笑顔と涙。(視点:葵)

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笑顔と涙。(視点:葵)

 ゆっくりと瞼を開ける。やけに頭がぼんやりする。昨日、飲み過ぎたせいもあるだろうがそれだけじゃない。妙な夢を見た気がする。大して思い出せないけど。  ぼーっとしたまま何の気なしにスマホを開く。午前十一時か。久々に随分遅くまで眠ってしまった。日曜日が半分終わっているじゃないか。まあ、家事と散歩くらいしかやることは無いんだが。ふと、メッセージを受信しているのに気付いた。アプリを開く。発信者は咲ちゃんだった。昨日の今日でなんじゃいな、と。しおり作りの相談か? 『お疲れ様です。先程のお電話の後、すぐにご自宅へお伺いしたのですがお疲れのようでしたので一度帰ります。もしお話を出来るようになりましたら、ご連絡いただければ幸いです。折角の日曜日ですから、ごゆっくりなさって下さい。』  ……電話? 何の話? と思いきや、メッセージの上には通話時間:四十三秒と表示されていた。今朝の九時三十七分に咲ちゃんからかかって来たようだ。どうやら私は受け答えをしたらしいのだが。  全然覚えとらん。  ううむ、これでは恭子をとやかく言えない。お互い、酒癖の悪い先輩だな。メッセージの内容から何が起きたか推測してみる。着信へ応じた私に、咲ちゃんは家へ行って良いかと尋ねたのだろう。了承した私ではあるが、通話を終えると同時に再び寝た。直後に瞬間移動で家へやって来た咲ちゃんではあるが、爆睡している私を起こすわけにもいかず、すごすご帰った。 「その認識で合っている?」  早速電話をかけ直し咲ちゃんへ謝るついでに推理を伝えると、合っています、と答えてくれた。 「流石葵さん、お見事です」 「いや、自分の行動を推理せにゃならん状態は駄目だろ。明らかに飲み過ぎだし、電話に出たなら起きろって話だ」 「……それは、はい。そうですね。かなり寝惚けておいでのようでしたし」  私に甘い咲ちゃんでも、認めざるを得ないらしい。 「すまなかった」 「いえ、気にしていないので大丈夫です」 「ちなみによっぽど寝惚けていたって評価だが、醜態を晒したりしていたのか? 大口開けて、腹を出していびきをかいていたりさ」  受話器の向こうが黙り込んだ。なかなか返事が来ない。え、と私が先に口を開く。 「そんなにひどかったのか? 妙な寝言とか口走っていた?」  いえ、と固い声がようやく聞こえた。 「お酒を飲んだ翌日はあんな風にもなりましょう。ところで、改めてお邪魔をしてもいいですか?」  あからさまに話題を変えたな。まあいいけど、咲ちゃんがそうしたいって意味だから。 「どーぞ。まだパジャマだけどな」 6fc9d153-b2eb-4518-825e-92c728d791f8 「すぐ行きます」  言い終わり、電話が切れるや否や目の前に現れた。 「そんなに慌ててどうした」 「……急いでお伝えしたいことがありまして」 「なんじゃいなあ~ぁ」  喋る途中で欠伸が漏れた。ついでに大きく伸びをする。まだ寝起きなんでね。 「今朝、田中君から聞きました。綿貫君も、恭子さんを好きなんだそうです」 「あっそぉ~」  綿貫君も恭子をねぇ~。しかし寝起きの伸びは気持ちいいが、最近は背中や腰をよく痛めるから気を付けないとな。 「ふぅ、スッキリした。行儀が悪くてすまん」 「……おへそ、見えていましたよ」 「いやん、咲ちゃんのエッチ」 「遠慮無く伸びをしたのは葵さんじゃないですか」 「まあな。そんでさ」 「はい」 「今、何つった?」  聞き間違いか? 「綿貫君も恭子さんを好きでした」 「綿貫君も、恭子を、好きだった?」  バカみたいに聞き返す。はい、と咲ちゃんは神妙に頷いた。 「はい」 「……マジ?」 「マジです」 「今日、十一月二十六日だよな」 「はい」 「エイプリルフールだっけ?」 「いい風呂の日です」 「十一がいい、ニがふで六がろか。成程ね」 「お風呂、入りに行きますか」 「どうせならスーパー銭湯がいいな。色んな風呂が楽しめるし、湯上がりにビールが飲める」 「迎え酒ですか。体を壊しますよ」 「今の精神状態よりはよっぽど健康さ」 「……動揺、してます?」 「現実を直視出来ないくらいには」 「両想い、でした」 「マジか」  マジか。 