田中と葵、のんびり語らう。②(視点:葵)

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田中と葵、のんびり語らう。②(視点:葵)

「じゃあまあ、折角だから見せてくれよ」  メガジョッキを置いて手を差し出す。何をです? と田中君は首を傾げた。やっぱりこいつも酔っ払っているのか。 「式場の候補に決まっているじゃんか。取り敢えず三軒、二月にいけそうなんだろ」  あぁ、と頭を掻いた。やけにおっさん臭い。まだ二十四歳なのに、若さが足りんのぉ。 「一緒に見ながら説明します」 ワタクシと式場を選んでいるようで光栄でございますワね。そう言おうかと頭を過ったが、いきすぎたいじりだから自粛した。ちゃんと一線は引くのだよ、大人だからね。どりゃどりゃ、と少し彼に身を寄せる。並んでスマホを覗き込んだ。 「一軒目は都内で一番土地が高いところにあるレストランです。ビルの高層階なんですよ」 「金持ってんな」  反射的に呟く。しかし、いえ、と彼は小さく笑った。 「そこまで高くはなかったのです。そしてさっき、恭子さんも同じような反応をしていましたよ。あなた達ってブルジョアなの!? って」 「そりゃそうだろ。参加費が高過ぎると我々も困るし」 「葵さんって結構稼いでいるんじゃないのですか」  年収を公開した覚えは無いのだが。 「何故そう思う」 「しょっちゅう奢ってくれるから。タクシーも使うし」 「酔っ払った状態で夜中に出歩くリスクは心得ているからな。多少金はかかっても安全を買いたい」 「ちなみに今日はどうされるのです?」 「向こうの二人の酔い具合による」  もう一度、恭子と咲ちゃんを見遣る。くっついたまま、揃って目を閉じていた。もうじき寝るな。 「タクシー、決定でしょうか」 「起きたら復活するかもよ」 「まだ水曜日なのに飲み過ぎですよねぇ」 「ちゃんとコントロールしてやれ。同席した者の責任だぜ」 「気を付けます」  まあ最終的には何を言っても酔っ払いには通じなくなるけどな。 「んで? このレストランが最有力候補なのか?」 「いえ、まだそこまで決まってはおりません。ただ、咲はかなり気になっているようです。飯が美味いという口コミが多いようなので、一度食べに行ってみようかって話は出ておりました」 「飯が美味いのは大事だな」 「もし品数がたくさん出るコースに決まったら、綿貫あたりに葵さんの分は食べさせちゃって下さい。色々楽しんで欲しいので」  ん、と髪を掻き上げる。 「お気遣い、ありがとう。しかしそうしたいのはやまやまなのだが、恭子が嫉妬するんだよ」  あら、と田中君も恭子をちらりと見遣った。 「意外です。恭子さんが綿貫に激重感情を抱いているのは承知しておりましたが、まさか葵さんにまで嫉妬するとは」 「私も驚いた」 「お二人は本当に仲が良いですし、葵さんが綿貫に手を出すわけも無いじゃないですか」 「当たり前じゃ」 「恭子さんもそんなことは百も承知でしょうに、嫉妬するのですか」  そうだよぉ、と呆れを十分に含ませ応じる。そしてメガジョッキを持つのだが、くっ、やっぱり重い。いい筋トレだと捉えよう。 「私が綿貫君と仲良さげに喋っていると、わかりやすくいじける。先日、彼にツマミの作り方を教えたのだが、傍らにいた恭子の態度はどんどん固くなっていった」 「あぁ、あの恭子さんの下着を綿貫が目撃した日ですか」 「情報が早いじゃないか」  プライバシーもへったくれも無いな。 「綿貫が自白していたので。申し訳ないって」  真面目だねぇ。ラッキー、なんて一回も言わない辺りに人格が滲み出ている。或いは女性が苦手過ぎるだけか? 「君も見習い給えよ」 「見習うべき部分は、そうします」 「見習うべきでない部分とは?」 「トイレの水を流し忘れるところ」 「それは……嫌だな」  はい、と眉を顰めて田中君は頷いた。大学時代の四年間、三バカトリオは同居していた。故に何度も嫌な目に遭ったのに違いない。話を戻すとしよう。 「で、ツマミを作っている様子を動画に収められたのだ」 「葵さん、よく許可しましたね」 「手元だけ撮れって命令したのに、あの野郎、引きで全身を写しやがった。おまけに気になったことを録画しながら逐一質問してくるものだから、声まで入っちまったよ」 「料理動画じゃないですか。ネットに上げたらどうですか? ほら、葵さんはお綺麗ですからバズって金が入るかも。よく知らんけど」  おい、と無表情で田中君の肩を掴む。 「もし万が一、私に無断でそんな馬鹿げた真似をやってみろ。お前のケツにフォークを刺してやるからな」 「微妙にリアルで嫌な脅し文句だな……やりませんからご安心を。ただもし気が変わったら橋本に頼めば……」 「変わらねぇから忘れろ。てめぇのツラや体、声の写り込んだ動画なんて即刻破棄したいところなんだよ」 「……そんなに嫌ですか」 「嫌」 「何で」  何でって。 「自分がいた痕跡を残したくない」  率直に答える。多分、存在意義の無さが影響した考えだと思う。私が存在した跡を見られたくない。だから写真に普通の顔では写らない。自撮り機能も使わない。例外的に、先日の回転寿司屋では撮影したけど、あれは私と田中君、咲ちゃん、恭子がバラバラにならずちゃんと仲直りを出来た記念の写真だ。