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君の親友の話だが。(視点:葵)
すっかりくたびれた様子の綿貫君が、おかわりのビールに口をつけた。大変そうだなと笑いかけると、誰のせいですかと消え入りそうな返事を寄越した。
「ウブな君をからかうのは楽しいねぇ」
「そりゃあ葵さんから見たら俺なんか、って、あれ?」
ふと首を傾げた。さて、今度はどんな珍言が飛び出すのやら。ちなみに私から見たら俺なんかって、君は私を経験豊富だと思っているのかい。ふふん。口だけは達者な生涯恋人無し子ちゃん、それが私だ。疑似デートもしたことが無いから経験値に限った話であれば綿貫君より少ないかもね。……恋はしたけどさ。実らなかったのだ。二つとも。
「あの、そもそも全然違う話をしていたような気がするのですが。何で水着の話になったんでしたっけ?」
「付き合ってもいない男から山科の水着が見たいって私が言われたから」
それだっ、と手を打ち私を指差した。落語のくだりでありそうな所作だな。
「そうですよ! 一体どこのどいつですか、そんな厚かましく破廉恥でスケベな申し出を入れてきたのは!」
君の親友だが。
「まったく、ひどい男だ! イヤらしいにもほどがある!」
「ちなみにそいつ、彼女がいるぜ」
私の大事な可愛い咲ちゃん。お互い、ひどい目に遭ったねぇ。
「何ですとぉ!? え、彼女がいるのに葵さんの水着姿を見たいなどとぬかしたのですか!?」
「うん」
「最低な下劣野郎だ! 会ったらカンチョーしてやりたい!」
何でだよ。
「じゃあせめてそいつ、彼女とうまくいっていないとか? だから葵さんにも粉をかけたのでしょうか」
「ハイパー順調だね。交際も長いし、その内一緒になるんじゃない?」
もうじき結婚する予定だとは流石に言えない。田中君だとバレる確率が飛躍的に高まってしまう。
「じゃあ絶対、葵さんにそんなお願いをしちゃ駄目です! 彼女がいるのに別の女の人の水着姿が見たいだとぉ!? どれだけいやらしい奴なんだ! そんな人間の下半身にぶらさがっているものはちょん切ってしまいなさい!」
親友の去勢を提案したよ。熱い男だね、綿貫君。よし、更にド級の爆弾を投げ付けるとするか。
「ちなみにそいつと酒を飲んだ時、はっきりと言われたよ。俺は今、自分が付き合っている彼女の次に山科のことが好きだ。もし、彼女と付き合っていなかったらお前にちゃんと告白をしていた、そのくらい君が好きだ、って」
「バカか!!!!」
バカだよね、田中君。
「最低最悪な悪漢です!! バカ以外の評価が出てこない!」
まあ三バカという括りに当て嵌めてしまうと綿貫君もその最低野郎と同じ括弧に含まれてしまうのだが。
「そうねぇ」
「葵さん、なんて答えたんです!?!? そんな失礼で自分勝手な告白に!! ちゃんと叱りましたか!?!?」
いやぁ、怒りの感情は一切湧かなかったな。恭子の方が圧倒的に激怒していた。躊躇なく人を三発ぶん殴れるあいつもネジが飛んでいる。思えば恭子の過去ってあんまり知らないな。今のあいつにしか興味が無いから。昔はやさぐれていたのかねぇ。
「お前には彼女がいる。だから私とは付き合えないだろ。でも告白してくれてありがとう。そう返した」
「人が好すぎる!!!!」
そうして立ち上がり、今度は彼が私の隣に腰を下ろした。なんだなんだ。
「葵さん。ありがとう、じゃないでしょう」
「いや、告白自体は嬉しかったし」
「でもその野郎は周りを皆傷付けたんですよ!?」
まったくだ。
「まず葵さんに失礼!! 彼女と別れて葵さんと付き合いたい、ならわかります!!」
嫌だよ、咲ちゃんと別れた田中君と付き合うなんて。
「でも彼女の次に好きって、二番目って意味だろぉ!? だったら告白なんてするなよ!!」
物凄いド正論で親友への怒りを爆発させる綿貫君なのであった。うーん、我ながら性格が悪い。ただ、起きた事実について個人名を伏せて話しているだけだから別に構わないよなぁ。ほら、個人情報保護は大事だ。あとは名誉棄損か? 違うか。ははは。
「そいつの彼女さんも可哀想!! 自分が一番だとしても、他の女性に目移りされているんだから!!」
ねー。その後もしばらく咲ちゃんは自信を失ってしまったんだぜ。頑張って慰めたが私では力及ばず。結局、最後は田中君と話し合って立ち直っていたが、そもそも傷付けたのも彼なのだ。てめぇのケツをてめぇで拭いたと言えば聞こえはいいが、そもそも余計な真似をするなよな。まっ、私へのイケナイ気持ちを抱えたまま咲ちゃんと結婚するのは引っ掛かりがある、だからちゃんと私に好きだと伝えてだけど咲ちゃんをもっと好きだと宣言して、全部想いを清算して、そうして結婚をしたかった、と。後に残るのは踏ん付けられた私の気持ちだけ。うむ、私の扱いがひどすぎる。
