化粧落としとデート・プランの話。(視点:葵)

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化粧落としとデート・プランの話。(視点:葵)

「クリスマスにクルージングかぁ。あの、東京湾を一周するやつでしょ? それはとっても素敵だね!」  咲ちゃんの言葉に耳を傾ける。ほう、クルージングか。いきなり雰囲気があるな。そしてどうやら咲ちゃんも知っているらしいが私にはとんと見当がつかない。東京湾一周? 何処からスタートなんだ? 「でしょ? バイキングだから美味しい昼飯にありつけるし、海を船で進むのも非日常的で楽しいし。欠点は寒い可能性が高い点だけど、そこは厚着して乗り切って貰おう」 「いいなぁ。私もクルージング、行きたい」 「同じ日に行ったら鉢合わせちゃうよ?」 「違う日に行くに決まっているじゃん」 「あはは、そりゃそうか」  そういや考えてみれば咲ちゃんと田中君が二人きりで話しているところに居合わせるのって珍しいな。こりゃ結婚するのも納得だ、ハイパーウルトラ超絶仲良しだぜ。ははは、疎外感が凄いな。 「しかし綿貫、興味津々だったからな。洋上でカモメと戯れたい、って言っていたんだよ」  彼らしい希望だね。いい意味でアホっぽい。だけど本心から望んでいるのだとよくわかる。 「来るかなぁ、カモメさん」 「どうだろう。鷹匠ならぬカモメ匠がいれば自由自在に操れるんだけど」  聞いたこと無いな、カモメ匠。餌をやっている暇人なら海岸や砂浜でしばし見掛けるが。 「私が居合わせたらサイコキネシスで掴まえられるんだけどね」 「無理矢理はやめてあげて。カモメが可哀想。綿貫のためにストレスをかけたくない」 「そっか、じゃあしょうがないね」 「そもそも一緒にいたらデートの邪魔になっちゃうよ」  咲ちゃんが言葉に詰まった。多分今、透明化能力を教えるかどうか悩んでいるな。 (すみません、葵さん。とお、いえ、田中君に透明化は教えない方がいいですよね?) (教えるな。新婚生活を疑心暗鬼から始めたいのか) (そうでした。エッチな本を読めなくさせてしまうのは可哀想です) (んだんだ。内緒にしておいてやれ) (わかりました。ありがとうございます) 「……そうだね、邪魔をしてまでカモメさんと戯れさせるなんて本末転倒だね」  よし、言わなかったな。しかし驚く程ドンピシャで考えを当ててしまった。凄いぞ私。咲ちゃんの良き理解者だぜ。恭子の化粧も落としてあげているし、今日も気遣いの達人だね。 「それで、クルージングの後は何をするの?」 「映画を観るんだってさ。あの辺りのショッピングモールに映画館が入っているから、丁度良いって」  あの辺りってどの辺りだ? 東京湾を一周するクルージングの近くでモールと言うと、あぁ、某テレビ局のあるあの辺りか? 「昔の推理小説をアクション満載で仕上げた作品に興味があるんだって」 「そうなんだ」  む、それか。電車の広告で流れているのを見て、面白そう、と呟いていたっけ。何だよぅ、私とじゃなくてクリスマスに綿貫君と観に行っちゃうのかよぅ。寂しい限りだ。強めに頬を拭く。起きる気配も無い。今なら唇を奪ってもバレないな。 「綿貫には後で確認するって言っていたけど、そもそもさっき、酔っ払って自分でも何を観るつもりだったが忘れかけていたんだ」 「駄目じゃん……」  まったくだ。 「だから俺が恭子さんにメッセージを送っておかないと。希望していた映画はこれですよって」 「飲み過ぎは良くないねぇ」 「それどころかデート・プランの全体像すらうろ覚えかも知れない。箇条書きでもいいから纏めて、明日送った方がいいかも」  そこまでしなくても大丈夫、とは断言出来ない。手厚く世話を焼いてくれるなら田中君に任せるとしよう。その方が確実だ。 「そうだね。