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素直な男。(視点:葵)
な、と微笑み掛けてハイボールの入ったジョッキを傾ける。恭子と違ってメガではなく通常のジョッキ。酔い潰れたくはないからな。
「普通、言いますか!? 知り合いに向かって、貴女の水着姿が見たいです、なんて!」
「余程拝みたいのかねぇ。恭子の水着ならわかるが私に着てくれなんて奇特だよな」
「いや葵さんもお綺麗じゃないですか」
反省はどこへいった、綿貫。結局素直な感想を口にしているじゃないか。
「そりゃどうも。着ないし見せないけど」
「俺は別にいいですよ」
君への返事じゃねぇよ。遠回しに、見たいって要望を出して来た田中君にだよ。
「そうだよな。綿貫君には恭子がいるもんな」
「付き合ってはおりません! 告白もしないし!」
ことあるごとに宣言するな。
「はいはい。ちなみに一応訊いておくが、年末の旅行の予定は覚えているかい」
「何となくしか出て来なので、今、旅程表(仮)を確認します。しばしお待ちを」
律儀にスマホを取り出し操作を始めた。ちゃんと、かっこ仮、と言ってくれたし。別にそこまで厳密に確認してなくても良かったのだが、しかしわざわざ探し始めてくれた手前、止めるのも気が引ける。酒を飲み、いかそうめんをひと切れ食べる。美味いのぉ。
「はいっ、これですねっ」
画面を差し出して来た。確かに旅程表(仮)が表示されている。
「おっ、早いな」
「スクショに撮って、お気に入り画像に登録していますから」
……マジか。
「……何で?」
まあ、しおり作りの作業を進める際にすぐ出せるよう登録してあるのだろう。
「え、そりゃあ楽しみだからに決まっているでしょ」
やばい。やばいやばいやばい。
嬉しくて、泣きそう。
ジョッキを握り締め、唇を噛む。目を瞑り、ゆっくりと呼吸をして気持ちを落ち着ける。ちくしょう、こいつのド直球がここでぶっ刺さってくるとは! 私は基本的に皆を誘うようなことは無い。元々、他人の時間を、人生の一部を、私に割かせるのは勿体ないと思っていた。それは存在意義の無さから来ていた気持ちであり、だけどそこのネガティブさが多少は解消されたから誰かと一緒に過ごすこと自体に抵抗は無くなった。ただ、未だに自分から誘うのは流石に悪い気がしてしまい、ほとんど呼び掛けたりはしない。佳奈ちゃんが橋本君と別れたと知った際、落ち込んでいるのではないかと気になって会おうと誘った時くらいかね。恭子は別だが。あいつとはなんぼでも時間を共有していたい。
ともかく、いつものメンツが相手であっても基本的に私は受け身だ。だけど皆で過ごせる時間が減ると気付いた。だから勇気を出して旅行に行こうと呼び掛けた。迷惑じゃないかな。鬱陶しくはないかな。そんな風に気になりながら、それでもどうしても一緒に行きたかった。皆の返事は優しくて、暖かくて、嬉しくて泣いてしまった。前向きに捉えて貰えると滅茶苦茶嬉しくなってしまうのだ。
そんな私に、旅行が楽しみだから旅程表(仮)をスクショに撮っている、なんて綿貫君よ。マジでピンポイントにツボを押さえているぞ。お姉さん、嬉し泣きをしてしまいそうだ。
暴れ出しそうな感情を丁寧に落ち着ける。泣くわけにはいかない。変な空気にしてしまうもの。
「葵さん? 酔いが回ったんですか?」
「……いや」
「でも深呼吸しまくっているじゃないですか。あ、トイレなら綺麗でしたよ」
「吐きそうな、わけではない」
「では何をしているので? 折角、旅程表(仮)を出したのに」
最後にもう一度、深呼吸をする。うむ、何とか泣き出さずに済んだ。セーフ。
「しかしこうして見ると本当に楽しみですよねぇ。二台に分かれてドライブするんでしょ? どのメンツで乗るのか、グーパーじゃんけんで決めるのか。そんで、喋りながら道の駅へ行って飯を食うでしょ。その後、シーパークでシャチをはじめとした水生生物達を見学するでしょ。あ、そういえば沖縄旅行は楽しかったですねぇ。イルカのショーを見物してたなぁ。あっ! 思い出した! あの時、恭子さんってば飲みかけのペットボトルを回し飲みしようと差し出して来たんですよ!? あの人、昔から隙があったんだ! よろしくないですよねぇ。葵さんならやりますか? 出会って三日目の男と間接キスなんて」
「…………やら、ない」
感情の決壊をギリギリで押さえ、かろうじて応じる。楽しみな要素を上げ連ねられて物凄く嬉しい。一方、沖縄旅行を引き合いに出されると昔の自分を思い出して恥ずかしくなる。そんなデッドボールを連続で投げ付けないでくれ。折角気持ちが落ち着きかけたのに!
