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疑似〇〇。(視点:葵)
それから二人でモールをぶらついた。下着屋を指差し恭子のサイズはわかるぞと伝えると、買うわけないでしょっ! と顔を真っ赤にした。花屋の前で、サボテンはどうですかねと訊かれたので枯れちゃった時に気まずいからやめておけとしっかり止めた。確かに嫌だな、と彼も顔を顰めた。服屋の前では足を止めなかった。覗かないのかとせっつくと、着て貰えないのは寂しいけど遊ぶ日にわざわざ着用されるのもせっついたみたいで気まずい、だからやめておきます、と苦笑いを浮かべた。違いない、と私も声を上げて笑った。食器を見て、うっかり割りそうだ避けましょう、と首を振った。家具屋を眺め、でも邪魔になるよなぁ、とぼんやり呟く。色調が茶で統一されている雑貨屋でクッションやスリッパを眺め、恭子さんの家に合うのかわからない、と首を捻った。
「似合います? どう思いますか、葵さん」
「どっちかっつーと白黒の家だぞ」
「オセロみたいですね」
「引っ繰り返っているのは酔っ払った恭子だけどな」
「あはは、それは間違いない!」
「おいおい、ひどい疑似彼氏だね。疑似彼女をそんな風に言うもんじゃない」
途端に綿貫君はフリーズした。ふふん、予想通りの反応だ。いいね。
「おやぁ? どうした、急に固まって」
「あ、あ、葵さん。なんちゅう恐れ多いことを仰るのですか。ぎ、疑似が付いているとはいえ、俺が、恭子さんの、恭子さんの……!」
「おっと、デカい声は出すなよ。これ以上、他の客から注目されるのは勘弁だ」
人差し指を唇に当てる。今日、この仕草をするのは何回目だ? しかし声を張れなくなった綿貫君は鼻息をとても荒くした。多分、目に見えない微細な鼻水が空気中に飛び散っているのだろうなぁ。……そんな下らないこと、考えなければ良かった。気分を一転、からかいましょうか。
「でも実際そうだろ。疑似デートをしている以上、二人の関係は疑似彼氏と疑似彼女だ」
「や、め、て、く、だ、さ、い」
叫ばないよう息を止めているらしい。そして一音ずつ、えらく力が入っている。
「取れるといいな、疑似」
私はその段階にすら至れなかったのだよ。まあ罰と称して食べちゃったけど。はっはっは。
「そ、れ、は、そ、う」
そこまで答えた綿貫君は、ぬおぉ、と頭を抱えた。恒例の暴れん坊タイムかな。どんな慟哭が飛び出すのやら。
「駄目だ! 身に余る肩書だ! 俺が恭子さんの疑似とはいえ彼氏だと! 釣り合うわけがないのに、なんてとんでもない位置に立たせて貰っているんだ!?」
疑似デートを希望したのは恭子だけどな。君のためって宣いながら、本音は自分がデートをしたかっただけなのだぜ。そんでもって提案しておきながら、身勝手過ぎたかしら、と悩んで泣きそうになって酔っ払っていた。真面目を通り越してアホなのかもな。もうちょい気楽に向き合えばいいのに。ま、かくいう私も田中君の件で死にたくなる程迷って悩んで恭子と咲ちゃんに助けて貰ったのだが。他人には好き勝手言えるけど、結局お前もそうやんけ、って特大のブーメランが返って来ちゃうね。口は禍の元。気を付けましょう。
「いいじゃん、仲良くなれたんだし」
顔を上げて目を剥いた。怖ぇよ。
「なれましたよ。そりゃあもう、距離が縮まりました。だけど、友達として、先輩後輩としてですよね。勘違いなんて絶対にしないぞ!」
「わはは、勘違いしそうって感じたんだな? 男女の仲が深まったって」
「そんなわけない!!!!」
「うるせぇなぁ。叫ばないと君は死ぬのか? マグロかお前は。あっちは泳ぐのをやめたらくたばっちまうが」
「むしろくたばりそうです!」
「なんで」
「恥ずかしくて!」
「安心しろ。恥だけで人は死なねぇよ。まあそこからあかん選択肢を取ればゴートゥーヘルだ」
「人を地獄行きって断じないでくれます!?」
「ゴートゥーヘブン」
「情緒が昇天しそうです!」
わかったぞ。こいつをからかうのは非常に楽しいが、人がいないところでやらなきゃ駄目だ。モールのど真ん中で昇天しそうって叫ばれると、周囲から人間がいなくなるとよくわかった。ふむ、いっそ風俗街で叫ばせたら面白いかも。あ、でもやっぱ無し。私が昇天させるみたいで嫌だ。恭子はさせたがな。
「そんじゃあくたばる前にプレゼントを決めようぜ。流石に靴下だけってわけにはいかんじゃろ」
「そりゃそうだ!」
勢いそのままに身を乗り出して来る。またぶつかりたくはないので一歩後退した。
「あと四十五分で閉まるしね。ちょっと急ごうか」
「もうそんな時間か! ありがとうございます、教えてくれて!」
「さあ、次は何のお店かな」
歩き出した三秒後。あれ、と綿貫君が呟いた。
「そもそも何で止まったんだっけ?」
「君が照れたからだ、疑似彼氏」
私の答えに、あぁっ、と何度目かもわからない叫びを上げた。きっと彼は三時間ぶっ続けで一人カラオケをやっても喉は平気に違いあるまい。
「そうですよ! 葵さんがとんでもない発言をするから!」
「事実だってば」
「だけど恥ずかしい!」
「二回も疑似デートをしておいて今更だね。なんなら今日は私の疑似彼氏かい? 二人きりでモールでお買い物。傍から見ればそういう仲に見えるかも」
恭子が拗ねるから押さえていたが、どうしてもからかいたい欲が勝ってしまった。悪いな親友。私をフッたんだからこれくらい許してくれや。そして綿貫君の顔色は、おや、今度は青ざめてしまったな。どういう思考が働いたのかね。
「……ヤバい」
「あん?」
何が?
