マッサージチェアには躊躇します。(視点:綿貫)

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マッサージチェアには躊躇します。(視点:綿貫)

 シューズを返却した俺は、無駄に自分の両手を見詰めた。緊張。戸惑い。不安。そして、罪悪感。そういう感情が胸中に渦巻いているのがわかる。だが恭子さんをこのまま放っておくわけにもいかない。大丈夫、二階までおんぶをして連れて行くだけ。必要があってやるのだから、むしろ意識し過ぎちゃうのは下心満載みたいで失礼だ! 気にせず、自然体で接すればいい。そう、自然に。  ……そんな風に振る舞えるかぁ! こっちは惚れてんだぞ! 好きな相手とゼロ距離で密着して平気でいられるかぁ! まったく、今日はとんでもなく凄さまじい日だ! 呆気に取られる出来事の連続で心臓が爆発しそうだわ! 顔、赤くなっていないだろうな!? 内心を気取られるわけにはいかんのよ! いや、でも好きな人をおんぶするとなれば赤面くらいして当たり前だよな。うん、普通なんだって。恭子さんに気取られることは無い!  相当強引ではあるが、大丈夫だという結論が出た。さて、いつまでもうだうだしてはいられない。意を決して恭子さんの元へ戻る。途中、右手と右足、左手と左足が同時に出ていることに気付いた。我ながら緊張の仕方が小学生だ。咳払いをし、お待たせしました、と声を掛ける。ふっと此方を見上げた。その大きな目はまだ少し潤んでいる。しかし悪いが、こないだの居酒屋での一件みたいに気まずくなるのは嫌なので、取り敢えず見ないふりを決め込んだ。ましてや今日は二人きり、あんな風に落ち込まれたらリカバリー出来る気がし無し。しかしこういう時、マジでどんな言葉を掛ければいいのかわからないなぁ。経験不足、ここに極まれり。しょうがない、女性を慰める機会なんて無かったのだもの。まあ、そういう対処法なんかを学ぶための疑似デートでもあるのだが、肝心の指南役である恭子さんが落ち込んでいるのでそれを慰めるための言葉を当の本人の恭子さんに教えて下さいと頼むわけにはいくまいて。ええい、無駄にややこしいな! 「じゃあ、行きましょうか。マッサージチェアのところへ」  俺の言葉に、うん、と頷き両手を伸ばしてきた。ええと、おんぶをするにはっと。床に腰を下ろし背を向ける。えいっ、と力を入れる声が聞こえた。続いてベンチのがたつく音が響く。様子を伺おうと後ろをチラ見しようとした瞬間、首元に腕が巻き付いて来た。そして背中には重みがかかる。……本当にこの瞬間が参るとは、恐れ入る。そして鼓動がハイペースでビートを刻む。今だけは血圧を測りたくない。いや、むしろ測ってみたい。いくつを観測するのかね!! 「じゃあすみませんけど、綿貫君。お願いします」  丁寧な依頼の言葉に、承知しました、と努めて平坦に応じる。努めないと声が上擦るから。  恭子さんの足に腕を回し、体勢を整える。あれだけ滑りが力強いだけあって、脚部の筋肉からは適度な張りを感じる。同時に柔らかさも確かに在った。質のいい筋肉なのだ。元バレーボール部だけあって、やはり脚力は重要だったのだろう。なにせ試合中は飛んだり跳ねたり屈んだりと上下動が続くからな。  はっ、と気付く。いかん! これでは女性の体を分析する変態だ! 極度の脚フェチじゃないか! 断じて違う! 同じ、運動部経験者として興味を持っただけ! いやいや、興味を持つ時点でやっぱり変態だって!  邪念を祓うよう、一気に立ち上がった。勢いに驚いたのか、恭子さんの腕に力が籠る。おかげでちょっと息苦しくなるけど指摘はしない。びっくりさせた俺のせいだからね!  そうしてゆっくりと歩き始める。ごめんね、と耳のすぐ傍から声が届いた。電話より近い! って、そんなわけない。電話はゼロ距離なんだから。