葵vs暴れネズミ花火。(視点:葵)

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葵vs暴れネズミ花火。(視点:葵)

~十一月二十九日 水曜日~  午後六時五十五分。指定された駅の改札を抜けた。辺りを見回すが待ち合わせをした相手の姿は見当たらない。まああと五分あるしな。柱にもたれ、行き来する人達を何とはなしに眺める。しかし妙なことになっちまった。どうしたものかね。どっちに対しても責任を負う羽目になるとは思わなんだ。やれやれ。  溜息を吐こうとしたその時、ホームに続く階段を降りて来た人の中に見知った顔を見付けた。向こうは無表情でずんずん歩いてくる。普段、真面目で愛想の良い彼だが一人の時には仏頂面なのだな。それもそうか、一人でニコニコしながら歩いてくる奴がいたら割とやべぇ人間だ。基本的に近寄りたくない。ふむ、しかし私はいつも、どうなのだろう。当然、一人の時は私も表情を作らない。そのツラは、愛想が悪いように見えるのか。それとも薄っすら笑っていたりするのか。わかんねぇな、気にしたことが無いから。ただ、誰かに怖いと評されたことも無いので普通の無表情ってところかね。あ、でも街中で不意にガラスへ写った歩く自分の姿を目の当たりにした時、思ったよりももっさりしていると感じたな。背筋はピシッとしておらず、歩き方も脱力していて、手足を投げ出すような放り出し方の、全体的にやる気の無い女。それが私だった。うん、そりゃそうだ。やる気、無いもんな。少しは運動でもした方がいいかと一瞬頭を過ったが、体ではなく気持ちがだらだらしているから歩き方にも出るのだろうとすぐに気付いたので諦めた。生き方、考え方をこれ以上変えるのは面倒臭い。結構頑張って得たもんね、存在意義を。その上もっと真面目に生きよう、なんて頑張り過ぎだぜ。いいよ、やる気は無くても。ちゃんと、生きていようって思って此処にいるのなら。  なんて、真面目だか不真面目だかわからないような考え事をしていたら、彼が通り過ぎて行った。慌てて後を追い、おい、と肩を叩く。彼はうわっ、とデカい声を上げ、目を丸くした。 「びっくりしたぁ! 普通に声を掛けて下さいよ葵さん!」 「これ以上なく普通の掴まえ方だろ。むしろ気付けや、改札の目の前にある柱のふもとにいたんだぜ」 「え、本当ですか? その辺は見たつもりなのですが」 「私は君が階段を降りて改札へ向かうところからずっと見詰めていたが、二、三度こっちを向いていたね。その上で、何故気付かなかった」 「あ、わかった。考え事をしていたからだ」 「考え事?」 「はい。今日、葵さんと二人きりでこれからモールに行くわけですが、俺は緊張するだろうか、それともしないのか。そもそも二人で行動するのは超珍しいわけだけど、一体何を喋るのか。場は保つのか。何で今日に限って咲ちゃんは遅くまで仕事が入っているのか。畜生、頼んでおいてなんだが気まずい時間にならないか!? だけどそうなっては時間と手間を割いてくれた葵さんに申し訳ない! 頑張って話し掛けるぞ! と、そんなことをぐるぐる考えていたところ、急に肩を叩かれてびっくりしました」  返答に困る。彼が真面目なのはよくわかっている。だが、視界に入った待ち合わせ相手を認識せずに通り過ぎていくのは本末転倒というか、没頭し過ぎというか、視野が狭すぎるだろ。 「まあいい、とにかく合流は出来た。行こうか、綿貫君」 「はいっ! 改めて、本日はよろしくお願い致します!」  腰から上半身を九十度に曲げて礼をされた。おい、と頭上から声を掛ける。 「そういうの、苦手だからやめてくれ」  するとすぐに顔を上げた。ですが、と真っ直ぐな視線が私を捉える。 「今日は俺がお願いして来ていただいたのですから、きちんと感謝の気持ちは伝えないと」 「ありがとうって言ってくれれば十分さ」 「いえ、誠意は態度できちんと示したいです!」 