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田中と葵、のんびり語らう。③(視点:葵)
スマホを操作した田中君が、こちらです、と画面を見せてくれた。
「カフェ、か。藪が近いな」
「だから何でそういう言い方をするのですか」
思いがけず噛み付いてきた。内心、ちょっと焦る。
「おっと、すまん。気に入っている店なのかい」
「そうですよ。藪じゃなくて林だし。結構お洒落で飯も美味そうだし。なのに恭子さんは森だの山だの評した挙句、熊や鹿やヤブ蚊が出そうとか言い出すし! 葵さんまで藪呼ばわりするなんてひどい!」
あらら、大分気に入っていたらしい。こりゃしくじったな。発言には気を付けろって忠告した直後にやらかすとは、我ながらブーメランが過ぎる。
「悪かったよ。素直な感想だったんだ」
「いいですよー、どうせ俺のセンスがズレているんです」
「いじけるなって」
よしよし、と背中を擦る。彼は唇を尖らせて拗ねてしまった。ごめんってば、ともう少し押してみると、まったくもう、と鼻を鳴らした。
「人の好みを悪く言うの、好きじゃないです」
「君が気に入っていたって知らなかったんだってば」
「それでも傷付きました」
「わかったわかった。私も発言が軽率だった。君にどうこう指図出来る立場じゃないな。すまない」
丁寧に頭を下げる。横目で見ていた田中君だが、いいですよ、とまだ固い声で呟いた。
「ありがと。そんで? どの辺がお気に入りなんだ?」
これ幸いとばかりに話題を戻す。溜息を一つ吐いてから、雰囲気です、と田中君は応じた。
「店の内装、木目調をベースに落ち着いた感じがするじゃないですか。でもグラスとか、テーブル掛けとかを見る限り、高級感も味わえそうです」
写真を眺める。普通のワイングラスが逆さまに下げられている。テーブル掛けも真っ赤っか。高級というか、まあ結婚式の会場ってこんなもんだよね、という感想が頭に浮かぶ。だけど彼はこれを気に入ったのだ。好みは人それぞれ、腐して悪かったなぁ。
「成程」
しかしそれはそれ、これはこれ。感想が出て来ないのが私の受け取り方である。すまん、普通だなとしか言えんわい。
「あと、すぐ傍の林も俺は好きです。マイナスイオンを感じられそう」
うーん、私は恭子の意見に賛同するなぁ。ヤブ蚊、出ないかね。まあ二月に開くのなら大丈夫か。
「森林浴ってやつか」
そこまではいきませんよ、と田中君はようやく笑顔を浮かべた。ふう、一安心。
「基本的には店の中で式を進めるのですから」
「まあわざわざ林で乾杯はせんわなぁ。寒いし」
「ただ、個人的にこのカフェは気に入っているのですが。基本的に場所と料理の提供だけで、司会や飾り付けは自分達で用意しなきゃならないんですよ」
「げ、飾りもかよ。相当面倒臭いんじゃねぇの」
「そうですねぇ、店自体がお洒落だからそんなにゴテゴテした物は必要無いとは思いますが」
普通だ普通。その店、綺麗ではあるがそこまで特別お洒落ではない。
「じゃあ逆に何が要るんだ?」
「写真立てですかね。五枚か七枚くらい、俺と咲の写っている物を飾る感じ」
何故奇数にこだわるのか。こいつもちょいちょい変わっているよな。
「あー、あのラブラブしているツーショットか。どの結婚式でも入口に飾られているやつ」
「……言い方に棘がありますね。お気に召さないので?」
「君と咲ちゃんなら微笑ましく思うがね。知り合い程度の仲の相手がやったらめったらベタベタしている写真を到着早々見せられる方の身にもなってみ給え。回れ右をして帰りたくなる」
「まあ……いやどうでしょう」
「じゃあ橋本君と佳奈ちゃんがチューしている写真を突き付けられたと想像してみ」
「知り合いじゃなくて親友と友達ですよ。大事な」
「交際している共通の知人が思い浮かばなかったんだもんよ。で、どう? いちゃつく二人のツーショット」
「友達でそういうの、考えたくないな……」
「だろ? しかし当事者になると理性がトブのか、必ず入口に飾られている」
「舞い上がっているんだなぁ。気を付けようっと」
「あ、でも咲ちゃんが幸せそうなら君とチューしている物でもいいぞ」
「嫌ですよ、照れ臭い」
「見せ付けちゃって、このこの」
田中君の肩を人差し指でつつく。
「何もしていませんよ。そもそもそんな恥の塊みたいな写真、撮っていません」
「嘘だぁ。二年も付き合っているなら二十枚くらいあるだろ」
「多いわ! 一枚もありませんってば」
ふうむ、つまらん。
「まっ、当日期待しているよ」
「いちゃついている様は嫌いなんじゃなかったのですか……」
「人の気持ちは移ろうのさ」
「適当なんだから」
「ははは、違いない」
半分くらい減ったメガハイボールを持ち上げる。大分軽くはなってきた。その分、私の体内にアルコールが吸収されているわけで。うーむ、明日も仕事なんだがな。そして私以上に、テーブルの向こうでいちゃこらしている恭子と咲ちゃんは大丈夫かね。マジで未だに私の存在に気付いていない。認識能力が酩酊しているに違いない。そうでなければ私に対するただのいじめだ。あの二人にやられたら大泣きするわ。
「しかし写真の準備程度なら大した負担にもなるまいて。むしろ選定が楽しいじゃないか」
「ゆっくり選べるならそうですね」
「思い出にも浸れるし、ほら、イチャイチャの欲求が高まりそうだぜ」
「どんだけイチャイチャさせたいんですか」
「咲ちゃんが幸せなら私も幸せだ」
「俺は」
「ついでに幸せになれば?」
「冷たいなぁ……」
彼も酒に口を付ける。と、寸前で止まり、ところで、と首を傾げた。
「何だか写真を選ぶ機会が多くないですか」
「む、確かに」
恭子から綿貫君にあげるクリスマスプレゼントも、任意の写真をプリントしたオリジナルのワインボトルだもんなぁ。橋本苦と佳奈ちゃんからはまだ候補が送られてこない。気長に待たせて貰うとしよう。
「ただの偶然だが、あ、そうだ。君らが付き合う前に撮った写真に、居酒屋で超至近距離のツーショットを撮った物があったよな。あれ、入れろよ」
田中君の顔が僅かに引き攣る。
「咲と初めて飲みに行った時の写真ですか」
「そうそう。友達と言うにはあまりに距離感がバグっている、あれ」
「咲が嫌がりますよ……」
「いいじゃん、めっちゃ楽しそうだもん」
「それは否定しませんが」
「あの時点できっと咲ちゃんは田中君を好きだったんだろうなぁ。そうでなければあんな写真は撮るまいて」
さあ、と田中君は首を振った。そうして改めて酒を煽っている。
「照れ屋さんめ」
「放っておいて下さい」
そんで、と私は軽く伸びをした。
「あとは、どんな準備が必要なんだっけ」
「司会の手配および読み上げる原稿の作成です」
ふむ。
「作ろうか、原稿」
え、と彼が間の抜けた声を漏らした。
「何をやるのか、題目? メニュー? 何て言うんだ?
