11人が本棚に入れています
本棚に追加
アイススケートと優しい譲り合い。(視点:葵)
まあまあ、と神様が一つ手を叩いた。部屋の隅っこへ這いずって行っていた私達を手招きする。いそいそと戻ると、取り敢えずさ、と白い歯を見せた。
「クリスマスデートはしておいで。葵や咲が主張した通り、健二のその日を狙う者がいるかも知れない」
「おっ、それって未来予知ですか?」
「いや、ただの意見」
「あ、そうですか」
普通にアドバイスをくれただけだった。わかりました、と答える恭子だが、また肩に力が入っている。落ち着けよ、と私は再び親友の肩を揉む。
「クリスマスに向けて、いきり立ってどうする。ほら、力を抜け。じゃないと今日と同じ轍を踏むぞ。全力で空回りした挙げ句、落ち込む羽目になっちまう」
わかっているわよ、と言いつつ全然脱力しない。いっそ肩以外のところもマッサージしてやろうか。それこそ足腰立たなくなるまでな。
「葵。やるなら自分の家でやってね」
いっけね、心を読まれているんだった。わっかりましたー、と軽い調子を装い流す。
「何を?」
「別に」
こちらを見上げた恭子に即答する。さて、と神様が人差し指を立てた。
「そろそろ健二からメッセージが来るよ。恭子、スマホを開いて御覧なさい」
はあ、と従った恭子は、わっ、と声を上げた。
「丁度たった今、受信しましたっ! 凄い、未来予知じゃないですか」
「神だからねぇ」
凄いです、と咲ちゃんも拍手をする。君も大概無法な能力者だと思うがね。
「何て書いてあるんだよ」
後ろから恭子のスマホを覗き込もうとすると、駄目っ、と自分の胸元に画面を押し付けた。おいおい、スケベが過ぎるぜ。
「いくら葵でも見せられない」
「そいつは失礼。んじゃ離れるから確認しちまいな」
恭子から手を離す。親友は隠すようにメッセージを読んだ。うーん、ちょっとだけ寂しいなぁ。私から離れて綿貫君に寄って行くみたいでさ。うり、と傍らの咲ちゃんの両頬を摘まむ。何故ですか、と困惑された。
「癒しを得たい」
「そういうことですか。葵さんの心が安らぐなら、いくらでもどうぞ」
「君は本当に天使だなっ」
えい、と抱き着く。わー、と言いながら受け止めてくれた。仲良しですなぁ、と武者門さんが感心する。ブイサインを送ると咲ちゃんも全く同じポーズを取っていた。
「気が合うね」
「びっくりです。うふふ」
顔を見合わせ笑い合う。神様が黙って盃を空けるのが見えた。我々を肴に酒を飲んでいらっしゃる。
「うーん、出来るかしら……」
ぼやきつつスマホから顔を上げた恭子だが、私達に目を留めた。何やってんの、と抑揚も無く呟く。
「癒されている」
「癒しています」
「本当に仲良しね……」
「何で呆れているんだよ」
「別に……」
失礼な。そんで、と恭子に向き直る。
「綿貫君、何だって? 次の疑似デートのお誘いなんだろ」
「私から連絡するって言ったんだけどね」
「彼の方がはりきっているのなら、喜ばしい限りじゃんか」
しかし恭子は、そうなんだけど、歯切れ悪く応じた。そして此方へ画面を示す。今度は見てもいいんかい。覗き込むと、特設のスケートリンクについて案内が表示されていた。ほほぉ、と画面と恭子を見比べる。
「いいじゃん、冬っぽくて。楽しんで来いよ」
「アイススケートですか。面白そうですね。きっと盛り上がりますよ」
咲ちゃんも前向きな意見を述べる。
「寒中競技と言えば、久々に皆で雪合戦がしたいですなぁ」
「雪合戦とスケートは全然違うよ、武者門」
神様達も呑気な会話をしている。唯一人、恭子だけは眉間に皺を寄せていた。
「どうした。スケートがお気に召さないのか」
「召す、召さない、以前にさ」
天に還りそうな言い回しだな。
「私、やったことが無いのよ。スケート」
