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「げ。」(視点:佳奈)
午後三時ちょっと前。日曜日だけあって人でごった返していた。。待ち合わせの喫茶店の前に、聡太は既に来ていた。あいつの方が先に来るなんて珍しい。流石に自分から言い出した手前、遅れないよう頑張ったのかな。やっ、と片手を上げる。私を見付け、唇を三日月に、いやなってない。出来ていない。あきらかに引き攣っている。
「佳奈、久シ振リ」
その様子に私は思わず吹き出した。
「やだ聡太。ガッチガチに緊張してんじゃん」
躊躇なく指摘する。すると凄い勢いで手を振った。
「そ、そんなこと、無いって」
「あ、わかった。それも演技でしょ。僕はちゃんと謝ります、だからこんなに緊張しています、ってアピールだ」
「ひどいな。俺、どんだけ腹黒なのさ」
「ほら、普通に喋れた。さっきのはやり過ぎ」
指差すと、ちょっと盛り過ぎたか、と頭を掻いた。
「そういう白々しい真似、私に通じないのはよくわかっているでしょ。何やってんのよ」
すると今度はにやっと笑った。してやったりの時の顔だ。
「此処までが俺の計算だ。佳奈も緊張、取れたでしょ」
「甘いね。腹を括って此処へ来たから緊張なんてしてないよ」
「嘘だぁ。意外とノミの心臓じゃん」
「そんなことないもん。さ、お店へ入ろう」
嘘がバレる前に扉を押す。本当は朝からドキドキしていた。なんなら駅から此処まで来る間に何とか気を紛らわしたくて、葵さんに今から戦ってきますとメッセージを送ったくらいだ。まあ返事はおろか既読もつかなかったけど。日曜日だしね、葵さんにも用事があるんだろう。そして聡太がどこまで計算だったのか、或いは全部嘘で本当に緊張していたのを上手く誤魔化したのか、私にはわからない。そんなもんだよね、人間って。相手が何を考えているのか、全部わかるわけがない。丁度いい落としどころを見付けて、適当に納得して、ふらふら進んでいくのが人生なのかも。ただ、たまに適当で済ませたくない相手も現れるけど。私の後ろの男みたいに。
店内は割とごった返していた。ボックス席を希望すると、少し待たされた後、通してもらえた。ラッキー。高い衝立と重厚なソファ。これが好きで私達はよくこの喫茶店に来ていた。隣の席をあまり気にせず話せるもんね。結構声も遮ってくれるし。
「私、ハーブティ」
「俺はアイスコーヒーで」
おしぼりを持って来てくれた店員さんへすぐに注文をする。メニューはちらりと見たけれど、此処で一番お気に入りの飲み物をお互い頼んだ。リラックスしたいと無意識に思っているのかな、なんて自分の気持ちを推察してみる。まあ無意識じゃあわかんないや。
「今日は来てくれてありがとう。ごめん、急に謝りたいなんて言い出して」
聡太が小さく頭を下げた。ううん、と私は笑顔を浮かべる。
「聞いたよ。田中君と綿貫君に怒られたんだって?」
そう言うと、目を丸くした。
「誰から聞いたの?」
「秘密。でも、先週の金曜日に田中君と綿貫君と飲んだよ」
「あれ、金曜って俺が二人と仲直りする前じゃん。ひょっとして、俺の悪口の会だったりする?」
なかなか鋭いじゃん。
「悪口の会ではないよ。ただ、聡太があまりに堕落しているからどうしたらいいか話し合おうって、会」
途中で結局悪口の会になっちゃったけどね。それにしても綿貫君、怒っていたなぁ。本人不在の場所で親友の悪口なんて聞きたくないって。彼、どこまでも真っ直ぐだ。本当に友達思いのいい人なんだよね。まあフッた私がそう評するのも如何なものかと思うけど。
「堕落って」
聡太が苦笑いを浮かべる。そこへ飲み物が運ばれてきた。早速口をつける。やっぱり私、緊張しているな。口の中の乾きが早い。
「そこでどんな話をしたの?」
あら、気になるものなんだ。前の聡太なら、どうせ悪態なんだから聞きたくない、って目を背けたのに。本当にちょっと変わったのかな?