「田中君が昨日綿貫君から直接聞いたとのことですので、確かな情報です」  逃げ場、ねぇな。わー。うわぁー。 「……マジか」  参ったな。 「はい」 「恭子、付き合えるじゃん」  こう、現実として目の前に突き出されると。 「はい」 「咲ちゃん」  まったく、決意や感情ってのは案外揺らぎやすくて困る。 「はい」 「嬉しいんだけどさ」 「はい」 「いざ、恭子に彼氏ができるとなると、寂しいって感じる私は厚かましいだろうか」  そう、動揺している一番の理由はそこなのだ。綿貫君の恭子に対する言動から、もしや本人が自覚していないだけで彼も恭子へ好意を抱いているのではないかと頭の片隅で思ってはいた。だから、綿貫君も恭子を好きだったと聞いたところで思いの外、衝撃は大きくなかった。それより驚いたのは、二人が付き合えるとわかった途端、急に胸が痛くなったのだ。二年前に吹っ切ったとはいえ、私も恭子に恋をしていたからか。それとも、恭子が綿貫君と付き合い始めたら私と過ごす時間が減るという現実を、ようやく実感したせいか。恭子の、親友の朗報を誰よりも喜ぶべきなのに。私は誰にも負けない晴れやかな笑顔で、やったなって背中を叩かなきゃいけないのに。  パジャマの裾を握り締める。寂しい。動揺している。胸が痛い。それなのに、涙は出ない。何だよ、私ったら微妙に白状だな。泣くまでの思い入れは無いってのか。中途半端な人間だね。 「大丈夫、ですか」  咲ちゃんがおずおずと声を掛けてくる。またしても後輩に心配をさせて、先輩として失格だなぁ。 「ごめん。ちょっと、驚いた。恭子が付き合えると知って私が寂しいと感じたこと、そしてあいつを笑って送り出せない自分の気持ちに、ね」 「えっ、あの、綿貫君も恭子さんを好きだったことにびっくりしたのではなく?」  苦笑いを浮かべる。そして、この表情は作れるんだな、と自嘲気味に思う。 「もしやと疑っていたから。彼、恭子を素敵で綺麗な魅力に溢れる人って評していたんだぜ? 自覚が無いだけで好意を抱いているのかも、ってくらいは想定するさ」  流石です、と咲ちゃんが目を見開く。大したこと、無いよ。 「では、葵さんは前から恭子さんを送り出すのが寂しいと感じておいででしたか。それなのに、あんなに一生懸命応援してくれていたのですか」  その質問に、ゆっくりと首を振る。 「寂しさなんて全然無かった。恭子を支え、背中を押しまくり、綿貫君とくっつけてやる! と、息巻いていたくらいだ」 「でも、葵さん。今は」  咲ちゃんを相手に誤魔化す気は無い。そんな浅い仲じゃないもんな。 「寂しいや。困ったものだね、これでは素直に送り出せないよ。そのくせ泣く程のショックも受けていない。なあ咲ちゃん。私、ひどくない? 笑えない。泣けもしない。親友にして惚れた相手に中途半端な向き合い方しか出来ていない。これじゃあ恭子に対して、ただのお知り合い、くらいの感情しか持っていないとしか言えないな」  私の言葉に、いいえ、と咲ちゃんはそっと手を重ねてくれた。小さな彼女の手は優しく、暖かい。 「葵さんが恭子さんに対して中途半端に向き合っている、なんて有り得ません。すぐ傍で貴女達を見上げて、関係性に憧れている私が断言します。ただのお知り合いのわけないじゃないですか」  咲ちゃんは力強く言いきった。あぁ、君は私が落ち込むといつもしっかり支えてくれるね。田中君との一件があった時にもこうして手を重ねて、励ましてくれたっけ。私が君を見守り続けると約束したのに実態は逆じゃないか。ごめんね、頼りになら無い先輩で。 「でもさ、この私の様子を見ろよ。祝福も、慟哭も出来ないんだ。私、恭子に大きな感情を持っていないのかな。親友なら祝うだろ。片想いの未練があるなら泣くだろ。どっちも無い。ただ、寂しいなって落ち込むだけ。中途半端じゃない?」  違います、と咲ちゃんの手に力が入る。 「葵さんは恭子さんの親友です。だから、恭子さんとの時間が減ってしまうのではないかと寂しくなるのは当然です。そして、恋心とは、たとえきっぱり吹っ切ったとしても心の何処かで燻り続けるのでしょう。私にはその気持ち、わかります。葵さん相手でもお話し出来ない理由があるからなのですが、わかる、とだけははっきり自覚しています」  普段の私なら隠し事に食いつきいじり倒していただろう。だけどそんな元気も無い。そっか、としか返せない。 