綿貫、大いにテンパる。(視点:田中)

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綿貫、大いにテンパる。(視点:田中)

 俺と橋本に呆れた高橋さんは、ジャスミン杯を飲み干した。そして追撃のお説教を繰り出そうとしたのだろう、口を開いたその時。 「……何の話をしている」 「うおっ」  突如テーブルの傍らに綿貫が出現した。なかなかびっくりさせてくれるじゃないか。 「どっから湧いて出た」  同じように思ったらしい、橋本が目を丸くする。あっちから来た、と綿貫は素直に入口の方を指差した。まあそうだろうな。 「お疲れ。まあ座れよ」  隣を譲る。うん、と大人しく腰を下ろした。メニューを渡すが目も通さず、ビール、と呟く。 「あいよ。高橋さんは? おかわり要るでしょ?」 「勿論。飲まなきゃむしろ理性を保てない」 「ひどいなぁ、佳奈。ね、田中」 「まったくだ。俺らを異常者みたいに扱わないでくれ。だがお前の方が下なのは譲れん」 「お前程、他人を傷付けていない」 「平気で嘘を吐ける方がおかしい」 「異常だよ! 二人ともね、このバカコンビ!」  結局一括りにして怒られるんだよなぁ。 「聞いてよ綿貫君。聡太と田中君ったら、揃ってひどいんだよ!?」  特別な友達、と評するだけあって高橋さんと綿貫も案外距離が近い。むしろ綿貫が片想いをやめて気持ちをぶつけ、高橋さんがきっちり断りけじめをつけたおかげなのか。僅かにあった心の壁が取り除かれた感じがする。  だが、今日の綿貫は。 「どうしたの?」  抑揚のない声で答えた。弱弱しい返事を寄越されて、高橋さんが戸惑いを見せる。 「綿貫君、元気が無くない?」 「まあ、うん。どうかな」  自嘲気味な笑顔を浮かべ、おしぼりをよじよじし始める。照れた時に咲がやる仕草と一緒だ。あまり同じ行動を取らないで欲しいな。咲がやるから可愛いのだ。全力全開元気満点の日焼け男がやっても可愛くない。そしてそんな男から元気を取り去ったら後には心配しか残らない。 「何かあったの? しおり作りチーム。昼間にそこの人でなしのせいでいざこざが発生したみたいだけど」  うむ、高橋さんめ。いよいよ俺をけなすのに躊躇が無くなってきたな。これもある意味距離が近付いたってことなのか? 俺を掛け値無しに叱れるのは正面の二人プラス、ズレるけど綿貫、か。あれ、じゃあ今俺が何かやらかしたら尋常でなく叱られるのか。無意識に頭頂部を擦る。さっき高橋さんが拳骨を落とした場所は、まだ痛かった。それにしても殴る側は痛くないのかね。恭子さんのスチール缶アタックはともかくとして。 「昼の件は大丈夫」 「おう、そうだ。すまんかったな、綿貫。庇ってくれてありがとう。そのせいで揉めたんだろ」 「親友だからな」  悉く返事が短い。わかりやすいにも程がある。そこへ綿貫と高橋さんの酒が届いた。 「じゃあまあ取り敢えず、ボドゲチームもしおりチームもお疲れ様。乾杯っ」 「かんぱーい」 「乾杯」 「……乾杯」  四人でジョッキを軽くぶつける。綿貫、声ちっちゃっ! その割にビールは一息で半分空けた。酒は飲みたい気分なのね。しかし普段賑やかな奴が静かだと、全体の雰囲気も変な感じになる。さて、直球で切り込んでみるかね。綿貫は真っすぐな奴だからな。なあ、と顔を覗き込む。 「お前、何でそんなに落ち込んでいるんだ」  すると、巨大な溜息を一つ吐いた。 「うわぁ、わかりやすくヘコんでいるな」 「何かあったの? 私達、話、聞くよ」  橋本と高橋さんも声を掛ける。しかし黙って首を振った。 「おいおい、話を聞いてくれってお前が電話で言ったじゃんか。そのために此処まで来たんだろ。俺達も、ちゃんと聞くし必要ならアドバイスもあげるって。逆に責めたりはしないから安心しろ。な、俺達親友だろ?」  しかし黙って俯いたまま。