「……疑似浮気だ」
唇を噛み締める。待て私。吹き出すのはまだ早い。絶対、間違いなく、これからとんでも発言が飛び出す。そいつを聞くまで吹くのは堪えろ。
「葵さん」
彼が真っ直ぐに私を見詰めた。おう、と震える声を押さえつけて応じる。
「俺、疑似浮気をしてしまいました」
「…………疑似、浮気?」
なんだそのバカみたいな響きは。なんなんだ、その浮気の疑似体験って。
「恭子さんに疑似デートへ付き合っていただいているのに、葵さんとも疑似デートのような体験をするなんて、これ、もう浮気じゃないですか。疑似浮気じゃないですか!」
ぐふっ、と呼気が漏れてしまった。口元を押さえそっぽを向く。
「どうしよう。俺、恭子さんにこんなにもよくして貰っているのに内緒で葵さんと出掛けちゃった! 間違いない! 疑似浮気だ!」
「…………」
駄目だ、喋れん。今、口を開いたら爆笑しちまう。
「困った! 申し訳が立たない! しかも証拠は全部残っている! 何故なら葵さんとやり取りをしたメッセージがあるから!」
「…………消せば? ふっ」
端的に伝えたものの、やはり笑いが漏れてしまった。なんだよ疑似浮気って。そういう怪しげなお店やサービス、ありそうじゃないか。実際にやってはいけないから、プレイの一環として体験させてくれるのだ。げ、そうなると私はさせてあげる側の立ち位置になってしまう。冗談じゃない。こちとら散々下ネタを飛ばしちゃいるが、彼氏がいたことも無いっての。
「消すのは葵さんに申し訳ない! だって貴女は善意をもって俺のプレゼント相談に乗ってくれたのですから! そもそも証拠隠滅を諮るなんて卑怯者の行いだ! 決めた。俺、恭子さんに電話を掛けます。本当にごめんなさい。葵さんと疑似浮気をしてしましたって」
言うや否やスマホを取り出した。おい、と慌てて手に飛びつく。
「何ですか! こういうのはね、すぐ正直に白状した方がいいのですよ!」
「やめろバカ! 実際の浮気はどうだか知らんが、疑似浮気ってそれただ友達同士が出掛けただけだろ! 今日の君と私みたいに」
「でも俺は恭子さんの疑似彼氏で、それなのに葵さんとも疑似デートをしてしまった! 疑似浮気には違いない!」
くっ、からかったのは私だがまさかこんな方向へ進むとは予想外だ。本当に思考の読めない奴だな!
「落ち着けって。疑似彼氏だの疑似彼女だの、マジになって捉え過ぎだ。いいか、君はまだ恭子と付き合ってはいない。当然、私とはそんな関係になるなんて有り得ない。だから友達と遊びに行くのと変わりないんだ」
ゆっくりと言い含める。しかし綿貫君は、そんなの断言出来ないじゃないですか、と首を振った。
「あ? そんなのってどんなの」
「俺と葵さんが男女の仲になる可能性だってゼロではないのですよ!?」
「ゼロだよ!」
とんでもない発言をしやがった! いいか綿貫! 恭子とお前は両想いなんだ! 私がインターセプトするわけねぇ!! でも教えられないもどかしさ! ちくしょう、どうしろってんだよ!
「俺は恭子さんを好きですが、今日葵さんと手を繋ごうと思えば繋げてしまうのです!」
「思うな!」
「思ってません!」
「じゃあゼロで良くない!?」
「良くない! 繋いでみます!?」
「何言ってんの!?」
「出来ちゃうんですよ! だからゼロじゃない!!」
「どこにこだわってんだ! そんな可能性まで突き詰めたら人類皆疑似浮気相手候補だわ!」
「そんなふしだらな世界、認めない!」
「お前が展開した世界じゃい!」
「葵さんの発言に端を発しています!」
「こんな方向に進むとは思っていなかったんだよ! 道なき道をロケットエンジン全開でふかして全力疾走しやがって!」
「点火したのは貴女です!」
「あーもー、そうだよ! からかったら面白ぇと思ってな!」
「からかわないで下さい!」
「悪かった! ごめん」
「許す!」
その時、あと三十分で閉館します、と放送が入った。やべっ、と顔を見合わせる。
「おい、疑似浮気の話は後にしよう。いい加減、プレゼントを決めるぞ」
「そうですね。一旦、忘れましょう」
「ところで、手、繋ぐか?」
「繋がない!」
「だろうな」
「当然!」
「じゃあ疑似浮気じゃないな」
「その話は置いておこうって言ったばっかりなのに!?」
「よし、行くぞ」
「随分自由ですね!!」
お前にだけは言われたくないな!
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