葵と咲、一つ目の温泉へ入る。(視点:咲)

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葵と咲、一つ目の温泉へ入る。(視点:咲)

 資料館を出ると、こっちです、と咲ちゃんは先導してくれた。流石、即興とは言えコースを決めただけあるな。少し歩き、角を曲がる。 「お寺に手を合わせていきましょう」  明るく開けた境内にお邪魔をし、二人揃って手を合わせた。ただ、お願い事をするのも違うよな。じゃあ何を思えばいいのだろう。そもそもお寺で手を合わせるのって供養のためだっけ? などと考えている時間が勿体無い。山科葵と申します、縁あって本日此方をお伺いさせていただきました。心の中でそう唱え、目を開く。 「随分長くお祈りされていましたね」  咲ちゃんにそう指摘され、曖昧に微笑み誤魔化した。  そこから更に道を進むと徐々に活気が増してきた。さっきまでの個人商店達は割と静かに玄人客を待ち構えているような雰囲気だったが、こっちは一転して明るくポップな感じがする。そもそもカフェが多い。喫茶店じゃなくてカフェ。温泉街でカフェねぇ。個人的な意見だが、観光客に媚び媚びな感じがしてあんまり好きじゃないんだよなぁ。温泉一本でやっていけるだろ、こんだけ有名なところならさ。いや、逆に観光客が集まるから、金の匂いを嗅ぎつけてカフェ屋が出店しに来るのか? 別にカフェに恨みは無いし、なんならコーヒーは好きだがどうにも違和感が拭い去れない。 そんでもって需要があるから供給されているんだよな。観光客は旅先でお洒落な写真を撮って、ネットに上げたらいいねがつくのだ。橋本君が一瞬いい感じになりかけていた美奈さんとやらの写真が脳内をちらつく。数枚しか見てはいないが、あの人もきっと旅先で飯だの菓子だのを持った自撮りをアップしているタイプの人間だ。何故、温泉地で抹茶フラペチーノの写真を撮らにゃならんのか。どうして飯をわざわざ撮影して、美味しかった、と報告するのか。そもそも何故てめぇの顔面を加工したうえで全世界に向けて発信するのか。私には一生理解出来ないな。何せ古い人間なんでね。やれやれ、旅先で何を一人、心の中で愚痴っているのか。 「考え事ですか?」  不意に咲ちゃんが顔を覗き込んで来た。正直に、今思っていた内容を小声で伝える。 「カフェに親族の方をやられた経験でもあるのですか」 「いや、無いけど」 「いいじゃないですか、楽しみ方は人それぞれです。他人がどう振舞おうがお気になさらず、自分が楽しいと思う過ごし方をすれば良いと思います」  そりゃそうなんだがなぁ。わかっちゃいるけど実践するのはなかなかどうして難しいのだ。咲ちゃんは素直だから切り替えられるのかね。 「ちなみに私は葵さんと同じ考え方ですよ」 「じゃあカフェとか見るとむずむずしない?」 「特に感じません。ただ、商品の写真を撮るために訪問することは無いだろうなと思います。逆に美味しそうな揚げ餅があれば迷わず入店するでしょう」  ううむ、説得力しかない。何より純粋無垢な笑顔が眩しい。両手で顔をガードすると、今度は何をしてらっしゃるのですか、と若干呆れられてしまった。 「咲ちゃんの純白さにひねくれ者は耐え切れんのだ。光のオーラで消滅してしまう」 「またわけのわからないことを」 「田中君も言っていただろ。我々のようにへその曲がった人間は、真っ直ぐな言葉に弱いのさ」 「あぁ、そんな話もありましたね。私は別に普通ですが」 「いいや、君の幼女の如く純粋なところは評価されて然るべきだ」 「私、二十四歳なのですが……」 「安心しろ。精神年齢は多分五歳くらいまで退行している」 「ひどい……」  いい子いい子、と頭を撫でると唇を尖らせた。一方、昨日の青竹城での振る舞いを思い出す。やっぱ幼女だろ。  そんなやり取りをしていると、不意に咲ちゃんが着きました、とある建物を手で指し示した。 「一つ目の温泉です。まずはこちらを楽しみましょうっ」  外の足湯は満杯だった。そして温泉の成分なのか、それとも元来の性質なのか。岩は茶色くボロボロになっている。ふうむ、なかなか効きそうだ。咲ちゃんは慣れた様子で中へ入って行く。私もそれに続いた。  中は人でごった返していた。すげぇな、と感心と同時に若干呆れる。人、集まり過ぎだろ。まあ日曜日の有名観光地となれば仕方無いか。此処なのかい、と咲ちゃんに問い掛ける。 「君に合う泉質は」  いえ、と首を振った。しかしその顔は綻んでいる。こっちも結構気に入っているのかね。 「それはもう一つのお風呂です。でも此処のお湯も気持ち良いですよ。ご覧の通り、人気も充分あります」  人気があるなら効能も保証されているな、とは思わんが野暮な口は挟むまい。外の岩もボロボロだったしなかなか効果がある気もする。靴を仕舞い、何となく人波に乗る。案外すぐに順番が回ってきた。フロントで二人分の料金を払い、二階へ向かう。次は私が払います、と咲ちゃんは息巻いていた。 「そう? 別にいいのに」 「いえ、奢っていただいてばかりでは気を遣いますので。それに、好きなお風呂には自分でお金を払って入りたいのです」 「あー、その気持ちはわかる。