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無理矢理にでもフラグをへし折る男。(視点:綿貫)
無駄に遠回りをしたものの、やっとこさベンチへ辿り着いた。腰を下ろした恭子さんの隣に拳二つ分ほどの距離を空けて座る。失礼しました、とすぐに俺は頭を下げた。
「我ながら、まさか通りすぎてしまうとは。驚かせてすみません。また、おんぶが長引いてしまい大変申し訳ございません」
おんぶについて、やましい気持ちは無いけどある。変態的要望ではなく恋心から来るやましさ。それについての考察と発見を脳内で繰り広げていたせいでベンチをスルーしてしまった。
ぷっ、と吹き出す声が聞こえる。顔を上げると恭子さんが目を細め、唇を三日月型にしていた。
「おんぶは私がお願いしたのだから謝る必要なんて無い。それにしても、まったくもう。あの短距離でどれだけ深く考え込んだの?」
「自分でもそう思います」
「びっくりしたわよ。えっ、ベンチに座るはずなのに通りすぎた!? って」
あはは、と笑われ恥ずかしいやら気まずいやら。そして救われた感じもあり、まったくですと頭を掻くことしか出来ない。
「それにしても痛かったわねぇ、マッサージ。綿貫君は大丈夫?」
「めっちゃ痛かったですよ! 悲鳴、聞こえたでしょ」
「勿論! 私なんて逆に途中から声にならなかったわよ」
「静かになったから心配しました。で、どうです? 足の調子は。まだしばらく厳しいでしょうか」
そういやそうね、と恭子さんは前方に足を投げ出した。すぐに、あれ、と目を丸くする。
「……震え、止まった」
え。
「マジですか」
「もしかして」
呟いてすぐ、むんっ、と足を振り上げ勢いよく下ろした。そのまますっくと立ち上がる。
「いけたわ! 凄い、バッチリ回復している!」
「早過ぎじゃないですか!?」
二十分くらい前まで動けないって苦しんでいたのに! そしてこれでおんぶはもう終わりだな。……やましいなぁ。
「マッサージ効果!? 凄まじく痛いだけあって効き目もバッチリね!」
ほらっ、とジャンプした直後、しかし恭子さんは膝から崩れ落ちた。床に膝がぶつかる鈍い音が聞こえた。また痛そうな……。
「大丈夫ですか」
慌てて背中に手を当てかけ、間一髪のところで停止する。いかん。この半日で距離感がバグり始めてしまったようだ。駄目だぞ俺、基本的に付き合っていない男女が接触してはいけないのだ。……その割に、恭子さんとはよく触れ合うな。今日はしょうがない! アイススケートという特殊な環境にいたのだから。そんで前回の観覧車でも、蹴っ躓いた恭子さんを転ばないよう受け止めただけなのでこれも仕方ない! うん、ひどい言い訳だ!
「ジャンプはまだ駄目だったみたい……」
力ない答えが届く。
「無理はしないで下さい。ジャンプなんてする必要は無いですよ。ゆっくり歩ければ十分です」
「膝、痛い……」
床へ打ち付けたところをさすっていた。割としっかりぶつけたらしい。大丈夫かな。
「受付で氷を貰ってきますか? 痣になったら嫌でしょう」
足に痕が残ったら最悪だ。たまに残る痣ってあるからな。絶対に冷やした方がいい。そう思ったのだが恭子さんは首を振り笑みを浮かべた。
「そこまでしなくても平気よ。第一、理由を伝えるのが恥ずかしすぎる。はしゃいで跳んで転びました、なんてさ」
やせ我慢が見え見えだ。何故なら痛いって言っていたじゃないか!
