葵姉さんの恋愛事情。⑤(視点:葵)

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葵姉さんの恋愛事情。⑤(視点:葵)

……それにしても、泣き過ぎじゃね。しかもからかわれたってわかった上で再び止まらなくなっているし。心が綺麗過ぎてちょっとこっちが引いてしまう。だが咲ちゃんをここまで泣かせたのは私なのだから、何とか収めねばなるまいて。 「よしよし、わかった。落ち着け咲ちゃん。私は全然平気だし、なんなら恭子には綿貫君とうまくいって欲しいと願っている」 「そ、それは……そう、ですが……」  頭を撫でると潤んだ瞳をぎゅっと瞑った。また涙が零れ落ちる。その時、あの、と恭子が低い声で割り込んで来た。 「咲ちゃんにそこまで泣かれると、フッた身としてはとても居心地が悪いんだけど……」 「だろうな」  恭子は何も悪くない。だけど悪者にでもなった気分になるのは仕方ない。だって可愛くて純粋な咲ちゃんがフラれた私へこんなにも肩入れしているのだ。無実だと頭ではわかっていても、なんとなく責められているような心境になるに違いない。ずみまぜん、とダミ声で謝った咲ちゃんは鼻をかんだ。 「咲、泣き過ぎ」  佳奈ちゃんが冷淡に指摘をする。同い年の友達同士、この二人もお互いに遠慮が無いんだよな。見ていると、咲ちゃんの態度が私や恭子に対するよりもフランクで面白くなる。今は咲ちゃん自身がそれどころじゃないけどさ。 「だって……葵さんの気持ちを推し量ると辛い……」  ありがとよ。 「っていうか、咲も知らなかったの? 葵さんが恭子さんを好きだったって」 「ううん、知っていた」  うおい! と佳奈ちゃんの豪快なツッコミが入った。年末恒例の漫才コンテストに出てみたらどうだ? 相方は天然ボケの咲ちゃんがピッタリだ。或いはポンコツ大王の恭子でもいいかもな。 「じゃあ今更どうしてそんなに大泣きをしているの!?」 「詳しいお話は初めて聞いたから。想像したら、な、涙が……止まらなくて……!」  更にティッシュを取って目元に押し当てている。脱水症状を起こすのではなかろうか。そして疑問が一つ湧いた。あのさ、と間に割って入る。 「私の恋はそんなに悲恋か? 割とありきたりな話だと思うが」  そう。フッてフラれて、なんてどこでも起きていることなのだ。普通の恋愛だと自分では捉えているが、ボロ泣きするほど悲しいのだろうか。 「……フラれてしまうのはよくあることなのでしょう」  やっぱそうだよな。 「ですが、葵さんは私の大好きな先輩です。こんなに、感情移入を、してしまう方は! 他にいらっしゃらないのです!」  成程。咲ちゃんの私に対する愛情故か。しかしだな。 「ありがたいけど恭子が可哀想だからそろそろ泣き止んでくれないか。もっと泣くよう口調をいじった私が頼むのもなんだけどさ」  私の言葉に恭子は激しく頷いた。本当だよ、と佳奈ちゃんが肩を竦める。 「だって……私、葵さんが大好きだから……哀しくて」 「ありがとさん。私も咲ちゃん、大好き!」  顔面の液体がある程度は拭い去られたので、小さな頭を抱き締める。私の腹部に顔が押し当てられた。服に吹き付けられる呼気が温かい。さて、この話はそろそろ終わりにするとしよう。 「まっ、恭子に関する恋バナは以上だ。ちなみにさっきチラッと言った通り、私はこないだ田中君を好きになったからもう恭子への恋は完全に終わった。勿論、感情は完全に制御出来ないので、たまに切ない気持ちにはなるけどさ。私と恭子は掛け値なしの親友同士にようやく落ち着けたってわけ」  ご清聴ありがとうございました、と佳奈ちゃんに一礼をする。そして咲ちゃんを一旦立たせた。こっちがソファに腰掛けて、膝の上に座らせる。うむ、お尻の感触が最高だね。 「いやぁ、聞き応えがありました」  佳奈ちゃんはしみじみそう言い、ワインを空けた。すかさず恭子がボトルを傾ける。ありがとうございます、と軽く会釈をした。 「恭子さんも、注ぎますよ?」 「そう? じゃあ、お願い!」  そして恭子はまず自分のグラスに入っているワインを飲み干した。だから泥酔するのだ、と冷ややかに眺める。佳奈ちゃんが今度は注ぎ返した。一軍女子達は気が遣えるねぇ。私らみたいな教室の隅っこにいた人間は、こっちで仲良くしような咲ちゃん。 「そして葵さん、改めてお話して下さりありがとうございました。貴重な経験談、勉強になりました」  大袈裟な言葉はむしろ信用を落とすのだぜ、なんちゃって。 「何度も言うが、よくある話だと思うぜ」 「いえ。恋バナしましょう! ってさっきはしゃいだ自分を戒めたいです。結局、四年? 六年? くらい引き摺ったわけでしょ? 葵さんの愛情、重いなぁ……」 「しつこいだけだよ」 「言い方!」  いいツッコミだねぇ。やはり漫才に挑戦しては如何かな。 「ただ、一つだけ訊いてもいいですか?」  佳奈ちゃんが小さく手を挙げた。何じゃい、と応じると同時に咲ちゃんを抱き締め直す。うーん、癒しの極致だ。すりすりしたい。 「葵さんって、男の子も女の子も恋愛対象になるんですか?」  ふむ、まあそういう話にもなるわな。 