「ですよねぇ。改めて恭子さんに注意をするべきか。いや、でもあれ以来、やられた覚えは無いしなぁ。他の人にはやるのかな。田中あたりに聞いてみるか」
わざわざ確認せんでもよかろうて。もう恭子も君意外の人間に回し飲みはしないと思うぞ。
「まあそれはともかく、シーパークも楽しみだ! そして夕飯の買い出しをする。自分達で料理を作るなんて滅多に出来ない経験だ! いいですよねぇ、田中と橋本と同居していた時を、いや別に三人で料理したことなんて無いか。せいぜい手巻き寿司パーティくらいだな」
私は何の報告を聞かされているんだ?
「で、その後は入浴施設で風呂ですか。広いでしょうねぇ! 調べたら、海が一望出来るそうですよ! オーシャン風呂! 最高!」
初めてだな、オーシャンビューの風呂を一言に纏められたのは。そして指摘したい話はその温泉施設についてなのだが。気持ちがまだ揺れ動いていて、喋れそうにない。一応、旅程表(仮)にもはっきり書いてあるのだけど綿貫君は全く気付かない。
「風呂の後、ゲストハウスに帰ったらいよいよ宴会の始まりですか。あ! でも風呂入る前に花火をやりたい! 目の前、砂浜ですよね!?」
わかったわかった。
「葵さん? やっぱり調子が悪いのですか? 全然喋らなくなりましたが」
お前のせいで嬉しくて泣いちゃいそうなんだよ。
「……大丈夫」
「ご無理はなさらず」
「あぁ」
「旅行の話、続けてもいいですか?」
心配する割にまだ喋るんかい!
「うん」
「夕飯、刺身とか美味そうですよね。あとは何を作ります? 焼きそば? 唐揚げ? チャーハンもいいかも!」
献立が高校生男子の好みそうな物ばかりだな。
「葵さんは何が食べたいですか?」
「刺身」
「やっぱ美味いに違いないですよねぇ!」
あとは佳奈ちゃん特製のギョーザも振舞われるな。何故なら咲ちゃんが全力でご所望していたから。確かにあれは美味かった。だがギョーザパーティまでいくとあまり乗り気にはなれない。何故海辺の街までドライブして、ギョーザばかりを食わねばならんのか。それもご当地名物ではなく、佳奈ちゃんのレシピだし。旅行中じゃなくてもいい。後日、開催出来るもんな。
「あ、そうか。手巻き寿司パーティにしてもいいのか!」
うーん、刺身単体がいいなぁ。手巻き寿司にするとあっという間に腹一杯になっちまう。小食に炭水化物は重いのだ。
「いや、そうか。葵さん、量が食えないんですものね。手巻き寿司パーティは中止!」
気付いてくれてありがとよ。しかし一人でよく喋るなぁ。旅程表(仮)だけでこんなに饒舌になるのも綿貫君くらいのものだ。
「ボドゲは田中と橋本と高橋さんが選んでくれているんですよね。葵さん、ボドゲ、好きなんですか?」
彼が喋り続けてくれたおかげでようやく落ち着いてきた。
「そんなに好きではない。何故ならルールを理解し、覚えるのが面倒臭い」
「葵さんもそのタイプですか。田中と一緒ですね」
やはり綿貫君も知っていたか、田中君も苦手な上に理由が私と同じものだと。
「らしいな」
「まあ橋本がわかりやすく説明してくれるから大丈夫ですよ。でも、そうか。車なら行けるか!」
今度は何を思い付いた。
「ゲストハウスにはテレビ、ありますよね?」
「まああるだろ」
「じゃあテレビゲーム、持って行きますよ! 四人で遊べる奴!」
「いいよ別に。君の荷物になっちまう」
「お気になさらず! 皆で楽しい時間を過ごせるのなら、全然苦じゃないです!」
荷物になるという認識はあるんだな。
「君は本当にいい奴だな」
「そんなことはないです。ただ、折角の機会ですから出来ることは全部やりましょう!」
全部って。何がどこまで含まれるのか。まあ野暮な口出しはしないけどさ。
