センス。(視点:葵・咲)

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センス。(視点:葵・咲)

 ゆっくりと、居酒屋から駅までの道を進む。咲ちゃんは恭子の背中で静かに寝息を立てている。結局飲むだけ飲んで気持ち良く寝ちゃった。送り届けたいのはやまやまだが、私にはおぶるだけの力が無い。駅前のタクシー乗り場まで向かう道中は恭子に任せた。私の肩には三人分のバッグ。これだけでもヨタヨタする。 「結局、お風呂はどうするの?」  飲んだ後なのに珍しく落ち着いている恭子が話を蒸し返した。やれやれ。 「水着は嫌だ。……嫌だけど」 「うん」 「確かに今回を逃せば二度と出来ない体験なのかも知れないんだよな。皆で一緒に風呂入るなんて」  途端に親友は表情を緩めた。そうよ、と明るい声を上げる。 「やっぱり咲ちゃんに説得を頼んで良かった」 「酔っ払いの勢いに負けただけの気もするけどな。だがまあ、頭ごなしに否定をするのはやめるよ。その上で、入るかどうかは直前まで考えておく」 「……本当に嫌だったら言いなさい。私も一緒に外で待つから」 「それこそ皆が気を遣うだろ。お前は入れ。気持ちだけ受け取っておく」  のんびりと足を進める。穏やかな時間。ずっと続けばいいのに。 「そういや三日後には咲ちゃん、婚約指輪を受け取るんだな」  ふと思い出して口にする。あぁ、と恭子は背後の咲ちゃんにちらりと視線を遣った。 「十一月二十二日、いい夫婦の日だったわね」 「ベタだよなぁ田中君も」  ね、と今度は此方に向き直った。 「もしも咲ちゃんが、ちゃんとプロポーズをされていないって私達に相談しなかったらさ。田中君はやっぱり有耶無耶なまま結婚式まで行き着いていたのかな」  さあ、と肩を竦める。 「だが何処かのタイミングで婚約指輪を渡さざるを得ない。田中君本人はうだうだ考えていたみたいだけど、結局伝えはしただろうよ。家に二人でいる時さりげなく、なのか。海沿いでハイパーロマンチックに、なのか。それは知らんがな。きっとちゃんと、結婚しようって伝えたさ」  ふうん、と恭子が相槌を打つ。 「何のかんの言いながら、あいつは咲ちゃんを大事で大好きに想っている。筋は通すタイプだし」 「えー、どこがぁ!?」  今度は素っ頓狂な反応を寄越す。 「ははは、そりゃそうだよな」 「だって葵にあんな仕打ちをしたのよ!?」 「それもさ、彼なりに筋を通そうとした結果なんだ。ちょっと咲ちゃんと私の気持ちを考えなさ過ぎただけ。擁護するわけじゃないぜ。ただ、悪い奴とは思わない。むしろ真面目だよ」  咲ちゃんを背負い直した恭子が私の顔を覗き込む。体幹、強いな。 「葵、甘すぎ」 「ま、な」  やれやれ、と恭子が空を仰ぐ。今日は月が綺麗だね、って、これは告白の文句か。 「おまけに田中君への理解度、深いのね」 「似た者同士でありますよ。そして実は両想いの相手。ただし私は二番手でした」 「……ごめん」 「私の恋は実らないねぇ。なあ恭子。そう思うよなー」 「……」 「冗談だよ。君の恋は成就すると良いな。草葉の陰から祈っている」 「……まだ死んでないでしょ。私が死ぬまであんたは生きるの」 「でたな、恭子の自分が先に逝きたい願望。何故なら見送るのは辛いから」 「そうよ。それなりに生きて色々経験して、そうして最初にあの世へ逝くの。向こうで皆を出迎えるわ」 「お前を見送る側も辛いんだぜ」 「知ったこっちゃないもーん」 「困ったお姉さんだよ」 「ふふん」  親友同士の穏やかな時間。そこに混じる咲ちゃんは穏やかにまどろんでいる。こんな幸せが続くといいね。 ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★  ……どうしよう。起きたって言い出せなくなってしまった。そうよ、という恭子さんの明るい声で目が覚めた。恭子さんにおんぶをされているという状況を把握し、酔いも手伝ってもう少し頼ってしまおうと甘えたのが失敗だった。或いは罰が当たったのかも。田中君が私にプロポーズをしなかったというお話が始まり、葵さんが彼に対する評価を口にした。そうなのです、意外と筋を通そうとするのです。バカだけど。そんな風に思いつつ寝たふりを続けていると、あいつは咲ちゃんを大事で大好きに想っている、と仰った。胸が痛む。だって葵さんもそう想われたかったのだから。それこそ終わった話だと頭ではわかっていても、感情は勝手に動く。そして私が辛くなるのは一番違う気がする。だって彼の好意を一身に受けているから。  気持ちが揺れていると、そこへ投げ込まれたのは。 「そして実は両想いの相手」  葵さんの言葉だった。