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田中と葵、のんびり語らう。⑥(視点:葵)
ただいま、と席に座り直す。お帰りなさい、と応じた田中君の手元にはスマホが無かった。メモは取り終えたらしい。自分のスマホを確認したが、メッセージは受信していない。ちゃんと咲ちゃんの了解を得てから送るつもりらしい。よしよし。
田中君とお互い、ハイボールを流し込む。恭子と咲ちゃんは完全に静かになっていた。咲ちゃんは恭子へ、恭子は壁へもたれかかっている。悪酔いしそうなドミノ倒しだね。暑くはないのか。まあいいや、自己責任でよろしく。
「あれ、起こさなくて大丈夫ですかね」
「彼女と先輩を、あれ、と扱うな。とは言わないでおこう。何故なら私も割と呆れているから」
「あ、良かった。実は俺もちょっと引いてます」
「二人に対して?」
はい、としっかり頷いた。珍しいな、田中君が攻めの姿勢を見せるのは。本人達が寝ているとはいえ、はっきり引いちゃうって口にするなんて滅多にない。
「式の話も終わったことだし、その心はいかなるものかお伺いしようかね」
いいですよ、と田中君が目を細める。そしてスマホを操作してメッセージアプリを立ち上げた。
「月曜日に、恭子さんから咲と俺宛に送られた文面です」
「読んでいいのか」
「葵さんなら構いません」
遠慮なく読み上げる。
「咲ちゃん、田中君。日曜日は飲み過ぎてしまいごめんなさい。お詫びがしたいから、今週のどこか、空いている日はありませんか。申し訳ないけど、土曜日以外でお願いします。だと」
彼が眠ってしまった二人を指差す。
「お詫びの気持ちは一体何処ですか」
「忘却の彼方」
即答すると首を一つ振った。気持ちはわかる。
「ついでにチクるなら、今日の咲は恭子さんにグサグサ釘を刺していたんですよ。飲み過ぎちゃ駄目、とか、綿貫を好きなら他の男にくっつくなって。だけど一緒に潰れちゃったら説得力が無いじゃないですか」
頬杖をつく。
「だったら止めれば良かったじゃん」
「大丈夫? とは聞きました」
「止めた内に入らねぇよ。じゃあここでまた一つ、当ててやろうか」
途端に彼は思い切り仰け反った。
「何してんの」
「いや、当てるって言うからまた肩に手を回されるのかと」
バカ。
「胸を当てるわけじゃない。それとも当てて欲しいのか? 満足感は無いだろうが」
「求めるわけないでしょ!」
「私は内心を言い当てるってつもりで発言したんだぜ。そいつをボディタッチと受け取る時点で君は求めていたのさ」
「そんな、破廉恥な!」
「そりゃお前だ馬鹿者。さて、そんな破廉恥な田中君が珍しく不満を顕わにしたのは君が二人にちょっとだけ苛々しているからなのではないかい」
途端に彼が口籠る。隠さなくていい、となるべく優しく話を続ける。
「……別に、苛々はしていません。大切な彼女と、先輩です」
「だが不満がゼロだと断言出来るか? ちなみに私は大いに不満だ。恭子は親友、咲ちゃんは世界一大事な後輩だと思っている。しかし今日此処で合流して一時間近くが経過しようとしているが、一度たりとも気付かなかった。咲ちゃんに至っては引っ繰り返りそうだったところを助けたのに、だぜ? そんでもって二人して寝ちゃったし。しかもこの後待つのはこいつらの介抱だろ。尤も、寝て起きたら復活する可能性もゼロではないが、いずれにせよ私に見向きもしないのは非常に面白く無い。酔っているからしょうがない、とは言わないぞ。いい加減、大人の飲み方を身に付けろ、と思うから」
言葉を区切り、酒を飲む。なんならメガしか頼ませて貰えない部分も不満だね。好きな物を好きな量、いただきたい。
「田中君。君、私との一件でまだチクチク責められているだろう」
そりゃそうです、と今度は即答した。
「だってそれだけひどいことをしたのです。葵さんを傷付けた。咲に不安を抱かせた。恭子さんを怒らせた。橋本と高橋さんにも呆れられました。人の心が無いのかって」
じゃあ私の気持ちを聞かせてやろう。
「私はむしろ逆に捉えている。咲ちゃんがいるけど私も気になった。だけど一番は咲ちゃんに決まっていて、君に私を選ぶ道は無い。それなら黙ったまま咲ちゃんと結婚すればいいのに、わざわざ私に気持ちを伝えた。君が葛藤したのかどうかは知らないし、興味も無い。ただ、二人同時に好きになってしまうなんて人間臭いと私は感じる。感情ってものを完全に制御するのはとても難しい。不可能と断じてもいいだろう。筋からすれば、君は咲ちゃんだけを見据え、彼女だけを愛し、他の人間に目移りなどせず最期まで添い遂げなければならない。当然だね、夫婦になるのだから。一方、感情を完全にそのように動かせるかと言えば答えは限りなくノーに近い。或いは聖人君子や究極の愛妻家であれば不埒な考えは一切浮かばないのかも知れない。だが大多数の人間はそうではない。人が人に恋をするのは仕方ない。だって好きになっちゃったんだもの。自分でもその気持ちはどうしようもない。ただね、わざわざ相手に伝えたりはしないんだ。何故ならその必要が無いから。二人目、三人目、四人目の誰かに恋をしたとして、いちいち素直に伝えていたらいつか刺し殺されてしまう。伝えなくても人生に支障はない、むしろ馬鹿正直に口にした方がトラブルは起きる。こないだの我々のように。だけど君はわざわざ私へ二番目に好きだと告白した。