だけど電話は声が近くても体の距離は離れている場合がほとんどだ。逆に今、俺達は不可抗力故ゼロ距離にいるわけで。ゼロっていうのは密着状態でありまして。口は耳にくっついてはいないけど体の表面積におけるひっつき部分の占有率はなかなかのものなのであり。……要するにめっちゃ近い! 「重いよね」 「全然平気です。むしろ軽いです!」  意識を会話に集中させる。さっきから思考がとっちらかりすぎて脳みそがくたびれてきた。おかげで余計な発言が口を突いて出そうで怖い。故に相手の言葉へより一層耳を傾ける。 「それは無いわよ。気を遣いすぎ」 「いえいえ。マジでそう思います」  その時、あぁ、と声が漏れた。 「やっぱり重い?」  申し訳なさそうに言われて、違います、と首を振る。 「ちょっと、懐かしいなって思って」 「懐かしい? 誰かをおんぶした過去を思い出したの?」  首に回された腕へ僅かに力が入る。ずり落ちているのかと思い、軽く背負い直した。 「俺、妹がいるんです。七つ下の。あいつが小さい頃は公園や学校のグラウンドで遊んだり、プールに連れて行ったりしていました。ただ、妹は帰り道でよく眠くなっちゃって。しょっちゅうおんぶをして歩きましたよ。あいつが小学校の高学年に上がった頃くらいから、恥ずかしいから兄ちゃんとは遊ばない、ってつっぱねられるようになっちゃったんですけどね。こうして恭子さんをおんぶしていると、何だか懐かしい気持ちになりました」  へえ、と少し穏やかさを取り戻した返事が聞こえた。もう一度背負い直して階段へと足を掛ける。そしてゆっくりと、一段一段踏みしめて上った。うん、やっぱり重くないですよ、恭子さん。本当にね。 「いいお兄さんだったんだ」 「それはどうだかわかりません。仲は良いとは思いますけど、良いアニキだったかどうかは俺からは何も言えませんね。ふふ、でも今日の恭子さんはあいつと一緒だ」 「えぇ、君より七歳も下の妹ちゃんと? なんなら私なんて九個も年上なんだけど」 「はしゃぎすぎて動けなくなったって点では同じです」  うっ、と恭子さんが返答に詰まった。 「そういや昼寝もしていましたね」 「完全に扱いが三歳児じゃないの……実際、そういう行動をしたのは私の方だけど……」 「いいじゃないですか、加減せず遊べる日なんてなかなか無いですよ。目一杯はしゃげる友達と過ごす時間って、大人になると貴重ですよね」 「まあ、ね」  それだけ呟き、何故か身じろぎをした。 「心当たり、あります?」 「……お恥ずかしながら、色々と。むしろ今日もこんな風になるまで滑るべきじゃなかった。君に迷惑を掛けちゃってさ」  そんなことはありません、と明るく返す。 「初めてのアイススケートに全力で取り組み、足腰立たなくなるまで頑張ったなんて真面目な証拠じゃないですか」 「自分の限界を超えて歩けなくなるなんて世話無いじゃないの……結構反省しているし、恥ずかしいとも思っているのよ。……立てないのはどうしようもないんだけど」 「お気になさらず。その分、マッサージチェアを楽しませて貰います。ほら、普段、十五分百円とかでも滅多に使わないじゃないですか。時間と料金を考えればかなりお得にマッサージを受けられるはずなんですけど、いざ目の前にすると別にいいかってなっちゃう。あ、それは俺だけかな?」  途端に、わかる、と顔をすぐ隣まで突き出して来た。近い近い。 「スーパー銭湯とかでもさ、散々お風呂に入った最後にマッサージチェアで仕上げのほぐしよ! ってわくわくしながら傍らまでは行くのよ。でも、十五分百円かぁ……何かいいやぁ……ってなるの!」 「三百円のところもありますよね。それなら、やや高いから諦めるって自分でも理解出来ます。でも何でなのでしょうね。