ただし私は二番手でした、とすぐに付け加えた。だけど、やっぱり好きなんだ、両想いなんだ、と胸の中がざわざわする。それからお二人は雑談に入られた。私は寝たふりを続けるしかない。そう、色々このまま突き進むしかない。葵さんが辛いのは嫌。でも私は田中君が好き。彼は私を結婚相手に選んでくれた。だから三日後のプロポーズを受け入れるつもり。葵さんも田中君も背中を押してくれた。しっかり支えて前を向かせてくれた。そこまでして貰ったからにはもう迷わないで幸せを掴まなきゃ! 「そういや次回の疑似デートはいつなんだ?」  はっと気付くと今度は恭子さんの恋愛話が始まった。ええと、そろそろ起きているって申し出なきゃいけないよね。 「……決めてない」 「あー、昨夜は最後、バタバタだったもんな。次は何をするつもり? ベッド・イン?」  ……やっぱりもうちょっとおんぶして貰っていようかな。 「せんわ! あのさぁ、あんたには私がどう見えているわけ? 実践指導で腕を回せだの、綿貫君に私の胸へ顔を埋めろって言うだの、完全に一線を超えているわよ?」  ひどいセクハラ発言だな。 「だって昨夜、本当に窒息しかけたんだもんよ。いいか、お前の胸は凶器になる。完全犯罪も夢じゃない」  犯罪史上最悪のトリックですね。そして葵さんは昨日恭子さんの胸部に顔を埋めて窒息しかけたのか。…………。…………いいな。 「もー、本当に勘弁して」 「わかった、悪かったよ。調子に乗り過ぎた。そんで、実際次回の約束はどうすんだよ。ちゃんと決めておかないと、なし崩し的に駄目になることも在り得るぜ」  どうだろう。綿貫君は真面目だから、最後までやり抜くと思うけど。ただ、とんでもなく変人で鈍チンだから、ありがとうございました! ってお礼を伝えてそのまま恭子さんと何事も無く終わってしまう可能性もある。頑張って下さい、恭子さん。素敵な未来が訪れるよう背中からお祈りしております。 「うーん、どうしよう。取り敢えず後で、昨日はお疲れ様って連絡は入れるけど」 「あ、そうだ。旅行の準備を手伝ってもらうか? しおり作りを一緒にやるとか」  反射的に声が出そうになるのを我慢する。流石葵さん! お友達の男子も交えて作業をするなんて、まさに私の失われた青春です! 小中学校でどれほど憧れたことか! 実際は皆が書き上げたしおりを教室の隅で泣く泣く一人、仕上げのホチキス留めをしていたのです。さあ、ぜひ綿貫君を誘って下さい! 恭子さん! 今すぐにでも! 「でも咲ちゃんがとても楽しみにしていたのよ、しおり作り。勝手に綿貫君を誘うのはどうなのかしら」  あれ、ちょっと風向きが怪しいですよ。私はオッケーだから、早く誘うのです! 「あー、まあそりゃそうか。この子の中でどんな風に進めていきたいとか、既に思い描いているかも知れんな。勝手にメンバーは増やせないか」  何も考えていませんよ! むしろやったことが無いから教えて欲しいとお願いしたではありませんか! あぁ、起きていますよって言いたい。綿貫君も呼んで下さいと伝えたい。そしてこの場合、徹君を連れて来るのは違うと感じる。あくまでフラットなお友達と楽しく作業を進めたいと思うのです。自分でもわからないけれど、そこにはこだわりたい。彼氏や未来の旦那様、加えて言うなら葵さんとすったもんだあったややこしい人はお呼びではありません! 「じゃあ取り合えず、しおりの作成作業からは綿貫君を除外、と」 「しょうがないもんね」  待ってぇぇぇぇぇ!! 「よく考えたら疑似デート体験をさせようってコンセプトなのに皆で集まってどうすんだよな」 「そういやそうね。目的を見失うところだった」  ……正直に、起きていますって申し出れば良かった。やはり罰は当たるのですね……。 「しっかし映画に水族館、観覧車に海辺と行ったのか。次はボウリングとカラオケとかか?」 「高校生みたい。彼の中身はそんな感じだけど」 「じゃあ丁度いいじゃん」 「そうねぇ……」 「健全でいいじゃないの」 「下ネタを封印したら健全を褒めるのね」 「さてね」 「うーん、まあ彼にも相談してみる。だけど変なところがクソ真面目だから、頼んだりすると滅茶苦茶きっちり予定を立ててくれるのよね」  よくわかる。綿貫君、意外とマメだもの。沖縄旅行へ行くと決まった時も、ノートパソコンを片手に宿泊プランをたくさん調べてくれた。おかげで安く行けたのだった。……葵さんと恭子さんも巻き込まれちゃったけど。でも、だからこそお二人と沖縄へ行けたのだ。楽しかったなぁ。今度も楽しくなるといいなぁ。 「丸二日かけてデートプランを作り上げたって話、したっけ」 「マジ? 知らねぇ。