「私も無いぞ」
「私もです」
「私も無いねぇ」
「私は凍った川を走った経験ならありますぞ」
口々に答えると、恭子は目を瞑った。そしてゆっくりと開く。経験談をありがとう、と低い声を発した。
「それで、多分私はあまり上手く出来ないと思うんだけどさ。疑似デートの行先に選んで上手くいくかな」
「私だったら間違いなく転んで骨を折って嫌な空気になる」
「私はサイコキネシスがあるので転ばずには済みそうです。挙動が不自然にならないよう気を付けなければいけませんが」
「私も神通力があるから滑れるね」
「走るのなら出来るのですが」
恭子が再び口を噤む。ひょっとして、とおずおずと切り出した。
「私、今、からかわれている?」
「からかっていない。親身になって話を聞いているだけ」
「恭子さんの疑似デートをからかうわけないじゃないですか」
「君の話には真剣に向き合っているよ」
「え、からかっていたのではないのですか?」
おっとぉ、武者門さんったら真面目だぜ。からかっていないってところまで含めてからかいだったのに。
「真面目に聞いてよ! 人が困っているのに!」
必死な訴えに、そういうところだ、と人差し指を突き付ける。
「いいか、恭子。上手くいくかどうかじゃない。楽しめよ、綿貫君との疑似デートをさ。スケートが出来なきゃデートは失敗なのか? すっ転んで負傷したら駄目なのか? んなわけなかろう。何回言えばわかるんだ。肩の力を抜くんだよ。アイススケートなんて初めて! そこに彼と行けるなんて素敵! このくらい、頭を空っぽにして向かってみろ。皆、前のめりなお前を落ち着かせるために敢えて気の抜ける発言を続けたんだよ」
ね、と振り返る。神様は何も言わず微笑むのみ。咲ちゃんと武者門さんは。
「…………そうです」
「…………然り」
恭子が無言で二人を指差した。誤魔化すのが下手くそな超能力者と付喪神だよ、まったく。
「少なくとも私はお前がリラックス出来るよう、尽力した」
そう言うと、わかったわよ、と首を振った。
「皆の気遣いと捉えるわ。ありがとう」
よし、ちょっと行きすぎてしまったからかいは何とか誤魔化せたな。そこのでっかいのとちっこいの、居心地悪そうにもじもじするんじゃない。勢いと口八丁で乗り切ったんだから。
「よし、じゃあ楽しんでこい。日程、擦り合わせちまえよ。それともクリスマスの日に行くか? 恐ろしく混みそうだが」
そうねぇ、と恭子が再びスマホに視線を落とす。うむ、これでからかいについてはもう噛み付いて来るまい。グッジョブ、私。
(葵さん、恭子さんを思ってのからかいだったのですか?)
おっと、テレパシーか。
(私、ただ単に恭子さんを弄ってしまいました……)
(私も同じく……)
武者門さんにも繋がっているんかい。
(ちなみに私もただからかったよ)
神様まで参戦とは、恐れ入るね。
(私もからかっただけですよ。恭子が怒っちゃったから、咄嗟に誤魔化しただけで)
(やはりそうでありましたか)
(葵さん、言い訳が上手です)
(口だけは回るんでね)
(あまり褒められた特技ではありませんよ)
(しかし最近はちょいちょい行き過ぎて恭子に構っちまうなぁ)
(寂しいんだろ、葵)
(まあ私だけ一人なんで)
(それだけではない)
(え?)
(大事な恭子が健二に気を取られているのが寂しいのさ)
(……恭子への恋心なんて二年前に吹っ切っていますよ。次の恋も、すぐに破れはしたけど見付けたし)
(恋ではない。ただ、葵はもう少し恭子に見ていて欲しいと思っている)
(そんな気持ち、一つも自覚しておりませんが)
(無意識の欲求だから。恭子の恋路を自分の我儘で邪魔したくない。その強い想いが本音を押し込めている)
(本当ですかね。咲ちゃんはどう思う?)