「特に何も言わなくても頼めば貰えると思いますが」
「とにかく平気。ありがとう」
うーむ、頑なだ。固辞するのを押し切って貰って来るのも余計に気を遣わせるだけだとも思う。ただ、マジで恭子さんの体に痣なんて残したくないんだよ。悶々とする俺の前で、よろよろと立ち上がりベンチへ戻った。こちらも渋々元の位置に座る。あーあ、と恭子さんは溜息を吐いた。
「今日は恥ずかしいところを見られてばかりだなぁ」
遠い目をして呟いていらっしゃる。そんなことは無いですよ、とすぐにフォローを入れた。同時に、田中は駄目だった場面を指折り上げ連ねるだろうな、橋本なら可愛かったですよって言うに違いない、そんな考えが頭に浮かんだ。瞬時に奴らの行動パターンが浮かぶなんて、俺達は仲良すぎるぜ。
「それは無理があるわよ」
フォローは即刻否定された。うーむ、やはり俺は話を上手く運べないなぁ。
「そうでしょうか」
「奇声を上げながら滑っていたし。立てなくなるまではしゃいじゃったし。今も調子に乗って、すっ転んで、君に心配をかけちゃった。……はずかしっ」
その言葉に、先程気付いた考えを思い返す。そういう、隙を見せられる関係や距離感だったらとても嬉しい。だけど、恭子さんは誰にでも明るく楽しく接するから、俺以外の人と来ても同じように過ごすに違いない。勘違いしちゃ駄目だぞ俺。
「まあ、綿貫君と一緒に来たから、羽目を外しすぎたんだけど」
……。違う。そういう意味じゃない。まったく、恭子さんは相変わらず発言が危なっかしい。おまけにちょっとしっとりした感じで言うなんて、俺でなければ勘違いしてしまう台詞です。だがこないだも釘を刺したし、今日も同じ注意をするのも後輩として厚かましい。ここはやんわりと話を逸らそう。
「そうですか? 誘った身としてはスケートを満喫していただけて幸いです!」
語調とは裏腹に、慎重に危なっかしい領域から外れようと試みる。これ以上、変な方向へ深入りをしないようにね。
「うん。とっても、それこそはしゃぎすぎるくらい、楽しかった。それは……」
「独り立ちには十分です。ここまで来たら、次は葵さんに滑り方を教える番ですよ!」
「……君も一緒に来てよ。今日、滑れただけじゃあ次回も上手く出来る自信は無いもの」
「立てなくなるまで滑れたんだから大丈夫ですよ。それに、滑れるようになったのは俺じゃなくて説明サイトのおかげですし」
「切っ掛けはそうかも知れないけど、綿貫君の助けありきよ。そんなに謙遜しないで」
謙遜ではなくただの事実だ。
「恭子さんの運動神経が良かったからです。二つがガッチリ噛み合ったらから爆速で上達したのです。俺は特に何もしておりませんよ」
「でもスケート靴だと歩けないし。葵と二人揃ってリンクまで辿り着けない、なんてことになったら間抜けすぎるじゃない」
そういや、それが原因で今日は手を繋いで歩き始めたのだった。結局、最後まで歩き方はマスターしなかったな。やっぱり恭子さんって変わっている。氷の上は滑れるのに床では歩けないなんて。そしてやけに食い下がってくるなぁ。俺を誘ってどうしたいんだ。葵さんと二人で来てもあのサイトを見れば滑り方は覚えられるし、十分楽しめるって。だけどあまりに断り続けるのも気まずい。仕方ない、ちょっとだけ折れるか。
「まあ、確かにそうですね」
「でしょ? だから助けて!」
「わかりました。もし本当に実現することがあればお声掛け下さい」
この返答なら恭子さんの要請には応えているし、万が一改めて誘われる日が来たとしても都合が悪いと断ればいい。先輩方の楽しい時間を邪魔するほど、厚かましくはないのだ。
よし、と恭子さんは拳を握った。そんなに俺に来て欲しかったのか? まあ、歩けないってのは割と致命的な弱点ではあるが。ただ、最悪の場合、裸足でリンクの柵の傍まで行って掴まり歩きをすれば問題は無いのだが。そのことに気付かない恭子さんはやっぱりお疲れのようだ。
「じゃあスマホを取って貰っていい?」
そう頼まれて彼女のそれをポーチから取り出す。どうぞ、と返すとすぐに電話を掛け始めた。……まさか。
「もしもーし。お疲れ。今、大丈夫? 悪いわね、急に連絡して。早速だけど、ちょっと、スピーカー受話に変えるわ」
電話の相手は想像に難くない。いやいや、どんだけ一緒にスケートへ行きたいんだ!
「もしもし」
スピーカーから響いた声は、やっぱり葵さんだった!
