縁。(視点:葵)

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縁。(視点:葵)

 ぼんやり窓辺に立ち尽くす。外では明るい陽射しが降り注いでいた。 「わかりやすく放心しないで下さい……」  心配半分、呆れ半分といった感じの咲ちゃんに、お空綺麗、うふふ、と返す。 「しっかりして下さい。葵さんが厚かましいなんて思わないですってば」 「駄目だ。君が良くても私が良くない。自分で自分に呆れるよ」  傍らの小さな椅子に腰を下ろす。咲ちゃんは立ったまま。私を見下ろす目を細め、真面目ですね、と呟いた。 「真面目じゃない。恥知らずが恥を自覚しただけ」 「まあまあ、そういう後ろ向きな思いは全部置いておいて、今日は日帰り旅行を楽しみましょう」  恥については否定しないんだな。だが楽しもうってのは確かにその通りでござんすね。私が朝っぱらから落ち込んでいたから、いい風呂の日を理由にわざわざ此処まで連れて来てくれたのだ。例の田中事件絡みでまたぐだぐだうだうだするのはよろしくない。えい、と咲ちゃんに向けて両手を伸ばす。黙って掴み、引き揚げてくれた。最近は心身共に引っ張って貰ってばっかりだな。我ながら情けない先輩じゃのう。 「さあ、行きましょう」 「わっかりやした。我ながら、やれやれだね」  手を繋いだまま見学を再開する。ボドゲコーナーからは目を背けた。それにしても玩具ってこんなに種類があるのだな。その数の分だけルールも存在するわけで、想像するだけで脳みそが焼き切れそうな感覚を覚える。そういや昔、恭子にメイド喫茶へ連れて行かれたことがあった。その店には天井まで届く本棚いっぱいにボードゲームが置かれており、客が自由に遊んで良かった。そして、ルールについてわからなければメイドまでお声がけ下さい、と貼紙がしてあった。恭子と私で遊んでみたところ、確かに説明書ではよくわからなくて恭子がメイドさんを呼んだっけ。わかりやすく説明してくれて助かったが、つまりそれだけ理解度が深いということだ。もしかして、あそこの店で働いていたメイドさん達は全員膨大な量のボドゲのルールを知り尽くしていたのか? 採用基準には学力テストがあるに違いない。  余談だが、恭子は死ぬほど弱かった。お洒落で簡易な将棋っぽいゲームで遊んでみたら、作戦もへったくれも無く突撃して来るのでひたすら迎撃していたら私が勝った。三回プレイして、三回とも結果は同じだった。もうちょい考えて動かせと窘めたら、色々考えるのは面倒臭い、と切って捨てられた。じゃあ何でこのゲームを選んだのだろうと不思議に思っている内にあいつは片付け本棚に戻した。  席へ戻って来たあいつの手には、不安定な台の上に大量の長い棒を乗せ、崩さないように気を付けながら順番に引き抜くというおもちゃがあった。そして、これなら作戦もへったくれも無い、絶対に勝ってみせる、と豪語した。結果は、序盤で棒を掴んだままくしゃみをかましたあいつの負けに終わった。まだいっぱい棒が乗っている状態だったから、店内に凄い音が響いたんだよなぁ。何でよ! と叫んでいたが、店内の誰もが何で手を離さなかった? とツッコミを入れたかったに違いない。無駄に注目を集めて頭が痛くなったな。  最後は無難にオセロで遊んだ。くしゃみで石を吹っ飛ばすなよとからかったら、マグネットだから平気だもん、と胸を張っていた。別にあいつが自慢することじゃないと思う。そして勝負の結果は奇跡が起きた。なんと引き分けに終わったのだ。白の恭子も黒の私も両方三十二枚あった。マジか、と茫然としていたら、写真を撮りたかったです、とやり取りを聞いていたらしいメイドさんが惜しんでいた。確かに、と恭子は唇を噛んだ。