たった百円を出し渋る理由」 「むしろ十五分の方が気になっているのかも? その時間は別のことに当てられるなって」 「風呂上がりのビールですか?」 「あ、また意地悪を言った!」  もう、と胸元をつつかれる。 「今日の綿貫君はやっぱりへそ曲がりよ」 「すいません、浮かれているせいですね」 「まあスケートは楽しいからテンションが上がるのもわかるけどさぁ」 「気分を害したのなら失礼しました」 「そこまではいかないけど。それで、十五分あれば例えば髪の毛のお手入れを入念にしたり、スキンケアに当てられるのよ。丁度パックが一枚十五分だから、まさにそっちを優先しちゃったりしてね」 「パックを着けてマッサージチェアに座れば一石二鳥では」  あのねぇ、と今度は呆れた声を掛けられた。 「パックをしたまま人前へ出るほど肝が据わってはいないわよ」 「でも結局着けるんですよね」 「更衣室に戻ってからね」 「女性同士だと見られても構わないのですか」 「そういうものよ」 「うーむ、俺には難しい世界だ」 「あはは、そりゃそうよ。むしろ綿貫君からは一番縁遠いかもね!」 「そりゃあ俺はモテるどころか女性との絡みもありませんけど」 「んー? 今、私をおんぶしてくれているのにそういうことを言う? 私は女じゃないっての?」  あ、しまった! 「ち、違います! そうじゃなくて、恭子さんは、そのす、素敵で魅力に溢れる方です」  こないだまで、真顔で発言出来ていたのに今はどもるくらいには緊張するようになっちゃった! 好きになるって凄い変化だ! 「……」  何故か恭子さんからの反応は無い。こっちは必死で言葉を繋ぐ。 「ただ、恭子さん以外の女性については友達である咲ちゃんと高橋さんを除きプライベートでほとんど会話をしたことが無いので、そういう更衣室なんかの状況とか、そこにおける心境とか、さっぱりわからないのです。尤も、俺がいくら恭子さんや咲ちゃん、高橋さんから話を聞いても理解は及ばないのかも知れませんが」  そうねぇ、とようやく応じてくれた。ほっと胸を撫で下ろす。 「まあ、そんなもんじゃない?」  ありゃ、と拍子抜けした。 「急に適当ですね」 「何となくだけどこの話は一生平行線を辿る気がする」 「マッサージチェアの話は共通認識を持てたのに」 「それはそれ。これはこれ」 「大人ですね」 「二つも年上だからね」 「恭子さんってきょうだいの中ではお姉さんなんですか?」 「どっちでもあるわね。兄貴と弟がいるわよ」 「ほぉ!」  ……質問しておいてなんだが特にそれ以上のコメントは思い付かなかった。微妙な空気が漂いかけた時、こないだね、と恭子さんが先を続けてくれた。助かりました。 「田中君と咲ちゃんともそんな話になったのよ。きょうだい事情の話。その時ね、田中君ってば私に向かって、イメージ通りですって言ったの」 「まあ、わからんでもないです。しっかり者はお姉さん要素だし、でも葵さんと接する時は割と妹っぽいですし」 「そう、そう! そういう表現ならいいのにさ、彼、何て発言したと思う!?」 「……またろくでもないことを言いましたか」 「男勝りのしっかり者。だけどポンコツな一面もある。ですって!」  田中の意見に頷きかけ、かろうじて止まる。恭子さんと密着しているのだから僅かな動きでも気を付けねばならない。 「……それは、失礼ですね」 「でしょぉ!? だからね綿貫君、さっきも注意したように君は素直なままでいなさい。あの子みたいにへそが曲がると無駄に恨みを買うんだから! 言われた方は忘れないのよぉ~」  いじめた側といじめられた側の意識の違いと一緒だな。まったく田中ってば、失礼な後輩だ。  だが。やはりお前は俺の親友だ。その感想、正直、わかる。今日、今、この状況が、まさにポンコツ要素の象徴だ。
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