靴下屋さんはいいサンプル。(視点:葵)

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靴下屋さんはいいサンプル。(視点:葵)

 大将に先を歩かせ斜め後ろから様子を伺う。あれ、でも普通は大将が一番奥にいて下っ端から順に前を行くのか。まあいいや、私の方が先輩だし。そもそも、ものの例えだし。  彼の両眉尻はすっかり下がり切っていた。表情筋、柔らけぇな。お、不安そうではあるが家具屋を覗き込んだ。椅子でもあげるのか? そんなクリスマスソングがあったねぇ。彼が担いでデートの現場に現れたら恭子はどんな反応をするかな。普段だったら爆笑するだろうけど、綿貫君が相手の時は反応が変わるんだよなぁ。げんなりするか、素敵……ってうっとりするか。わっかんねー。恋する恭子とか私の知らない顔過ぎる。ちぇー。  どうでもいいことを考えながら綿貫君を眺める。首だけ突っ込み店内を見回していたが、すぐに引っ込めた。入らないのか。頭を掻きつつその場を離れ、今度は隣の本屋の前で動かなくなった。絵本でもあげるか? もしくはエロ本。まあ本屋には売ってないけど。せいぜいがグラビアアイドルの写真集か。あげたところで恭子本人のプロポーションの方がいいに違いない。持って生まれた体つきに不断の努力が加わって、そりゃあ凄いことになっている。おんぶした田中君、いい思いをしたねぇ。私は非力で恭子をおぶれないから同じ体験は出来ないのだ。  そして綿貫君はと言えば、結局本屋にも入らなかった。そりゃそうか、クリスマスプレゼントに本や漫画をあげるなんて小学生じゃあるまいし。  次は隣の帽子屋。その次はとあるアニメのグッズショップ。Tシャツ屋。文房具屋。石鹸のお店に香水屋さん。化粧品売場に靴下専門店。 「いやどっか入れや!」  此処まで全ての店をスルーした彼に思わずツッコミを入れる。だってぇ、と泣きそうな表情を浮かべた。 「どれもピンと来ないんですもの……」 「来い!」  強引に手を引き靴下専門店に入る。だがすぐに離して、見ろ、と棚を指差した。 「こんだけあれば恭子に似合いそうな靴下の一足や二足、あると思わんか」 「靴下をあげるのですか? あ、わかった。なんだかんだ言いながら葵さん、今恭子さんが欲しがっている物を教えてくれたのですね。靴下を求めていたからこの店の前で入店の切っ掛けを作った、と」  ええい、この頓珍漢め! 「違うわアホ。私は君に決して答えを教えない」 「またまたぁ。ありがとうございます! 助かりました!」  勝手に納得して頭を下げた。違ぇよ、と低くなった脳天をひっぱたく。 「痛いです!」 「騒ぐなよ? お店の迷惑になる」 「それくらいは心得ております」  その割に道端ではでけぇ声を出すんだな。 「え、じゃあ本当に恭子さんは靴下を欲しがっているわけではないのですか?」  目を丸くする彼に深い頷きを返した。すると、えぇ、と明らかに戸惑いを含んだ声を上げた。 「じゃあどうしてこの店に入ったので?」  ここから先の話は店員さんに聞かれたくない。手招きをすると素直に顔を寄せてきた。……おい、何故私を相手にしても照れない。それはそれで傷付くぞ。だが今は別にせっつかない。まず、と囁きかける。 「堪え切れなくてツッコミを入れたのがたまたまこの店の前だった。だが入店して気付いた。此処はサンプルに丁度良い、と」 「サンプル?」  至近距離にある眉がひそめられた。そういや私も綿貫君には照れないな。橋本君の時と違って。そうか、こいつは安全だと信頼出来るからだ。橋本君はマジでお手付きしかねない油断ならなさがあるけど、綿貫君は絶対にそういう不埒なマネをしない。おまけに恭子を好きになった。それなのに私へどうこうしたりなんて有り得ない。成程な。君は良い奴だね。もっと自信を持ちたまえ。ま、ともかくだ。話を進めるとしようじゃないか。 「そう。この店には大量の靴下がある。色。柄。サイズ。長いか短いか。フリルがついていたりいなかったり。タイツみたいだったり肉厚な毛糸の物だったり。千差万別雨あられ、選び放題何でもござれ」 「歌舞伎役者みたいっすね」 「すまん、ちょっと自分で言っていて恥ずかしくなった」 「ははははは!」  