全部吐け。(視点:恭子)

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全部吐け。(視点:恭子)

 田中君は膝に手を置き完全に下を向いていた。私の説教には口答えをしていたから、今落ち込んでいるのは咲ちゃんにビンタをされたせいね。まったく、そこまでされないと自分のやらかした事の重大さに気付けないなんて本当に馬鹿よ。大馬鹿よ。 「少しは理解出来た? あんたが一体何をしたのか」  あまり厳しくなり過ぎないよう気を付けながら、改めて話し掛ける。はい、と消え入りそうな情けない声が返って来た。 「……葵さん、傷付いていましたか」 「当たり前じゃないっ」  早くも苛立ちが顕になってしまった。まあ気にしたところで一度零れた発言が撤回出来るわけでもなし。それこそこいつの葵に対する告白みたいにさ。 「……すいません」  それだけ呟き黙り込んだ。当たり前だけど空気が重い。私は立ち上がり、近くの自販機で暖かい缶コーヒーを二本買った。ほれ、と一本を田中君に差し出す。しかし首を振った。 「いいから飲め。それとも先輩のコーヒーが飲めないってぇの?」  無理矢理押し付ける。だけどまた、そっと私の手元に戻した。 「いやどんだけ頑なに拒むのよ。いいじゃないの、受け取れば。なんか、人生相談をしている雰囲気も出るし」  その言葉に顔を上げた。 「雰囲気のためにわざわざ買って来たんですか?」 「そうよ。あと、本気で頭に来たら缶でぶん殴れるし。ほら、スチール缶だから固いの」 「発想がチンピラじゃないですか……」  ほほほ、と笑って誤魔化す。田中君の顔が引き攣った。そしてもう一度、田中君にコーヒーを手渡すとようやく受け取った。お互い栓を開ける。 「ま、私の怒りは大体ぶつけたわ。あんたの心にどれくらい響いたのかは知らないけど。だから今度はあんたの話を聞かせて。田中君。中途半端な気持ちで結婚はしたくないって言ったわよね。咲ちゃんを一番好きだから結婚する。葵も気になるけど、咲ちゃんへの気持ちは揺らがない。だけど葵への好意も本人にちゃんと伝えておきたい。そうしてスッキリした上で、晴れてゴールインしたい、と。こういう意図で合っている?」  少しの間、彼は黙っていた。やがて、そうです、と押し殺した返事が聞こえた。 「いい言い方をすれば真面目ね。だけど悪いところが多過ぎる。自分でもわかる?」  彼の手の中で缶が音を立てた。少しだけ変形している。さてさて、これは彼なりの演出なのかしら。自分への怒りで後悔している、というアピールかもねぇ。なんて、流石に意地悪すぎるか。 「わかり、ます。いや、恭子さんに怒られてようやく気付いたんです。俺、最低だって」  最低、ね。葵も昨夜、何度も自分をそう評していた。告白した側もされた側も揃って最低なんて、ある意味お似合いなのかしら。私からすれば、田中君は馬鹿で、葵は真面目だとは思う。でも最低なんて、そんなことはないけどな。まあ、今、話しているのは彼だ。口出しはせず聞くとしましょう。 「結局、俺が一人で勝手にスッキリしているだけで、咲も葵さんも傷付けたんですよね」 「うん」  遠慮なく相槌を打つ。 「ふらふらしている内に結婚なんて言い出すな、か。その通りです。俺が気持ちの整理をつけて、咲と二人になるって覚悟を決めて、葵さんへの好意で迷わなくなってから、踏み出さなきゃいけなかったんだ」 「ちなみに葵のことはいつから気になっていたの?」  その質問に口を噤んだ。おい、と肘でつつく。それで、何事か呟いたけど小さすぎて聞き取れなかった。何? と耳を寄せる。 「最近、です」 「あぁ?」  自分でも眉が釣り上がるのがよくわかった。首根っこに腕を回す。 「最近ですって? ちょっと、咲ちゃんと結婚するって決めたのと葵を好きになったの、どっちが先なの?」 「ちょ、恭子さん、近いっ」 「私まで好きになりそうですってか?」 「違いますよっ。っていうかキャラがぶれているっ。いや、ともかく、よろしくないと思います」  色々当たっているからね。だけどそれどころじゃないのよ、君の更なるやらかし疑惑のおかげでねっ。 「いいから吐け。正直に、事実をそのまま、ありのままに。全部ね」  徐々に締め上げる。わかりました、と田中君は叫んだ。順を追って話しますと言うので手を離す。赤面の理由が酸欠か、照れなのかは知らない。 「まず、咲と結婚の話が出たのは二カ月程前、八月の話です。旅行先で泊まったホテルでたまたま結婚式をやっていて、式場選びってどんな感じなんだろう、と二人で調べてみたのが切っ掛けでした。ご存じの通り、プロポーズもしないままに」  うむ、と頷く。 「本当にふらっと、何となくの雰囲気で結婚式場を調べ始めたのね?」 「情けない話ですが、はい」  それだけきちんと確認し、手を差し向ける。先、どうぞ。 「そこからしばらく何事もありませんでしたが、今から二週間前の日曜日、橋本の美奈さん騒動があった二日後。詳細は話せませんが葵さんが凄い俺に優しくしてくれて、あの時多分ちょっとだけ意識しました」 「おいコラ田中。