離れてしまわなくて安心した。正直、安心したし皆で飯を食いに行けて嬉しかった。そのくらいの出来事が無ければ前向きに写真へ収まろうとは思わない。あぁ、あとは咲ちゃんの要望にはたまに応えてあげているか。そっちは前向きとまではいかないし、断ることも多いのだが、可愛い妹分の必死の頼みとあらばどうしてもノーと言い切れない場合もある。 「でも旅行ではたくさん写真を撮りましょう」  思い掛けない言葉を掛けられ我に返る。 「あ? 何でだよ」 「決まっているでしょ。大事なイベントだからですよ」  急激に鼓動が高鳴る。しかし態度や表情へ出さないよう、自分の中へ抑え込む。 「大事、かね」 「勿論。だって普段、声掛けなんてしない葵さんが呼んでくれたのですもの。よっぽど思い入れが強いと見てます。多分、俺だけじゃなくて皆、そう感じているんじゃないかな」 「……そいつは恥ずかしいね。はりきり婆と扱われているわけだ」 「言い方が悪いけど、それも照れ隠しでしょ」  内心を当てられると本当にドキッとするのだな。 「しおり作りチームも、ボドゲ選定チームも、旅行を楽しいものにしたくて色々な意見を交換しています。満喫したい、一泊だけしかないけど忘れられない思い出にしたい。そして、そういう機会を提案してくれた葵さんに少しでもありがとうの気持ちを伝えたい。そんな風に、少なくとも俺は考えております。道の駅に寄りたい、ってこっそり手を回そうとして結局バレて、総スカンを食いましたが」  ……まったく、案外君も気を遣えるよな。私が感極まらないようわざわざ自虐ネタを最後に付け足してくれちゃってさ。空気が重くなり過ぎないよう、私も涙は堪えなきゃね。  ありがとう、田中君。 「ふふ、そうだったな。こっそりの割にやり口があからさまなんだよ」 「ははは、まったくです。でも寄ってくれるんでしょ。ありがとうございます」  こちらこそ、だよ。 「どういたしまして」 「旅行、楽しみましょう」 「あぁ」 「写真にも、普通の顔で写って下さい。天才物理学者から愛想を抜いたような表情じゃなくて」 「さぁて、そこまで言うことを聞く義理は無いな。ツラくらい、てめぇで決めさせてくれ」 「笑顔の葵さんと一緒に写れたら、咲も喜びます」 「いいや。ニッコニコで撮られる私を見たら、そんなの葵さんらしくない、って否定してくれるさ」 「俺と葵さんの意見、どっちが正しいか検証したいから一度は笑顔で写真に収まって下さい」 「その手にゃ乗らねぇよ」 「ちぇっ。頑固だなぁ」 「人には色々事情があるのだ。まっ、それこそ気が向いたら笑うかもな」 「向くことを祈りますよ」 「どーだか」 「とにかく、旅行、楽しみにしております。手伝える部分が他にもあれば、遠慮なく仰って下さいね」  おいおい、と肩を竦める。 「君と咲ちゃんは結婚式場の選定もあるだろ。そっちに注力したまえよ」  う、と微妙に顔を顰めている。あのなぁ、と私は頬杖をついた。 「まさかとは思うが、その辺りの事情をスポンと忘れて、手伝いますよ、なんて言いやがったのか」 「……」  黙っちゃったよ。 「さっき、やらかし発言をどうすれば改善出来るかって困っていたな」 「……はい」 「それに対して私はどんなアドバイスを送った?」 「考えてから喋るようにしろ、と仰いました」 「そ。少しは身に染みたかい。口当たりの良い言葉を考え無しに伝えるのではなく、自分の置かれた状況、相手との関係性、発言によりどんな風に状況や感情が動くか。そういう諸々についてまずは思考しろ。その上で喋れ。今は、自分が結婚式の準備で割と手一杯になるであろうということを考えず、旅行の準備を手伝いますよ、と言ってしまった。私が喜ぶと思ったんだろ。だけど、それどころじゃないやんけ、と呆れさせただけだ。こうして具体例でぶん殴られたらちょっとは自覚出来たか? むしろこれでもまだ変わらなけりゃ、君はマジで救いようのない大馬鹿と扱われるぞ。主に、私から、な」  淡々と説教を続ける。田中君は次第に俯き、両肩は体の前の方へ入って行き、両膝はぴったりくっついていた。わかりやすく縮んだな。 「……葵さん」 「何じゃ」 「……すいませんでした。考えが足りなかった上に、耳障りのいい台詞を吐いてしまいました」 「うむ。では今、君がすべきことは何だと思う」  ええと、と上目で此方を伺いながら首を捻っている。やがて彼が口にしたのは。 「すいません。何でしょう」  溜息が漏れる。本当にしょうがないやっちゃ。 「結婚式場の残り二つの候補地について、解説を続けておくれやす」  あっ、と口元を手で押さえた。 「そうでした! 式場の話がまだ途中でした!」 「忘れるか? 普通」 「だって脱線がひどいのですもの。料理動画に旅行に写真と」 「おい、私が悪いような言い方をするな。お喋りは一人じゃ成り立たん。私と君の共同責任だ」  確かに、とまたしても目を見開いている。今日はその反応が多いね。あるよな、特定の言葉や仕草を繰り返してしまう日。そんで、翌日には全然やらなかったりするの。不思議だよな、人間ってさ。
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