なかなかの低確率だろうから勿体無いなと相槌を打った記憶がある。  しかし記憶を紐解いてみたならば、割と満喫しているじゃないか、私。ただ、やっぱりルールが難しくないものばかり遊んでいるな。最初のお洒落な将棋っぽいやつは、メイドさんが解説してくれた上で恭子がクソ雑魚だったからほとんど何も考えなくて良かった。棒を抜くやつはバランスゲームなので、次に抜く棒の位置なんかは考えたがどっちかと言えば直感と指先の感覚が大事だった。オセロは角をとるための攻めはしたけど子供の頃から遊んでいるので半分は無意識だったよなぁ。結局ほとんど思考をしていない。何か私までバカみたい。恭子も、作戦なんて面倒臭い! って脳筋の思考そのままに突撃してきたり、棒を掴んだままくしゃみをぶちかまして敗北したり、バカみたいだった。あれ、もしかして私とあいつはボドゲが絡むとバカになるのか? 参ったな、メッセージアプリで恭子は弱いって煽っちゃったけど私も大概かも知れん。ボドゲチーム、あんまりルールが複雑な物は選ばないで欲しいなぁ。一昨日までに気付いておけば、選定会議の前に伝えられたのに。もう決めちゃったかな。あ、でもメンバーに田中君がいるから難しい物には反対してくれるかね。くっ、あいつと変なところまで似ていたのだな。おかげで赤っ恥をかいた。いや、まあ今回はあいつに非は無い。私が無意識の内にちょっと上から目線になっていて、よりによってプロポーズを受けた咲ちゃんにそのスタンスを曝け出しちゃっただけ。あー、恥ずかし。また理性が壊れそうだ。  色々考え事に耽っていると、展示の内容があまり入って来なかった。まあ遊べる物にはちょこちょこ手を付けたし、別によかろうもん。なんて思っていた時。床に転がったある物が目に留まった。少女が持っていたのと同じぬいぐるみだ。人気ゲームの看板キャラクター。辺りを見回す。展示品や遊べるおもちゃはたくさんあるけど、明らかにあのぬいぐるみとは国も世代も違う。うん、どう考えても展示品じゃないな。  咲ちゃんの手を離す。あら、と呟く彼女に、ちょっとごめん、と断りを入れて走り出す。ぬいぐるみを拾い、フロアを見回す。祖父母も女の子も姿は無い。私が窓辺で放心している間に先へ進んだのだろう。残るフロアは二つ。 「葵さん? どうされたのです?」  その問いに、すぐ戻る、と答えて背を向けた。大して速くもない足だが、私なりに急いで出入口へ向かう。そして階段を駆け下りた。走りながら考える。  あの子にとって、このぬいぐるみがどのくらい大切なのか、どれだけ思い入れがあるのかはわからない。ただ、無くしたとなればきっと悲しい気持ちを味わうに違いない。折角、おじいちゃんとおばあちゃんと遊びに来たというのに、暗い思い出となってしまう。行かなければ無くさなかったのに、と後悔してしまうかも知れない。  それは駄目だ、と強く感じた。何故だかわからないけど、そんな未来は到底許容出来ない。楽しかったね、と三人で笑い合って今日という日を終えて貰いたい。赤の他人の私がちょっと見掛けた家族にここまで感情移入するのもおかしな話だとわかっている。だけど私は、私だけは、まだ間に合うかも知れないのだ。だったら走るしかあるまい。頼むから、下の階の展示物にはあまり興味がわかなかった、なんて碌に見学もせず帰ってしまっていたりはしないでくれよ。もし最悪の場合、見付からないようであれば、受付に預けていくしかないかね。いや、でも間に合って欲しいなぁ。たとえ短い時間であったとしても、無くしちゃった、って暗い気持ちは味わって貰いたくない。  最下段でけっつまずきながらも下の階に到着した。小走りに進む。家族連れ。カップル。違う。あなた達じゃない。私が探しているのは、このぬいぐるみの持ち主は。  