葵と咲、博物館を訪れる。(視点:葵)

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葵と咲、博物館を訪れる。(視点:葵)

「少しのぼせてしまいました」  キャミソール姿の咲ちゃんはそう言って手で首元を扇いだ。髪はまだ濡れており、うなじには汗が光っている。 「結構ぽかぽかするな。やっぱいい温泉なんだ。温もりが持続する感じがある」  あとは脱衣所に人が大量にいるせいもあるな。空調は入っているが熱気が篭っている気がする。それにしても喉が渇いた。ペットボトルの水を飲もうとすると、お待ちを、と咲ちゃんに止められた。 「なんぞ? 脱水症状にして殺す気か?」 「そんなわけないでしょう。有名なサイダーがあるのです。火照った体にお勧めですよ」  ふむ、そうまで言うなら飲んでみるか。お互いに着替えを終え、上着と鞄を手に持ちロビーへ出る。生憎、椅子はいっぱいだった。サイダーとやらを購入し、休憩スペースの隅に陣取る。普段、甘い飲み物は摂取しないのだがどうかね。そんなことを考えながら瓶を見詰めていたところ。 「ちょっと甘いかも知れません。ですが炭酸が強めでスッキリしますよ」  内心を見透かしたかのように咲ちゃんが説明をしてくれた。そうか、と応じて栓を開ける。まあ買っちゃったんだから飲むしかない。慎重に口へ含む。 「む、確かに炭酸強めだな」  音も無くげっぷをする。大人の嗜みだぜ、なんて。目の前の咲ちゃんは口を押さえていた。しかし、ぐうう、と音が漏れ聞こえてくる。駄目じゃん。可愛いけど。そんで努力は認めるけど。 「うん、美味い。結構口の中に甘みは残るけど、飲んだ瞬間は炭酸のおかげで爽やかだ」 「いいでしょう。これ、好きなんです」 「珍しいね、咲ちゃんが揚げ餅以外に興味を持つなんて」 「そんなことはありません。ノドグロも大好きですよ。お刺身も美味しかったです。まあ回転寿司屋さんでいただいた炙りノドグロには及びませんでしたが。あれ、最高だったなぁ。期間限定と言わず、常時販売してくれればいいのに」  高いがな。私くらい小食なら値段を気にせず食えるけど、平均並みの胃袋を持つ咲ちゃんや恭子には財布を圧迫する代物だ。田中君がやらかした分の奢りだったから皆遠慮なく食っていたけど、平時は少し気遅れしそうだ。なにせ一皿七百円。回転寿司にしてはかなり高級だぜ。 「葵さんも楽しみましたか、ノドグロの切り身」 「あぁ、君らが買って来てくれたおかげでな」 「ちなみにどうやって食べました?」 「刺身と煮つけにして食った。一食じゃ食べ切れなかったから。刺身はともかく煮つけは甘くし過ぎちまった。ノドグロの出汁をもっと楽しめば良かったよ」 「あらら、料理失敗とは珍しい」 「んなことねぇよ。とは言え珍しく調べたレシピ通りに作ったんだが、それを作った人と私の好みが違ったらしい」 「じゃあ失敗では無いですね」 「どうだか。ま、美味しくいただいたよ。ありがとう」  素直に褒めると、どういたしまして、と緩み切った笑顔を浮かべた。この邪気の無さ、そして尋常でない素直さは、やっぱ幼女だ。  サイダーを飲み終えた我々は、いつまでも休憩スペースで突っ立っているのも間抜けなので外へ出た。さて、と建物から少し離れたところで咲ちゃんを伺う。 「次はどちらへ行きまするか、ボス」 「ボスではありませんがお答えしましょう」 「ビッグ・ボス」 「チビですしボスでもないです」 「先輩」 「それは葵さんの方です」 「師匠」 「……からかっていますね?」 「で、何処へ行くって?」  深々と溜息を吐かれた。しつこくいじりすぎちゃった。ごめんよ、と脇腹をつつこうとするが避けられる。ちっ、警戒するようになったか。咳払いをした咲ちゃんが、此方です、と歩き出す。私もぶらぶら付いて行く。話し掛けようとした、その時。 「あ、此処ですよ」  一つの建物を指し示した。振り替えると今訪れていた温泉施設がバッチリ目に入る。