「だから葵さん。ありがとう、は絶対に違います!」
おっと、私が断じられちゃったよ。まあなぁ、と髪をかきあげる。
「ちなみにいつ頃の出来事ですか? かなり昔に起きたので?」
「先月だよ」
「先月ぅ!?」
顔が近い。隣に座っているのに身を乗り出すな。君の距離感も感情によってバグるよな。
「そんな、そんな大変なことがあったのに、どうして平気な顔をしているのですか!!」
平気じゃなかったさ。大分ひどい傷付き方をした。滅茶苦茶落ち込んだ。咲ちゃんに申し訳なくて、あの子の前から姿を消そうとした。うん、ここから先は名前を出してもいいよな。
「恭子のおかげさ」
綿貫君が目を見開く。対する私は意識的に穏やかな笑顔を浮かべた。
「今の私は平常心を保ってこの話を口にすることが出来る。だけど当日は激しく動揺した。何故なら私もそいつをいいなって思ってしまったから」
「……駄目な男に引っ掛かっていますよ」
こいつは手厳しいな。
「そうだね。ただ、誰かにお前を好きだと言われるのは、どんな事情や背景があってもさ。嬉しいものなのだよ。勿論、相手や関係性にもよる。ストーカーから一方的に一日千回愛を伝えられても全く以って嬉しくない。ただ、私は私に告白をした最低のクズ野郎、あぁこいつは数少ない友人なのだが、そいつに告白されて初めて気付いた。私も惹かれていたのだって」
「そんな奴のどこがいいのですか!!」
燃え上がるねぇ。
「さあ。色々あるよ」
「例えば!?」
「話が合う。一緒に過ごす時間が一切苦じゃない。相手の思考パターンを読み取れるくらい性格や考え方が似通っている。あとは思い返せば我ながらあからさまに優しく接していたよ。それは惹かれていたのだろうね」
「そんなクズに優しくしてどうするのですか……」
今度は呆れられちゃったよ。ね、と小首を傾げる。でも原因は君達が揉めたところにあるのだよ。あの頃は、と言っても一カ月ちょっと前なのだが、綿貫君は佳奈ちゃんに再び恋心を燃やしていた。でも全く脈が無いと田中君は知っていた。何故なら佳奈ちゃんは別れてからも橋本君を好きだったから。故に、田中君、綿貫君、佳奈ちゃんの三人で集まった時に、田中君は綿貫君の前で敢えて佳奈ちゃんへ確認をすると決めた。橋本君をまだ好きなのか、と。そうだと佳奈ちゃんが答えれば、綿貫君は佳奈ちゃんへ告白をする前に諦める。逆に告白してフラれたら、綿貫君の性格的に二度と佳奈ちゃんと喋れなくなってしまいそうだ。それを回避するため、田中君は自らが切り出すという選択をした。綿貫君の恋心を知りながら佳奈ちゃんへそんな質問をすれば君達二人の友情に亀裂が走る可能性がある。そう、わかった上で彼は泥を被った。結局綿貫君は、佳奈ちゃんがまだ橋本君を好きだと知った上で彼女に告白をした。そうしてフラれて、七年にもわたった自らの恋に決着をつけた。本当に律儀な男だ。一方私は田中君が心配でならなかった。自分が誰かのために痛みを負う。その辛さを私は誰よりも知っているから。ずっと傷を背負って来た。他人が傷付くくらいなら、私が痛みを肩代わりした方が断然いい。だって私には存在する価値も理由も意味も意義も無い。そんな無価値な人間は、どれだけズタボロになっても構わない。いなくなっても世界も社会も人間関係も、何一つ影響は無いのだから。故に私は二年前までボロボロだった。今は違うけど、そんな人間だった私は泥を被った田中君が心配でしょうがなかった。どれほど辛いか、
どんなに痛いか、私にはわかるから。咲ちゃんにも協力して貰って一生懸命慰めたっけ。その時、緊張の糸が切れて泣き出した田中君を見て、一番心配をした葵さんがハグをしてあげて下さい、と咲ちゃんが勧めたのであった。うむ、あれが恐らく田中君と私の最後の砦をぶっ壊した気がする。あの時、ハグをしなければ田中君が私へ告白することも、私が彼への気持ちを自覚することも、無かったのではなかろうか。終わった話をうだうだ語ってもしょうがないのだが、つまりそのクズ野郎が気持ちを伝えた遠因には君の恋愛事情があったりするのだよ綿貫君。世の中、わからないものだねぇ。君は全く悪くないし、なんなら佳奈ちゃんにちゃんと告白するという頑張りを見せたのだから褒められて然るべきかもしれない。ただ、バタフライエフェクトじゃないけど、自分の行動が世界のどこかで誰かの運命を狂わせている可能性もある。
わざわざ教えないけどね、そんな影響があったのかもよ、なんてさ。ただただ今は、君の恋心が叶って欲しいと思うばかりだよ。我が親友のためにもね。
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