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飴と鞭とか聞いてないんですけど。(視点:佳奈)
「腕を組んだの? もうカップルじゃん。疑似じゃなくてさ」
そこなんだよ、とすぐに綿貫君も乗っかった。同じように空気を読んだらしい。こういうところでも抜群に息が合うのが三バカの凄いところだと思う。
「疑似なんだよ、俺と恭子さんの関係は。疑似デート。疑似カップル。だけどあの人は俺に経験を積ませるために、色々やってくれるんだ。まあ手を繋いだのは不可抗力だ。抱き留めたのはただの事故。おんぶも必要に迫られて対応した結果だ。ただ、腕組みだけはな。必要も無ければ、事故でもない。意図的に行わなければ有り得ない行為だ。つまり恭子さんは自らの意思を以って俺の腕に自らの腕を巻き付けたわけ。恋人同士でもないのに。では何故そんなことをしてくれたのか。理由は一つ。俺にデート経験を積ませる、という疑似デートの目的を達成するための行動であるとしか考えられない。では逆に想像してみよう。恭子さんが俺に対して乗り気で腕を組むだろうか。答えは否。何故なら俺達はカップルでは無いから。ここから、恭子さんは義務感に駆られて腕を組んだと推察される。あの人は尋常でなく面倒見がいいから。今日は色々あったし、この際腕組みの経験もさせてやるか、という思考から行動に移したと推察される。だがこれは非常に申し訳が無いと俺は感じる。乗り気でないのに恋人のように振舞うことがどれほど心身に負担を強いるか。しょうがないなぁ、の一語で腕を組めるものではあるまい。だがあの人はその優しさ、面倒見の良さ故に組んでくれた。果たして、俺にそうまでして経験を積ませる価値はあるのか? 恭子さんに負担をかけてまで育てて貰うばかりでいいのか? 昨日から、そんな考えが頭の中で巡っている。誰かに吐き出したくて、真っ先に浮かんだのが橋本と高橋さんだった。この辺の倫理観のブレーキがぶっ壊れている橋本と、女子としての傾向が恭子さんと似ている高橋さんの意見を伺いたかった。だから君達に今日会えないかと連絡した次第だ。付き合ってくれてありがとう。そして二人はどう思う」
どう思うって。恭子さん、本当に頑張ったな、としか出て来ない。そして疑似デートってこんな致命的な欠陥を孕んでいたんだ。まさか、どれほどアピールをしても経験を積ませてくれている、としか捉えられなくなるとは。うーん、この辺の話も恭子さんとしたい。綿貫君がトイレにでも行ったらその間に早速連絡をしてみるか。
それはともかく、この場では何と答えたものか。何となく聡太の顔を伺う。
「…………?」
あ、駄目だ。全然ピンと来ていない。多分、腕組み一つで何をぐだぐだ言っているんだ、くらいにしか考えていないな。そんな予想をしていると、聡太が口を開いた。
「腕組み一つで何をごちゃごちゃ言っているの?」
大当たりだった! 我ながら凄い!
「腕組み一つって、お前、やっぱやべぇな……」
「むしろそこからどうして発展させようとしないのさ」
ん? あれ? 聡太、ちょっと苛ついている? どうしたどうした。
「発展? 何だよ、発展って」
「だって恭子さんが腕を組んでくれて、綿貫は経験を積ませて貰えたって捉えたんだろ。恭子さんが自分を育てようとしてくれている、ってさ。ありがたい話じゃん。それに対して綿貫は何か返したの? 応じたの? 初めての腕組みで緊張しているとか、貴重な経験を積ませてくれてありがとうとか、ちゃんと言葉にして伝えたの? まさかお前、腕を組まれてありがたいけど恐れ多い、ここまでして貰えて申し訳ない、って内心で思っているだけで恭子さんに何も言わなかったの? 凄いことをして貰えたって感じているのにお礼の一つも口にしなかったの? お前、それはただの不誠実だよ。綿貫が緊張したり、戸惑ったりするのもわかる。お前はそういう人間だから。だけどそれを言い訳に恭子さんの行為へちゃんと向き合わず、それどころかいじいじしているだけなのなら、俺はお前を軽蔑する。恭子さんに疑似デートへ付き合って貰う意味も価値も無い。だって今のお前はただの贅沢な駄目人間だから。ただただ経験を積ませて貰って、そのくせここまでして貰うのは申し訳ない、だって? そんな風に考える暇があるのなら、お前からもちゃんと返せよ。貰いものばかりで恐縮ですって言うくらいならお前もあげろよ。そこの天秤が釣り合っていないように俺は思う」
「……返すって、何を」
