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「いやぁ。」(視点:佳奈)
ばっちり目が合う。しまった、と恭子さんは口を押さえた。そしてそそくさと去ろうとする。
「ちょちょちょ、ちょっと待って下さいよ。え、恭子さん? 恭子さんですよね?」
慌てて席を立ち追い掛ける。
「ひ、人違いですぅ」
「いや絶対恭子さんでしょっ」
腕を掴んで席へ連れ戻す。お店の中で暴れるわけにもいかないと察したのか、あまり強く抵抗はしなかった。私の奥へ座らせる。何となく、逃がすわけにはいかない気がした。
「どうしたんですか、こんなところで」
私の問いに、いやぁ、と頭を掻く。
「本当、偶然、たまたま、この店に居合わせたのよ」
「そりゃ偶然でしょう。むしろ意図的に私達と鉢合わせに来ていたら怖いですよ」
「しかし本当に起こるのね、こんな奇跡的な確率のこと。いやぁ、びっくりしたなぁ」
あれ、と今度は聡太が気付く。
「ひょっとして、俺達の話、ずっと聞いていましたか?」
「あ、確かに。聡太の謝罪、聞いていたんですか」
その質問に、謝罪? と首を傾げた。
「話は聞こえていないわよ。私達、カウンター席に座っているから」
「私、達?」
「田中君もいるの。ほら」
指差す方向を中腰になって確認する。確かに田中君が座っていた。会話が聞こえるか聞こえないか、微妙な距離。彼はスマホをいじり、顔を上げる素振りも見せない。
「本当に聞いていないんですかぁ?」
なおも聡太が疑いの目を向ける。しかし恭子さんは、本当よ、と胸を張った。
「だって現に私達が今こうして話しているのに、田中君、微塵もこっちに気付かないでしょ。声はぼそぼそ聞こえるけど、内容までは聞き取れない。そんな絶妙な距離なのよ」
実際、田中君は振り向きもしない。説得力があるな。まあ、あらかじめ振り向くなって言い含められている可能性もあるけど。
「じゃあ、恭子さんが通り掛かったのは偶然ですか」
今度は私が質問をする。するとあからさまに顔を背けた。
「ちょ、ちょっと。何ですかその気になるリアクションは」
肩を軽く叩く。だけど口を開かない。
「偶然、通り掛かりは、しないでしょ」
聡太が慎重に発言をした。
「何で?」
「だってカウンター席からトイレに行くにはこっちの通路を通らなくていい。特におてふきやガムシロみたいな物が取れるわけでもない。ここを通る理由が無いんだよ。つまり恭子さんは意図的に、わざわざ、遠回りをして俺達を見付けたことになる」
「やっぱり話、聞こえていたんじゃないですかっ?」
割と語気を強めて詰問する。その勢いに、違うわよ、と両手を振った。
「あぁ、でもそうだよ佳奈。此処にいるのが俺らだってわかっていたなら恭子さんのリアクションがおかしい」
「え?」
「だって通り掛かった第一声が、げ、だよ。その時初めて、俺らを認識して出る言葉というか、声でしょ」
「なる、ほど?」
納得いくような、いかないような。恭子さんはといえば、そうなのよ、と手をばたつかせた。
「あなた達だって知らずに通り掛かったの。まさか出くわすとは思わないから、つい反応しちゃった」
「それじゃあ、何でこっち側の通路を通ったんですか?」
途端に黙り込む。恭子さん、と脇腹をつつくと、きゃっ、と身を捩った。
「答えて下さい?」
「や、やめてよくすぐったい」
「当たり前でしょ、くすぐっているんですから」
スタイルが良すぎて身悶えする様が最早官能的だ。聡太が目を奪われているのが地味に腹立つ。
「ほらほら、早く答えて下さい」
ちょっとずつ楽しくなってきた。
「わ、わかった。言う。言うからやめてっ」
それはそれで残念だな、なんてね。素直に手を止める。咳払いをした恭子さんは、静かに口を開いた。
「あそこに座っていてね、声だけは聞こえるって言ったじゃない。だから、何かカップルがずっと喋っているな、と思っていたの。初めはどうでも良かったわ。なんなら楽しそうだったし。だけど途中からやけにトーンが落ちたし、何より話が全然終わらないからちょっとどんな奴らなのか見てきてやろうと思って。お手洗いへ行くついでに回り込んできたの。で、君達を見付けたってわけ」
躊躇なく脇腹をつつく作業を再開する。ごめんなさいっ、と身悶えする先輩は凄く官能的だった。
「人の揉め事を楽しんだ罰です」
「申し開きもございませんっ」
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