葵、他人事の体で自分の過去を語る。(視点:葵)

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葵、他人事の体で自分の過去を語る。(視点:葵)

 微笑みを返して来た綿貫君だが、僅かな寂しさが表情に浮かんでいた。本当に君は裏表が無い上にわかりやすいな。 「まあ君が決めたことに対して私は口出しなんてしないよ。恭子が告白を受けてオーケーする可能性もあるかも知れないけどさ」  我ながら白々しい。あるかも、じゃなくて成就率百パーセントだっつーの。 「それでも、嫌なんだろ。皆の仲がおかしくなってしまうかもわからないのが」 「はい」  絶対に有り得ないんだけどな。なんなら朝九時に咲ちゃんの元へ泥酔した恭子が突撃したのも、綿貫君を好きって気付いて一晩中悩みながら酒を飲んだせいなのだぜ。だけど君はそんなことがあったなんて全く知らないんだよなぁ。うーむ、ちょっと不思議な感じ。 「だけどクリスマスには疑似デートへ行く。うん、貴重な機会だね。楽しんで来いよ」 「ありがとうございます。貴重な思い出にします!」  ……いや、やっぱ直接話していると思うんだけどさ。鈍くね? 鈍すぎじゃね? 綿貫君よ。君はクリスマスにお誘いをされたんだぞ。疑似とかいう変な枠に括られているとはいえ、デートだぜ? ひょっとしたら恭子さんが俺のことを、なんて欠片も浮かばないのか。どんだけ自分に自信が無いんだ。さっき目の当たりにしたし、今だって散々聞かされたけどさ。もうちょい希望を持ってもいいだろ。自分自身の価値をゼロだと思っている私が言うのもなんだけどさ、君はもっと自信を持て。おかげでお前の惚れた相手は迷って、悩んで、情緒不安定になって泣いちゃったんだからな。  そんな事情なんて当たり前だが欠片も存じ上げない大将は、お礼の気持ちも伝えなきゃだよなぁ、と呟いた。 「お礼?」 「クリスマスを疑似デートに割いてくれるのですから、全力で感謝しなきゃ。そのためにも、喜ばせられるプレゼントをお渡ししなければなりませんね! よし、買い物を再開しましょう!」  唐突にずかずか歩き出した。溜息を吐き後を追う。しかし、あの、とまたしても急に立ち止まり振り返った。今度はいきなりすぎて避け切れず、胸元に顔をぶつけてしまった。 「わっ! 葵さん、何ですか! 近いですよ!」 「お前が止まったからだろうが!」  取り敢えずもう一発蹴りを入れる。いってぇ! とデカい声が響き渡った。 「ったく。こっちだって君の胸に飛び込むつもりなんて無かったっての」 「いてて。当たり前ですよ」 「な。恭子に怒られちまうぜ」 「え?」 「ん?」  あ? 「何で、葵さんが俺にぶつかると恭子さんが怒るのですか」 「……」  ……。 「恭子さん、関係無くないですか?」  ……あ、やっべ。やっべ! つい口を突いて出てしまった! しまった! どうしよう! 「それは、だな」  どうしよう! どうしようどうしようどうしよう! 恭子は綿貫君を大好きだから、私が胸に飛び込んだりしたら嫉妬してぷりぷり怒り出すんだぜー。なんて言うわけにはいかない! ちくしょう、それにしても私ってば案外口が軽いな! どうしよう!? 何て言って誤魔化す!? 「綿貫君が、照れちゃって、困るだろうって心配するのとだ」 「はあ」 「気軽に、男女が接触するのは、風紀の観点からよろしくない、って叱ると思う」 「おぉ、まさにその通りです!」  よし、食い付いた! 誤魔化せたな! ふぃー、我ながらファインプレーだ。言い訳に関してもよく回る口だぜ。はっはっは! 「なんだ、恭子さんも俺と似たような価値観なのですね! そうそう、みだりに男女が接触してはいけません。先日開いたしおり作りの打ち合わせ会の時にも、確かそんな注意を……」  そこまで話した綿貫君は、あれ、と腕組みをした。 「でもあの日、恭子さんも俺をくすぐっていましたよね」 「……」 「俺、男女がみだりに接触するのはよろしくないって葵さんと恭子さん、それに咲ちゃんにも注意をしました」 「……そう、だな」  んだよクソが!! 