流石に本気で心配が募る。 「話したくないのか? そんなわけないよな。だってわざわざ合流なんてしないで、やっぱ帰るってメッセージを送れば済むもんよ。ヘコむ時があるのはわかる。俺だってある」 「人の心が無いのに?」  高橋さんの茶々に、うっせ、と舌を出して応じた。 「たださ、何も言わないのにあからさまな態度に出すのはやめようぜ。心配させられるのに事情がわからないとか、気を遣うだけだ。な、綿貫。何かあったのか?」  出来るだけ優しく誘導する。綿貫は目の前の酒を飲み干し、もう一度溜息を吐いた。 「俺、やらかしちゃった」  ようやくぽつりと零した。 「何を」  橋本が無遠慮に先を促す。 「恭子さんに、とても失礼なことをしてしまった」  そうしてまたまた溜息を吐いた。橋本と高橋さんと視線を交わす。綿貫自身がやらかした自覚を持っている上にここまで落ち込むとは、割と聞くのが恐ろしい。えっと、と今度は高橋さんがコンタクトを試みる。 「失礼って、具体的に何をしたの? 綿貫君に限ってセクハラとかは絶対にしないでしょ」  頷きだけが返って来た。むしろこいつは触らないよう必死で努める。 「傷付けるような発言をしたの?」  またも頷く。いちいち訊かないと答えないのか。ちょっと焦れったいな。しかし高橋さんは俺より優しく、また根気強かった。 「そっか。田中君も言ったけどさ、話を聞いて貰いたくて此処へ来たんだよね」 「うん」  小さな声が返事をした。どんだけ元気が無いんだよ。そんでお前、恭子さんにどんな失礼を働いたんだ。お前へ完全に惚れている相手にさ。綿貫の話題になると普段の様子が一変、とんでもなく頼りにならなくなるんだぞ。あんまり一喜一憂させてあげないで欲しい。きっとあの人の情緒がもたない。  一方で、ほら、と高橋さんが明るい笑顔を見せる。 「良ければ聞くよ。ほら、私からは女子目線の意見を伝えられるかも知れないし」  その言葉に、俺らも聞く、と頷いて見せる。 「取り敢えず責めたり茶化したりはしない方が良さそうだな」  橋本がとんでもない発言をした。 「「当たり前だろ(でしょ)!」」  高橋さんと揃って橋本を睨む。冗談だって、と両手の平を俺達に向けた。わかりにくいんだよ、お前はブレーキがぶっ壊れているところがあるから。  ありがとう、と綿貫は呟いた。いいのかそれで。しかしようやく顔を上げた。実はさ、と重い口がやっと開く。 「俺、ちゃんと答えるべきところで、すぐに言葉が出て来なかった。何て答えたらいいのかわからなかった。なあ、俺はちゃんと答えて良かったのかな。でもそうしたら恭子さん、ドン引きしたんじゃないかな。だけど答えなかったから恭子さんは落ち込んだと思う。俺、どうすれば良かったと思う? それともやっぱり、間違っていたのか?」  弱々しく訴えられた俺達は、またしても顔を見合わせる。しばしの沈黙の後。あのさ、と高橋さんが遠慮がちに切り出した。 「まずはどういう状況だったのか、教えて貰ってもいいかな。わけがわからない、としか答えられないから」  途端にまた俯いてしまった。ええい、流石にイライラしてきたぞ! 「お前なぁ、今の自分の発言を振り返ってみろ。俺らは超能力者じゃないんだ、一体そっちで何があったのかさっぱりわからねぇんだよ。綿貫が恭子さんに何か言ったか、言わなかったかして、恭子さんを落ち込ませたってところまではギリギリ理解出来た。でもその前に何があった? まずはそれを説明しろ。その上でお前がどういう反応をして、恭子さんがどんな風になったのか。そこまで喋らないと相談に乗り様もないだろうが。心配はしているのに中身がわかんないんじゃモヤモヤするだけなんだよっ」  つい頭に血が上る。まあまあ、と橋本が俺を宥めた。 「田中は気が短いんだよ。落ち込んでいる親友を相手にイライラするなって」 「だってマジでわけがわからないんだもんよ。