葵と咲。②

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葵と咲。②

 咲ちゃんに連れられて電車を降りる。手は繋がれたまま。順番に改札を抜ける。少し行ったところで彼女は足を止めた。窓の近くには陽光が降り注いでいる。 「葵さんと初めて会ったのは此処でしたね」  四年前の秋だった。学祭でうちのサークルはメイド喫茶を開いていた。田中君と訪れた咲ちゃんが、メイド姿の恭子を見付けて是非写真撮影をさせてくれと頼んだんだっけ。私は恭子の付き添いとして呼ばれたんだった。 「懐かしいな。あの頃は田中君とお付き合いなんてしていなかった。恭子さんは、メイド服のとても似合う方、ということしか知らなかった。そして、葵さんは、お名前も知りませんでしたね」 「……そうだね」  それ以上、言葉は無く。咲ちゃんは再び歩き始めた。  すっかり通い慣れた咲ちゃんの家を訪れる。手を繋いだままリビングを訪れた。 「葵さん、何回此処へいらっしゃいましたか?」 「さあ。数え切れないよ」 「そうですね。何度も足を運んでいただき、ありがとうございます」  初めて恭子の写真集を二人で作ったのもこの部屋だ。印刷は業者に頼んだけど、三百枚に及ぶ元の画像データを此処で一緒に眺めたっけ。咲ちゃんが働き始めて一年半、開いていないな。撮影会。それでも咲ちゃんとお喋りしたくてちょくちょくこの家には来ていた。  咲ちゃんの手が離れた。手洗いうがいは大事です、と洗面所へ向かう。私もぼんやり後に続いた。そういやその辺りの衛生観念はやたらと皆共通していたな。三馬鹿も、私も恭子も佳奈ちゃんも、外から家の中に入ったらまず手洗いうがいをしていた。真面目な集団だね。  再びリビングに戻ると咲ちゃんはパソコンの前に腰掛けた。冷蔵庫が一人でに開く。麦茶とコップが飛んできた。サイコキネシスで飲み物を出してくれるのも、いつもの光景だ。 「ありがとう」 「いえいえ」  パソコンを操作しながら咲ちゃんが応じる。見て下さい、と示された画面を覗き込む。そこには通販の購入履歴が表示されていた。 「じわじわとメイド服は増やしているのです。なかなか時間が合わなくて撮影会は出来ていないのですが、準備だけはバッチリです。早くまたお誘いしたくてうずうずしています」 「そうか」  なかなか言葉が出て来ない。 「でも、今度の撮影会は皆でやりたいです。葵さん。恭子さん。佳奈ちゃん。私。田中君。橋本君。綿貫君。七人皆揃ったら、色々な写真が撮れますよ」 「……恭子のメイド姿を撮りたいんじゃなかったのかい」  その問い掛けに、笑顔で首を振った。 「勿論、撮りたいです。だけど私は皆を写真に収めたい。大学を卒業してからも、ちょこちょこ皆、集まってくれます。ただ、少しずつ、集まれる機会は減るのかも知れない。橋本君と佳奈ちゃんは別れてしまいました。葵さんと田中君も、まさに今、大変なことになっています。離れ離れになってしまうことは無いでしょう。だけど皆で一緒に遊べる時間は、あとどのくらい残っているのだろう。集まる人が三人や四人である時、ふと頭の片隅に浮かぶのです。足りないなって。皆じゃないなって」  咲ちゃんは立ち上がり、私の両手を握った。 「だから葵さん。さっき、貴女に君とはもう会わないって言われて、本当は私、とても寂しかったです。意地でも引き留めようと思って、頑張ったのですよ」 「まあ、地球上にいる限り、君には見付かっちゃうもんな」 「そうです。ですから、お願いします。いなくなるなんて二度と言わないで下さい」  一瞬、俯く。だけど私は咲ちゃんの目を真っ直ぐ見据えた。 「咲ちゃん。私は、最低なんだ」  はっきり告げる。咲ちゃんは何も言わない。 「恭子に聞いたんだろうけど、ちゃんと私の口から説明する。私、昨日、田中君から告白された。葵さんのことが好きですって、確かに告げられた。だけどな、一番好きなのは咲です、だから俺は咲と結婚します。彼、最初にそう言っていたんだ。最初から私は二番だった。それでもさ、好きだって伝えられて、嬉しくなっちゃった。ごめんな、もし咲ちゃんがいなかったら私が彼と付き合っていたのかも知れない、なんてひどいことまで考えたよ。最低だろ、私。軽蔑してくれて構わない。自分を、いなければ、なんて思う奴、嫌いになるだろ。そのくせ君と離れたくないなんて、私は本当に我儘放題なんだ。もうどうしたらいいのか、自分でもわからない。衝動に任せて君の後を付いて来たけど、今もわけがわからないんだ。ただ、君には私からちゃんと説明したかった。それを聞かされてどうしろってんだって君は困るかも知れない。全部、ごめん。私は咲ちゃんのいい先輩なんかじゃない。最低の、裏切り者だ」  咲ちゃんが、目を細める。そして、言われたんですね、と小首を傾げた。 「え?」 「咲がいなかったら、葵さんと付き合っていたと思うって、田中君に言われたんですね」  息を飲む。それは、隠したのに。意図的に教えなかったのに。 「なん、で」  咲ちゃんは穏やかに微笑んだ。甘いです、とまで言われる。 「葵さんは絶対に、私がいなければ、なんて考えません。そんな人じゃないです。きっと貴女は田中君の告白を止めた。だけど彼は良くも悪くも真っ直ぐですから、自分の気持ちを最後まで伝えた。その過程で、ポロっとそんなひどいことを言ってしまうのは彼の良くないところです。葵さん、田中君を庇って自分が悪者みたいに話しましたね。どうでしょう、当たりでしょうか」  肩の力が抜ける。うん、と一つ頷くと、咲ちゃんは胸を張った。 「私がどんなに二人を好きか。どれほどあなた達を思っているか。見くびってはいけませんよ」  また涙が溢れてくる。ごめん、と咲ちゃんの前で俯いた。 「それでも、私、一瞬さ。田中君を好きだって思っちゃった」 「あんなに素敵な人なのです。好きになるのは仕方ありません。私も彼が大好きです」 「君がいなかったら本当に付き合えたのかな、って頭を過ぎっちゃったんだよ?」 「そう訊かれたからじゃないですか」 「私、私……!」  咲ちゃんに抱き締められる。葵さん、と耳元で後輩の声が聞こえた。 「私は葵さんも大好きです。葵さんも私を思ってくれているから、自分を責めたのでしょう。でもそのくらいで嫌いになるほど、私の気持ちは軽くありません。昔、言ったでしょう。ずっと、ずっと傍にいて下さいって。同じ人を好きになったくらいで約束を破らないで下さい。そして、悲しいですがもし忘れちゃっていたのなら、今日、改めて約束して下さい。ずっと、ずっと私の傍にいるって。泣き虫もまだなおっていませんし。今日は葵さんの方が泣いちゃっていますけど。それなら一緒に頑張りましょう。ね、葵さん。お願いします」  泣きながら、抱き締められながら、何度も頷く。ごめん、から、ありがとう、に言葉は変わっていた。本当に咲ちゃんは大人になったね。あんなに支えようと頑張っていたのに、すっかり私が支えられている。後輩の腕の中で、私は泣いた。それは、安堵の涙だった。  咲ちゃんとこれからも一緒にいられる、とわかって、安心したのだった。
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