「田中君と綿貫君が、聡太とどうやったら仲直り出来るか話し合っていたよ。私は意見を聞いて、こうしたらいいんじゃない、とか聡太はこう返すかも、ってアドバイスを送った」
私の答えに、そっか、とテーブルへ視線を落とした。
「皆、真剣に俺へ向き合ってくれたんだ」
「当たり前じゃん。親友なんでしょ? ずっと昔からそう言っていたじゃない」
うん、と頷くけど伏し目がちだ。これは心から後悔しているみたいだね。
「まあ、今落ち込まなくてもいいと思うよ。だって仲直り、したんでしょ」
「それも聞いているの? 誰だよ、佳奈に情報を筒抜けにした奴は」
「内緒。女の子には秘密が多いの」
「何か落ち着かないなぁ」
「大丈夫。その人達も悪意をもって聡太の話を横流ししたわけじゃないから」
敢えて複数形にする。ほとんど葵さんが教えてくれたんだけど、特定されちゃうのは嫌だからね。
「何人かいるのかよっ」
案の定、聡太が引っ掛かった。舌を出してみせると、おっかないなぁ、と自分の両頬を手で押さえた。
「ちなみに次の人と付き合おうとしていたんだって? もうフラれたとも聞いているよ」
「……ちょっと、マジでそいつら、誰? 俺のプライバシー、ゼロじゃん」
「教えない。教えるわけ無い」
「誰? 田中? 綿貫? 葵さん? 恭子さん?」
そこで候補を挙げ終わった。
「咲は含まれないんだ?」
「咲ちゃんは絶対、そういうことはしない」
「意外にめっちゃ信用しているじゃん。ウケる」
「ウケないよっ。こっちの話は筒抜けなんだよっ?」
「まあいいじゃん。本当に、貶めようとか馬鹿にしようとか、そういう目的じゃなかったから」
「じゃあ何のため?」
聡太とヨリを戻すため、とはまだ言い出せない。だから、内緒、と明後日の方を向いた。
「ひどい話だ」
「ひどかったのはどっちかな?」
さりげなく本題に入る。途端に聡太は唇を噛んだ。今日は何のために私を呼んだか、覚えているよね。
「そう、だった」
呟き、聡太はアイスコーヒーを飲んだ。そして深呼吸をしている。私も背筋を伸ばした。口を真一文字に結ぶ。佳奈、と話し始めた聡太の目を、真っ直ぐに見詰めた。だけど彼は一瞬逸らした。目を合わせるの、苦手だもんね。それでも視線が戻ってくる。
「ごめん」
やっと聞けた、謝罪の言葉。別れを切り出した日も、私が出て行くまでの三日間にも、そして家から離れるあの瞬間にも、ついに掛けられることは無かった。だけど半年を経て、ようやく言ってくれた。
「うん」
「俺、佳奈に全部押し付けていたんだよね。情けない話だけど、田中と綿貫に怒られて初めて気付いた。良かれと思ってやっていたんだ、佳奈の楽しいようにして貰いたいって。だけどそれは、俺自身が責任を放棄しているって指摘された。佳奈に任せ切りにして、俺は気に入らない時に文句を言うだけ。そして、それに気付かないところが一番ひどかったよ。ごめん」
聡太が一旦言葉を区切る。私は黙って見守る。アイスコーヒーを一口飲んで、聡太は再び口を開いた。
「あと、言葉も足りなかった。俺、佳奈が出て行くって宣言して、本当は引き止めたかった。待ってくれって言いたかった。だけど、佳奈は別れるって決めたんだから、俺が邪魔しちゃいけない、佳奈の決断を受け入れなきゃ駄目だって、そう思った。だから黙った」
うーん、ちょっと言い訳じみてきた。大丈夫かな?
「で、そういう行動を取ろうと自分で決めているのに、俺は誰かのせいにしていた。田中にきつく咎められたよ。俺はいつも誰かに原因があるって主張している、言動の端々にそれが出ているって。そういうのは、お前が人を舐めているからだ、って。怒られた。佳奈に対しても、全部任せていいや、何かあっても佳奈が決めたことだもんな。そんな甘えというか、舐めが出ていたんだと思う。だから、ごめん。そりゃあ頭に来るし、一緒になんていられないよね。ただ、今更だけど気付いたから、一度ちゃんと謝りたくて。だから今日、此処へ来て貰った。ありがとう、応じてくれて。謝れて、何が解決するわけでもないけど、本当に悪かったと思っている。だから、ごめん」
聡太が今度はしっかりと頭を下げた。そっか、と私は努めて明るい声を掛ける。
「流石だね、田中君と綿貫君。ちなみに二人から指摘されて初めて気付いたって言っていたけど、聡太自身がこれは駄目だったなって自分で発見したものはある?」
その質問に少し考え込んだ後、駄目だったなって言うか、と切り出した。
「佳奈を止められなかった理由はもう一つあって」
「うん?」
「俺、びっくりしちゃったんだ。佳奈がいなくなるなんて想像だにしなかったから」
「は? びっくり?」
何その唐突な馬鹿のカミングアウト。
「佳奈とはずっと付き合ってきたし、このまま一緒にい続けるんだろうなって思っていた。それが、別れるって宣言されて、この人がいなくなるの? って凄いびっくりした。戸惑いと、決断を邪魔しちゃいけないって、その思いが合わさって黙って見送る結果になっちゃった。そういや恭子さんにも怒られたな。佳奈ちゃんは追い掛けて欲しかったのよって」
流石恭子さん、よくわかっていらっしゃる。ただ少し違うのは。
「追い掛ける前にそもそも止めて欲しかったよ」
まったく、しょうがないなぁ聡太は。
「そっか。良かれと思ってが全部裏目に出たな」
「裏目に出なくてもびっくりしている間に私はいなくなっていたんじゃない?」
「びっくりだけならギリギリ間に合ったはず」
「本当ぉ? 今ならいくらでも好きなように言えるじゃん」
「信じてくれよ」
深呼吸をする。信じてくれ、か。間に合ったはず、ね。聡太。それは私を本当は止めたかったって受け止めるよ。引き止めたかったとも言ってくれたもんね。鼓動が、徐々に高鳴る。葵さん。私、頑張ります。十七歳の時以来、もう一回、聡太に告白します。もし普通にフラれて私が通常の倍ほど深い傷を負ったら、慰めて下さい。よろしくお願いします!
意を決して口を開く。
「げ」
その瞬間、傍らで女の人の声が聞こえた。え、ちょっと。誰さ、人が告白しようとした瞬間に、げ、だなんて。咄嗟に見上げた先にいたのは。
「……恭子さん?」
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