忘れられちゃったら、折角の作戦会議が台無しだもんね」  酒で後輩の手柄を消し飛ばすんじゃないよ、まったく。アフター・ケアまでしっかりして貰いやがって。 「咲に睨まれながら行った意味が無くなるのは嫌だ」 「でも背中にいい思いは」 「それはもういいってば!」  よっぽど堪能したのかね。私や咲ちゃんじゃ叶えるのは厳しい望みだな。いや、私は関係無いけど。なにせ二番目の女だもの。 「で! 映画の後は夕飯です」 「あ、無理矢理話題を変えたね?」 「当然! 海浜公園の近くのスペイン料理屋を押さえたんだ。コースと飲み放題で三時間かな」  飲み放題だと? 「飲み放題をつけたの?」  振り返ると咲ちゃんが潰れた恭子を見詰めていた。まあその反応になるのは当たり前だ。 「夕飯の後、告白、するんだよね?」  告白かぁ。恭子にされたかったなー。田中君にはされた後、フラないで欲しかったなー。まあいいけど。どっちも幸せになれるのなら。ちくしょー、私ばっかり置いてけぼりだぜ。 「その予定」 「お酒は単品で頼んだ方がいいんじゃないかな」 「無駄無駄。今日だって単品なのに潰れたんだから。やめときなさいって言ってもジョッキから手を離さないんだもん」  ただのアル中じゃねぇか。 「そっか。どっちにしろ、恭子さんは酔っ払うのか」  そして田中君に運んで貰い、私に化粧を落として貰う、と。貴族か貴様は。 「まあ一応、節度ある飲み方も出来るみたいだけど。ね、葵さん。サークルの飲み会とかでは正気を保っているんでしょ?」  おう、と応じる。 「恭子さんが潰れるのは、俺らと飲む時だけなんだって」 「そうなんだ。可愛いけど迷惑だね」  咲ちゃんの歯に衣着せぬ物言いに、吹き出しかけて何とか堪える。笑わせようとしての発言ではなく、本気で迷惑を被ったから出て来た言葉なのだ。だから笑っちゃ悪い。悪いんだけど、面白過ぎる。 「……まあ、飲み過ぎは良くないよ。うん、わかる」  田中君がわかりやすくしどろもどろになった。咲ちゃんのぶった切りっぷりに引いちゃったか? 「だけど、ええと、恭子さんも状況や場面によっては自分を押さえられるみたいだし、告白するつもりなんだったら酔っ払い過ぎないくらいしか飲まないんじゃないかな」 「今、潰れているけどね」  遠慮無ぇなぁ。 「今日はほら、何も無いから」 「婚約者がいる男の子におんぶされて帰って来たのは如何なものかと思いますよ」  おや。おやおや。 「……やっぱり怒っている?」 「背中、満喫した?」  怖ぇなぁ。田中君、ファイト。私、知ーらね。今だけは絶対にそっちを向かないからな。案の定、気まずい沈黙が落ちる。やがて、まあいいけれど、と咲ちゃんが呟いた。続いて缶とテーブルが擦れる音。そして、タンっ、と置かれたのが聞こえた。酒、煽ったな。 「夜ご飯を済ませて、適度な量のお酒を飲んだと仮定して」  ちくちくいじめるタイプなんだな。起きろよ恭子。お前が責められているんだぜ。何故か槍玉に挙げられている田中君が可哀想じゃないか。 「そしていよいよ告白?」 「う、うん。海浜公園に行って、夜景を見ながら告白して貰う予定」  それでようやく二人は両想いってわけか。さらば恭子。私が愛した親友よ。素敵な恋を叶えておくれ。  ……やれやれ。  化粧はあらかた落とし終えた。スッピンでもお前は十分綺麗だぞ。昔、惚れた私が保証する。そして綿貫君もお前を綺麗と評していたな。そりゃあ喜んじゃうのも当然だ。さぞ嬉しかろう。私じゃあ、あんな風にお前を喜ばせられなかったな。長く茶色い髪を撫でる。こっちも艶々だ。指通りも滑らか。ちゃんとケアしている証拠だ。  あーあ。お前の全部が欲しかったよ。だけどこっちじゃなくてそっちにいくんだね。やっぱり、いざ行ってしまうとなると、寂しさやら悔しさやら、愛おしさやら親愛の情やら、色々な感情がごちゃ混ぜになって湧き上がって来て胸の中が一杯になっちまった。  