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昔、彼女に恋をした私から、今、彼女に恋をする君へ。(視点:葵)
「そんでな、恭子は誰よりも大切な私の親友だ。対等な立場で物を言ってくれる。お互いが辛い時には必ず相手に寄り添う。逆に、相手がおかしいことをしていると思ったら、私は恭子を、恭子は私を叱って止める」
「……信じ切っているのですね」
お互いに相手を助けるし、相手から助けて貰える。そんな関係だ。どうやらこの世界の隣にはたくさんの平行世界があるらしいが、そのどこの世界線でも私は恭子に出会っているに違いない。だって偶然すらも巻き込めるほどの関係なのだ。世界線が違ったくらいで途切れる縁ではあるまい。
「うん。だから告白されてフラれたその日の夜も、恭子の元を訪れた。あいつはすぐに家へ招き入れてくれた」
「……恭子さんは、何て仰ったのですか」
好きな人の反応は気になるかい。そうだよね。惚れた相手のことはたくさん知りたいものだよね。こんなに仲良しの私達、友達同士だって知らない部分はたくさんある。ましてや、もっと深く知りたいと思う好きな人のことなんて、際限なく求めてしまうのだとよくわかる。うまくはいかなかったけど、私も恋をしたのだから。
「情緒も思考もぐっちゃぐちゃになった私に対して、葵には私がいるわ、って真っ先に言い切って全てを受け止めてくれた。おかげで地に足が着いた。そうだよ、私の隣には恭子がいてくれるんだ。どれだけ傷を負おうとも、どこまで気持ちが沈もうと、必ず手を差し伸べてくれる親友が傍にいる。そう気付いて心が少し落ち着いた」
「そうなのですか。本当に仲良しですね」
そう言って彼が此方を伺う。ふふ、ちゃんとたくさん話してあげるからそわそわするな。当然、話はここで終わりじゃないぜ。
「一晩中話をしたよ。私の抱いた恋心は、見ようによってはいけないものだ。何故なら彼女がいる人に懸想をしてしまったのだから」
「葵さんは悪くないです。葵さんに告白をした男が全部悪い! 彼女もいるのに!」
おっと、再び綿貫君の怒りに火が点きそうだ。静かにハイボールへ口を付ける。彼も手を伸ばしビールの入ったジョッキを掴んだ。怒りながら飲むなよ、アルコールが妙な回り方をするぞ。
「私を擁護してくれてありがとう。まあ誰が悪いかは一旦置いておくとして、おいそれと人に聞かせられる話じゃない。私が恋をしたこと自体を教えるのも、せいぜいいつものこのメンツくらいさ」
恭子には私が話した。田中君と咲ちゃんは当事者だから知っている。綿貫君には詳細をボカしながらも今、教えた。恐ろしいのは佳奈ちゃんだ。恭子から教えられたし本人からも申し出を受けたが、あの子は私から直接事情を聞いたわけでもないのに自分が把握した情報だけを組み立てて、私と田中君がトラブったという事実に辿り着いた。名探偵にでもなるがいい。そんでもって佳奈ちゃんがそんな調子だから、橋本君もいる場で改めてちゃんと私の口から説明をした。正解とはいえ、私本人から説明をしていない話をその辺で喋られちゃうのはよろしくない。しかし橋本君は引いていたなぁ。田中の行動は理解出来ないって顔を顰めていたね。君も大概だと思うけど。もし先日のプレゼント相談会の際、咲ちゃんが佳奈ちゃんを連れて来てくれなかったら私は橋本君にハグをされていたのだろうか。……既にちょこちょこ触られたか。あと、あいつは絶対に私のブラ紐の位置を特定していたと思う。変態め。
「話してくれて、ありがとうございます。葵さんも辛いでしょうに、俺なんかにまで教えてくれるなんて恐れ入ります」
出たな、俺なんか発言。綿貫君よ、君は本当に自己肯定感が低いねぇ。おかげで恭子が困っているのだ。
「君も大事な友達だからな」
「ただの後輩ですよ」
友達って評価くらいはは受け入れろっての。いいや、面倒臭いからスルーしちゃえ。
「そしてその日の夜は一晩中、恭子と内緒の恋バナを交わした。気持ちをたくさん吐き出した。あいつは怒ったり笑ったり慰めたり、色々な反応をしながらとにかく私の気持ちに寄り添ってくれた。もしかしたら、葵がそんな気持ちを抱いたこと自体はよろしくないわよ、くらい釘を刺されるかと思ったけどさ。一度も私を責めなかった。むしろ、好きになっちゃうのはしょうがない! って励ましてくれた。本当に、心が助けられた」
綿貫君を見詰める目を細める。
「あいつ、優しいよな」
はい、としっかり頷いた。
「綿貫君に対してもさ。君の女性に対する経験値稼ぎのために、疑似デートなんてものを提案して休日を使い一緒に遊んでくれるなんて、どんだけ面倒見がいいんだろうな」
「まったくです」
