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三つ子の魂百まで。(視点:葵)
電話を切った私と咲ちゃんは顔を見合わせた。どう思います、と切り出される。
「何について」
「私の態度、です」
む、意外な質問だな。てっきり、私の行き過ぎたいじりを咎められるか、或いは田中君が反省していると思うかどうか、その辺りの話になるかと踏んでいた。咲ちゃんの態度ねぇ。
「怖かった」
感じたままを率直に伝える。返って来たのは溜息だった。
「どうした、幸せが逃げるぞ」
私の軽口にも表情は浮かない。
「やり過ぎでしょうか」
「ん?」
「怖い面を強調し過ぎたでしょうか」
どうにも話が見えて来ない。咲ちゃんに対しては珍しく、えっと、と私は歯切れ悪く応じた。
「田中君に対して厳く接し過ぎだったか気になるってこと?」
その問い掛けに、はい、と頷いた。
「皆、彼を叱ったり諭したりしてくれています。本人も、心の底から反省したのでプロポーズをしてくれたのだとも思います。ただ一方、私が怖い顔をしないと、彼はまたやらかす気がするのです。流石に誰か他の女性とどうこうはしないでしょう。ですが、喉元過ぎれば熱さを忘れる、ということわざを体現するような人なので、その都度釘を刺す必要があると感じまして」
「それで恭子と二人で出掛けるのに対してやたらと難色を示していた、いや、正確には示しているように振舞ったのか。咲ちゃんにしては頑固だしおっかねぇなと思ったが、成程そういうわけだったのね。納得がいった」
私だって散々焚き付けはしたものの、綿貫君に惚れている恭子へどうこうする程、田中君がクソ野郎でないのはわかっている。むしろそんな奴だったら告白されてフラれたところで私もあんなに取り乱したりはしない。そいつはさておき、田中君の性格は私より咲ちゃんの方がよっぽどしっかり把握している。だからさっきまでのこの子の態度に私は違和感を覚えたのだ。そこまで頑なに振舞わなくても良くないかね、と。ただですね、と肩を落とした咲ちゃんが話を続ける。
「普段、私は怒ることが無いのでどうにも加減がわからないのです。どこまで、どのくらい、態度や言葉で示せばいいのか。こんなにも彼を追い詰めるような真似をするのは流石によろしくないのではないか。これで田中君が私に対して嫌気が差して、婚約を解消されてしまったら元も子もありません。だけど、どうぞ気にせず別の女の人とお出掛けしていらっしゃい、と言うのは絶対に違います」
私に告白したって前科があるからな。
「葵さんから見た私の態度は怖かった、とのことですが、やり過ぎでしたか。言い過ぎでしょうか。田中君や恭子さんを不快にさせてしまいましたか」
「さあ」
「そんな」
「だって私は田中君や恭子じゃないもんよ。訊かれたって答えは持ち合わせておらん」
そう伝えるとがっくり項垂れた。だが私の主張は当然だ。そんで普段の咲ちゃんならそのくらいわかっているはずなんだがな。つまり随分戸惑っていると見た。その時、一つの思い出が甦った。つい吹き出す。何ですか、とまたしても唇を尖らせた。
「いや、いつだったかさ。咲ちゃんが居酒屋でブチ切れたことがあったじゃんか。覚えている?」
私の言葉に目を丸くする。
「そんなこと、ありましたっけ」
「あらら、覚えていないの? なかなか印象深かったがな」
「ええと、葵さんに怒ったのでしょうか」
「私と田中君の二名に、だな」
全然思い出せないらしい、腕組みをして首を捻っている。まあ出て来ない記憶ってどれだけ頑張っても浮かばないよな。そして今の咲ちゃんに教えるのは面白そうだから、話しをしてあげようじゃないか。
「二年前、沖縄旅行を計画するちょっと前だったかな。確か、大学最後の夏休みだからどっか行ってこいって田中君と咲ちゃんに私が言ったんだよ。酒を飲みながら。そうしたらあいつ、行かないっつったんだよ。君も社会人になったからわかるだろうが、大学時代のクソ長い休みって貴重じゃんか。だから私は楽しい思い出を作って欲しかったし、あわよくばまだ付き合っていなかった君達二人で旅行にでも行って、いい感じになって貰いたかった。だけどあいつは後ろ向きだった。ムカついたから私は露骨に不機嫌な態度を示して、空気が完全に死んだんだ。その時、君がキレたんだよ。いい加減にしろ、ご飯を楽しく食べられないのか、って」
「……残念ながら覚えてはおりませんが、確かに私が言いそうなことです」
過去の君の発言だからな。そしてここから先が面白いのだぜ。
「まあな。そんで、私と田中君は慌てて謝ったわけだ。咲ちゃんが怒るなんて滅多に無いどころか、多分私は初めて目の当たりにしたんじゃないかな。ともかくすまんと頭を下げる我々に対し、君はこう言った」
一旦言葉を区切る。咲ちゃんは僅かに身を乗り出した。息を吸い込み、更に意識を此方へ引き込ませる。
「普段怒らないから、ここからどうしたらいいのかわからない、と」
わざとゆっくり、噛み締めるように再現をした。実際、あの時の咲ちゃんはわなわなしておりこんな感じで怒りながら困っていたな。そして今の咲ちゃんはと言えば、赤く染まった両頬を押さえた。