「逆に、葵さんは恭子さんへの昔の気持ちへご自分の中で区切りをつけたから、泣く程の悲しみは押し寄せないのです。むしろ凄いと思います。なかなかそんなにきっぱりと、切り替えるのは難しいですもの」 「だけど少しだけ燃え残っていた、か。女々しくない?」 「いいえ。ただ、好きって感情の強さは侮れませんね」  そうしてにっこり微笑んでくれた。君はどこまでも優しいなぁ。咲ちゃんの素敵なところだ。 「……大丈夫かな。間違っていないかな。私、今まで通り、親友面をして恭子の隣にいてもいいのかな」  弱気な言葉に、当たり前じゃないですか、と咲ちゃんは身を乗り出した。 「親友面、ではなく親友でしょう。恭子さんの一番のお友達は葵さんです。他に誰がいますか? そもそも葵さんがふらっと何処かへいなくなったら恭子さんは首根っこを掴んででも引き戻すと思います。ぐだぐだうっさい、勝手に悩んで私の傍からいなくなるなんて許さない。そんな風に葵さんを叱るのではないでしょうか」  昨日、恭子の真似が上手だと私は咲ちゃんに褒められたのだが。君も随分上手いじゃないか。そして首根っこを掴んで引き戻す、というイメージはまさに私と同じで少し笑ってしまった。 「ちょっとだけ、恭子への気持ち、燻っていたのかな」 「仕方ありません。恋心ですから」 「そんで、寂しいって思うのは傲慢じゃないかな」 「むしろ寂しくなかったら怖いですよ。お二人はそのくらい、仲良しなのですから。まあ恭子さんは綿貫君と本当にお付き合いを始めたとしても、葵さんを決して蔑ろにはしないでしょう。どうしても時間は減ってしまうかも知れませんが」  それは仕方ない、いずれ皆離れていく。そう、わかっていたからさ。 「……だから旅行をしようって言ったんだった。一緒にいられる今の内に、七人全員で煌めく思い出を作ろうって」 「そうです。私と田中君も結婚をします。今まで通り、皆との時間を大切にしたいですが、これから変わらざるを得ない部分はどうしても生じてしまいます。その前に、素敵な思い出を作りましょう。ね、葵さん」 「……そう、だな」 「だから、あんまり自分を責めないで下さい。私は葵さんの泣き顔や困り顔も好きですが、笑顔の方がもっとずっと大好きです」 「……君も言うようになったじゃないか」  照れ臭いね。やれやれ。 「私もちょっとずつですが、前に進んでいるのですよ」  おかげでこうして躓いても、支えて貰えているわけだ。ありがたいよ、本当にさ。わかった、と咲ちゃんの手を握り返す。 「勝手に落ち込むのはやめておこう。ただ、寂しさのおかげと、私が付き合いたかったな~って一ミリだけある気持ちのせいで、今は心の底からのおめでとうを伝えられないのも事実だ」 「仕方ありませんって」 「うん。でもちゃんと飲み込んで、恭子を きちんと祝福する。親友として、ね。だからさ」 「はい」 「私が今日、咲ちゃんの前でうだうだぐだぐだ悩み落ち込み親友であることすらも否定しようとしたのはさ」 「はい」 「他の皆には、絶対に秘密だぜ」  顔を覗き込み目を合わせる。無論ですっ、と頷きを返してくれた。助かるよ。そんで冷静になると恥ずかしくもなってくる。どんだけ恭子への想いが胸中に吹き荒れているんだ、私。 「あーあ、恭子だけじゃなくてやっぱり私も情緒不安定だ。落ち着いているのは咲ちゃんだけだね」 「偶々ですよ」 「気分転換に飯でも食いに行くか。それともマジでスーパー銭湯へ行っちゃう?」  それならば、と咲ちゃんの手が離れた。ちょっと寂しい。 「いっそ遠くの温泉施設へ行きましょうか。一旦帰ってお風呂道具を取って来ますから、葵さんも支度をして下さい。監視カメラや人目につかないスポットの温泉でしたら瞬間移動で訪問出来ますから」 「あんの? そんなところ」 「こないだ、地方のスーパーへノドグロを買いに行ったことをお忘れですか? それ以前に、世界中を飛び回って恭子さんのメイド姿を撮影したではありませんか。葵さんともたくさんの水族館へ行きましたし」  そういやそうだ。失念するなんて私はよっぽどお疲れらしい。 「生体エネルギーの探索能力とサイコキネシスの応用を重ねて使えばそのくらいは朝飯前です。まあ神経を使うので、実際は朝御飯を食べてからの方が良いですが」 「ちなみに今日は朝飯食った?」 「田中君の家で卵かけご飯をいただきました」  いいなー、こっちもラブラブで。