思い出すんじゃねぇよそんなこと!! 「恭子さんにもくすぐられたのですが」  引っ掛かるんじゃねぇ!! 誤魔化す方も大変なんだよ!! 粗を見付けるな!! 「あの日はさ、ほら、恭子、情緒不安定だったじゃん。だから、柄にもなく、お触りしたんだと思う」  我ながら、なんて説得力に欠ける言い訳だ。あかん、こらあかん。綿貫君が変な疑いを抱いている。すまん、恭子。お前の恋心、思いがけず私が今、此処でバラす羽目になるかも知れん。 「あぁ、そうか。恭子さん、大分不安定でしたものね。成程、じゃああの時はテンションがハイの方向に突き抜けていたのか。まったく、本当に危なっかしい人だなぁ」  ……ん? 「気を付けて下さい、と注意はしているのですけどね。距離感が近かったり、隙が多かったり、そういう一面があるのは危険だ、って伝えたんですよ? 一回目か二回目の疑似デートの時に。何故なら恭子さんは素敵だから。言い寄って来る相手も多かったと仰っておりましたし」  ……これは、ひょっとして。 「勿論、ご本人も危機管理意識は持っているでしょうけど、何かふとした瞬間に危なっかしく見えて心配になるんですよねぇ。葵さんはどう思います?」  うん、あの弱っちい言い訳で誤魔化せたみたいだな! 情緒不安定を盾に乗り切れたぜ! そんで、何だって? 危なっかしい? 「こないだの日曜日も田中君と二人で飲みに行って、結局酔い潰れて彼に介抱されていたんだぜ」  変わった話題へ全力で爆弾を投げ付ける。完全にこっちへ目を向けさせれば私のミスは見えなくなるから! 「ほらぁ、やっぱり危ない。いくら田中には咲ちゃんがいて手出しはして来ないとわかっていても、男の前で無防備なんですよ恭子さんは」  綿貫君よ。あのな、あながち絶対大丈夫、とも言い切れないんだよ田中君は。何故なら彼は私に告白したのだから。それを知らないのは君だけなのだ。ごめんね、でも教えないって私が決めたので、許してね。 「まあその通りではあるのだが。恭子はさ、私らの前でしか酔い潰れたりしないんだぜ」 「え? そうなんですか? 飲み会に行くと三回に二回はご機嫌になって葵さんが回収されている印象がありますが」  すっかり私の失言から意識は逸れたようだ。いやぁ、久々に焦ったね。セーフセーフ。 「言っただろ、私達の前では、って。恭子は他の人と飲んでも潰れたりしない。大学のサークルメンバーと飲んでも、最後まで理性を保っている。甘えているのさ、私や君達にはね。ふふん、可愛いところがあるだろ」  そう言ってもう一度彼の顔を覗き込む。 「それだけ気を許しているということですか」  ん、何故か無表情だな。てっきり照れるか喜ぶかすると思ったのだが。 「そういうこと。外ではしっかり者のお姉様が、気を許した我々の前ではだらしないくらい気を抜いている。私は嬉しいがね、認めて貰ったみたいでさ」 「いや、駄目でしょ」  おっとぉ? 予想外のお言葉だ。 「そうか?」 「はい。どれだけ仲が良くても無防備過ぎるのはよろしくありません」 「何だよぉ、幻滅したかね」 「いや、恭子さんが酔っ払って潰れたり絡んだり大笑いしたり隙があったりしているところは散々目撃しているので今更がっかりはしませんが」  ひでぇ酒乱だな。 「じゃあ何があかんねん」 「いくら仲良しでも俺や田中、橋本は男です。あいつら二人には彼女がいるから基本的には安心して身を任せられますがね。人間には理性と本能があります。後者が前者を凌駕した時、人と人は一線を超えてしまいます。どれだけ理性が強かろうが、超える可能性はゼロではありません。もし酔い潰れた恭子さんが、その、こないだみたいにうっかり大変な格好を晒してしまったりしたら、間違いが起こってしまうかも。だから、やっぱり気を付けて欲しいです」  ふふん、成程な。だが一つだけ、ズレている考えがある。 「そいつは男女に限った話か?」 