「ははは、その表現だとやたらと見境が無いみたいだな」 「いや! そういう意味ではなくてですね! ただ、どうなのかなぁって気になって」 「前にも佳奈ちゃんには話したじゃんか。私は相手がどういう人間なのかを見て好きになる。恭子が秋葉恭子、田中君が田中徹という人間だからこそ、その人となりに惹かれた。男女という枠組みは、無かったかな。勿論、田中君が女の子、恭子が男の子だったら好意を抱いたりはしなかった可能性もある。だが、いくらなんでもそんなもしもまでは想像し切れない。女の子の恭子、男の子の田中君を好きになってフラれた。それが私の現実だし、そいつだけで十分お腹いっぱいだよ」  咲ちゃんが居心地悪そうに身じろぎする。ね、と腕に力を込めたが返事は無かった。意地悪が過ぎたかな? 「人柄で判断されるって意味ですか」 「基本的にはそうだね。だが、もしかしたら恭子の外見に惹かれた面もあるかも知れん。こいつ、ご存じの通り残念美人だから」 「残念は余計よ」  いやいや、と手を振る。佳奈ちゃんは目を逸らした。咲ちゃんは、後ろからじゃ様子が伺えんが多分頷こうとしてギリギリ堪えたのだろう。僅かな動きと筋肉の硬直が伝わってきたからな。わかりやすいねぇ。だから君は愛おしいのさ。 「咲ちゃんも可愛い。佳奈ちゃんも素敵。見た目も中身も全部含めて私は君達を大事に想っている。だけど恋心は抱いていない。逆に、恭子のことは好きになった。君達三人、大切な相手であるという括りでは同じなのに、親愛と恋愛という決定的な差はどうして生まれるのかね。自分でもわかんねぇや」 「まあ、滅茶苦茶仲の良い相手であっても恋愛対象にならない人っていますよね」  おっ、まともな恋バナらしくなってきた。結論の出ない話に違いないが、そういう一見無駄で無意味に思えるやり取りが案外人生を豊かにしてくれたりするのかも、と恭子と四六時中無駄話をしていた私なんかは思うのだ。学生時代、楽しかったね。 「佳奈ちゃんにとっては田中君とかがそういう人物に当たるのかい?」 「どっちかというと、綿貫君が……あ」  視線が一斉に恭子へ集まる。ワイングラスを傾けた親友は、ぷへーっと一息入れた。 「で? 佳奈ちゃんにとって綿貫君は恋愛対象にならないんでしょ。だから彼をフッたわけじゃない。それでどうして皆、私に注目するのよ」  いや、と佳奈ちゃんが歯切れ悪く応じる。 「あの、私は、彼に告白された側ですけど、恭子さんは、その、追い掛けているわけで、だから何かこっちが上の立場みたいで居心地が悪いと言いますか」  あのねぇ、と恭子は手酌でワインを注ごうとした。慌てて佳奈ちゃんがボトルを奪う。っていうか、もう一杯空けちゃったのかよ。いよいよペースが上がってきた。今日は大丈夫かと思ったが、雲行きが怪しくなってきたな。 「ありがと」 「いえいえ」 「そして、佳奈ちゃん。私は貴女を羨ましがれどもマイナスな感情は向けないわ。だって貴女は好きになられちゃっただけですもの! いいなー!」  ほら、発言がバカになってきた。酔いが回っている証拠だ。 「コメントが素直過ぎるぜ親友」 「だって羨ましいじゃない。私はいくら頑張っても、疑似体験ありがとうございます! でもそこまでしてくれなくていいですよ! って意図せずして躱されているのに、佳奈ちゃんは一回綿貫君から告白されているのだもの。私もされたい!」  ……彼がその気になりさえすれば、するんだけどね。お前に告白をさ。ただ、絶対にしないと頑なに決めているだけ。……何なんだあの稀代の変人は。私ら七人の絆は告白一つでぶっ壊れたりしねぇんだよ。なのに、皆に気を遣わせたり関係が変わったりしたら嫌だ、なんてうじうじしやがって。とっとと恭子に飛びつきやがれ。そんでもって付き合って結婚して幸せな家庭を築けよチクショウめ。こっちは恭子へちゃんと告白して、その上でフラれたんだぞ!  ……いかん。私が苛ついてどうする。アホが酔っ払って来たのだから、こっちは冷静にいなくてはいけない。と、思っていたら二本目の缶が空いてしまった。いかん、恋バナに私もテンションが上がっているのか? 普段より明らかにペースが早い。疲れているのだから余計に酔いが回りやすくなっている。ここは一旦、我慢を。  ……しかしふらふらと冷蔵庫に向かってしまう。だって恋バナをしながら酒を飲まないなんて勿体無いじゃないか。なんて、私らしくも無い考えが頭を過った。おかしい。落ち着け私。そう思いながらもう一本、缶のハイボールのプルタブを開けた。こいつがいっぱい買ってあるのは私がこれを好きだからだろうか。ありがたいしとても嬉しい。 「まあ私は断っちゃったんですけど。すみません、贅沢者で」  佳奈ちゃんが恭子に詫びを入れる。だからそこはいいんだってば、と恭子は首を振った。長い髪がさらりと揺れる。ふむ、一軍女子同士の本格的な恋バナが始まりそうだ。しばし見物させて貰うとしようかね。その間も酒が進みそうだ。酔い潰れたら、歯磨きだけはしろ、と起こして欲しいな。トークの邪魔になるから言わないけど、さ。
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