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葵と咲、温泉街をぶらぶらする。(視点:咲)
周囲にホテルが増えて来た。もう少し行けば温泉街だ。おっ、と葵さんが声を上げる。
「炭酸泉源だってよ。ちょっと覗いてみようぜ」
そう言いながらふらふら坂道を下って行く。私も後に続いた。確か公園になっていたかな。周りにはお水が流れている。あれは温泉なのかな。それともただのお水かな。葵さんは意にも介さず公園の中へ進んで行く。神社のような屋根の下を覗き込んだ。井戸だ、と呟くのが聞こえる。
「此処から炭酸泉が湧き出ていたそうですよ」
「よく知っているな」
「説明が書いてありますもの」
ちゃんと読んで下さいな。ほら、外国人の方もスマホを片手に一生懸命理解をしようとしています。
「君から教えて貰ったからいいや」
即答されてずっこけそうになる。まあ、葵さんがいいなら私もいいけど。じっと井戸を見詰めていた葵さんは、行くか、と唐突にまたふらふら歩きだした。気まぐれな猫みたい。
「他に観光スポットはあるかい?」
その問いにスマホを取り出す。温泉地の名前を入れて検索をした。はい、とそのまま渡す。すると、何だよ、と唇を尖らせた。
「サイトなんて私でも見られるじゃんか。私は咲ちゃんのお勧めスポットを聞きたいのだ」
「そう仰られましても、お気に召すかどうか……紹介サイトの方が確実ですよ」
アホ、と脇腹に手を伸ばされて、慌てて飛び退く。舌打ちをする音が聞こえた。
「気に入るかどうかはともかくとして、咲ちゃんに教えて貰いたいの。何度も来ているんだろ。その中で、君が良かったと思ったところへ連れて行っておくれ」
「でも、折角来たのですから葵さんには楽しんでいただきたいです」
今度は左のほっぺを摘ままれた。痛くはない。ただ、ちょっと恥ずかしい。
「君と一緒なら楽しめるさ」
「口説き文句じゃないですか……」
「相手がいる子は口説かないからご安心を」
出来ませんよ。ドキドキしてしょうがありません。さあ頼んだ、と背中を軽く叩かれた。うーん、そうは言われましても本当に困ってしまいますね。
「私もそんなに、あちこち訪れたわけでは無いのです。街をぶらつき雰囲気を楽しむのと、お風呂に入ってのんびりするのがいつもの過ごし方ですから」
「十分。そいつに付き合わせておくんなせぇ」
「つまらなかったら仰って下さいね」
「平気だって。そんじゃあレッツゴー」
三歩進んだ葵さんは、街はどっちじゃ、とすぐに足を止めた。こちらです、とさり気なくまた腕を組む。葵さん風に言えば役得ですね。うふふ。
「しかし坂ばっかりじゃな。こりゃ風呂は最後にしないと足が棒になっちまう」
「お風呂は二か所ありますから、片一方には先に入りましょう。もう片方の、私にピッタリな泉質の方は帰る間際に行きましょうね」
「流石、詳しいな。そういうのを聞きたかったのよ」
「本当に葵さんが楽しめるのかはわかりませんよ?」
「しつけー。気にすんなっての」
他愛もない話をしながら街を進む。昔の建物の形を取りつつ、とても綺麗に手入れをされているお家やお店が増えて来た。街並みが、坂の上から見た時と同じように茶色く変わり始める。
「結構、雰囲気が変わって来たな。さっきまで住宅地にいたのが嘘みたいだ」
「そうなのです」
わかって貰えて嬉しいな。葵さんは一軒一軒、お店を外から軽く覗き込んだ。だけどすぐに首を引っ込める。
「興味があれば入りましょうね」
「いや、多分それは無い」
「え、何故です?」
その問いに肩を竦めた。
「こういう個人商店は苦手なんだよ。物色しているのが丸見えだろ。そんで、早く買えよ、とか思われている気がしてプレッシャーを感じちゃう」
「……考え過ぎでは」