(咲と武者門は葵の心から退いて貰ったよ)
見ると、咲ちゃんは首を傾げていた。そりゃそうだ、テレパシーをカットされた経験なんて初めてだろうから。
(……ありがとうございます、神様)
(恋バナ好きは乙女心にも敏感なのさ)
(乙女心、なんですかねぇ。私に似つかわしくないや)
(そんなことは無い)
(やけに強く否定しますね)
(葵、可愛いもの)
(またまた、よく仰いますよ。咲ちゃんや恭子の方がよっぽど可愛いですし)
(君は随分素直になったが、もう少し自分を肯定してあげなさい)
(私、可愛いでしょーって? 冗談はよしこちゃん)
(可愛いよ)
(無い無い)
(可愛い)
(うんにゃ)
(譲らないからね)
(……何で)
(可愛いから)
(その辺にしておきましょうや、神様)
(そうだね。恭子が君に話し掛けそうだし)
(取り敢えず)
(うん)
(恭子に対する私の気持ち、ご教授下さりありがとうございました)
(どういたしまして)
念話が途切れると同時に、次かその次の土曜日かしら、と恭子が呟いた。流石神様、ナイスタイミング。
「ただ、十二月二日はオープンの翌日だから混みそうなのよね。葵はどう思う?」
私に訊いてどうする、と若干呆れを覚える。しかし尋ねられたからには真面目に答えようじゃないか。
「どっちにしろごった返しそうだし、逆にクリスマス近辺よりはマシだろ。綿貫君の都合もあるだろうから、彼に聞いてみろよ」
「……あ」
「今度は何じゃ」
「しおり作りもあるじゃない」
「集まらなくても作業は出来る。なんなら最終的に各自のデータを集約して完成させた物を旅行の前に配布すればよかろうもん」
しかし恭子は咲ちゃんを見詰めた。咲ちゃんは、ご遠慮なく、と小さく手を振る。だけど恭子は。
「駄目。ちゃんと集まって作るわよ」
頑なだった。いえいえ、と咲ちゃんも負けじと譲る。
「私は今日、集まれたから満足です」
「嘘。あんなに、憧れなんです、って熱弁していたのに一回こっきり、それも実際の作成作業に入っていない段階で満たされるわけないじゃない」
「あの、でもしおり作りのために恭子さんが疑似デートを出来ないのは私も嫌です」
「私だって咲ちゃんの夢を踏んづけてまで疑似デートをしたくないわよ」
優しい譲り合いですねぇ。心暖まるやり取りだ。二人とも、相手を思いやっているからこっちは平気! と言い切るし、逆に物凄く視野も狭まっている。おい、と私は割って入った。
「疑似デートとしおり作り、どっちかしか出来ないわけじゃないだろ。十二月に土曜日は二日、九日、十六日、二十三日、三十日の全五回。三十日は旅行当日だから除外するとして、ええと、二十三日はクリスマスイブの前日だからここも空けておこう。それこそ二人とも、デートが入るかも知れないのだから。恭子は二日、九日、十六日のどこか一日を疑似デートに当てろ。しおり作りは残った二日の内、どっちか、もしくは進行状況によっては両日とも、実行する」
親友と後輩は顔を見合わせた。そして私を振り返る。
「確かに」
「仰る通りです」
呆れるわけにもいかないので溜息を飲み込む。だって二人の良心に端を発した間抜けなやり取りだから。
「じゃあ咲ちゃん。私、先に綿貫君へ予定を確認してみるわね」
「どうぞ! 空いた方をいただきます」
「オッケー!」
恭子がいそいそとスマホにメッセージを打ち込み始める。私は酒を飲み干した。咲ちゃんが甲斐甲斐しく注いでくれる。おっと、そろそろ無くなるな。
「私、追加の酒を買って来ます。咲ちゃん、一旦君の家へ戻してくれるかい」
「あ、それなら私も一緒に行きますよ」
「別にいいよ。のんびり過ごしたまえ」
その時、ふむ、と神様が立ち上がった。
「じゃあ皆で買い出しに行こうか」
え、と思わず聞き返す。
「恭子がメッセージを打ち終わったら繰り出すとしようじゃないか」
「……何処へ?」
「コンビニ」
「コンビニ!?」
最初のコメントを投稿しよう!