随分気合が入っていたな」 「一回目の疑似デート、予定を立ててみてってお願いしたの。それを見てアドバイスをあげるからって言ってね」 「自分がデートしたいだけのくせに」  頷きたくなるのを懸命に堪える。 「そんなことない。ちゃんと彼の学びにもなるよう考えているもの」 「ふうん。お前もやっぱり真面目だわ」 「当然よ。本音と建て前は全然違うとはいえ、経験を積ませるって約束は守らなきゃ」  でも本当はデートをしたいだけなのですよね。恭子さん、可愛いです。 「しかし二日かけて立案ねぇ。デートのたびにいちいちそんな手間暇をかけていたら身がもたんだろ」 「それ以前にこっちが申し訳なくなるわよ。疑似デートをしている本当の目的は、あんたが言うように私がデートをしたいだけなんだから」 「いいじゃん、至れり尽くせりで。何だっけ、こういうの。パパ活?」  吹き出しそうになる。葵さん、絶対に違うと思います。 「違うわよ! お金なんて貰っていない!」  そりゃそうだ。至れり尽くせりにも程がある。 「いや、お前が払う方だろ」  あ、そっち? 「あ、そっち?」  内心で恭子さんとハモってしまった。うふふ。 「もてなしてくれて、デートをしてくれて。勿論、彼も経験を積めるというメリットは享受しているわけだがどう考えても一番美味しい思いをしているのは恭子、お前だ。謝礼を払うに値するんじゃねぇの?」 「急に生々しい話になったわね……」  まったくです。 「ま、金を払えってのは極端だけどさ。うーむ、パパ活ならぬ綿活か?」 「綿活!?」  葵さん。我慢の限界なのでその辺でやめて下さい。 「パパじゃなくて綿貫だから綿活」 「お金を払っていないから無料の綿活ね!」 「ははははは、無料の綿活! 最高に馬鹿みたいな響きだな!」 「いや何なのよ綿活って!」 「綿貫活動」 「あぁ、最早意味がわからない……」 「まったくだ」 「あんたが言い出したんでしょ!」 「さあて、私も酔っ払っちまったんでね。次回の綿活、ファイトだぜ」 「くっ、疑似デートの方がまだ格好いいじゃないの」  え。 「……お前、疑似デートって響きが格好いいと思っていたのか」 「いいネーミングだと自負しているけど。何? 変?」  いやぁ、あんまり格好良くはないと言いますか。 「恭子が気に入っているならそれでいい」  むしろダサい、とはっきり言わない辺り、葵さんも気を遣っているのがよくわかりました。 「ちなみにペットを飼うとしたらどんな名前を付ける?」 「どんな子かにもよるわよ」  至極尤もなお返事だ。そりゃそうか、と葵さんも同意した。 「じゃあ雄の大型犬」 「大八車」 「……なんで」 「頑丈でたくましく育って欲しいから。あとフォルムが大八車っぽい」  そうかな……。 「雌の小型犬」 「リボン。可愛いから」  可愛いけど。可愛いけれども。こう、微妙ですね……。 「雌猫のキジ模様」 「タイツ。しなやかだから」  葵さんの喉から、ぐっ、と聞こえる。恭子さんは同じタイミングで私を背負い直したので気付かなかった。私はといえばサイコキネシスで自分の口を塞いだ。手を動かすわけにはいかないから。 「雄猫の赤トラ」  葵さんが問い掛けを続ける。声が震えないよう頑張っている気がした。ファイトです。 「大将。てっぺんを取る気概を持って過ごして欲しいわね」  野良猫の心意気ではないでしょうか。それに家の中でてっぺんを取られたら、恭子さんの方が下になってしまいますよ。まあ人は猫さんの召し使い、なんて聞いたこともありますが。 「なんだ、まともなネーミングセンスをしているじゃないか」  思いがけず葵さんが褒め言葉を送った。嘘でしょう!? 私は壊滅的に感じましたよ! 「ふふん、当たり前じゃない。あ、でもじゃあ疑似デートはやっぱり格好悪いと思っていたんだ! ひどい!」 「デート体験でいいじゃん。疑似って言葉を使って格好つけているのが絶妙にダサい」  頷きたいけど我慢する。私は今、寝ているのです。 「失礼しちゃうわね。いいの、綿貫君と私の間では疑似デートでしっかり定着したのだから」 「ま、私も言い続けるけどな。疑似デートって」 「貶めておいて使うんかい!」 「恭子が決めた、お前らの行動の名称だ。だったら私も従うさ」 「よくわからないけど、とにかく疑似デートは疑似デートよ!」  ほんの少しだけ寂しくなる。だって本番じゃなくて疑似なのだもの。 「いつか取れるといいな。疑似の部分」  葵さんも同じように感じたらしい。私が掛けたかった台詞を口にしてくれた。恭子さんが静かになる。そして、うん、と小さなお返事が聞こえた。
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