「綿貫君もそこにいるんだろ。スピーカー受話にしたってのはそういうこったもんなぁ」
発言に理由がある辺り、流石としか評しようがない。お疲れ様です、と受話器に向かい俺も話し掛ける。
「おう、三日ぶりだな。元気にしていたか」
「当たり前じゃないですか」
「あら、疑似浮気者同士、仲が良いのね」
恭子さんの発言を聞いた途端に葵さんが笑い声を上げた。
「恭子にも教えたのか、私と疑似浮気をしたって。ははは、そいつは光栄だな」
「いや意味わかんないですよ! 光栄って何ですか!?」
「素敵で綺麗な魅力的御仁であらせられる恭子姉さんという疑似彼女がおりながら、綿貫君は私のようなポンコツ根暗女と疑似浮気をしてくれたんだぜ。光栄以外の何がある?」
恭子さんと俺は揃って首を傾げた。
「わかるようなわからないような理屈だなぁ!」
「取り敢えず、私が褒められているのはわかった!」
「お前ら二人、揃ってバカっぽいな」
「失礼な!」
「誰がバカよ!」
「息、ピッタリだな。お似合いだぜ、擬似カップルさん」
その評価は嬉しくも気まずくて返しに詰まる。何故か恭子さんも黙り込んだ。貴女はその必要、無いでしょう。
「そんで? 大事な疑似デート体験中に何故私へ電話を掛けて来た? お邪魔虫はごめんなのだが」
あぁ、と恭子さんが一つ息をついた。咳払いをして、あのね、と切り出す。
「葵、今度アイススケートをやりましょう!」
「やだ」
即答!
「何で!? めっちゃくっちゃ楽しいわよ!?」
「そりゃあ恭子は運動神経抜群だからな。だが私は絶対に転んで負傷する。危険地帯へ自ら赴く趣味は無い。勿論、自ら傷付くのも嫌いになった」
……なった? 前は好きだったのか?
「失敬、嫌いだから、だ。噛んだ」
あぁ、噛んだのか。びっくりした。
「大丈夫だって! 子供も滑っているわよ。葵だっていけるって! 一応、成人女性なんだから!」
「一応って何だ。立派な成人女性じゃ」
「だったら行くわよ、アイススケート」
「しつけぇなぁ。大体、疑似とは言えデート中に電話をする奴があるか。誘うならまた今度にしろ。どうせ頻繁に会っているんだから」
「いいから行きましょうよぉ。いつが空いている?」
「空いてねぇっての。何故なら旅行の準備が忙しいから」
「じゃあスケートをしてから打ち合わせをすればいいじゃない!」
「いいわけあるか! 全身打撲の状態でまともに喋れるわけないだろ!」
「もう、葵のケチ! 強情張り! 運動音痴!」
「好きで運動音痴に生まれたわけじゃねぇ!」
「まったく、埒が明かないわ。今度、ちゃんと誘うから」
「そうだぞ、疑似デートに集中しやがれ。黙り込んでいる綿貫君が手持無沙汰なのだと伝わって来るぜ」
「そうそう、次回も綿貫君が付き添ってくれるから安心してね」
あ、ちょっと! 逃げ場が無くなるじゃないですか! 電話の向こうで葵さんが、ほう、とだけ呟いた。そのまま沈黙する。何故黙る!? いや、そうか! 滑って転んだりして俺に触られるのが嫌なんだ! あの、と慌てて口を開く。
「葵さんが嫌だったら、俺、全然参加しませんから!」
「むしろ来いよ。奇声を上げて滑る変人と二人きりは気まずいのでね」
「うっさい!」
げぇっ、断るどころか誘って来た! どういうつもりだ!? 先輩二人の考えが全然わからん!
「じゃあまあ、行くか行かないかはともかくとして、今日の土産話はゆっくり聞かせてくれ。さっきも言った通り、お邪魔虫はごめんだから切るぞ」
「あんたを誘えて大満足! また改めて誘うわね!」
「へいへい。そんじゃなー。綿貫君も、多分恭子ははしゃぎすぎてケツを打つなり足が動かなくなったりしているだろうが、面倒を見てやってくれ。よろしくー」
じゃな、と電話が切れた。恭子さんはスマホの画面を切り、ゆっくりと顔を覆った。
「……足の件、読まれていましたね」
「ここまで来ると葵が怖い!」
まったくです。
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