心配が募ってイライラに変わるわっ」 「綿貫、そこの短気の文句なんて気にするな。お前のペースで話してくれ」 「んだよ、やけに優しくしやがって」 「お前、もうちょっと気長にならないと咲ちゃんとの結婚生活、長続きしないぞ」  その時気付いた。 「そうか、葵さんと咲もその場にいたんだから、二人のどっちかから聞き取り調査をすればいいんだ」 「……二人は今、恭子さんと一緒にいる」  ぼそりと綿貫が応じた。 「あ、じゃあやめときな田中君。多分、二人は恭子さんを慰めているだろうから邪魔しちゃ悪い」 「そうだぞお邪魔虫」  橋本がいちいち余計な茶々を入れて来る! 「まだ何もしてねぇよ!」 「ほらぁ、気が短すぎるんだって」 「ムカつくー!」  その時、ごめん、と綿貫が立ち上がった。 「俺、帰る。楽しい席を邪魔して悪かった」  そうして千円札を置き本当に出て行こうとした。慌てて肩を掴む。 「いや今帰ったら謎しか残らないだろ」 「駄目だ。俺、皆の邪魔しかしていない。今日も昼間、嫌な空気にしちゃったし。夜もしおりチームをお開きにさせて、一人になりたくないからこっちへ来て、でもまた皆を嫌な気持ちにさせて! もう俺なんて駄目なんだぁ!」  途端に両手で顔を覆った。そうして乙女みたいに泣き出す。しかしおしぼりよじよじに続き、当たり前だが全然可愛くない。 「あーあ、田中君が泣かせた」  突如高橋さんにぶっ刺された。 「俺!?」 「君がすぐに苛々して綿貫君を責めるような発言をしたからだよ」 「え、俺が悪いの!? ちゃんと話さない綿貫が悪くない!?」  鼻を啜った綿貫が、帰る、とまた去ろうとする。 「いや、だから帰るなって! 説明しろ! そうしたら慰めるから! むしろちゃんと話せ! 俺だって心配しているし慰めたいんだよ!」 「でも田中、怒っているじゃん!」  綿貫が泣きながら訴える。あのな! 「お前がちゃんと説明をしないからだよ!」  至近距離で伝えると、ぴたりと動きが止まった。そしてゆっくりと、首を捻る。 「……ん?」  しばしの沈黙。 「俺、説明、していなかった?」  まさかのセリフに三人揃ってずっこけた。喜劇かよ。 「してねぇよ! そのせいでずっとわけがわからないし、慰めようもなかった! 散々お前に訴えただろうが!」 「……そうだっけ」 「そうだよね!?」  勢いよく橋本と高橋さんを振り返る。橋本は唇を噛み笑いを堪えていた。それはそう、と応じる高橋さんの声も震えている。 「……ごめん」 「ホントだよ! どんだけ切羽詰まってんだ!」  アホの頭を引っ叩く。いて、と手で擦った。 「なあ、綿貫。ちょっと落ち着け。まず、しおりチームで何があったのか。昼間は俺が原因で空気が悪くなったらしいけど夜はお前がやらかしたのか? 俺らはちゃんと相談に乗る。だけど事情がわからないから、きちんと順番に説明をしてくれ。わかったか?」  ふう、と綿貫は息を吐き、鼻をかんだ。大丈夫? と高橋さんが立ったままのアホを見上げる。 「うん、ごめん。少しテンパり気味だった。言葉が足りなかったな」  少し? と本人以外が首を捻る。だが綿貫は気付く様子もなく座り直して背筋を伸ばした。 「改めて、説明をする。だから聞いて貰ってもいいかな。俺のやらかしを」 「勿論!」 「ずっとそう言ってんだろうが」 「田中、ハウス」 「何で家に帰すんだ!?」 「じゃなかった。ステイ」 「どの道、犬かよ!」  何で!? 「さっきさぁ、しおりチームは生成AIでイラストを作っていたの。こっちにも流れていたと思うけど」 「そんでお前はあっさり本題に入ったな!?」 「田中君、静かにして」 「あーもー、わかったよ! 説明よろしく!」  釈然としないけど譲ろうじゃないか! だって俺は大人だからね!
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