歩いた時間は三十秒にも満たない。 「近いな!」 「遠いよりいいじゃないですか」  この子も大概ポジティブだよな。 「まだ風呂上がりの粗熱が取れとらんがな」 「そんな状態で博物館を見学出来るなんて珍しい体験ですよ」  そうして迷い無く建物へ入っていく。確かに咲ちゃんの言う通り、風呂上りに博物館を訪れるなんてあまり無い体験かもな。いいね、ポジティブ。ひねくれ者の私にゃ難しい考え方だね。再び後を付いて行く。今度は咲ちゃんがチケットを買ってくれた。どうぞ、と差し出される。そのままエレベーターで一番上の階へ上がった。上階から順繰りに見て回るのです、と説明をしてくれる。そいつは気が利いている。坂道だけで充分なのに、これ以上階段は上りたくない。 「色々なおもちゃを見たり遊んだり出来るのですよ。アンティークから現代の物まで見て回れるのです」  へぇ、と相槌を打つ。最初に視界へ飛び込んで来たのは年季の入った無数の人形だった。木製だろうか、雰囲気と暖かみがある。ほぅ、と咲ちゃんが息を漏らした。 「私、このフロアが一番好きなのです。お人形さん、可愛いですよね……」  見たことが無いほどうっとりしている。好きなんだ、と問い掛けると、はい、と深く一回頷いた。 「子供の頃からこういう物に触れる機会が一度も無かったので、夢のような景色なのです……」  あぁ、クソ親のせいか。つくづくひでぇ家族だよ。縁を切って正解だぜ。 「可愛いですよねぇ。それでいて近くで見るととっても精工なのです。どうすればこんな物が作れるのでしょう。職人技というやつでしょうか。惚れ惚れします……」  惚れ惚れするって言いながら本当に惚れている顔をする人は案外珍しい。どこまで心根が素直なんだ。まあなぁ、と私も覗き込む。人形一体一体に表情があって、それぞれの個性が現れていた。ふむ、と腕を組む。いいなぁ、可愛いなぁ、素敵だなぁ、と咲ちゃんはうわ言のように呟いていた。まさか、一人で来ている時にも同じ調子なのか。……まさかね。精神年齢が五歳であっても流石にこんな派手な独り言は自粛するだろ。 「此処に住めないかな……」  ……大丈夫かね。だが私は夜にこの博物館は訪れたくないな。気が付いたら人形が別の場所へ勝手に移動していたり、何かちくちくするなと思ったら人形が足元で剣をふりかざしていたりしそうで怖い。でも、もし私も幼い頃に咲ちゃんと同様、こういう物に触れる機会が無かったらこんな風に入れ込んでいたのだろうか。わからんな、普通の幼少期を過ごしたから。ただちょっと友達がいなかっただけで。両親は普通に愛情を注いでくれた。だから普通に成長をした。今は友達に恵まれているし、神様や武者門さんとも仲良くさせて貰っているし、仕事も普通にこなしている。恵まれた人生じゃのぉ。こうして思い立って温泉街へ連れて来てくれる超能力者の後輩もいるしね。  ふと疑問を覚える。じゃあ、何で私は自分の価値観を失ったんだ? 多分、普通に愛され普通に育った人は存在意義が欠落したりはしない。自分が世界にいてもいなくても同じだとは思わない。だから人は皆生きている。生きる理由があるから。私は二年前に神様と咲ちゃん、恭子達のおかげで理由を得た。だけどそれまでは空っぽだった。故に命を投げ出して咲ちゃんの超能力の暴走を治めた。気が付いたら存在意義が無くなっていた、と自覚はしていた。じゃあ何故私は失った? いつから私は空っぽだった? 「見て下さい、灯りがこんなにも反射していますっ。ほら、葵さんっ、綺麗でしょうっ?」  はしゃいだ咲ちゃんの呼び掛けで我に返る。あぁ、と内心慌てながら微笑みを浮かべた。 「綺麗ですよねぇ。新居にこういう部屋を設けて貰いたいなぁ。ダブルワークで節約をすればそのくらいのお金は貯められるかも? うーん、でも本物の人形はきっとお高いのだろうなぁ」  本音が全部駄々洩れだ。楽しそうだから構わんが、私が一緒にいるために独り言が多いのであってくれよ。首を一つ振る。