純粋な彼が再び頷く。本当は恭子が君とデート体験をしたいだけなんだと私は知っている。その情報をこの子に解禁出来る瞬間がとても楽しみだねぇ。その時、恭子と綿貫君は付き合っているわけだ。だがまあいつになるのやら。実際は既に両想いだから、例えば私が今真相を明かして一分後には交際を始める道だってあるのだが。そんな野暮な真似はしない。本人達の意思が無い。余計なお世話もいいところ。ただ、さ。やっぱり寂しいんだ。恭子が綿貫君の彼女になってしまうのが。私とは変わらず親友でい続けるに違いないし、私の方が綿貫君より恭子と距離が近い部分もあるだろう。それでも。一番の親友だとしても。
「……恭子の優しいところ、好き?」
気持ちを隠して問い掛ける。途端に顔を赤くした。はい、と一転、弱弱しい声が返って来る。
「私も好きだよ。君の好きとは違うけど」
実は同じ部分もある。だって六年前、私は恭子に恋をしたから。優しいところ。眩しい笑顔。思うがまま、自由奔放に突き進む性格。前を歩くあいつは振り返って、葵、っていつも手を差し出してくれたっけ。
懐かしいな。
「いい人、ですよね」
「うん」
私も穏やかに頷く。
「綿貫君」
「はい」
「告白、しないの?」
「はい」
即答した。困った後輩だよ、本当にね。
「じゃあ私個人として、君にアドバイスを送るとしよう」
不意に六年前の私が顔を出しそうになる。だけど彼には見せられない。故にいつもの私を演じる。口が悪く、男の子みたいに振舞う私。そういう風に変わったら、恭子が振り返ってくれるのではないかと淡い希望に縋ったのだ。結局意味は無かったけどね。後に残ったのはガサツな一面だけ。田中君はおっさんだと評するけど、その実なかなか切ないのだぜ。なあ恭子、咲ちゃん。君達二人しか真相は知らないものな。
綿貫君が背筋を伸ばす。伺います、と顎を引いた。
「さっきも言ったけど、君から恭子へ告白をしてはいけないって法は無い。そして例え君の告白が上手くいかず、恭子にフラれてしまったとしても。我々七人の心配はしなくていい。そして綿貫君。君は君が思うよりも素敵な人間だよ。俺なんか、とか、恭子さんの迷惑に、なんてしょっちゅう口にするけどさ。そんなことは無い。君の友人の一人として、私が保証するよ」
彼が唇を噛む。うん、そう簡単に自己肯定感なんて生えて来ないよな。殺されかけて生き返って、周りに泣かれてよく考えて、ようやく自分に価値があるらしいと気付いた私は君の気持ちがよくわかる。
「まあ君がどうするのかを選ぶのもまた、君の自由だ。好きだからこそ恭子と気まずくなりたくない、と思うのなら告白しなくたって構わない。君の人生だ、進む先を決めるのは君であり給え。私達、外野にとやかく言われようと最後は自分の意思で選べば構わない。少なくとも、私は君の選択を尊重する。……ただね」
はい、と固い声が相槌を打つ。そんなに力まなくていいんだぜ。恋愛運が壊滅している人間からの戯言だ。聞き流すくらいが丁度いいのさ。
「私の恋は終わってしまった。選択をする暇も無く、ただ好きだと突き付けられて、だけどお前とは付き合えないとぶった切られて、それで終わり。あいつのこと、私も好きだったなー、って気付いたところで何も出来ない。そんな私からすればさ」
一旦言葉を区切る。田中のバカやろー。咲ちゃんと幸せになれよー。
「選択肢がある君は羨ましいのだぜ」
そして選んだ道が告白だったとしたら、その先には恭子との両想いが待っている。つくづく羨望の眼差しを向けたくなる。私だって恭子に告白した。恋愛的な意味で貴女が好きです、ってちゃんと伝えた。だけど想いは届かなかった。葵のことは友達としか思えない、ってはっきり断られた。そんな私からすれば、恭子にあそこまで好意を抱かれて、迷って悩んで照れさせて、付き合えるよう頑張ろうって決意をさせた綿貫君はさ。
本当に、いいなぁ、って思うんだよ。
「そう、ですね」
綿貫君。君は、どんな道を選ぶ? 或いは恭子が君に告白をしたとして、ちゃんと気持ちを受け止められるのかな。思考がぶっ飛んでいる君のことだからさ。間違いですよね! 恭子さんが俺に告白なんてするわけ無い! 聞かなかったことにします! 今日は何も無かった! なんてうっかり断ってしまいかねない。あぁ、実際にそうやって佳奈ちゃんを断ったのが橋本君だったのか。田中君が昔、話してくれたなぁ。橋本と高橋さんの付き合いはじめって割とおかしいと思うんです、って。佳奈ちゃんが仕掛けたドッキリの嘘告白を橋本君が懇切丁寧かつ必要以上に誠実に断ったから、それを聞いた佳奈ちゃんがマジで惚れちゃったんだっけ。そこから交際が始まった、と。なかなか奇特なスタートだ。田中君は田中君で、咲ちゃんに告白したら彼女の情緒が振り切れちゃって超能力が暴走して、止めに入った私が死に掛けた。こちらも大分頭のおかしい始まり方だ。こうなると綿貫君と恭子の間にも何かしら事件が起きる気がするなぁ。いや、とっくに両想いなのに片一方が告白しないと固く決意をしている時点で既にズレている。これが私と関係の無い相手と綿貫君がわちゃわちゃやっているのなら腹を抱えて見ているのだが。恭子だからな。私の大事な親友だからな。