「あと、話し掛けて来る店員さんもいるじゃんか。私、苦手なんだよ。向こうはコミュ強かも知れんがこっちは受け答えだけで心臓がバックバクになる。頼むから放っておいてくれって心底願っちまうんだ。申し訳ないだろ、そんな風に拒絶の感情を向けちゃうのって。かと言って愛想よく応対は出来ない。故に私はこういう小さな店には決して入らない」
随分念入りに説明をしてくれた。そうですか、としか返せない。その間にものんびり街中を進んでいて、温泉街で私は何を聞かされているのかとぼんやり思った。気持ちはわかりますけどね、私も人見知りですから。
その時、資料館の看板が目に入った。行ったことがあります、と指を差す。じゃあ行くか、と即刻承諾されて慌てて腕を引いた。
「行かねぇの?」
「あっさり決め過ぎですっ。もう少し考えて下さいよっ」
「君への信頼の証と思えよ」
「それはありがとうございますっ」
行くぞ、と欠片の迷いも無く建物へ向かって行く。ふと、お家にいた時の葵さんが過ぎった。恭子さんの両想いを素直に喜べない、親友としてその在り方はいいのだろうか。そんな風に迷っていたのに、今はずかずか進んでいる。取り敢えず連れ出して良かったみたい、と胸を撫で下ろした。
「入館料、お手頃価格だな。すみません、大人二人で」
既に受付へ声を掛けていた。散々、人見知りと仰っていたのに一切躊躇しないのですね。まあお話をしないとチケットが買えないので、苦手なんだ、なんて言ってはいられないのですが。
靴を脱ぎ展示物へ目を通す。お互い黙ってしばらく資料を読んでいたのだけど。ふっと葵さんが部屋の隅へ向かった。おや、どうしたのかな。そう思いつつ私は読み続ける。中へ入るのは二回目ですが、結構忘れてしまっていますね。なかなか新鮮な気分で勉強させて貰えます。と、色々見て回っていたところ。
静かな寝息が聞こえて来た。振り向くと腰を下ろした葵さんが俯いていた。……寝てらっしゃるようですね。興味が無かったのでしょうか。だからよく考えてから入って下さいと言ったのに。でも、見物して下さい、と叩き起こすわけにもいかない。まあ他に人も三人しかいないし、邪魔だと怒られたりもしないでしょう。昨日も色々ありましたから、お疲れなのは仕方ありません。そのままにして私は見学を続けた。流されていたビデオもしっかり視聴する。流石に眺めているだけだと若干の眠気を感じた。だけど二人揃って寝てしまうわけにもいかない。頑張って目を開けて、どうにか最後まで見終わった。立ち上がり葵さんを見る。同じ姿勢のまま、まだ眠っていた。ふと、さっきの不毛なやり取りを思い出す。瞬間移動は風情が無い、か。……本当に置いて行っちゃおうかな。このままいなくなってもしばらく気付かないに違いない。そのくらいよく寝ている。
「葵さん。起きて下さい。葵さん」
……まあ、意地悪出来るわけもなく、軽く肩を叩いて起こす。葵さんを大好きですから、一人きりになんてさせられません。んあ、と開けた目は半開きだった。可愛いですね。
「いくらなんでも熟睡し過ぎです。施設の方に失礼ですよ」
んおぉ、と両手を天に突き上げ伸びをした。露になったおへそを手で隠す。おうサンキュー、といつもより若干低い声でお礼を言われた。
「駄目ですよ、品がありません」
「俯いていたから首が痛くなっちって」
「いくらこれから温泉に入るとはいえあまり無理な姿勢は取らないで下さい。ほら、最近ぎっくり腰にもなったじゃないですか」
「寄る年波を感じるねぇ。そのくせ昨夜は君に制服なんぞを着させられたっけ。いやはや、マニアックな趣味だね咲ちゃん」
肩を二度叩かれた。ちょっと、と慌てて首を振る。
「意味深に聞こえる発言はよして下さい」
「だって事実だもんよ。その上チアリーダーの格好までさせられるなんて思いもせなんだ。嬉しかった? 写真を撮れて」
「他のお客さんに聞こえると、大変な勘違いをされてしまいますっ」
「着せといてその言い草は無いんじゃねぇの? いっぱいお着換えをさせてくれたじゃんか」
そっと顎を摘ままれた。怖くて周りを確認出来ない!
