葵と咲、温泉地を訪れる。(視点:咲)

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葵と咲、温泉地を訪れる。(視点:咲)

 山合の公園に到着した。ふう、と葵さんが一つ息を吐く。 「何処だい? 此処は」 「関西の有名な温泉地です。歩いて二十分程で温泉ですよ」  そうか、と答えると同時に手が離れる。繋いでいても良かったのに。だって葵さん、どう見ても元気が無いから。それに今朝、九時半過ぎにお伺いした時、私を抱き締め泣いていた。お酒が残っていたせいもあると思うけれど、何度声を掛けてもお返事は無く、ただただ涙を流していた。昨夜は楽しそうだったのに、急にどうしたのかな。嫌な夢でも見たのかな。そんな風に心配になった。そしてさっきは、恭子さんを見送るのがいざとなったら寂しい、と仰っていた。言葉で元気付けはしたけれど、それだけで元気満点になるのも難しい。だからこうして温泉に連れて来たわけでして。少しでも元気になってくれるといいな。そう思いつつ、並んで歩き出す。周りを見回した葵さんは、ふうん、と声を漏らした。 「温泉地のすぐ傍なのに案外普通の住宅地なんだな。もっとあからさまな温泉街が広がっているのかと」 「この辺りはそうですね。ただ、坂を下りたら街並みも変わりますよ。観光地に早変わり、です」  そっか、と呟くと急に大きく伸びをした。背中や腰を痛めないで下さいね。 「咲ちゃんは結構来たことがあるの?」 「はい。泉質が肌に合う感じがするので、ちょこちょこやって来ております」 「成程。やけにしっくり来るお湯ってあるよな」 「葵さんもありますか? 此処は良い! ってなった温泉」  うーん、と宙を見上げている横顔も素敵です。睫毛、長いなぁ。 「あぁ、そういや一か所あったわ。昔恭子と行った、東北の温泉なんだけどさぁ。温度も泉質もドハマりした。浸かりながら、このお湯になりたい、このまま溶けてしまいたい、って無意識に呟いていたらしくてさ。あんた何言ってんのって若干引かれたっけ」  思わず笑いが漏れる。 「溶けてしまいたいと望む程、気持ちが良かったのですか」 「いや本当に、心底感じたんだよ。このお湯になりたいって。マジで一体感が半端じゃ無かった。多分、構成物質が私とあの温泉は一緒なんだと思う」 「それでは葵さんが液体か、もしくは温泉が葵さんということになってしまいます。……ちょっと怖いですね」  でも一度入ってみたい気もする。 「私は一応固体だな」 「一応って何ですか。ちゃんと固体ですよ」  ほら、と腕に絡み付く。元気になぁれ、なんて。おこがましいか。 「しかしあそこはまた行きたいものの、山間の秘湯だから行くのが大変なんだよなぁ」  ふふん、気付いておられませんね。今、どうやって此処まで来ましたか。傍らで貴女にへばりついている私は一体何が出来るでしょう? 「なにせ飛行機で一時間、更に空港からバスで三時間だ。おまけに冬は積雪が物凄いから閉鎖されると来たもんだ。よし行くぞ、と気合を入れなきゃ訪れられん」  此処の温泉地も、新幹線で三時間、更に電車で三十分はかかりますよ。だけど一瞬で来られました! さあ、誰のおかげでしょうか! 「その内、また女子旅するのも楽しそうだな。前回は佳奈ちゃんの都合がつかなかったけど、今度は四人で行こうぜ。温泉に入って、飯食って酒飲んで皆ののろけ話でも聞かせて貰うとするか」  そうですね、と相槌を打ちながら葵さんの腕を揺さぶってみる。 「ん、どうした? 何か言いたいのかい?」 「自分で言い出すのもいかがなものかと思ったのですが。秘湯だったらむしろ訪れやすいです。人目に付きにくいですから」  しばしの沈黙。しかし、あぁ、と表情を緩めてくれた。 「そうか、うん、そうだな。あの溶けてしまいたい温泉に、すぐ行けるわけだ。君が一緒に来てくれるのなら」  はい、と頷く。 「何だよ、すぐに言ってくれよ。むしろ気付かなくてごめんよ」 「……いえ、別に」 「どした。褒めて欲しかったのか」  そういうわけではと言いかけて口を噤む。そして、そうですね、と私も笑顔を浮かべた。 「おや、珍しい」  その言葉に、テレパシーを繋ぐ。今、気付いた思いを伝えたくなったから。 (あのですね) (うん) (私が、というよりも、超能力を褒められたかったのだと思います) (そうなの?) (はい。私は超能力を持っているせいで一人きりで過ごして来ました。おかげで、どうして私だけこんな風に生まれてしまったのだろうかと落ち込み、嘆くことも多かったのですが。今、周りにいるお友達は皆、肯定的に捉えてくれるではないですか。だからとっても嬉しいのです。サイコキネシスが格好いいと言ってもらえたり、瞬間移動が便利だと喜んでくれたり、テレパシーを内緒話に便利だと評価されたり。私は超能力を持っていていいんだ、この力は前向きに受け止めて貰えるものなんだ。そんな風に考えられるようになったので、機会があれば褒められたいのだと気付きました) (そうか。すまないね、瞬間移動の活用法に全く気付かなくて。今もバッチリ使って此処へ来たのに) (いえいえ、お気になさらず。むしろ褒めて褒めてとせがんでしまってすみません) (此方こそ、連れて来てくれてありがとう。慣れちまって特別に意識をしなくなってはいたが、便利なもんだな、瞬間移動) (ありがとうございます。ただ、昔風情が無いと仰っていたのは忘れません) (え、私が?) (あ、ひどい! 