「そうだね。勿論、君の無理の無い範囲で構わないからな」
「はいっ、ありがとうございます! お気遣い、感謝します!」
いや遣うだろ、気。テレビゲームを持って来てくれるなんて言われたら。
「最高の夜になるだろうなぁ!」
「恭子と佳奈ちゃんもいるしな」
途端に口を噤み、俯いた。どうした、と下から顔を見上げる。視線を左右に振っていたが、あの、と意を決したように切り出した。
「何じゃ」
「恭子さんと、高橋さん、同じところに泊まるんですよね」
「当たり前だろ」
「俺も一晩、二人と一緒に過ごすんですよね」
「両手に花でベッドインでもしたいのか」
「そんなわけないでしょ!」
両手でテーブルを叩き立ち上がった。食器が音を立てる。鼻息荒く、また赤面している綿貫君に、落ち着け、と肩を竦める。咳ばらいをして、失礼しました、と座り直した。やれやれ。
「で? 今度は何が引っ掛かった」
あのですね、と綿貫君が腕組みをする。
「今、丁度考えたんですよ。恭子さん、いるんだなって」
「いいねぇ、好きな人と過ごす一夜。下世話な話を置いておいたとしても胸が高鳴るだろうよ」
はい、と素直に頷いた。面白い奴。
「しかし一方、高橋さんもいるのですよね」
「君が恭子の前に好きだった人だな」
「はい。俺は高橋さんに告白して、はっきりとフラれました。これからは特別な友達でいよう、と約束をして、俺の恋は終わりました」
ふむ?
「そんでもって現在君は恭子にお熱なはずだろ。まさか佳奈ちゃんに未練があるのか?」
「いや、微塵も無いです」
微塵も、とまで言い切りやがった。本当に奇特な人間だ。
「じゃあ何か問題でも?」
「まず、恭子さんと高橋さんと一緒に宿泊をするという状況ですが、間違いなく俺は緊張します」
面倒臭いな……。
「だけど、折角葵さんが企画してくれた旅行なのですから、俺の情緒がおかしくなったせいでぶち壊しにはしたくありません」
「頼むぜ」
「ではここで葵さんに相談です。俺はどうしたら平常心を保てますか?」
「そもそも本当に緊張するか? 佳奈ちゃんとも恭子とも普通に接しているんだろ。常にテンパっているわけではあるまい」
うーん、と首を捻っている。
「自信、無いのか」
「だって泊まりですよ? ふしだらな展開は有り得ないとは思います。それはそれとして、さっき葵さんが仰った通り、一晩一緒に過ごすなんてドキドキします」
もう一度、肩を竦める。
「大丈夫だって。気にしすぎ、意識しすぎ、が一番危ない。気楽に自然体で接すれば情緒不安定にもなるまいて」
だが君が一番パニックを起こしそうな状況が待ち構えているんだよなぁ。
「そうかなぁ。いけますかね」
ここらで教えてみようかな。綿貫君も事前に心構えをしておきたいだろうし、私は私で今楽しみたい。
「むしろ、君にとっての鬼門は宿泊とは別のところにあると私は見ている」
「え?」
本当に、全然気付いていないのか。はっきり書いてあるじゃんか。
「風呂だがな、水着着用可だ」
「……あ」
「そして、男女混浴だ」
「……あぁ」
「佳奈ちゃんと恭子、咲ちゃんも当然一緒に入るぞ」
「あぁぁ」
「水着姿の佳奈ちゃん、恭子、咲ちゃんに囲まれて、君は緊張せずに過ごせるかな?」
「ああああああああ!!!!!!!!」
頭を抱えて絶叫した。しかし彼なりに理性が働いたのか、テーブルの下に向けて叫んだため、店員さんが駆けつけて来たりはしなかった。偉いぞ綿貫君。そして期待通りの反応をありがとう。ハイボールを煽る。うーん、目の前の光景は最高の肴だね。
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