「恭子さんも楽しく過ごせるよう、綿貫も頑張ってみたら? 恭子さんの好みを聞いて好きそうな居酒屋を選ぶとか、さりげなく今興味を持っていることを聞きだして疑似デートの行先に選ぶとか。そういう努力、した?」
「……俺は、あまり、していない。今回のアイス・スケートも、俺が勝手に決めた。逆に、クリスマス・デートの予定は、恭子さんが全部決めてくれた。俺が行きたがりそうなところを田中から聞き出した上で、プランを組んでくれた」
「貰ってばっかりじゃん。申し訳ないって言う前にお前もあげる努力をしろ」
割と辛辣な意見を述べた聡太はビールを飲み干した。すぐにおかわりを注文し、トイレ、と席を立つ。
「……厳しい意見だな」
聡太の足音が聞こえなくなると、綿貫君が呟いた。思い掛けない展開に、そうだね、と私も低い声で応じる。
「贅沢な駄目人間、かぁ。そっか、そう見えるか。確かに俺から恭子さんへ返せたものって無いかも」
そんなことない、と反射的に言葉が口を突いて出た。え、とぼんやりした綿貫君が私を見詰める。
「だって昨日送られた動画の恭子さん、凄く生き生きしていたもの。スケート自体も勿論だけど、綿貫君と遊んでいるのが楽しいんだと思う。そうでなければあんなにはっちゃけたりしないし、足腰が立たなくなるまで満喫しないよ」
そうなのかな、と自信無さげに首を傾げている。そうだよ、ととにかく語気で押し返す。まったく、聡太ったら。へこませておいて後は放置なんてひどいや。案外綿貫君は傷付きやすいんだから、お説教の後にはケアが大事なんだよ。
「でもそれは恭子さんのセルフサービスじゃない? 遊びに行って満足する、ってのは俺があげたものではないよ」
「違う。アイス・スケートに誘ったのは綿貫君だ。君があげた楽しい時間、で間違いない」
「だけど俺が一方的に提案しただけで、恭子さんの意見や好みは度外視していた」
あぁもう、弱気になっちゃったじゃん! こうなりゃ取り敢えずは勢いで押し切るしかないね!
「むしろ興味の範囲外だったところで満喫出来たんだから良かったんじゃない?」
「……お世辞だったのかも」
「じゃあ訊くけど、恭子さんはお世辞を述べるタイプかな。私は違うと思うけど」
「……述べない」
「なら楽しかったんじゃん。綿貫君、後ろ向きに考え過ぎ」
「……ただ、俺は確かに恭子さんから貰うばっかりだ」
「気になるなら今度から返せばいいじゃん。クリスマス・プレゼントを選んだり、疑似デート中に恭子さんが興味を惹かれているものがあったら寄ったり買ったりしていけば大丈夫!」
「じゃあ、恭子さんが俺に経験を積ませてくれているのにはどう答えればいい? 腕まで組んでくれちゃってさ。どうやったらあの人の御厚意に報いることが出来るのかな。高橋さん、わかる?」
「そんなの決まっているじゃん。バチッと受け止められる男になりな! そのための疑似デートでしょ! 綿貫君が女の子に慣れることが何よりも報いになるよ!」
そっか、と綿貫君はようやく薄い笑みを浮かべた。ここから頑張って! と私は両手の拳を握る。折角両想いなのに聡太の入れた横槍でまた話が拗れたら嫌だもの!
そこへお説教をかました張本人が戻って来た。おい、と軽く肩を叩く。
「何」
「指摘は的確だったかも知れない。だけどその後のケアを私にぶん投げないで」
「でも突き飛ばした俺が手を差し伸べるのも変じゃない?」
「丸投げにするなって意味。まったくもう、言いたい放題言った上で席を外すなんて卑怯だよ」
「でも綿貫の顔、スッキリしているよ。ありがと佳奈。飴と鞭作戦、大成功」
「いや聞いた覚えないけど。そんな作戦」
その時、ありがとうな、と綿貫君が笑顔でお礼を述べた。
「橋本のおかげで目が覚めた。俺、相当怠惰で我儘で勝手なことを言っていたな。指摘してくれて礼を言う。やっぱり俺と丁度良く喧嘩が出来るのはお前だ橋本」
聡太は黙って肩を竦めた。伝えるべき内容はもう無いよ、とでも主張ように。
「そして高橋さんのおかげでやるべきこと、進むべき道も具体的に見えた。俺、ここから頑張るよ!」
「うん、ところで頑張った末に告白をしたりはしないの?」
さりげなく聞いてみる。前向きになった今なら、する、って答えないかな!?
「それはしない」
即答! ブレないね綿貫君! 結局、どこへ行こうが迷おうが自信を喪失しようが、そしてそこから這い上がろうが、君は君なんだってよくわかったよ! 頑張って下さい恭子さん。貴女の勇気に二人の命運は掛かっています!
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