旅行の成功を祈念致しまして。(視点:葵)

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旅行の成功を祈念致しまして。(視点:葵)

 我が家から徒歩五分、通い慣れた居酒屋へ三人で順繰りに入店する。すぐに席へ通された。恭子と隣り合って腰を降ろす。咲ちゃんが、どうぞ、とメニューを差し出してくれた。受け取りそのまま恭子へ渡す。 「私、ハイボール」 「開くくらいはしなさいよ」 「見なくてもわかる」 「まったくもう」 「承知しました。注文を、と。あ、まだ起動中ですか」  タッチパネルを触った咲ちゃんはすぐに手を引っ込めた。そして、おつまみは、と私達へ伺う。 「好きに選んでくれ。私はある物を適当に摘まむ」 「変なところを面倒臭がるんだから」 「あ、イカそうめんは食いたい。無ければ刺身」 「いや頼むんかい。適当ね」  肩を竦める。君ら相手だから気を緩めているのさ。いちいち口には出さないけどね。  起動したタッチパネルに咲ちゃんが注文を入力する。取り敢えず酒を先に頼んでくれた。そして、しれっと出し巻き玉子を選んでいる。可愛いねぇ。 「私はタコの唐揚げと、あと揚げ出し豆腐!」 「好きだねぇ。毎回頼むが飽きねぇの?」 「あんたも毎度イカを頼むじゃない。それと一緒」 「はは、確かにな」  その傍らで咲ちゃんが今度は角煮を選択した。以外と重い物を食うよな。そして残念ながらこの店には揚げ餅が無い。大好物を食べられないんだ、その分好きなツマミを頼むと良い。  先行して酒が届く。一番大事なものだもんな。ハイボールが二つ、グレープフルーツサワーが一つ。ジョッキを掴んだ二人が私を見た。 「何だよ」 「乾杯は葵でしょ」 「そうですね」 「何で」 「旅行が決まったから」  昨夜に続いて今日もかよ。音頭を取るのは柄じゃないんだがなぁ。しかしまあ、私を手伝うために恭子はこの時間まで残ってくれたのだし、咲ちゃんもわざわざお礼を伝えに来てくれた。無下にするのは失礼だ。わかった、と私もジョッキを握った。 「じゃあ、その、旅行に行くと言って下さり誠にありがとうございました。今後とも、よろしくお願い申し上げます。それでは旅行の成功を祈念致しまして、乾杯」 「かんぱ~い」 「乾杯」  軽くぶつける。何だかやけに美味く感じた。ついつい半分ほど飲んでしまう。明日も仕事だってのにね。 「あー、美味しい!」 「恭子さん、飲み過ぎてはいけませんよ」  そっぽを向いて吹き出す。先輩の威厳もへったくれもねぇな。 「一口目から嗜めないでよぅ……」  親友が情けない声を上げる。 「しかし昨夜も大変だったと伺ったので」 「店では脱ぐなよ」  追い討ちをかけると、脱がないわよ!? と金切り声を上げた。店員さんや他のお客さんがちらりと此方を見遣る。さて、皆様の目にはどう映っているのだろう。脱がないわよ、なんていきなり叫んだ巨乳美女はさ。面白いから注意はしない。むしろ注目を集めるが良い。 「それにしても葵って本当に真面目よね。今の乾杯の挨拶といい、旅行の案内メッセージといい、仕事かってくらい固いんだから」 「いいだろ別に。舐め腐った物言い寄りマシだと思うが」 「もうちょっと遊びを持って欲しい。そう、余裕が無いのよ。一緒に楽しむって決めたでしょ」 「そう言われても慣れないことをしているんだ。余裕綽々とはいかねぇよ」 「まあねぇ……」  そうは言いつつ恭子は首を捻っている。全然納得してないじゃん。そこへ枝豆と刺身の盛り合わせが届いた。いただきます、と丁寧に手を合わせてイカを一切れ貰う。咲ちゃんが小皿に醤油を注いでくれた。 「サンキュ」 「いえいえ」  穏やかに微笑み合う。チューしちゃいたいくらい可愛いな。 「旅行先は海のすぐ傍ですから、お刺身も美味しいのではないでしょうか」 「そういやそうだな」 なにせ道を挟んですぐ海だ。海産物もさぞ新鮮だろう。 「タコもあるかしら」  タコを食いながら恭子が気にする。 「あるといいな」  それくらいしか返せない。だって知らねぇもん。 「私、旅先で行く地元のスーパーって結構好き。普段見ないメーカーの品物とかあるじゃない。プライベートブラントってやつ。