可能性。(視点:葵)

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可能性。(視点:葵)

 風呂上りに缶のハイボールを空ける。一息ついたその時、ふと神様の言葉を思い出した。恭子に向けたアドバイス、その中で。 「世界は無数に枝分かれをしている。今、君達がいるここは、その内の到達点の一つに過ぎない。そしてこれから君達がどう進むのか、その可能性もまた無限だ」  そう、言っていたな。あの時点の私は大分酒が回っていたし、よく意味もわからなかったけど、何故かはっきりと思い出せる。そういやいつだったか、恭子も同じようなことを言っていたっけ。 「私が葵に興味を持った切っ掛けは、偶々あんたが学食で放置されていた食器を片付けるところを目撃したからだけどさ。もし、あの時の葵を見ていなかったら、二人で話してみたいとは思わなかったのかも知れない。そうしたら今、こうして葵と一緒に旅行へ来たりはしていないはずでしょ。そんな風に進んだ世界もあったのかもね」  酔った頭で記憶を探る。この話を聞かされたのは何処だったか。ええと、旅行先には違いない。しかし学生時代から、二人であちこち行ったからなぁ。海か、温泉か、はたまた都市か。うーん、駄目だ。思い出せん。だけど確かに恭子はそう言っていた。だから神様もあいつにあんな話をアドバイスとして伝えたのかね。  酒を口に運ぶ。恭子と仲良くならなかった世界、か。可能性としては有り得たんだよな。いや、もし分岐した世界が本当に並行して存在しているならば。別の私も無数にいるわけだ。その大勢の私はそれぞれ他人と関わって、各々の人間関係を構築しているのか。今、私が仲良くしている恭子、咲ちゃん、佳奈ちゃん、田中君、橋本君、綿貫君と、出会ったのかな。出会わなかったのかな。もし出会わなかったら、代わりに誰かと関わっているのかな。私の中には拗らせ切って、他人と関わらず一人寂しく生きている奴もいるのかもね。昔の私がそう決めていた通り、本当に一人きりで進んでしまった私がいたっておかしくはない。そして今、ここにいる私は友達に恵まれた。神様が助けてくれた。存在する理由を得られた。その結果、皆と過ごす時間が楽しいと思えた。だから、こんな風に一人で過ごすのを寂しいと思える。ありがたいんだね、孤独の辛さがわかるっていうのはさ。  しかし、一人きりの私かぁ。それこそ二十歳の時、もし青竹城を訪れなければ神様との縁は結ばれなかった。そうなると私を救ってくれる存在がいないわけで、今頃私は皆の前から姿を消すという選択をしていた可能性がある。恭子は怒るだろうなぁ。咲ちゃんは瞬間移動で追っ掛けてきそうだ。いや、でもあの子は私の意思を汲んでそっとしておいてくれそうでもある。そしてその場合、田中君とのいざこざも起きず、ある意味平和なまま過ごせていたのだな。  喉を鳴らしてハイボールを飲む。そうして大きく息を吐いた。やれやれ、一人になると寂しさからか、どうしてもマイナスの感情を引き摺ってしまうな。笑い飛ばすって決めたのに、なかなかどうして感情の制御は難しいね。ふと気が付く。私が田中君に告白された日、彼に掛けた言葉。 「この世界では、咲ちゃんと田中君がくっつき、私が見守る。そういう風に進んだ」  そう伝えた私に彼は、もしかしたら私とどうにかなった可能性もあるのかと言っていた。彼には咲ちゃんがいるのに何を馬鹿な台詞を吐いているのやら。改めて思い返すとひでぇなあいつ。まあ今は置いておくとして、彼の問い掛けに対して私は、そんな未来は存在しない、だから考えるのはやめようと、はっきりつっぱねた。クソみたいな会話だが、内容はともかく私も神様や恭子と同じように世界が分岐する可能性を無意識の内に認識していたらしい。やっぱり昔、恭子にあんな話を聞かされたからだろうか。つくづくあいつの影響はデカいな。当たり前か、八年も傍で過ごしているのだから。よくもまあ疎遠にもならず、ずっと一緒にいるもんだ。すったもんだは続いているが、本当に得難い親友だよ。うまくいくといいなぁ、恭子の恋。私をフッたのだから、必ず幸せを掴んで欲しいね。  ……あくまで過程ではあるが。可能性の一つとしては、私が恭子と付き合えた世界も存在するのか。親友ではなく恋人、パートナーになれた世界。告白するのはどの世界でも私からに違いない。だって二十歳の時、恋に落ちたのは私だから。ほとんどの恭子は、この世界の恭子と同じようにきっぱりと断るだろう。そして親友であり続けてくれるはず。まあ中には気まずくて友人関係を終わらせてしまう私がいる気もするが、そんな私でも首根っこを掴んで恭子は引き戻しそうだな。うーむ、もしもあいつの前から姿を消した私がいるとするなら、よっぽど周到に用意をしたのに違いない。そしてごく僅かな可能性ではあるが。恭子と付き合えた私もいるかも知れないんだよな。一体、何年くらい付き合えたのかな。ずっと一緒にいるのかな。同棲していたら犬や猫でも飼っていそうだ。どんな名前を付けるだろう。リボンやタイツ、百歩譲って大将はセーフだけど、大八車は勘弁して欲しいな。だってドッグランにでも連れて行って、散々遊んだ後に声を掛けるのだ。