忘れちゃいましたか!) (覚えてない) (むむむ) (ただ、旅行の時に瞬間移動で移動しようと提案されたら、私は間違いなく風情が無いねぇって否定をするな) (まさにその通りの状況でしたよ) (だって移動も含めて旅行だもんよ) (今日もプチ旅行みたいなものですが) (旅行っつーかお出掛けって感じ。だから風情よりも実利だ。これが、この温泉地に旅行をしようって話だったら公共交通機関で移動したよ) (瞬間移動なら時間もお金もかからないのに……) (無駄も楽しむのが旅なのさ) (今日は、無駄、楽しまないのですか) (風呂に入るのが目的だから、それ以外は要らない。だから瞬間移動は大助かり!) (風情は?) (要らない) (だけど旅行の時には要る、と) (うん) (理解に苦しむ基準です!) (それは君が超能力者としての価値観を持っているからだな。力を使える分、考え方や捉え方も人より少しズレているのだろう) (超能力者差別ですかぁ?) (いじけるなって。そんな大袈裟なものじゃないよ。例えば、運動神経の悪い私と良い恭子は出来ることに差があるだろ。あいつが三十分で五キロ走れるとしたら、二キロしか走れない私の気持ちはわからないのさ。走れないのはわかるけど、辛さ、キツさは理解不能。何故ならあいつは運動神経が良いから。つまり、君が超能力者であることによる認識の差も同じようなズレなんだよ) (…………運動神経はあっても無くても風情が無いと評されないからいいですね) (悪かったよ、恩恵に預からせてくれてありがとう。これはお礼の気持ちだよ)  頬に柔らかい感触が走った。え、と声が漏れる。 「ほっぺにチュー」  にゃはは、と笑っている。私の顔は一気に熱を持った。 「こ、こないだからチューが多すぎます!」 「嫌ならやめる。ごめんごめん」 「嫌じゃないので続けて下さい!」 「凄いお願い事もあったものだな。田中君には聞かせられないね」  葵さんが落ち着き払っている意味がわからない! だって私はこんなにドキドキしているのだもの! 「お、見えた。街並みの色があそこだけ違うな。茶色っぽい感じがする。あれが温泉街なのかい?」  テンパりながらも目を凝らす。葵さんの指差す先は、仰る通り温泉街だ。咳払いをして、そうです、とお返事をする。だけど声が上擦ってしまった。 「可愛いねぇ」  悪魔の笑顔を浮かべて私を見遣る。ひどい、と思いつつ、同時に安心も覚えていた。ちょっとだけかも知れないけれど、葵さんがいつもの調子に戻って来たから。ただ、切っ掛けが私のほっぺにチューしたことなのはどうかと思いますけどね! そしてされて喜ぶ私は自分に言い聞かせるのです。婚約者がいるのを忘れるな、と。 「さて、あそこまでもう十分か十五分くらいか? 結構高低差があるねぇ。まあ山だから仕方ないが。帰りは上り坂か。温泉に浸かっても帰る頃には結局汗まみれになっていそうだな」 「すみませんがしょうがないのです。観光地なので人が多く、監視カメラもたくさんあるのであっちから直接は行けなくて」 「昨日、見せてくれたアレで姿を見えなくしてから使うのも駄目か?」  アレ、とは透明化のことですね。しかし、駄目なのです、と首を振る。 「結局、不自然に姿を消すという点では同じですから」  そりゃそうか、と葵さんは納得をしてくれた。他愛のないやり取りだけど、内容は超能力の使い方に関するもの。大多数の人にとっては非日常的な会話だ。日常に落とし込んでくれるお友達の皆のありがたみを再び噛み締める。そして褒めて貰えるとやっぱり嬉しいですね。 「しっかし見下ろしてみると割とデカい街だってわかるな。咲ちゃんは今日、一日暇?」  葵さんに話し掛けられ我に返る。 「はい、暇です」 「よし、じゃあ色々見て回りたいから付き合っておくれ。風呂入って即帰宅じゃ勿体なさそうだ」  目に光が宿っている。……少し意地悪をしてみましょう。 「温泉街の観光ですね」 「うん」 「日帰り旅と言っても差し支え無いと思うのですが、移動手段は風情がありませんでしたか?」  げ、と葵さんは顔を顰めた。 「君、もしかして根に持つと滅茶苦茶しつこい?」 「基本的にはしつこくありません。ただ、私の心に突き刺さった言葉なので決して忘れはしないでしょう」 「それを根に持つとしつこいと言うんだが」 「じゃあそうです」 「……悪かったよ」 「風情、無いですか」 「無い」 「ひどい!」 「でも今日は楽しませて貰う。折角咲ちゃんが連れて来てくれたんだからな! ありがとう!」 「都合が良過ぎます! 何だかずるいと感じるのです!」 「温泉饅頭、奢るからさ。堪忍しておくれやす」 「……風情、無いですか」 「無い」 「……置いて帰っちゃおうかな」 「そんなこと、しないだろ」 「……はい」 「まあまあ、これについての議論は永遠に平行線を辿るだろう。しかし気持ちに嘘を吐き、風情がある、と口にするのも嫌だ。咲ちゃんには常に正直でいたい。よって、この話は不毛であるだけだから終わりにしようと思う。今日を楽しもう。それが肝要だ」  全然納得いっていないけれど葵さんに終了を宣言されてしまった。渋々頷く。意地悪は中途半端に終わってしまった。葵さんにはまだまだ勝てないってことかな。ただ一つ。  正直でいたい、って言って貰えて胸が温かくなった。仕方ありませんね、お話はこれで終わりです。
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