思いがけず重たい疑問に至ってしまった。だが理由は全く思い出せない。それなら今、考えるべきではない。なにせ日帰り温泉旅行中だ、楽しく過ごすべきだもんね。  ふと目を遣ると、眼鏡を掛けた四、五歳くらいの女の子が祖父母と見られる人に連れられて見学していた。咲ちゃんの内面はあのくらいか、としみじみする。その子の手にはぬいぐるみが握られていた。確か人気ゲームの看板キャラクターだったか。私でも知っているくらいには知名度がある。彼女は大事そうに抱き締めていた。何だか胸がキュンとする。大切なんだろうなぁ。なにせお出掛けにも持ってくるくらいだ。相当思い入れがあるに違いない。家でも外でも抱っこして、車での移動中は抱き締めて安心しながら寝ちゃったりして。最近、そういう背景を想像しては無性に胸がいっぱいになる機会が増えた。ひねくれ者の自覚はあるが、一方加齢で涙腺が緩んで来たのかね。まだ早い気がするんだがな。 「葵さん、これっこれっ! 見て下さいよこのおもちゃ! こんなに大きく細かいのに全部手作りなんですって! 同じ人間の業とは信じられなくないですか!?」  中身が幼女の二十四歳が私を必死で手招きしている。あいよ、とそちらへ進むと女の子と老夫婦と擦れ違う形になった。何となく一礼をする。老夫婦も会釈を返してくれた。女の子は、じ、っと私を見上げていた。  これ、と咲ちゃんの額を軽く叩く。 「他のお客さんもいるんだから、あんまり騒ぐんじゃないの」 「でも葵さんに見て欲しくて。それとも楽しくないですか?」 「おもちゃも凄いが君のはしゃぎぶりが一番面白い」 「ちょっと! ちゃんとおもちゃを見て下さい。私はいつでも会えますが、此処にはなかなか来られないのですよ?」  今日、思い付きで瞬間移動を使い連れて来た奴の言う台詞じゃない。どうだろうねぇ、と適当にはぐらかす。 「まったくもう、博物館の楽しみ方までひねくれてしまってはいよいよ本当におへそが曲がってしまいますよ」 「まだ真っ直ぐだ。さっき風呂で見た通り」 「そりゃあ綺麗なおへそでしたが」 「へそに綺麗もへったくれもあるのか」 「私は綺麗なおへそだと思いました」 「あんまり公共の場で人のへそについて語らんでくれ」 「あ、失礼しました」 「ちなみに君はでべそのイメージだったんだが、普通なんだよな」 「何故そんなイメージを……こんなにも、言われて特に嬉しくないことってあるんですね……」 「何でだろう。初めて一緒に風呂へ入った時、あれっ、って思ったもん。こいつ、でべそじゃねぇのか、って」 「どれだけはっきり、でべそだと確信していたのですか……」 「そうか、わかったぞ。イメージが幼女だからだ」 「またその話ですか。いいですか、私はチビですが二十四歳のれっきとした成人女性です。幼女ではありません」 「中身は五歳だけど」 「葵さんの偏見です。そしてその偏見故に、子供はお腹がぽんぽこりんだからでべそなんだと紐付けたのですね?」 「多分な。謎が一つ解けた」 「しょうもない推理です」  下らないやり取りをしていると、さっきの女の子と老夫婦がフロアを一周して戻って来た。慌てて口を噤む。夫婦は再び一礼をして通り過ぎて行った。女の子はさっきまで両手で抱いていた人形を右手一本に持ち替えていた。その様子が、何故だかやたらと気になった。 「でべそ議論は終わりにして、ちゃんと見学して下さい。私は此処が大好きなのです」  咲ちゃんに諭され肩を竦める。 「わかりましたよビッグ・ボス。ちゃんと展示に集中します」 「そうです。素晴らしさをしっかり理解して下さい」  自分が好きな物に対するこの子の熱量はよく知っている。あんまり邪魔をするのもいけない。私も勉強させて貰うとしましょ。折角来たんだから、自分の過去や咲ちゃんの振る舞いなんかにばっかり気を取られるのは勿体ないもの。
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