帰るよ大八車、と。周りは失笑するに違いない。流石に受け入れ難いぜ。  缶が空く。冷蔵庫からもう一本、同じ物を取り出した。可能性かぁ。同じように、だ。咲ちゃんには申し訳ないが、田中君と私が付き合った世界もあるのかねぇ。何処かへ遊びに行っても会話は皮肉の応酬ばかりになりそうだな。素直じゃない二人が一緒になったらへその曲がった言葉ばかりが飛び交うに違いない。何だか空気も淀んでいる気がする。それでも楽しいんだろうな。そういうやり取りにお互い不敵な笑みを浮かべていそうだ。ただ、彼の方がやらかす割合は多いので、年長者として時折諫めなければなるまいて。しかし私もあいつに甘いから、なかなかどうして難しい関係になりそうだ。……ま、そうは進まなかったんだが。しかしその場合、咲ちゃんはどうなるんだ? 田中君とはお友達のままでいるのかね。それとも別の誰かとくっつくのか? そもそもその場合、私とは出会っているのか? 咲ちゃんがいないなんて考えるだけで喪失感が尋常じゃないな。私はあの子にイルカさんのピンキーリングも、ペンギンさんの壁掛け時計もあげられないのか? 一生、傍で見守るって約束をしないのか? 咲ちゃんは、ピンキーリングも壁掛け時計も無い部屋で、一人静かに暮らしているのか?  胸が痛む。そんな世界は認めない。田中君と一緒になれなくたって、今いるこの世界がいい。咲ちゃんを一人になんて決してさせない。田中君と一生幸せに過ごすところを私が最後まで見届けるんだ。  そう、この世界では恭子とも親友にはなれども恋人にはなれなかった。だから、あいつが綿貫君といい関係を築けるよう私は支え続けよう。その分、私がずっこけそうになったら恭子も咲ちゃんも助けてくれる。いや、二人だけじゃない。佳奈ちゃんも、三馬鹿も、ちゃんと手を差し伸べてくれる。いい世界だね。とても幸せだよ。うん、私は幸せだ、ね。  勢いよく酒を飲む。用を足したくなってトイレに立った。足元がふらつく。いかん、流石に飲み過ぎたか。有り得ない世界を想像しながら、つい二本目を開けてしまった。壁伝いに廊下を進む。トイレを済ませて歯を磨いたら、もういい加減、眠らなきゃ。次は夢の世界へ、なんてね。  夢を見た。  恭子と二人で手を繋ぎ、新幹線で旅行に行く夢。  あいつは私の恋人で、笑ったり怒ったりしながら私を支えてくれていた。  私は遠慮なく恋心をぶつけていた。  その私は、幸せそうだった。  夢を見た。  田中君と二人、写真部に所属している夢。  撮影のため、を理由に据えて、一緒にあちこち出掛けていた。  彼は少し可愛げのない後輩で、だけど心から私を慕ってくれていた。  あいつとの部活動を私は存分に楽しんでおり、また年上のお姉さんとして精一杯大人っぽく振舞おうとしていた。  その私は、幸せそうだった。  夢を見た。  皆の前から姿をくらませた私。  買い換えたスマホに着信は無い。  引っ越したアパートを訪れる者はいない。  毎日、静寂だけが支配する部屋で、これで良かった、大事な皆の時間を奪いたくないから、と私は一人で笑っていた。  とめどなく、涙を流しながら。  夢を見た。  今とは違う会社に勤めている私がいた。  同期と三人で賑やかに酒を飲んでいた。  私の知らない同期の男に私は片想いをしていた。  寂しそうだけど、叶うかも知れない恋をしているのは羨ましく思えた。  ガサツだけど、楽しそうだった。  夢を見た。  超能力を持っていて、夜な夜な悪党を成敗して回る私がいた。  助けた少年の頭を撫でて、髪が細いな、なんてニヤニヤしていてちょっと気持ちが悪い私だった。  咲ちゃんでなく、私が超能力者なんだ、とぼんやり思った。  のらりくらりと喋っているけど、咲ちゃんが抱えるような孤独をあの私も味わったのかな、と少し胸が痛んだ。  一人きりでいる私。  誰かと一緒にいる私。  どれも私の可能性、有り得た世界。  この世界の隣で生きているかもしれない私達。  私は。  山科葵は。  どれも私で。  どれも無限の可能性を持っていて。  でも、今の私は。  自分に価値が無いとずっと思い続けていた、この私は。  今、いるこの世界で、友達に囲まれていて。  どの私よりも、幸せだと思った。  そして、どの世界の私達も。  最後は笑えると良いな、と思った。  薄っすらと目を開ける。そこには大事な咲ちゃんがいて、私の顔を覗き込んでいた。大丈夫だよね。今、目の前にいる君のところには、イルカさんのピンキーリングも、ペンギンさんの壁掛け時計も、ちゃんとあるよね。  ねえ。私は君を、絶対一人にはさせないよ。それでも不安が胸に広がった。腕を伸ばして彼女の背中へ手を回す。目を丸くしているけれど、構わない。強く引き寄せ抱き締める。彼女の服に、私の涙が染み込んでいく。それでも、決して手を離さない。  ずっと、一緒にいようね。ちゃんと、私が最期を迎えるまで、傍で見守るからね。もっとも、最近は助けられることの方が多いか。ありがとう、咲ちゃん。幸せに過ごしてね。  約束だよ。
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