「はい。男女の仲になってしまう場合があるから隙を見せない方がいい、と思います」 「ちょっくら偏った見方だね。一個、教えてあげよう。私は恭子に惚れた女を知っている。六年くらい前だったかな。そりゃもう彼女の恋は大層なものだったよ。二年くらい引き摺っていたね。だから男女の組み合わせだけに限った話じゃないのさ。そこだけは見識を広めておくことをお勧めする。強制はしないけど」  そうかぁ、と綿貫君は背筋を伸ばした。 「確かにそうですね。恭子さんは女性からもモテるくらい素敵なのですね」 「恭子に限った話じゃねぇよ。ま、あいつが魅力的なのは同感だがな。自慢の親友だぜ」 「ちなみにその、恭子さんを好きになられた方ってどういうお知り合いですか? 六年前なら恭子さんや葵さんが二十歳の頃ですか。大学の方? それともアルバイト先の同僚とか?」  おぉ、意外と食い付いてきた。惚れた相手の過去の恋愛事情はやっぱり気になるものなのか。そしてどんな奴かって? 君が今、問い掛けている相手だよ。わ・た・しー。えへ。 「大学の同期だね。同じサークルに所属していた人だ」 「お付き合いはされたので?」  残念ながら。 「いや、そいつから告白したけど恭子がフったってさ」  他人事みたいに自分の過去を話すのは案外難しいな。ついうっかり口を滑らせそうだ。別にいいんだけどさ、滑っても。私の話だから。ただ綿貫君が変な気を回すようになるだろうな。 「差し支えなければ断った理由をお伺いしても良いですか」  ぐいぐい来るねぇ。 「恋人としては見られないからってことみたい」  みたい、じゃなくてはっきり言われたよ。残念でごわす。 「それは、女性同士だから?」 「知らねぇ。詳しくは恭子に聞いてみろ」  そう、本当にその理由の深い意味に関しては私も知らない。ただ、葵を恋人としては見られない、とフラれた。何故見られないのかまでは問い詰めなかったもの。 「それから二年、その方は引き摺られたのですか」 「表面上は普通に振舞っていたけどね。恋心はそう簡単に忘れられるものじゃないみたいよ。そいつは君もよくわかっているだろ」 「俺は、まだ、好きになったばかりですから」  いいねぇ、新鮮な恋心。心配するな、君のそれは叶うのだよ。だって恭子も君を好きだから。私のことはフッたくせにさ。ね。 「でもサークルの同期生同士で告白してフラれたのなら、やっぱりギスギスしましたか」  そこは当然気になるよなぁ。だって君は我々七人が変な感じになってしまうのが嫌で告白しないと決意したのだもの。 「恭子はケロっとしていたよ。だが告白した側のそいつは、一カ月くらい恭子を避けていたかな。サークル室にも顔を出さなかったし、気まずかったんだろうね」  顔を合わせたくなかった。だからひたすら逃げ回った。 「やっぱりかぁ。それが嫌なんですよ」 「だけど結局友達に戻ったよ。二人が微妙な空気になる瞬間は何度かあったし、告白した奴の性格はちょっと変わったけどさ。今でも友達でいるみたい。ちょこちょこ飯、食いに行っているんだって」  友達どころか親友同士。私は恭子の、恭子は私の、一番大事な親友だ。 「マジですか。あの、サークル活動に支障とかは?」 「そもそも告白の件を知っているのは当事者を除けば私だけだ」  本当は私が当事者だ。 「だから何も影響は無かった」 「でも顔を合わせるのを避けていたのでしょう。活動に来なかったら心配されたりしませんか」 「丁度夏休み期間中だったからねぇ。偶々なのか狙ったのかは知らんが、まあ結果オーライってところだな」  全く狙っていなかった。恭子と二人で旅行から帰って来て、あいつの家にそのまま遊びに行って、その時何故かポロっと告白してしまったのだ。勢いってのは怖いねぇ。 「じゃあ当時は告白した方が動揺した以外は何事も無く。そして六年後の現在は当事者同士も仲良く過ごしている、と」  うん、と頷く。丁度いい。もう一つアドバイスをあげちゃおうっと。 「だからさ、綿貫君。