最近にも程があるだろ」  もう一発拳骨を脳天に見舞う。しかし今度は彼も文句を言わなかった。 「しかも完全に結婚の話が持ち上がった後じゃないのよ。何を別の女に懸想しとるか」 「いや、だって本気で親身になって俺を止めてくれたんです。それでも俺が曲がらなかったら、渋々送り出してくれたし」  全部吐けと言っておきながら、いざ聞かされると頭が痛くなってきた。それでも私から切り出した手前、やめるわけにもいかない。 「ちょっとだけってことは、もっと意識する出来事があったの?」  その質問に、はい、と神妙に頷いた。 「ムカつくわね……」 「もう恭子さんには全部白状します。その上で俺を叱って下さい」 「まあ、フラットな目線で君を殴れるのは私だけだけど、あんた自分がどれだけひどい男なのか理解しているの?」  もう一度深々と頷いた。殴ろうか迷うけど取り敢えず話を聞く方を優先させる。 「で、何があったの」 「その翌日、俺がある出来事を切っ掛けに物凄く傷付くだろうと思った葵さんは、咲と一緒に家まで慰めに来てくれました。色々ありましたが、俺は奇跡的に傷付かずに済んでいました。葵さんは過去の経験と俺のやろうとしたことを照らし合わせて、泣きながら、良かったなぁって喜んでくれました」 「……全然事情がわからないけど、要は優しくされてコロっと来たわけ?」 「……かいつまんで言えばそうなりますね」  目元を手で抑える。ちょっと葵もやり過ぎ、と思ってしまった。田中君がぐっと来た気持ちもわかる気がした。 「そんな風に、葵もいいなぁって感じながら、咲ちゃんを一番好きなのは変わらなくて、更に結婚の話まで出ているからけじめをつけようと葵に告白して同時にフッたのね」 「そうです」  ベンチへ深く腰掛ける。脱力感に襲われて、ぶん殴る気も起きない。田中君さぁ、と青い空を眺めながら私は話し始めた。 「君が葵や咲ちゃんに真っ直ぐ向き合おうとしたからそういう行動を取ったってわかってはいるのよ。だけどね、気持ちを全部伝えることが真摯であったり優しさであったりするわけではないの。時には口を噤まなければ人間関係はうまくいかない。今回は葵が可哀想じゃない。貴女を好きだけど一番じゃないのでごめんなさい。僕は咲と結婚します。君にそう言われたところで、あの子はもうどうすることも出来ないでしょう。それどころか、咲ちゃんに申し訳が立たない、自分は咲ちゃんを裏切った、ってずっと泣いていたわ。君のせいで葵にいらない傷を付けたの。二番目に好きですって告白自体も失礼だし。私だったら絶対しない。その上、そんなデリカシーに欠け、思いやりも無い発言をした翌日に婚約指輪を作りに来たって? 冗談でしょ。あんたは昨日、葵に告白したの。どのツラ下げて咲ちゃんと一緒にジュエリーショップを訪れたのよ。あースッキリした、これで俺の気持ちは精算されたぞ、さあ次の門出へレッツゴー。そんな風に思っていたとしたら、本当にスチール缶で殴るわ。だから図星だったとしても何も言わないで。黙って頷くだけにしておいて」  本当に田中君は黙って頷いた。 「バカ」  最後にそう言い放つと手をついて頭を下げた。 「で、私の説教を受けて君はどうするのよ」 「葵さんと、咲に謝ります」 「何て言って?」  考え込んだ田中君は、だけど割と直ぐに口を開いた。 「葵さんには、余計なことを言って傷付けてすみませんでした。咲には、君がいるのに他の人をいいなと思ってごめんなさい。そう伝えます」  溜息が漏れる。田中君が肩をびくつかせた。 「まあ、やってみなさい」 「……なんかそう言われると、不安が残るんですけど」 「私は当事者じゃないからね。その謝罪を葵と咲ちゃんがどう捉えるかまでは知らない。だけどまあ、私も一緒に付いて行って見届けるわ。説教をしたからには最後まで付き合わなきゃ。いい、田中君。そういうのが筋ってものよ。君が通したのはただの身勝手。真面目でも何でもないの。よく覚えておきなさい」 「はい、気を付けます。ありがとうございます」  もう一度頭を下げた彼に、ところで、と声を掛ける。 「あんた、私の恋愛事情について葵から聞き出そうとしたらしいじゃない」  田中君の目が泳ぐ。 「当人の私に聞くべきじゃないの?」 「えっと、さっきの説明出来ない話に関連しているのでこれも理由はお伝え出来ないのですが。恭子さんが綿貫を好きって、葵さんから最初に教えて貰ったのでそちらの方が聞きやすくて」  ふうん、と座り直す。そして缶コーヒーを飲み干した。田中君が背筋を伸ばす。じゃあさ、と顎を引き、彼の目を真っ直ぐに見詰める。 「全く、無かったのね? 私の事情を聞くことを口実に、葵と二人きりで飲もうっていう目論見は。一ミリも、思い浮かべなかったのよね? 私をダシになんか使わなかったわよね?」  その質問にしばらく黙っていたけれど、すいませんでした、と勢い良く頭を下げた。空になったスチール缶を、その脳天に躊躇なく投げ付けた。殴ったら流石に痛いもんね。
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