ちゃんと対価を支払って恩恵を享受したいよな。そんじゃあ次は君に出して貰うとしよう」 「お任せをっ」  そんなや会話をしている内に女湯へ到着した。支度をしていてふと気付く。 「外さねぇの? 眼鏡」  キャミソールを脱いで下着姿になった咲ちゃんは、ズレた眼鏡を掛け直していた。私の問いに、外しません、と頷く。 「何も見えなくなってしまうので」 「コンタクトを着けてくれば良かったのに。ちょいちょい使っているじゃんか」 「実際、去年の温泉旅行にはコンタクトで行きました。しかしですね、お風呂で顔を洗うと何故か大抵目の中でズレてしまうのです。眼球の裏に入られると困るので、こうして眼鏡を装着した方が無難だと考え直しました」  サイコキネシスであっさり取り出せそうなものだがな。 「ちなみに裸眼は全く駄目なん?」 「私の視力は0.1です。それに折角来たのに内装を認識出来ないのは凄く勿体無いじゃないですか」  案外拘りがあるらしい。まあ好きにすればいいけどさ。ただ一つだけ気になるとすれば、恭子と風呂に入りながらむふふって思っていたとこないだ酔っ払った際に言っていた。その話を聞いてしまったがために、ヤラシイ理由で眼鏡をかけているのではないかと疑ってしまうわけで。まあいいけどさ。私は恭子じゃないから、咲ちゃんもむふふとは思わないだろう。  そうこうする内に支度が整った。タオルを握り、行こうか、と声を掛ける。全裸に眼鏡というマニアックな格好をした咲ちゃんが、はい、と手に持ったタオルを振った。  風呂の中もなかなかの人出だった。浴槽の方から嬌声が響き渡り目を向けた。歳の感じから女子大生だろうか。若者は元気だねぇ。そして残念ながら洗い場では二人並んで座れなかった。後でな、と空いている席へ別れる。シャワーで椅子を軽く濡らし、腰を下ろした。む、お湯がちょっと熱いな。温度を調整しつつ頭から足先まで順に浴びていく。そうして備え付けのシャンプーでまずは髪を洗う。こういう時、ボブカットで良かったと思う。ロン毛の恭子は洗髪に時間が掛かるし、湯船に浸かる際もお湯に髪が広がらないようゴムで纏めて更に上からタオルで押さえている。面倒臭くねぇのと訊いたら、慣れているから全然平気、とあっけらかんと答えた。まあそれこそ価値観は人それぞれ、他人の髪型についてとやかく言うのもお節介が過ぎる。私は自分が楽だからこれでいいのだ。  シャワーでシャンプーを流す。トリートメントを髪に染み込ませ、流さず今度はタオルにボディーソープを染み込ませる。体を洗いつつ髪もケア出来る。そしてタオルから伝わる感触から、割と汗をかいていたと気付いた。結構歩いたからか。それとも昨日、飲み過ぎたせいか。そういや妙な夢を見た。内容は全然覚えていないけど、見たことだけは確かだ。酒を飲み過ぎたせいなのかね。あと、咲ちゃんの電話に出た記憶が全く無いのは反省点だね。改めてもう一度謝るとしよう。ただ、湯上りのビールをいただきたいとも思うんだよなぁ。取り敢えずもう一軒、温泉施設に行くのだから此処を上がった後は飲まないとして、どのタイミングで一杯やろうかね。咲ちゃんに相談するか。いいお店を知っているやもしれん。あぁ、だけど酒のことばっかり考えていると恭子に厳しく当たれなくなってしまう。あいつ、今日は元気かなぁ。良かったね、綿貫君と両想いで。おめでとう。あとは告白するだけだ。……いいな、両想い。私も恭子や田中君となりたかったなぁ。どうして私の恋だけは叶わないのかね。七人中、六人がカップルってよく考えればコミュニティとしてどうかと思うぞ。まったく、色恋沙汰に燃えやがって。私も誰か抱き締めておくれ。  色恋と言えば結局恭子は新山と何も無かったのか。散々よさげな雰囲気を醸し出しておいて、むしろ鬱陶しかったと来たもんだ。二十歳の私が一人苛立ちを募らせていただけって結論に至ってしまった。恋は盲目ってのは正しいらしい。いや! だけどあの頃の二人は絶対にそれっぽい空気を撒き散らしていた! 声のトーンなんてお互いに落ち着いて、相手の理解者みたいに微笑み合ってさ! 畜生、恭子に否定された今でもやり取りを思い出すと苛々する。したところで恭子と付き合えるわけでもなし。ただ私の精神が摩耗するだけ。どっちにしろ、恭子は綿貫君にお熱なのだからマジで今更考えるべき案件でもない。じゃあ何で私は一人で勝手に苛々しているんだ。折角やって来た温泉地でさ。  悶々としながら体を洗い終えた。タオルを洗い、シャワーで髪についたコンディショナーごと全身を洗い流す。最後に洗顔をして、はい終わり、と。気持ちはモヤモヤしているが体はスッキリした。咲ちゃんを探すとすぐに見付かった。丁度良く顔を洗っている。 「えい」 「ひゃんっ」  左右の人差し指で両の脇腹をつつくと可愛い悲鳴を上げた。 「葵さんですね!? 洗顔中は卑怯ですっ!」 「悪かった。先にお湯へ浸かっているぜ」  まったくもう、と顔中に泡を付けた状態でぷりぷり怒っている。その様子を見て、少しだけ溜飲が下がった。我ながら性格が悪すぎるな。
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