目の前には爆睡している酒乱バカ。無防備な唇は、私が拭いてあげたばっかり。  奪っちゃおうかな。今ならバレないな。  そっと顔を寄せた私は。  親友の鼻を少しだけ齧った。  んが、と間抜けな声が上がる。そうして手で顔を擦った。猫かお前は。しかし起こすと厄介だ。このくらいにしておいてやろう。ふん、奪わなかっただけマシだと思え。どいつもこいつもバカヤロー。  後輩二人の元へと戻る。お邪魔虫だとわかっているが、今、これ以上恭子の傍にいるとマジで理性が崩壊しかねない。成程な、と無理矢理話に割って入った。 「いい計画じゃないか。ちなみに現場は某テレビ局のある海沿いの街で間違いない?」  一応確認をする。そうですよ、と田中君は頷いた。 「ついでに自慢しておきますけどね。クルージングも、映画も夕飯も、全部予約が出来るところです。あの辺りはアホ程混むでしょうけど、順調にデートを進められます。これ、今日俺が恭子さんにした提案の中で地味にファインプレーだと思うのです」  口調が咲ちゃんに寄っている。まったく、見せ付けてくれるぜ。この場に私の居場所は無いのか? 「まあ、あの辺りは観光スポットだもんな。クリスマスともなれば尋常でない人波だろうよ」 「そうなんです。恭子さんの計画を聞いたら、夜は海浜公園で告白すると決めておりました」  マジでやる気なんだなぁ。もう一回、鼻を齧ってやりたくなる。 「そこから逆算した結果、午前中にアクティビティ施設で体を動かし、昼飯食ってから午後は映画館へ行き、喫茶店でまったりしたりショッピングモールをうろついてからレストランで夕飯、とのことでした。ただ、映画以外は予約が取れない上に人が大量に湧くじゃないですか」  蠅みたいな言い方をするなよ。 「だから提案しました。クルージング。綿貫も乗りたがっていたし、丁度いいでしょう!」  じっと自分の右手を見詰める。そして田中君の頭に乗せてみた。 「えらいえらい」  途端に彼の顔面が真っ赤になった。払いのけられるかと思いきや、硬直して少しも動かない。いいじゃねぇか、これくらいさせろよ。私だってちょっとくらい、いい目を見ないとやってられねぇんだ。 「よく提案してくれたな。綿貫君が乗船やカモメに興味を持っていたなんて、君や橋本君しか持っていない情報だ。おかげで恭子は最高のクリスマスを過ごせそうだね。ありがとう。よしよし」  はっと我に返った彼の視線が怯えたように動く。その先には、まあ当然咲ちゃんがいるわな。 「葵、さん。駄目、でしょ」  田中君が切れ切れに呟く。 「からかっているわけじゃないぜ。お姉さんからのお礼の気持ちだ」  此方の本心に対し、言葉が返せなくなっている。ただただ必死で咲ちゃんを見るばかり。私は敢えて振り向かない。婚約者の彼女はどう出るかね。と、思いきや。 「んんっ!」 脇腹をつつかれた。咄嗟に身を捩ると自然と頭に乗せた手が引っ込んだ。やっぱアウトか。ごめんよ、と言おうとしたのだが、咲ちゃんの方が一瞬早く口を開いた。 「今のは嫉妬しちゃいます。葵さん、貴女が撫でるのは私だけにして下さい」 「「あ、そっち!?」」  咲ちゃんの台詞に田中君とツッコミが被ってしまった。 「田中に触るな、じゃなくて私だけに触って、なの!?」 「嫉妬の対象が思いがけなさ過ぎるわい」 「百歩譲って、恭子さんと佳奈ちゃんも撫でていいですよ」 「咲はどの立ち位置から喋っているの……?」  咲ちゃんは素知らぬ顔で酒を飲んだ。ふっ、田中君の鈍チンめ。まったく、咲ちゃんは人が良すぎるっての。悪かった、と呟き今度は咲ちゃんを撫でる。それこそ猫みたいに目を細めた。ごめんごめん。自棄になり過ぎた、気を付けるよ。
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