あんまり気を回し過ぎるなよ。君と告白した奴は性格が違う。故に一概に比べたり並べたりしてはいけないとはわかっているよ。たださ、君が思う程、我々七人の関係は脆弱ではない。いや、正確に言えば危ない瞬間は何度もあった。君と田中君、橋本君は揉めて喧嘩別れした可能性もある。他にも、乙女の秘密なので詳細は離せないが絶縁しかけた奴らもいる」  今日は自分の話を他人事みたいに語る機会が多いねぇ。 「だけど、もし綿貫君が恭子に告白して、うまくいかなかったとして。君は態度に出てしまうだろう。だってこんなにも素直なのだから。あ、誤解無きように言っておくけど嫌味じゃなくて褒めているのだぜ。腹の中で舌を出したり親指を下に向けている奴が蔓延る世の中で、君みたいに裏表の無い人間は貴重だ。一歩間違えれば空気を読めないアホになるが、この上なくいい奴だと私は思う。大事にしろよ、その素直さ」  それこそ本心をそのまま伝える。アホはひどいな、と彼は苦笑いを浮かべた。 「話を戻すぞ。フラれたら君は露骨に落ち込むな。当然、我々は語られずとも察するだろう。こいつ恭子にフラれたなって。ただ、その後こっちまで気まずくなるか? 私達は交流しなくなり、バラバラになるか? そんな奴はいないと私は思う。田中君と橋本君、咲ちゃんに佳奈ちゃんは君を慰めるだろう。頑張ったな、偉いぞって。そして私は恭子をつつく。何でフッたんだよ、あんなにいい奴なのに勿体無いってね」 「……ありがたいお言葉です」 「その上で、皆でまた飯を食ったり酒を飲んだりしようって集まるんじゃないかな。それこそ気まずくてバラバラになるのを望むような人間はいない。フッた奴とフラれた人が同じ場にいるなんて居た堪れないなぁって思う者はいるかも知れんが、何で告白したんだよ、なんて君を糾弾したりはしない。むしろ、その気まずさすら笑い飛ばしていきたいと私なんかは感じるが、当事者である君に対してそこまでの気楽さを求めるのは流石に私には出来ないな」  彼の瞳が微かに揺れる。少しは前向きな影響を与えられるといいな。 「ともかくだ。決心しているのなら無理に背中を押しはしない。だけど告白、しちゃいけないなんて法は無い。失敗したって私らがいる。駄目だったよぉって泣きながら輪に飛び込んで来い。皆で受け止めて慰めるし、その輪が壊れたりはしないからさ、君一人だけが我慢し過ぎるな。さっき教えた恭子に告白した奴は、二年引き摺ったって言っただろ。もしこのまま気持ちを仕舞い込み続けて、だけどずっと引き摺ったら、君は次の恋も見付けられないかも知れない。一方、その間に恭子へいい相手ができたら後悔はしない? もし、告白をしていたら、隣にいたのは自分だったかも知れないのに、なんて悔んだりはしない? それすら受け入れて告白しないと決めているのなら好きにしなさい。ただ、後悔の無い人生を送るのは不可能だが、なるべく減らすことは可能なのだぜ。一応、恭子の親友として、そして君の先輩というか、年上の友人として、助言を伝えておく。ま、最後に選ぶのは君自身だ。あくまでそういう意見もあると頭に置いておいてくれれば私は満足だよ」  さて、と彼の肩を軽く叩く。一瞬、体を強張らせた。お触りされたから? それとも気持ちがふわふわしている? 「立ち話が長くなったな。プレゼント探し、再開しよう。決める前にモールが閉まっちまう」  その言葉に綿貫君は腕時計を確認した。夜七時半。モールが閉まるのは午後九時だ。 「一時間半で決められるかな?」 「……頑張ります」  あらまあ、固い声だわね。気楽にいこうぜ、と頭の後ろで手を組むと。 「今の話を聞いた後で呑気に構えられるわけないでしょう」  当然の抗議が飛んできた。仰る通り、と笑い飛ばすと盛大な溜息を吐いた。ははは。  叶うといいね、君の恋は。ね、綿貫君。フラれた私の分まで、君は恭子と幸せになっておくれ。
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