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恥は心を壊すのだ。(視点:葵)
最上階での咲ちゃんは、コスプレ撮影会の時ほどじゃないけどなかなかの入れ込みようだった。膨大な量の人形を見詰めるその目はキラキラしている。その様子は普段のおっとり具合から随分変貌しており面白くもあったのだが。同時に、寂しい幼少期の反動であると伝わって来た。見て下さい、と手招きしては一生懸命魅力を語る。そういうことは、咲ちゃんが二十歳の時に田中君と出会って初めての友達になるまで全然出来なかったんだろうな。さっきは幼女とからかったし、今もぐるぐる回るメリーゴーラウンドみたいなでっかいおもちゃを息を吞んで眺める姿は少女そのものではあるけれども。これからの人生において、あの子が取りこぼしてきた大事な心の欠片を拾い集められるのならば、いくらでも付き合うし、存分に楽しんで貰いたい。そんな思いを込めて見守っていたのだが。
「葵さん、私ではなくお人形さんに注目して下さい」
そんな注意をされるくらい、私は咲ちゃんに熱視線を送っていた。
「だって可愛いんだもんよ」
何度となく口にした台詞を今日も伝える。
「可愛いのはこちらの子です。ほら! この表情の細やかさ! たった今、微笑み掛けてくれたような優しさ! この子を作った方は人間を穏やかな心でよく見ているに違いありません」
「そうさなぁ。私だったらもっと仏頂面に作るだろうよ。まあそもそも、そんな繊細な作業は苦手だわ」
「そうですか? お料理、上手じゃないですか」
「適当だよ。分量とかいちいち計らないし」
「それなのに美味しく作れるとは、天才の所業です」
「んなわけあるか」
時折アホな会話を交わしながら見学を続ける。その間、咲ちゃんの顔は輝きっ放しだった。守りたい、この笑顔。なんちゃって。最近は私の方が支えて貰っているから、守るなんておこがましいことは言えねぇや。やれやれ。
そして、なんぼ楽しくても出発の時は訪れる。フロアを一周をし、最後にもう一度だけ、とメリーゴーラウンドみたいな物を眺め、大きく息を吐いた。
「名残惜しいですが、そろそろ行きましょうか」
「別に、心ゆくまで此処にいていいんだぜ。時間はまだまだたっぷりあるし」
だが咲ちゃんは首を振った。
「飽きるまでいるというのも幸せですが、飽きてしまうのはおもちゃや作ってくれた方々に申し訳がありません。後ろ髪を引かれるくらいで出発するのが丁度良いのです」
「真面目か」
恭子といい咲ちゃんといい、ものや人への向き合い方がクソ真面目過ぎる。見習うべきなのか、それともやり過ぎだろうと首を捻るべきか、私には判断がつかない。ともかく一緒に下のフロアへ降りた。今度は人形ではなく実際に遊べる玩具が展示されている。
「どれか一緒にやってみる?」
そう提案すると、いえ、と苦笑いを浮かべた。
「流石に子供用なので、遊ぶのは大丈夫です」
「いやいや、大人向けのボドゲや玩具もあるみたいだ。ほら、そこの盤上の玉を木の棒で突いて弾くやつなんてどうだ? どっちが高得点を取れるかやってみよう」
しかし周囲に首を巡らせた咲ちゃんは、大丈夫です、と繰り返した。周りの視線を気にして遊ばないより、全力でプレイした方が皆楽しいと思うがね。なので私はあれこれ手を付けてみる。尤も、玉突きやパズル、知育玩具みたいなあまり頭を使わない物に限るが。
「楽しそうですね。私もやろうかな……」
「おう、やれやれ。遊びに来たんだからな」
おずおずと咲ちゃんもおもちゃに手を付ける。まさかとは思うが、子供の頃におもちゃへ触ると叱り飛ばされたせいで及び腰だったのではあるまいな。人のトラウマをつつき回す趣味は無いからわざわざ訊かないけど、この子の過去はどうしても心配になる。
お互い、いくつか触ってみた。そしてボドゲの仕舞われた一角を指し、やってみますか、と咲ちゃんが誘って来る。
「簡単なやつなら」
「と言われましても、私もあまり詳しくないのでわかりませんね」
「ルールを覚えるの、面倒だから苦手なんだよなぁ。橋本君が旅行に持って行こうって提案してくれたからあの場は乗ったけどさ。実は複雑な物は好きじゃないのだ」
そう言った瞬間、咲ちゃんの動きがピタリと止まった。どした、と顔を覗き込む。しばしの沈黙の後、いえ、とだけ吐き出した。全然、いえ、じゃないやんけ。
「咲ちゃんよぉ、何度言えば自覚するんだい? 君は非常に顔や態度へ出やすい。純粋無垢で素直だからな。故に今も、動揺しているとはっきりわかるのだ。私、変な発言をしたかね。もしや、マジでガサツだなって呆れた?」
「はいそうです」
「即答するなよ、裏目に出ているぞ。それだ! そうです! って飛び付いている感が丸出しだ。仮に本当に本心だとしても結局ひどいし」
ほれほれ、とほっぺをつつく。やめて下さい、とこっちの脇腹に手を伸ばした。慌てて体を引く。変なところも成長しやがったな。それはともかく。溜息を吐いた後、同じなのです、と呟いた。
「何が」
「田中君と、言っていることが。彼も、ボドゲはルールを覚えるのが面倒臭いと主張しております」
…………マジか。
「皆で遊ぶ時は橋本君にルールを解説してもらうのが常です。そして私と二人の時は、せいぜいトランプくらいしかやりません」
「沖縄ではスピードをやっていたねぇ」
記憶を必死に手繰り寄せ、平静を装い混ぜっ返そうとする。だが咲ちゃんの視線からは逃れられなかった。何かじっとりしている気がする……。
「やはり田中君と葵さんは似た者同士なのですね」
くそぉ、思いがけない地雷が埋まっていたな。あいつとの因縁は一体いつまで続くんだ! こっちは吹っ切ろうとしているってのによぉ!