爆笑すんなよ。余計に照れ臭くなるじゃねぇか。咳ばらいをして、そんでな、と無理矢理話を戻す。 「試しに選んでみたまえよ。恭子に似合うと君が思う一足を。あげる、あげないは別にして」  途端に自信なさげな表情に変わった。眉が下がり過ぎているぜ。 「靴下なんて、俺、わかりませんよ……」 「私だってわからん。だが恭子に似合う物をあげろと言われたら頑張って選ぶぞ。君に出来ないわけなかろう。だって恭子のことを好きなのだから」  遠慮なく切り込むと、それはそうですけど、と首を傾げた。ううん、と唸りながら棚を見上げる。首の筋、痛めるなよ。 「今度は選択肢が多すぎますよぉ」 「モールの店の数より大量の靴下だ。さあ、選べ。ほれ、早く」  急かすと、いぐぐぐ、という人生の中で聞いた覚えの無い唸り声を上げた。笑うか戸惑うか決めかねていると、勢いよく手を合わせて私を拝んだ。願いは叶えられんぞ。 「ヒント! もしくは切っ掛け! 或いは選び方を教えて下さい!」 「そんなに決められないか?」 「わかんないんですよ。恭子さんのためって、何がどうあの人のためになるんですか? 喜ばせたいけど、どうやればいいの? どんな靴下があの人の好みなの? 俺、恭子さんが何を好きかって意外と知らないんですけど!」  人差し指を自分の唇に当てる。失礼しました、と綿貫君は深呼吸をした。君の声帯はボリュームのツマミがバカになっていると思われるな。 「じゃあまず色から決めてみよう。君の想像する、恭子のイメージカラーは?」 「紅」  おっ、意外にも即答した。紅、ね。 「情熱的じゃないか」 「そういう色のドレスを着たらきっと似合います」 「確かに」  ハイヒールも履いて優雅に歩いていそうだな。まあ恭子のことだから、人前では華やかに振舞うものの舞台袖に引っ込んだ途端に裾を踏ん付けて豪快に転びそうだが。 「よし、じゃあまずは紅色の靴下を探してみようか」  棚を見ながらゆっくりと店内を進む。だけどなかなか見付からない。半周くらいしたところでようやく一足見付けた。よっ、と手に取り振り返ると綿貫君は大分手前で立ち止まっていた。ふふん、少しは意味がわかったか? 紅色靴下を持って彼へ歩み寄る。 「こいつがあった。どう思う?」  長さはふくらはぎの下まで来そうなほど。色は真紅。柄は無し。少しデコボコになるような縫い込み方がされている。それを目にした綿貫君は。 「何か、違う、気がします」  噛み締める様に感想を述べた。 「どうして?」 「うーん、恭子さんのイメージカラーはこれです。だけどこの靴下を履いている姿が想像出来ない。多分だけど、あの人はここまで派手な靴下は履かない。いや、見たことは無いですよ?」 「旅行、一緒に行ったじゃねぇか。二回もさ」 「あー、その時見たのか? じゃあ訂正します。覚えていません」 「だけどこれはしっくりこない、と」  はい、と私の目を見てきっぱり答えた。じゃあ戻して来る、と背を向けすたこら棚へ向かう。丁寧に置き、綿貫君のところへ再び歩いて行く。彼の視線は一点に向けられていた。そこに置かれているのはピンクと白の短い靴下だった。くるぶしあたりまでの長さだ。口の位置に一回り、レースの飾りが付いている。黙って手に取り彼へ差し出す。ぼんやりとそれを受け取り眺めた。しばしの後。あの、と視線を靴下から私へ向けた。 「俺、これが恭子さんに似合うと感じたのですが、葵さんはどう思われます?」 「答える前に理由を聞こうか。もし、あるのなら、で構わないから」  どことなく心ここにあらずといった様子だが、説明は出来るかな? 「理由と言う程ではありません。ただ、恭子さんが履いていたら可愛いな、と思いました。あの人の雰囲気は華やかで、性格は明るくて、気質はとても面倒見が良くて、俺なんかのために疑似デートを提案して付き合ってくれるくらい人が善くて。さっき伝えた通り、紅のドレスを着たらきっと似合うに違いない。そういう、華のある方なのですけど。普段、何気ない瞬間にこの靴下を履いていたら、とても、あの、口にするのは恥ずかしいですが、か、可愛いと、思いました……」  最後は尻すぼみになった。