さっきも言った通り、馬鹿正直が過ぎるぜ旦那。おかげで私は傷付いた。ただ、これも何度も伝えたが。嬉しかったんだぜ、好きって言われてさ。そしてこの件についてはもう終わりだ。君らは結婚するのだし、私はただの仲の良い先輩として今後も付き合いを続けていく。君を一生からかうネタをゲット出来たと捉えて、よくも告白したその場でフリやがったなっていじるとしよう。ただ、その発言が許されるのは私が当事者で被害者だからだ。被害者がネタにしているのだから他の奴らに文句を言われる筋合いは無い。さて、咲ちゃんも被害者だから君をつついても構わない。恭子も君を導いた先輩として、また私の心を救ってくれた親友として、ギリギリ当事者に入るかな。橋本君と佳奈ちゃんは完全に当事者からは外れるが、君の友人としてブレーキをかけたりアドバイスを与える程度なら許されるだろう」
綿貫君にはさっき名前を伏せて私がひどい目に遭ったと教えたが、今は話がブレるから黙っておくとしよう。
「つまるところ、結局君は友達皆からあの件について責められてしまうと見込まれるのだが。責める側のリスクは知っているかい」
「リスク?」
「人の振り見て我が振り直せ、さ。私は君のとった行動を、人間臭い、馬鹿正直で真面目な、でも理解は出来ないものだと評するが。責めたりはしない。傷付いたけどね、好きだって言ってくれたから」
淡々と話を続ける。田中君は静かに耳を傾ける。
「そして、皆が君をいじったり叱ったり呆れたり注意したりするのも好きにすればいいと捉えている。他人同士、相手にどういう振る舞いや物言いをするのか、それは各々の自由だから」
ハイボールを一口飲む。ようやくメガジョッキが一杯空いた。タッチパネルから通常サイズのレモンサワーを注文する。田中君のジョッキも空きそうだ。ハイボール? と問い掛ける。お願いします、と応じた。はい、注文完了、と。
「ええと、そう、私以外の人がどういうやり取りをしようが自由だ。ただね、人を責めるのであれば自分も隙を見せてはいけない。そこからつつかれてしまうから、というのは当然だが、それ以前に責められる側の立場に立って考えてみろよな。偉そうに抜かしているけどお前だって駄目じゃないか。そんな風に苛立ちを覚えられるに違いない。それこそ人間なのだから、例えどれだけ責められる謂れがあろうとも、どれほどの正論で刺し貫かれようとも、隙が見えたら、お前が言うなと苛立ちの感情が湧いて当然だ。反省していないというわけではない。ただ、ムカつきが頭をもたげてしまうのは抑えようがない。現状に当て嵌めるのならば、咲ちゃんと恭子は君をチクチク責めるのならばこんな風に酔い潰れて寝たら駄目だって話さね。田中の馬鹿者って言うけど恭子さんだって毎度酔い潰れているじゃないですか。徹君はもっとしっかりしてって釘を刺すけど咲だって恭子さんにくっついて寝ちゃったじゃん。そんな不満が燻りかねない。ただ、君自身もやらかした自覚はあるし、二人に強く出てはいけないと理解している。だから心の中だけで歯噛みする。結果、苛立ちが募っていく。まあ、少なくとも私が君の立場にあったならば。今、物凄く苛々するね。人を責めるなら自分も隙を見せるなよって」
そこへおかわりの酒が届いた。やっぱりジョッキは通常サイズがいいね。ペースが掴めるし重くもない。多少割高かも知れんが私はこっちの方が好きだ。早速口を付ける私とは対照的に、田中君はぴくりとも動かない。
「長々と話してしまったが、全くお門違いの寄り添いだったら失礼した。全然違う感情を抱いていたら、ただ私が恥を掻くだけだな。ははは」
しかし返事は無く。どうしたものかと見守っていると、ゆっくりと田中君が動き出した。スマホに何やら打ち込み始める。そして彼の手が止まると同時に私のスマホが震えた。メッセージが一件届いている。差出人は、目の前の彼。結婚式の式次第、なわけないよな。開いて中身に目を通す。
『寄り添ってくれて、ありがとうございます。皆には絶対に言えませんが、葵さんが今、お話してくれた通りの気持ちを抱いております。でも、俺が苛々するのは違うと思って口には出せませんでした』
見事に大当たりだったらしい。
「そうかい。まっ、何度も宣言した通り、私は君をいじるがね。嬉しかったから責めはしない。あぁいや、君からすれば十分責めとるやんけ! と感じるいじりもあるかも知れないが。その時はすまん。心の底からぶっ刺そうという気は無いのだよ」
そう声を掛けてから私もメッセージを打ち込む。
『だから、他の誰に対しても吐き出せない愚痴や気持ちが溜まったら、遠慮無く私を頼り給え。また好きにならない程度にな、ってのは冗談として。一番の被害者である私が君を受け入れているんだ。誰にも文句はつけさせないよ』
送信、と。画面を見詰めた田中君は、程なくして私を見上げた。
「……ありがとうございます。心が軽くなりました」
「そうかい。そいつは良かった」
静かに酒を煽る。テーブルの向こうでは二つの寝息が響いていた。二人とも、あんまり彼をいじめてやらんでおくれ。過去は消えないし、彼はいまだにやらかしが多いけどさ。心のある、一人の人間なんだ。私より怒ってくれる君達の存在はありがたいけど、もうちょっと彼にも寄り添ってあげて。少なくとも、私はそう希望するよ。
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