「式次第ですか?」
おっと、社会人らしからぬ一面を晒してしまった。そういう会、興味無いから名称を忘れちゃうんだよ。
「それそれ。そいつをあらかじめ貰えれば、司会用の原稿くらい作るよ」
いやいや、と彼は慌てて首を振った。酔いが回るからやめた方がいいぜ。
「葵さんにそんなお手を煩わせるわけにはいきませんよ」
それに対して微笑みを返す。
「むしろ手伝わせてくれないか。私も君らのプラスになりたいんだ」
うーん、と田中君は眉を顰めた。遠慮の表情なのか? 腹痛を我慢している人に見えるな。
「だけど原稿作りってかなり面倒だと思いますよ? そもそもこのカフェに決まるかわからないし、別の会場だったら原稿そのものが必要で無くなるかも知れません。式場が用意してくれるとかで」
「使わないならそれはそれで構わないさ。無くて困ることはあるだろうが、あって使わないなら捨てるだけ」
「そんな不確定な手間、葵さんに掛けさせられませんってば」
なあ、と薄い笑みを浮かべたまま彼ににじり寄る。
「念のため確認だが、満場一致、最初から恭子にスピーチを依頼する方向で話は纏まっていたのかい?」
う、と田中君が唇を噛む。しかし、いえ、とすぐに口を開いた。
「咲は葵さんからスピーチを貰いたかったと怒っておりました……」
小さく息を吐く。ちょっとだけ、緊張していた。私が全然、全く、これっぽっちも候補に考えられていなかったら本気でショックを受けるところだった。そして気が済むまで咲ちゃんをくすぐらねばならなかった。良かったよ、咲ちゃんが私を必要としてくれていて。
「葵さんに頼めなくなっちゃった、って何度抗議されたかわかりません」
ふふん、と勝利の笑いが零れてしまう。そこまで咲ちゃんから愛されているとは、ガッツポーズを繰り出したい気分だ。
「じゃあ私を避けた理由は例の件だな?」
はい、と弱弱しい返事を寄越した。戦犯め、と彼の肩を今度は拳で叩く。諸々すみませんでした、と再び小さくなった。
「まあ済んだ話は仕方あるまい」
「でも皆からはまだまだ咎められていますが」
肝心の私がネタにしているのに、優しいのかしつこいのかわからん友人達だな。
「そいつは一旦置いておこう。さて、とにかく私は結婚式でスピーチを出来なくなってしまったわけだではあるが。私も君らに何かしてあげたいのさ。そうなると飾り付けの手伝いか原稿の作成くらいしか思い付かない。そして細々した作業は好きではない。小学校の催し物で、折り紙でお花を折るのとか大嫌いだった」
「好きじゃない、から、大嫌いって本音に翻るのが早いですよ」
「嫌いなんだもん」
「じゃあ最初からそう仰いなさい」
「細かいな。まあそんなわけで、そのくらいは手伝わせてはくれないか。勿論、まだまだ先の話ではあるけど。式場も日取りも決まっていないのに、司会の原稿もなにもないよな。うん、ちょっと恥ずかしくなってきたぞぅ。私としたことが、つい気持ちが前のめりになり過ぎてしまった」
心境を正直に全部吐き出す。今の段階で名乗り出るのはいくらなんでも早すぎるわ。何の気なしに髪を耳にかける。いえ、と田中君は真っ直ぐに此方を見据えた。
「本当に、お願いしてもいいのですか」
「……うん」
「じゃあ、咲に話してからになりますけど、葵さんに作ってもらうかも知れません」
そうか、と答えながら目を逸らす。咲ちゃんといい田中君といい、視線が直線なんだよ。
「ほんの少しでも君らの力になれるのなら、私はとても嬉しいよ」
「……ありがとうございます。ぜひ、よろしくお願い致します」
「まだ決まりじゃないんだろ。奥さんの了解を得てからにしなさい」
はい、と応じる田中君の声は明るくて、買って出て良かった、と私の気持ちも晴れやかになった。お節介だとしても、ちゃんと受け入れてくれたのだからいいよね。
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