「さーて、きちんと見物するかね」
唐突に葵さんは離れて行った。ふむふむ、と頷きながら資料を見学し始める。お父さんと男の子の二人連れが、ちらりと葵さんに視線を送った。まあ綺麗な人ですから目を引きますよね。私はと言えばどっと疲れを覚えてしまい、休憩スペースに座り込んでしまった。見終わるまで時間が掛かりそうだし、寝ちゃおうかな。自棄気味に思ったけれど、考え直してスマホを取り出した。あとは近くに何があったか、今の内に調べておこう。此処の展示物にどんな物があったのかを忘れかけていたように、街の様子が記憶から抜け落ちている可能性がある。楽しかったところがあれば葵さんをご案内したい。確認には丁度良いタイミングだ。マップアプリを開き、周辺地図を眺める。そして頭の中で順路を組み立ててみた。右回りに街を巡れば、お寺や博物館、二か所のお風呂に川沿いの風邪が気持ち良いところも丁度良く回れる。帰りの坂道は大変だけど、そこは我慢して貰うとして、そんな感じて一回りしたら良さそうだ。
すげぇな、との声に顔を上げる。傍らに葵さんが腰を下ろした。
「数百年前の岩風呂が、ちゃんと形を残しているなんて。岩、すげー」
「あら、もう飽きちゃいましたか?」
「失礼な。全部見終わったよ」
え、と思わず漏れてしまう。まだ五分も経っていないのに。
「嘘でしょう? 資料、いっぱいありますよ?」
「見た」
そうしてつらつらと説明を述べた。驚いたことにちゃんと全部ご覧になっている。
「……凄いですね」
「まあ何日覚えていられるかは自信が無いけど。酔っ払った恭子よりは記憶も長持ちさせられるけど」
「それは大抵の方がそうです」
即答すると、違いない、と真顔で頷いた。次の瞬間、揃って吹き出す。今頃あいつも二日酔いかねぇ、と葵さんは茶化した。少しだけ、遠い目をしている。だけどすぐに此方を向いた。
「さて、ツアーコンダクター・咲ちゃんよ。旅のプランは整った?」
「なんと、よくわかりましたね」
「一生懸命マップとにらめっこしているところを見たら、なんぼ私が鈍感でも察するわ」
鈍感、なのだろうか。自然と首を傾げてしまう。
「何、その反応は」
「……鈍感ですかね。葵さんは。むしろ非常に繊細かと存じますが」
「そうか? 繊細な奴はもっとお上品な喋り方をすると思いますわよ」
そのガサツな喋り方の理由一つを取ってもやっぱり繊細じゃないですか。そう思ったけれど。
口には出さなかった。だって今は、楽しい日帰り入浴旅だもの。いちいち指摘するのも野暮ですよね。
「まあどちらでも良いですね。葵さんが素敵なお姉さんである事実は揺らぎませんもの」
「おおう、今度はストレートに褒めて来たな。期待に応えられるよう精進しまさぁ」
そうして葵さんは立ち上がり、私に手を差し伸べてくれた。しっかり握り返す。引き揚げて貰うと勢い余ってくっついてしまった。おっとっと、と抱き止めてくれる。
「役得役得」
ですね、と至近距離で笑い合う。本当に顔がぶつかりそうで、結構鼓動が高鳴ってしまった。ドキドキ。
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