うん、そりゃあ照れるわ。聞いていた私までドキドキしているもの。人の恋心って眩しくて、熱量が凄くて、キュンと来るんだな。私も彼みたいに恭子を好きだったのかなぁ。それはさておき、そうか、と俯いて顔を真っ赤にした綿貫君の肩を軽く叩く。 「理由と言う程じゃない、だって? とんでもない。予想以上にしっかり考えていてびっくりした。いいじゃん、この靴下をあげてもさ。まあ今すぐ買わなくたっていいんだが。他の店を見てから最後にプレゼントを決めりゃ問題無いんだからな。だが、綿貫君。これが恭子のことを考えるって行為さ。もし私がこの靴下を選んで、君が代金を支払って、恭子にあげたと仮定する。そこに君の意思は存在しない。恭子を思ったプレゼントではない。だが今、君がこの靴下を手に取った。君が語ったように、あいつはどういう人間で、だけどこういう理由があってピンクと白の短い靴下が似合うと感じた。だから君はこれを選び、買い、あいつに渡す。そいつは立派なプレゼントだ。同じ品物を、同じ奴が買い、同じ相手に渡すとしても、私に答えを教えられるのと君が自ら考え選ぶのとではこんなにも差があるのだ。少しはさっきの私の話が実感出来たか?」  間違いなく大丈夫だとは思うがね。 「はい。よく、わかりました」  うん、そうだよな。君はアホだが素直でかしこい良い奴だもの。と、内心で褒めていたのだが、突然彼は頭を抱えた。うわぁ、と声が漏れている。 「どうした、今度は何事だ」 「いや、さっきの俺の発言、クソみたいだと思って。金は払うのだから俺からのプレゼントじゃないですか、なんてどんだけ駄目な人間の物言いだよ!」  あぁ、気付いたからこそ恥も自覚したのか。 「やばっ! 短絡的! 最低!」  そこまで自分を貶めるなよ。発言はアホだったし全然理解してくれなくて呆れたけどさ。と、思いきや、今度は直立不動の姿勢を取った。葵さんっ、と店内にも関わらずデカい声を出す。もう一度、人差し指を唇に当てる。失敬、と彼は咳払いをした。 「気付かせていただきありがとうございます。おかげでプレゼントをするという行為が何たるものか、理解出来ました。改めて、本日のプレゼント選び、ご協力をお願いしますっ! 色々見て回りますが、俺なりに恭子さんを考えます。だから、助言をお頼み申し上げます!」  叫ぶと同時に九十度の礼をした。まったく、興奮しているのか言い回しが侍になっている。結局声、デカくなっているし。ほらぁ、店員さんがこっちを見ているんだよ。深々と頭を下げた君は気付いていないに違いないけど。 「わかった、しっかりサポートするよ。そんでもって靴下はどうする? 買わないならとっとと出ようぜ」  視線が痛いからな。だが頭を上げた彼は、買って来ます、と即答した。 「ふうん?」 「葵さんが気付かせてくれた記念です。これ、恭子さんにあげます」 「え、じゃあプレゼント選びは終わりか?」 「何を仰いますのやら! ご協力をお願いしたばかりでしょう。色んなお店を覗きます。ただ、これも買って恭子さんに差し上げます。記念ですね!」  ふむ、目を開かれた切っ掛けの品だから購入決定か。まあ好きにすればよろしい。 「あ、そうだ! 俺、今のお礼に葵さんにも靴下を選びますよ。どれにしようかな。こうなると選択肢が膨大なのが逆に楽しくなってくるな!」  げ、まだ居座る気か!? お前、店員さんの突き刺す視線に気付けよ! 「いいよ、私には。生憎、靴下は余るほど持っているんだ」 「そういうわけにはいきません! ぜひ、お礼として選ばせて下さい!」 「いらんいらん。むしろ気を遣うから謹んでお断りする」 「またまた、遠慮なさらずに!」 「いいから買ってこい。プレゼント用の包装にして貰うのを忘れるなよ」  そうして背を向けトンずらをこいた。本当に要らないんですかぁ、と後ろから声が響いた。黙って手を上げる。わかりましたぁ、と返事が聞こえた。さて、とっととレジを済ませておいで。私は振り向きたくはないからその辺で適当に待たせて貰うよ。やれやれ。
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