羨ましいなー。 「そんじゃあ体力は満タンだな。私も煎餅の一枚くらいは齧ってから行くか。空腹での長風呂は低血糖症を引き起こしかねん」 「燃費の良い体ですね……」  肩を竦める。少食なおかげで回転寿司ではシェアして貰わないとろくな種類も食えないのだぜ。 「では一旦帰ります。準備が出来たら戻って来ますね」 「あいよ。お待ち申し上げておりやす」 「葵さんも、ゆっくり支度をなさってください」  では、と咲ちゃんの姿が消える。温泉、ね。全力で私を慰めてくれているんだな。そして恭子と綿貫君が両想いかぁ。カップル成立、おめでとう。昨日、散々作戦会議を重ねたっていうのに、蓋を開けてみれば必要無かったのかよ。微妙に腹が立つ。そして腹を立てると腹の虫が泣いた。煎餅を一枚、袋から取り出し齧る。喉も乾いたのでペットボトルのお茶をコップに注ぎ、煎餅と交互に摂取した。ふむ、これで長風呂にも耐えられるだろう。あとは着替えとタオル、旅行用のシャンプーとリンス、それに現金、っと。そういや去年、恭子と咲ちゃんと三人で温泉旅行に行ったっけ。楽しかったなぁ。まさか二人ともほぼ同時に私の元からいなくなってしまうとは、そりゃあ寂しくもなるっての。あーあ、私ばっかり置いていきやがって。まあ一緒に連れて行けとも言えんがさ。咲ちゃんは結婚、恭子はお付き合いかぁ。鞄に荷物を詰めながら、そんなことをぼんやりと考えていたのだが。  不意に引っ掛かりを覚えた。ちょっと待て。まだじゃないか。まだ、到達していない。そして結局やることは変わっていない。すっかり終わった気になっていたけど状況が変わったわけではないんだ。 「戻りました」  そこへ咲ちゃんが帰って来た。リビングに佇む彼女に、なあ、と寝室から声を掛ける。トコトコ此方へやって来た。確認なんだが、と切り出す。 「何でしょう」 「恭子と綿貫君、両想いなんだよな」 「はい、そう聞いております」 「だが両想いだけど、まだ付き合ってはいないんだよな」 「……そういえばそうですね。どちらかが告白をする必要があります。あっ、そう言えば!」  小さく叫び、両手を口元に当てた。どうした、と先を促す。 「綿貫君は告白しないと宣言したそうです」 「……何で」  またわけのわからんことをしているな。 「自分が恭子さんに告白をして、フラれたら七人の仲がおかしくなってしまう。それは絶対に嫌だから気持ちは伝えない。そんな風に言っていたんですって。田中君に教えて貰っていたのに、すみません、両想いの衝撃が大きくてお伝えしそびれておりました」  まったく、両想いだってのにいらん決意をしやがって。でも綿貫君らしいっちゃらしい。自分の気持ちより皆の関係を大事にするなんてお人好しが過ぎる。 「じゃあ結局恭子が告白をせにゃならんという状況も変わり無いのか。そんでもって全員が両想いと知っているんだな。当人達を除いてさ」 「まあ、綿貫君や恭子さんに相手の恋心を勝手にバラすわけにはいきませんからね……」  頭が痛くなってきた。結局恭子は勇気を振り絞るしかないんだな。 「ちなみにボドゲチームの三人は、下手に綿貫君を唆したり背中を押したりは絶対にやらない、と満場一致で決めたそうです」 「どっちに飛んで行くかわからんからな」 「まさにその通り」  溜息が漏れる。二人が両想いだと知っただけでこんなに感情が振れるなんて情緒不安定が悪化しそうだ。考えるのもくたびれた。もう知らん、ゆっくりしたい。 「じゃあ恭子へのサポートは継続ってことで、取り敢えず相談されたら答えよう。そして一緒にしおり作り、頑張ろうな」 「わかりました。葵さん、改めてよろしくお願い致します」  丁寧に頭を下げられた。さて、と咲ちゃんの肩を軽く叩く。 「温泉、連れて行ってくれる? 何も考えずお湯に浸かりたい」 「すみません、次から次へと情報をお渡しして。のんびりしましょう、葵さん」  うん、と咲ちゃんの手を取る。こうやって君と遊べる機会も徐々に減ってしまうのかな。そんな考えまで過り、小さく頭を振った。行きますよ、と張り切る咲ちゃんは私の様子に気付かなかった。いや、もしかしたら気付かないふりをしてくれたのかも。そんな風に考えを巡らせるのも面倒臭い。思考は全部お湯に溶かしてしまおうっと。
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