「私、二年前にも同じことで困っていたのですか」
「悩みの規模は大違いだけどね。飯くらい楽しく食えってキレたのが二年前。婚約した相手が他の女と遊びに行くのをどのくらい厳しく締め上げたらいいのかわからんって悩んでいるのが今。深刻の度合いが随分違う。だが根っこの部分は変わっていないとわかって愛しくなったぜ」
愛おしくって、とますます顔が朱に染まる。なあ、と私は笑みを浮かべた。
「人間ってさ、変わらないものだな。表面上は変わることもあるだろう。実際私は、君をはじめとした友達のおかげで存在意義を得たわけで、それ故必要以上に傷を負うのもやめたのだが。逆に言えば、私の根っこは変わっていない。何故なら、私自身が自分に対して存在意義を未だに得ていないから。友達から大切に思われているとわかったから私は此処にいる。だけど私が私に抱く価値観は今でもゼロ。根本は変わっていない」
私の主張に咲ちゃんは黙って耳を傾けてくれた。真面目な顔も可愛いね。
「或いは、根本から変われた人も世界のどこかにはいるだろう。だけどそれは、なかなかどうして難しいと少なくとも私は思う。三つ子の魂百までとはよく言ったものだ。それでもさ、人を、自分を取り巻く環境は否応なく変わる。場所を移る。人が入れ替わる。時が流れる。全部、変化だ。なのに人間は根本から変わるのが難しい。故に必死で足掻くのだろう。一生懸命頑張って、色々たくさんのことを思い、考え、一歩ずつでも前に進もうとする。今の君だってそうさ。田中君と二人で仲良く未来に向かって歩いていきたい。そのためにどうしたらいいのか、試行錯誤の末に厳しく接しようと決めてみた。だけど君は二年前から変わらず怒り慣れていないがために、どこまでやればいいのかこうして悩んでいる。それってとっても愛おしい。素敵だよ、咲ちゃん。そして迷うのならさ、田中君に相談してご覧。何故なら君達二人の問題だから。私も噛んでいる案件ではあるがね、落ち込んだ君を慰めた時にも伝えた通り、結局当事者は君と田中君なのだよ。わだかまり無く彼と一緒に楽しく生きていきたのならば、訊いてみな。今日の態度は厳し過ぎたかって。私じゃなくて、彼に、ね」
そっと頭を撫でる。相も変わらず細っこい髪だ。流れるような手触りが心地好い。
「勿論、何もかも彼に相談出来るわけでもあるまい。だがこれもいつも言う通り、君の周りには私や恭子という先輩や、佳奈ちゃん、橋本君、綿貫君というお友達がいる。私は今回君の質問に対して回答すること自体を断ったが、佳奈ちゃんや恭子ならもっと締め付けろって勧めるかもな。橋本君は、許可制にしたところでこっそり会うかもね、なんて焚き付けそうだ。綿貫君は、田中も反省しているから程々にしてあげて、って庇うかも。ははは、考えてみれば各人それぞれ回答が異なりそうだ。皆に訊いて回ったら、咲ちゃんの混乱は余計にひどくなるかもね」
笑う私を、ちなみに、と咲ちゃんが見上げる。
「葵さんはやっぱり答えてくれないのですか」
「そうだよ。当事者じゃないからわからない。それが私の回答だ。ま、ただの逃げだな」
「……聞きたいです。葵さんの御意見」
「田中君に聞き給え」
「頑なですね」
「うん。なんなら川辺で長々と冷風に晒されて体が冷え切ったから、早く風呂に行きたいなとすら思っている。集中力が続かないんだわさ」
ようやく咲ちゃんの表情が和らいだ。優しいですね、と目を細められる。
「君の受け取り方次第だぜ。私の物言いに、はぐらかすんじゃない、って怒る奴もごまんといる」
「いいのです、そういう鈍感な人達はどうだって。私は葵さんの優しさをわかっていますから、それで十分です」
「買い被っていただき感謝しまさぁ。……そうだな、一枚だけなら撮っていいぜ」
え、と咲ちゃんが声を漏らす。照れ臭いけど、まあいいだろ。
「写真。撮りたいんだろ。優しいって評してくれた御礼に、一枚だけ許可しちゃる」
「……いいんですか」
「五秒後には気が変わるかもなぁ」
咲ちゃんは慌ててスマホを取り出した。一眼レフを持ってくれば良かった、と嘆いている。無表情でレンズを見詰めていると、あの、と肉眼で此方を覗き込んだ。
「何じゃ」
「笑っていただいても、良いですか」
「やだ」
照れ臭いんでね。
「お願いします! 葵さんの笑顔、写真に収めたいんです!」
「ギャグを見たわけでもないのにいきなり笑えって頼まれても無理」
「ギャグ!? え、と、んと。が、がびょーん」
思わず噴き出した。慌てて表情を取り繕う。やった、と咲ちゃんがガッツポーズをした。
「あ、撮りやがったな。ずるいぞ咲ちゃん。いきなり君が、がびょーん、なんて反則だ!」
「ずるくないです。笑ったのは葵さんの自己責任。私はその瞬間を収めただけですもの」
「駄目! 恥ずかしい! 消せ!」
「横暴です! 永久保存にさせて貰います!」
「すんなバカ! スマホを寄越せ!」
「いーやーでーすー!」
「寄越せコラ!」
咲ちゃんが駆け出した。手を振り上げて後を追う。一見ほのぼのイチャイチャしているように映るだろうが。
マジで消させろ! 恥ずかしいんじゃ!!
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