あいつを泣かせないでくれよ。
あいつを幸せにしてやってくれよ。
あいつの笑顔を、守ってくれよ。
「綿貫健二君」
フルネームを口にする。はい、と背筋を伸ばした。
「そんなに改まるなよ」
「だって葵さんが名字も名前も呼ぶから。その後に、何を言われるか緊張するじゃないですか」
「ふふ、違いない」
それなら少しは気が楽になるように、と私は頬杖をついた。我ながら、食事中に行儀が悪いね。
「恭子のこと、好きだよね」
ややあって、はい、とか細い声が返ってきた。
「そっか」
「……はい」
「じゃあ、君の恋、見守っているよ」
「……告白は、しないつもりです」
君のその選択を肯定したら、私は自分が物凄く底意地の悪い人間みたいに思えてしまうのだよ。やれやれ。
「そっか」
「それでも、恭子さんを好きな気持ちは変わらないと思います。恭子さんに、いいお相手ができて、俺があの人を諦めるまで」
「……辛い道、だよ」
胸が痛む。こんな感情、君には味わって欲しくないね。まったく、昔の私みたいに茨の道を進もうとするんじゃないよ。
「いいんです。俺が決めたことですから」
「……そっか」
心が強いのか、底抜けに人が好過ぎるのかはわからない。ただ、自己肯定感の低さからその道を選んでしまうのは。
「君の辛さ、ちょっとだけわかる」
「そうですか?」
「私も昔、同じようなことをしたから」
うっかり命を投げ出してしまったのだよ。
「あら、奇遇な」
「うん。びっくりした。一緒やん、って。詳細は内緒だが」
君も目撃していたけどね。私が黒焦げになる場面。お互い、忘れないだろうな。
「わかりました」
「ただ、さ」
「はい」
「ちょっとだけとは言え君の気持ちがわかる私だからさ」
「ええ」
「辛かったら愚痴ってくれ。吐き出してくれ。わかるー! って思いっ切り綿貫君に寄りそうよ。ポンコツな先輩は頼りにならないかも知れないが、話を聞くくらいなら出来るからね」
微笑み掛けると、ありがとうございます、と丁寧に頭を下げた。
「そう仰っていただけると、正直、救われます」
「辛いなら告白してしまえ、とは言えないな。君なりに色々考えた結果、決めたのだから」
自己肯定感が低かったり無かったりする奴は、そいつなりの価値観で思考をして選んでいるのだ。傍から見ると自傷行為にしか見えないけど。
「わかっていただけて嬉しいです」
「ふふん、ポンコツだって捨てたもんじゃないだろ? むしろ汚名返上はどうだ?」
気のせいか、いつもより目がキラキラしている綿貫君は、それは駄目です、と微笑みを返した。涙、零すなよ。
「さて、随分空気が重たくなっちまった。すまなかったね、私の話が辛気臭かったせいだ。ほれ、席に戻りな。時間は十時か。もう帰る?」
いえ、とテーブルを挟んだ向かい側に腰を下ろした彼は、意外にも首を振った。てっきり、帰ろうか、と提案されたらあいてに気を遣って乗っかるタイプだと思っていたから。
「まだ飲み足りない?」
「それも勿論ですが」
勿論なのかよ。まあ私も足りないけど。今日はよく喋っているからな。
「葵さんから、恭子さんのお話を伺いたいです」
「ほぉ。そりゃまたどうして」
急な申し出に、お姉さんはびっくりしているよ。
「葵さんと恭子さんは、俺が思っていた以上に仲が良いのだとわかりました。当然、俺が知らない恭子さんの一面やエピソードも持っているかと存じます。良ければ聞かせて貰えませんか、そういうお話を。今日、全部教えろとは言いませんし、葵さんがお疲れでしたらまた後日でも全然問題ありませんが」
成程、そういうわけね。本当に綿貫君は恭子が好きなんだなぁ。私は明るい笑顔を浮かべる。
「いいぜ、有り余るほど話題にゃ事欠かない。どの話からしようかな。私と恭子が仲良くなった切っ掛けでも、聞く? 初手からあいつは変人だったよ」
ぜひっ、と彼の顔も輝いた。
「じゃあその前に、お代わりを頼もう。君はビール?」
「はいっ! 葵さんは?」
そうだね。恭子の話をするのだから。
「メガレモンサワーにしようかな」
「承知しましたっ! 注文します!」
いや、気付けよ。恭子さんと一緒ですね、って。私は普段、メガなんて頼まないのだから。先が思い遣られるねぇ、綿貫君。その様子も、ちゃんと見守らせて貰うよ。
願わくば、君の恋が叶いますように。恭子にフラれた者として、そしてあいつの親友として、恭子の幸せを望むから、綿貫君の恋の成就を願うのです。
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