするんじゃねぇの?」  軽く背中を叩く。途端に、ひぃーん、とまた泣き出してしまった。本当に駅へ着くまでに落ち着くのか? 今、泣かせたのは私だけどさ。 「よし、咲ちゃん。歌でも歌え。和ませろ」  私の提案に、道端でですか? と目を丸くした。 「うるさいって通報されてしまいますよ。それに私、音痴ですし……」 「だから和むんだろ」 「葵さん、ひどい」  ぷいっとそっぽを向いてしまった。悪かったよ、と手を振る。 「気にしているのに……」 「ごめんごめん。そういや本当にバケツを被って歌唱の練習をしたのかい? 佳奈ちゃんに勧められたんだろ」  しばし沈黙していた咲ちゃんだが。 「まあ、何度かは」  絵面を想像して胸がきゅんとする。なかなかバカみたいな絵面になるとわかっていても素直にやるんだな。頭を撫でてあげたくなる。恭子から手を離したくないので今はやらんけど。 「ただ、前が見えなくて怖かったのでやめました。本当に効果があるのかわかりませんでしたし」 「家の中でやったんだろ。前を見る必要、あるか?」 「いえ。ただ、バケツを取った時にお化けが目の前にいたらびっくりするなぁ、と思ってしまいまして……それから怖くて出来なくなりました」  怖い話なのに呑気な話し方だ。まあなぁ、と私もぼんやり応じる。
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