「まあ、七人もいりゃあ好き嫌いがかぶる者もいようて」
「気が合うのですね」
ええい、そっちが混ぜっ返すな鬱陶しい! 好きで似通っているんじゃないやい! そんでもってだからこそ、咲ちゃんも湿っぽくなるのだとわかってもいる。私とあのバカは無意識下でもシンクロしているって判明したようなものだからな。だが、勘弁してくれ、と首を振る。
「しょうがないだろ、似ているんだから。気質は簡単には変わらない。それにさ。何度も言うが、あいつが選んだのは君だ。私じゃない。ほら、頑張って自信を取り戻したじゃないか。たかだか私とあいつ、二人ともボドゲが好きではないって判明しただけで、やっぱり私より……なんて落ち込むのはなんて落ち込むのはアホみたいじゃないか。胸を張れ。彼の婚約者は君なんだからさ。ね」
前向きな言葉を掛けまくる。こっちだってちょっとは辛いが咲ちゃんは大事だからな。だが意外にも目を丸くした。そして、えっと、と明らかに気まずそうに切り出す。
「そこは流石に大丈夫です。私より葵さんの方が、とはもう思いません。プロポーズ、されたので一応の信頼関係は彼との間に構築されていますし、自信ももう無くしません。取り敢えず、当面の間は。それこそ彼がまた葵さんにやっぱり貴女が一番でした、なんて言い出しでもしない限り」
最悪な未来だな。
「安心しろ。そこまでバカになったら恭子にかかと落としをかまして貰う。ほら、古い家電なんかは調子が悪くなるとぶっ叩いて直したって言うだろ。その要領だ」
「まあそのくらいしないと治らないですよね、バカっぷりって。今はまだ、そこまでいってしまってはいないのですが、もしそんな事態を彼が招いくようなことがあれば改めてよろしくお願い致します」
ぺこりと頭を下げられる。稀有なやり取りだな。まったく。そして自然と視線が咲ちゃんの左手の薬指へ吸い寄せられる。綺麗に光る婚約指輪が嵌められていた。そりゃそうだ。
「そんで、自信は大丈夫なんだな」
「はい、と葵さんに答えるのも気まずいですが、中途半端も失礼です。大丈夫ですよ。葵さんが先日、一生懸命慰めてくれたおかげです」
「結局最後は田中君がかっさらっていったけどね。彼氏にしてじきに旦那へなるのだから当然だが」
「お二人のおかげですよ。ありがとうございます」
その時、ふと気付いてしまった。えっと、と今度は私が歯切れ悪く切り出す。
「じゃあさ、私、物凄く厚かましい奴にならないか?」
「何故です?」
だって、と続ける目の端に、さっきの女の子がおもちゃで遊ぶ姿が映った。誰だか知らんがお嬢さん。君は我々みたいにややこしい人生を送るんじゃないぞ。
「咲ちゃんは田中君を信用している。自分が一番に思われているとようやく信じて疑わなくなった。プロポーズもされたのだから、当然だね。そんな君に対して、私の方が田中君にふさわしいなんて思うなよ、って趣旨の発言を私はしたわけだ。裏を返せば、咲ちゃんの中で私の方が田中君とお似合いだと思われている、って確信しているってことになる。それってめっちゃ厚かましい。恥ずかしい。ちょっと、もう、やだ」
喋っている内に思考を放棄したくなった。語彙力がみるみるバカになる。そんなことはありません、と咲ちゃんは慌ててフォローに入った。
「こないだ、私がその悩みに囚われていたから真っ先に心配になるのは仕方がありません。葵さんは厚かましくなどないですよ。ただの優しいお姉さんです」
「お姉ちゃん、恥ずかしい。消えて、無くなりたい」
「それは困ります! 消えられちゃったら私が大泣きしますからね」
「デモ、ハズカシイ」
「おもちゃみたいな話し方になっていますよ!?」
「アオイ、サキ、ダーイスキ」
「嬉しいですが意味が分かりませんね! お願いです、正気に戻って下さい!」
「アハハハハハハハハハ」
「壊れちゃわないで!!」
無茶言うな。婚約を結んだ二人に好意でマウントを取ろうとしたんだぞ。私自身の理性がもたんわ。
おもちゃで遊んでいたあの少女は此方にひょいと目を遣った。マジで君はこんな人生を送るなよ。いいか、此処で壊れているおかっぱ頭のガリガリ女は悪い見本だ。お爺ちゃんやお祖母ちゃんの愛情をたっぷり受け、大事なぬいぐるみをしっかり抱き締め、平穏無事な人生を歩め。約二十年後、こんな姿を晒す羽目にならないことを祈るよ。
「アハハハハハハハハハ」
「葵さーん!!」
アハハハハ。はぁ……。
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