へーってなる」  わかります、と咲ちゃんも頷いた。 「あと、それこそ海沿いの街ですとお魚が本当に大きいのですよね。高級魚がとても安く売っていたりもしますし」 「どんなのを見たことがある?」 「ノドグロがまるまる三尾、八百円で売っていましたね」 「え、安っ! こないだ行った回転寿司では一皿七百円だったわよ?」  あれは美味かったなぁ。記憶を肴にハイボールを口へ含む。 「そうなのです。ただ、私には捌き方がわからなかったので諦めました」 「切り身は無かったの?」 「それが、無かったのですよ。お刺身用を探したのですが、どうにも見付からず。諦めて帰りました」 「頼めば捌いて貰えたんじゃない?」  あぁ、確かにやってくれるスーパーってあるよな。 「でも私、割と人見知りなのでなかなか勇気が要りますね」  そうなんだよな。私も服屋や電機屋で店員さんに話し掛けられるの、苦手。人見知りはそっとしておいて貰いたいのだ。 「いやいや、ノドグロを安く食べられるならそのくらい頑張らなきゃ」  それが出来ない人間もいるのだよ。まあ口は挟まないでおこう。恭子には恭子の、私には私の価値感がある。どれだけ親しかろうと押し付けるような真似はしない。よっぽど腹に据えかねない限りな。 「ただ、魚を取り扱っておられる方は特に元気な印象があるので余計に気後れをしてしまって……」  別に漁師がスーパーで捌いているわけじゃないと思う。 「まあそうねぇ。確かに魚屋さんは元気だわ」  偏見だな。ついでに言うなら、スーパーの鮮魚コーナーで働いているのはただのバイトだろ。何だか今日はツッコミどころが多いな。愛おしくてしょうがなくなる。 「よし、じゃあ何処のスーパーか覚えている? 今度、私が一緒に行って訊いてみる」  恭子の奴、完全に瞬間移動を当てにしている。 「本当ですか? とてもありがたいです! 是非、同伴をお願い致します」 「任せなさい!」  その時、ふと思い付いた。時刻は二十時過ぎ。丁度いい頃合いじゃないか。 「なあ。この時間のスーパーって、値下げしていることが多いよな。特に生ものは駄目にするより安く売った方が儲けになるから相当割安になったりするね」  私の言葉に二人が顔を見合わせた。テーブルに沈黙が降りる。テレパシーで会話をしているのだろう。黙って家の鍵をテーブルに置く。そして枝豆を一つ口に運んだ。唐突に二人が立ち上がる。恭子が鍵を掴んだ。 「葵。ちょっとあんたの家に行って来る」 「すみません、私も」 「ごゆっくり」  二人は早足で店を出て行った。気が早いこと。しかし咲ちゃんっていいなと思ったら割と制限なく超能力を使うよな。例えば、瞬間移動で家に来た時は決して外へ出ないのに、撮影やイルカさんとのふれあい、そして今みたいな話があると思いっ切り瞬間移動先で行動をしている。基準がよくわからん。私は超能力者じゃないからな。まあ本人なりに気を付けているのだろうし、二十四年間生きて来て田中君以外にはバレていないのだから大丈夫か。  それにしても煽ったら本当に買いに行っちゃったよ。今行く必要もあるまいに、どんだけノドグロの切り身が欲しかったんだ。そして自宅でどう料理するのかね。スマホを取り出し検索してみる。塩焼き、煮付け、炊き込みご飯なんてものも出て来た。う、調理前のノドグロの全身画像も表示されてしまった。画面をそっと閉じる。ふうむ、色んな可能性を秘めているんだな。まあノドグロに限らずどの魚もそうかも知れんが。しかし炙りノドグロの寿司は美味かった。もし切り身を買って来たとして、家じゃ炙れないよなぁ。あ、でも咲ちゃんのパイロキネシスを使えばうまいこといけるかも。タイミングが合えば提案してみよう。もっとも、スーパーが切り身にしてくれたら、だが。私もノドグロの捌き方はわからない。と言うか、まるっと一尾の状態である魚は駄目なのだ。濁った眼。ぬるっとしていそうな口。考えただけで背中がぞわぞわする。さっきのノドグロの全身画像を目にしただけでも、少しぞっと来た。もし、首を切ろうとした瞬間に息を吹き返してびちびちされたら、こっちが事切れるに違いない。だから私は魚を捌けない。切り身でしか買えない。そのくせ刺身は好きなのだから我ながら我儘な人間だよな、と思いながらイカを口に運ぶ。