ガラスケースを迂回したその先に、レバーを手で回しながら動くからくり人形を見上げる女の子がいた。後ろにはおじいちゃんとおばあちゃん。彼女が振り返り、凄いね、と二人に笑い掛ける。遠目には気付かなかったが、随分眼鏡の度が強い。  人見知り故、一瞬躊躇したのだが。あのぉ、と意を決して老夫婦に声を掛けた。二人の笑顔が一瞬で真顔になり、私へ見開いた目を向ける。攻撃的とまではいかないけど、驚きと警戒の気配を感じた。若干気おくれしながらも、この子のためだと自分に言い聞かせて必死に続ける。 「このぬいぐるみ、お嬢さんのものではないでしょうか」  私の言葉に、あら、と老婦人の方が目を丸くした。警戒が緩くなった気がする。 「レイちゃん、ぬいぐるみは? 持ってないの?」  女の子は黙って自分の両手を見詰めた。どうもすみません、とすっかり警戒の解けた婦人が一礼をしてくれる。 「この子のぬいぐるみに間違いないです。落ちていましたか?」 「はい。あの、上の階に落ちてまして、そのぉ、お嬢さんがお持ちなのをさっき見た気がしましたから、えっと、まだいらっしゃるかと思いまして」 「まあまあ、わざわざありがとうございます」  ありがとうございます、といつの間にか満面の笑みに変わった旦那さんにもお礼を言われた。いえ、と答えながら私はしゃがみ込み、女の子と目線の高さを合わせる。 彼女は唇を尖らせていた。はい、とぬいぐるみを差し出す。私はおじいちゃんとおばあちゃんに声を掛けたけれど、持ち主は貴女だもの。だから、貴女に返すね。  精一杯微笑み掛けてみせる。女の子はひったくるようにぬいぐるみを取り返した。まあ知らない大人といきなり対峙したら、こうなるのは仕方ない。だけど、その時。両手でぎゅっとぬいぐるみを抱き締めた女の子は。 「ありがとうございます」  怒ったような表情ながら、きちんと言葉にして感謝の気持ちを伝えてくれた。私の胸の中が暖かいもので満たされる。 「良かったね。気を付けて」  そう答えたけれど、彼女からの更なる返答は無かった。うん、これ以上緊張させるのも悪いね。ぬいぐるみは無事に届けられたし、おじいちゃんとおばあちゃんもこれからは彼女が落としていないか気に掛けてくれるでしょう。  立ち上がり、では、と会釈をして階段に向かう。最後に振り返り、女の子に向かって手を振ってみた。ぬいぐるみを抱き締めるために忙しいため、振り返しては貰えなかった。それでいいよ。しっかりと、手を離さないでいてあげて。  階段を上り咲ちゃんのところへ戻る。何事ですか、と首を傾げていた。あ、と一つ引っ掛かりを覚える。 「あの子にも敬語で話し掛けるべきだったな」 「なんのことやらさっぱりなのですが」  そりゃそうだ。だって咲ちゃんはテレパシーを悪用して、勝手に人の心を覗き込んだりしないもんね。よしよし、と頭を撫でる。いよいよ意味がわかりません、と唇を尖らせた。 「あはは、その表情、つい今しがた見たばっかりだぜ。やっぱり君は幼女じゃないか」 「葵さん、こうなれば何度でも言いますよ。私は、二十四歳の、れっきとした成人女性です。幼女ではありません」 「わかっているよ。私より、大人なプレイも色々経験しているもんな」  その指摘にわかりやすく赤くなった。プレイなんて、と首を振っている。まったく、可愛い後輩だよ。さあ、引き続き見学するとしようじゃないか。そう思う、私の胸はまだ暖かいもので満たされているのであった。誰かの役に立てたこと。お礼の言葉を掛けられたこと。それが、どうしようもなく嬉しいらしい、と自分の気持ちを自覚した。
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