「暑苦しいからいらねぇってんだよ」 「十一月も終わりなのに?」 「態度の問題だ」 「わかっております」 「じゃあ何で気温の話を持ち出した!?」 「やっぱり俺、緊張しているんですかね。あはは」  頭が痛くなる。相も変わらずマイペースな思考だぜ。行くぞ、と勝手に歩き出す。彼は小走りになって隣へ並んだ。 「いやしかし、本当に助かりました。俺一人じゃ恭子さんに何をあげたらいいのかわからなくて」 「クリスマスプレゼントだもんなぁ」  あ、そういや大事な確認事項があった。トークの流れも丁度いいし、最初に本人へ訊いておくか。 「しかも君、恭子を好きなんだろ。そりゃあきちんとした物をあげたいよね」 「えぇっ!?!?」  バカデカい声に行き来する人がこっちをチラチラと見る。しっ、と人差し指を唇に当ててみせると、彼も慌てて口に手を当てた。足を止めた綿貫君は、ちょっと、とこっちへ顔を寄せて来る。おい、焦っているのか知らんが君にあるまじき距離感だぞ。 「何で葵さんが知っているのですか!? 俺が恭子さんを好きだって!」 「教えて貰ったから」 「誰に!? 土曜日の夜、田中と橋本と高橋さんに打ち明けたばっかりだぞ!?」 「まあまあ旦那、歩きながら話そうや」  再び足を進める。彼は、誰だよ!? と小声ながらも強く叫んだ。器用なやっちゃ。 「人の気持ちを軽々しくバラシやがって! あ、でも俺も他の人には秘密だって言わなかったな。だけどこんなに早くバラすか!? バラすかー。俺達、仲良いもんなぁー」  一人で忙しく喋っている。そして情報が漏洩したこと自体に納得はいったらしい。 「ちなみに葵さんは誰から聞いたのですか?」 「咲ちゃん」 「咲ちゃん!?」  また悲鳴に近い金切り声を上げた。面倒臭くなったので注意は諦める。どうせしたってこいつはびっくりしたらデカい声を上げるとよくわかった。 「何で咲ちゃんから聞いたんですか!?」 「私が聞き出したわけじゃない。あの子の方から言い出したんだ。綿貫君は恭子さんを好きなんだそうです、って」 「ってことは田中の口が軽かったんだな! あいつが咲ちゃんに教えたに違いない。まあそりゃそうか。あの二人、結婚するんだもんな。おめでたいですねぇ」  途端に綿貫君の表情が緩んだ。君の思考のとっ散らかり方は本当に元気だな。 「そうだな。日曜日の夜も喧嘩をしていたけど」 「どうせ田中が嫌味を言って、咲ちゃんを怒らせたんでしょ」  田中君は嫌味ったらしいと全員が共通して認識しているな。やーい、バーカバーカ。ざまあみやがれー。 「そうだよ」 「あいつ、昔からへそが曲がっているからなぁ」  同じへそ曲がりでも私はあんな風な物言いはしないけどね。 「大丈夫かな、喧嘩する程仲が良いとは言うけど、咲ちゃんのストレスが半端じゃなさそう」  その心配を聞いた私は、いやいや、と軽く手を振る。 「むしろそれだけ距離が近いのさ。咲ちゃんが喧嘩を買うのは彼が離れないと信じ切っているからだ。私達とはしないだろ。いなくなられるかも知れない、そしてそんなのは嫌だ。と、考えているから我々に対しては穏やかに接するんだ」  からかい返しはされたがな。 「成程。信頼の証であるのですか」 「そ。加えて言うなら、日曜日の喧嘩は田中君が咲ちゃんを心配したから発生したものだ。咲が心配だから強い言葉で止めるんじゃん! だからって何を言ってもいいわけじゃない! でもそうでもしないと咲は聞く耳を持たない! そんなことない! 心配なだけなのに! それはわかっているよ! とまあ、聞いているこっちは帰りたくなるくらい、お互いを思いやり、理解した上での喧嘩だったよ」  その説明に綿貫君が首を捻る。 「いい話じゃないですか」 「うん」 「じゃあ何で喧嘩になるのですか?」 「売り言葉に買い言葉かねぇ。最後はお互いを、おバカ! バカって言った方がバカ! って小学生みたいなやり取りをしていたよ」 「ひどいな……結婚するにしては精神年齢が低すぎでは?」 「いいんじゃない? 