それこそ恭子と二人で行った旅先で、スーパーの鮮魚コーナーを避けていたら何で来ないのかとツッコまれた。苦手なんだと教えたら、水族館やマリンスポーツは好きなのに、と首を捻られた。 「水族館は分厚い硝子があるだろう。絶対に接触しないとわかっているから眺めて楽しめる」 「ヒトデやナマコには触れるじゃないの」 「目も口も無い」 「あるわよ」 「こっちが認識出来なきゃいいんだよ」 「適当ねぇ」 「ちなみに海は大好きだが、魚を発見したら絶対にそっちには決して近寄らない。まかり間違って指を食われたりしたら卒倒する」 「じゃあ活け作り」 「口がパクパクしていたら食欲も失せるわ。あれを考え付いた奴を私は生涯許さない」  そんな会話をしたっけ。あいつは覚えているだろうか。思い出に浸りつつ酒を口に運ぶ。む、無くなってしまった。タッチパネルでお代わりを頼む。ついでにツマミを眺めると、本日のオススメに白子のポン酢和えがあった。後で食おうかな。ただ、これから角煮と出し巻き玉子が来るんだよな。どっちも割と好きだから取り敢えず食ってから考えるか。まさにちょっとずつ摘まんで食えるからオツマミは好きだ。名前の由来がそこから来ているのかは知らんが。  ハイボールが運ばれてきた。すぐに口を付ける。そしてマグロを一切れいただいた。ん、何だこりゃ。中が凍っているじゃないか。シャリシャリ鳴るぞ。冷凍のマグロなのは全然構わないがちょっと凍っているのはどうかと思う。まあいいけど。食べちゃったし。二人が帰ってくるまでには解凍されると良いのだが。  酒を飲み、一息つく。旅行、か。スマホでメッセージアプリを開き、皆からの回答を見返す。……優しいな。いい子達に巡り会えたな。思うところが一つ二つ、三つ四つある奴も一名紛れているが、悪意を持っての行為ではなかったとわかっている。むしろ真面目だったから間違えてしまった。誠実を少し履き違えたのだ。そしてもう一人、アホが紛れている。改心させられるのかね。頑張れよ、本人も周りもさ。そして好意を決して受け取らない奴、ね。バカだなぁ。君は君が思うよりずっといい人間だし凄く愛されているのだよ。まったく、やれやれ。三馬鹿とはよく言ったものだ。可愛い後輩達だよ。本当にね。  その時、恭子から着信があった。さて、何処から掛けて来ているのやら。 「うい」 「今、三尾分を捌いて貰っているけどあんたも要るわよね」  仕事の早いこと。咲ちゃんも恭子もスーパーの店員さんも、さ。 「ん、じゃあ少し貰おうかな」 「遠慮しないで。一人一尾ずつね」 「あんまり多くても食べ切れない」 「大丈夫、美味しくいただきましょ」  せめて写真の一枚でも送ってくれんかね。そう言おうとした時には既に電話が切れていた。せっかちな奴め。  しかしどうやって食おうかな。やっぱ刺身か。煮付けもいいけど大抵同じ味になっちゃうからなぁ。あぁ、だけどノドグロはいい出汁が取れるんだっけ。案外いいかも知れん。  そういや綿貫君はもうカブ炒めを作ったのだろうか。手元以外は録るなって指示をまるで無視して人を動画に収めやがって。見られるなんて恥ずかしいじゃないか。別にやましいところは何も無いけどさ。っていうか私を録ってどうする。恭子を録れ、恭子を。あんにゃろ、鈍感だったり好意を見ないふりするのは仕方の無いところもあるかも知れん。だが私にやたらと寄って来るんじゃない。昨夜も嫉妬で面倒臭かった。それに私自身も恭子を前に気まずいのだ。ちょっと面白いから仲良く掛け合いをしてみたが、思ったよりも恭子が拗ねてしまった。惚れすぎだろ、綿貫君にさ。いい子ではあるがそこまでお熱とは、昔だったら私が綿貫君に嫉妬していただろうなぁ。  人は変わるものだね。故に関係性も変わる。一緒にいられなくなる時もいずれ訪れるかも知れない。だから皆に旅行を提案した。乗ってくれて、本当に嬉しかった。  楽しみだな。私も皆と一緒に楽しもう。  ……ただ。一つだけ。たった一つだけ、どうしても受け入れられないことがある。  水着は恥ずかしいから着たくないな。
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