同レベルで」 「まあ本人達が幸せなら好きにすればいいですけど」 「んだんだ」  適当に相槌を打つ。寝惚けた恭子の一括で喧嘩は終わったが、あれが無かったとしても私は仲裁に入らなかっただろうな。中途半端に言い合いを止めても不満しか残らないし。まああの時は止めるのも面倒になるような応酬だったからって方が理由としてはデカいけど。 「あれ? 何でこんな話になったんでしたっけ?」  唐突な質問にずっこけそうになる。かろうじて踏ん張り、咳払いをした。 「君が、二人が結婚するのはおめでたいですねぇって言うから最近も喧嘩をしていたよって私が混ぜっ返した」 「なんだ、葵さんのせいか」  いやお前が脱線の切っ掛けを作ったんだよ! と、叫びたいけど堪える。いちいちツッコミを入れていたら脳も喉ももたない。恭子みたいに情緒不安定にはなりたくないんでね。尤も、私は綿貫君を何とも思っていないから、恭子ほど心が揺れるなんて有り得ない。それでも暴れネズミ花火の綿貫君と相対するにはそれこそ適当さが肝要だ。だから適当に話を流し、適当に相槌を打つ。失礼にならない程度にね。 「そうさな。話を戻すとするならば、田中君が咲ちゃんに綿貫君の恋心を教えた。咲ちゃんは私へ伝えた」  そうだったっ、と三度目の絶叫が道に響き渡る。うるせぇなぁ。 「田中の奴、口が軽いんだよ。そして咲ちゃんも何で葵さんに教えるんだ。そりゃ教えるか。咲ちゃん、葵さんを大好きだもんな」 「照れるね」 「でも大好きだからって教えます!?」  今度は噛み付いて来た。ええい、お前はどういう思考回路をしているんだ!? 「知らねぇよ。君が大好きだからって結論付けたんじゃないか」 「綿貫君が恭子さんを好きなんだ! 葵さんに教えなきゃ! って、なるか!? ……なるか。なったんだもんな」 「なるんじゃねぇか」 「なるんですか!?」 「知らねぇってんだよ! 咲ちゃんに聞いてこい!」 「今日は仕事が入っているから空いてないんですって!」 「そうだったな! だから君と二人でモールに向かっているんだった!」 「ね! 緊張しますね!」 「別にしねぇ!」  はっと気付く。叫ぶ必要、無いな。私らしくもない。 「ところで何を話したらいいのですか!?」  そうか、こいつが叫ぶからつられたんだ。嫌な引っ張られ方だな。 「落ち着け綿貫君。絶叫は近所迷惑だ。そして喋る内容なんて下手に考え込むな。却って思考が回らなくなる。さっきまでみたいに自然体でお喋りしようぜ。そうすりゃ間が持たないなんて事態は訪れない。ほら、深呼吸をしろ。リラックスが大事だ。過度な緊張や思考は硬直の元だからな」  そう言うと素直に従った。こういう姿を見ていると本当に性格のいい奴だとわかる。 「第一、私を相手に緊張してどうする。君は恭子が好きなんだろ。あいつを前にドキドキするのはわかるけど、私はただの恭子の親友だ。特別意識をする理由も必要も無い」  しかし彼は首を振った。何でだよ。 「葵さん、恋人はいませんよね」 「あぁ」  残念ながらな。 「じゃあ駄目」 「駄目ってなんだ。失礼な」 「違います。俺の緊張対象に含まれるという意味で、駄目です」  あぁ、そういうことか。 「フリーだから一応お付き合い出来る女性という判定に含まれるわけで、そうなると君は無条件で緊張しちゃう、と」  はい、と力強く頷いた。溜息が漏れる。 「まあ緊張も弛緩も勝手にすりゃあいい。個人的には恭子を好きなんだったらあいつ以外の人間に緊張する必要なんざ無いと思うがね」  途端に口を噤んだ。しばし無言の時が流れる。今度は何を考えている? 歩きながら見守っていると、大きく息を吸い、吐いた。彼が零した言葉は。 「確かに」  その一言だった。今度こそ私はずっこけて運悪く電柱にぶつかった。チクショウ、三バカはどこまでも私を振り回しやがるな……。
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